
「福井の人物」と聞くと私が最初に頭に浮かぶのが、「松平春嶽」、幕末の越前福井藩主。
それは幼い頃に司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」で福井を知ったからです。
学生の頃には京都や萩、長崎、鹿児島、高知、熊本など、各地へ幕末の史跡巡りをしてきましたが、福井県だけは行く機会がありませんでした。また福井県に行く機会は多々あっても、史跡を巡ることはなかったんです。
そんなことで、福井を深く知るにはまず坂本龍馬の福井での足跡をたどることから始めたい。そんな私の想いに、福井在住のNEWAGEさんが付き合ってくださることになりました。くしくも今年は龍馬没後、そして大政奉還150年後の年でもあります。

福井龍馬紀行01 posted by (C)FLAT4
大阪から名神高速で北へ走ります。昔ならてくてくと街道を歩いたのでしょうか。

福井龍馬紀行02 posted by (C)FLAT4
北陸道は昔は北国街道でしょうか。龍馬は大阪から福井の道のりを3日掛けて歩いたようです。

福井龍馬紀行03 posted by (C)FLAT4
のんびりIモードで行きましたが燃費は15.5km/lでした。高速ではSモードのほうが燃費いいですね。

福井龍馬紀行04 posted by (C)FLAT4
待ち合わせ場所にはもうNAさんが来られていて、さっそく朝のコーヒーをいただきました。

福井龍馬紀行05 posted by (C)FLAT4
最初の目的地は
「丹厳洞(たんがんどう)」こちらの草庵は江戸時代の建物で、藩主の松平春嶽をはじめ中根雪江、横井小楠、三岡八郎(由利公正)など幕末の志士たちが密議をしたところです。
今回の紀行は龍馬とこの4人とのつながりを中心にゆかりの地を訪ねます。

福井龍馬紀行06 posted by (C)FLAT4
松平春嶽の像も建っています。まちの中心から離れているので、ひっそりと静かです。

福井龍馬紀行07 posted by (C)FLAT4
あまり観光客が訪れることもないのか、お庭の敷石も苔生していました。

福井龍馬紀行08 posted by (C)FLAT4
草庵の中は資料館になっています。これは本物でしょうか

福井龍馬紀行09 posted by (C)FLAT4
この丹厳洞には龍馬が訪れた記録はないのですが、龍馬が福井を訪れた際の三岡八郎の会見録が保存されていて、複写をみることができます。

福井龍馬紀行10 posted by (C)FLAT4
丹厳洞 宮崎信雄 氏蔵 とあります。

福井龍馬紀行11 posted by (C)FLAT4
中は薄暗くまさに密談をするにはぴったりの雰囲気です。

福井龍馬紀行12 posted by (C)FLAT4
1863年(文久三年)3月には春嶽は幕府の政事総裁職を辞めて福井に戻ってきてしまいます。そして)5月から7月の頃、京都の攘夷派を駆逐し福井藩が政治の核となる「挙藩上洛計画」というものを企てていました。当時おそらく藩内の反対派に情報が漏れるのを恐れて、ここで密かに計画が練られていたのでしょう。

松平春嶽- (福井市立郷土歴史博物館所蔵品。) [Public domain], via Wikimedia
この計画は頓挫するのですが、その直後「八月十八日の政変」では、会津と薩摩を中心とした公武合体派が、長州藩を主とする尊皇攘夷派と急進派公卿をを京都から追放するわけで、場合によっては会津は福井と組んでいたのかもしれません。

福井龍馬紀行13 posted by (C)FLAT4
2階もありました。外観は数寄屋造りだそうですが、中から見ると土蔵造りの漆喰壁です。

福井龍馬紀行14 posted by (C)FLAT4
こちらの施設は予約をすれば午前中のみ見学が可能です。

福井龍馬紀行15 posted by (C)FLAT4
現在は高級料亭として営業されておられます。

福井龍馬紀行16 posted by (C)FLAT4
奥には洞窟もあります。戦時中は防空壕であったそうです。

福井龍馬紀行17 posted by (C)FLAT4
今の時期も苔が青々としてとても綺麗でしたが、秋の紅葉の時期もいいでしょう。

福井龍馬紀行18 posted by (C)FLAT4
京都でも、幕末の志士が謀議をした現存の建物はほとんど残っていないので、とても貴重なものです。
昨年国登録文化財に指定されたそうですが、紹介する
福井市のwebサイトが「丹巌堂」と漢字を間違っていてさびしいですね。
幕末ファンなら必ずおさえておきたい福井の重要歴史スポット。訪れることができて感激でした。
続いては、龍馬が歩いた福井城下を回りますが、それは次のブログで。
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Posted at
2017/07/22 19:04:57