• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2017年07月16日

福井 坂本龍馬紀行 その4(完結編)♪

福井 坂本龍馬紀行 その4(完結編)♪ 福井 坂本龍馬紀行 その3♪の続きです。

いよいよ福井城に到着。石垣がやはり笏谷石(しゃくだにいし)ですね。
「福井石」とか「越前石」とかわかり易い名前にしてもっと売り出せば・・・と思ったら、もう今は採掘されてないようです。

福井龍馬紀行20
福井龍馬紀行20 posted by (C)FLAT4


城内にある、「福井」の由来として知られる「福の井」を拝見しました。
春嶽や福井を訪れた龍馬もこの井戸の水を飲んだのでしょうか。

福井龍馬紀行59
福井龍馬紀行59 posted by (C)FLAT4


日曜日なのもあってひっそりとしてますね。江戸時代は福井の藩庁、今は県庁。
ずっと政治や行政の中心であリ続けているんですね。
小さく天守閣だけでも再建したらシンボル的になるかも。

福井龍馬紀行58
福井龍馬紀行58 posted by (C)FLAT4



この日は曇り空で風があったので、夏にしてはポタリングに最適な天気でしたが、気温と湿度が高くここまででかなり疲れてしまいました。(^_^;)

越前松平家の別邸、「養浩館(ようこうかん)」(旧御泉水屋敷)でのんびりくつろいで、リフレッシュしました。


福井龍馬紀行63
福井龍馬紀行63 posted by (C)FLAT4



都会の中にあるとは思えないくらい静かで、手入れの行き届いた素晴らしい庭園でした。


福井龍馬紀行62
福井龍馬紀行62 posted by (C)FLAT4



休憩して元気になったので、お隣りにある福井市立郷土歴史博物館に行きました。この日は養浩館もこちらの施設も、入館料が無料でした。


福井龍馬紀行64
福井龍馬紀行64 posted by (C)FLAT4



足羽川(あすわがわ)と九十九橋(つくもばし)右奥が福井城になります。

福井龍馬紀行65
福井龍馬紀行65 posted by (C)FLAT4



そして松平春嶽公コーナーです。


松平春嶽- (福井市立郷土歴史博物館所蔵品。) [Public domain], via Wikimedia


展示のいくつかは撮影OKの表示がありました。これは春嶽の直筆(模写?)です。


福井龍馬紀行66
福井龍馬紀行66 posted by (C)FLAT4



福井龍馬紀行69
福井龍馬紀行69 posted by (C)FLAT4



福井龍馬紀行70
福井龍馬紀行70 posted by (C)FLAT4


こちらの「時勢急務策」は安政5年(1858)ということで、井伊直弼が4月に幕府の大老になった直後のものですね。水戸の烈公、徳川斉昭と連携して日米の条約問題を解決しようとしたものだろうと思います。この時大老には春嶽がなるという話もあったのですが、もし彼が実際になっていたら不平等な条約を、朝廷の許しもなく結ぶことは決して無かったでしょうね。

この手紙の翌月には井伊直弼は勝手に日米修好通商条約に調印。春嶽は江戸城にいきなり抗議に押しかけて、隠居、謹慎という厳しい処分になってしまうわけです。(安政の大獄)


福井龍馬紀行67
福井龍馬紀行67 posted by (C)FLAT4



福井龍馬紀行68
福井龍馬紀行68 posted by (C)FLAT4



文久3年(1863年)と言えば、龍馬が福井を初めて訪問した年です。広く諸藩やいろいろな身分、立場の人からの意見を取り入れるべきというのは、横井小楠や勝海舟、大久保一翁、そして坂本龍馬のこともはいっているのでしょう。

文中に「巴力門(ハルリモン)」、「高門士(コンモンス)」とたくさんあるので何だろうと調べましたら、巴力門はパーラメント(Parliament)で「議会」、高門士はコモンズ(Commons)で「下院」を指すようです。この頃すでに春嶽は、議会制度を設置しようと考えていたのですね。同じ「巴力門」という表現は長州で翻訳出版された『英国志』の中にありました。春嶽らが文久2年に謹慎がとけた後、江戸でこれらの書に影響された可能性もありますね。

松平春嶽の像は今回3つ見ることが出来ました。一つ目は最初に訪れた丹厳洞

福井龍馬紀行06
福井龍馬紀行06 posted by (C)FLAT4



2つ目は福井神社 こちらが一番古いのだそうです。

福井龍馬紀行47
福井龍馬紀行47 posted by (C)FLAT4



そして3つ目はこの福井市立郷土歴史博物館の玄関脇でした。これが一番若々しくて写真にも近いですね。春嶽の像は、熊本の高橋公園というところにもあるそうです。


福井龍馬紀行60
福井龍馬紀行60 posted by (C)FLAT4



福井龍馬紀行61
福井龍馬紀行61 posted by (C)FLAT4



坂本龍馬は松平春嶽の援助のもと立ち上げた幕府の海軍操練所の塾頭となりましたが、解散後は薩摩に身を寄せることになります。後世からすると幕府側から幕府の敵になったわけですが、実際には薩摩藩も龍馬にも「倒幕」という意識は、維新を迎えるまでなかったように思います。

「竜馬がゆく」だけを読むと、幕府の勝海舟の下で海軍操練所、薩摩の庇護下で亀山社中に薩長同盟、そして土佐藩のエージェントとして大政奉還と、まるで生き方をコロコロ時代に合わせて変えたかのように描かれています。

ですがそれだと幕府に寺田屋で捕縛されそうになったり、春嶽が会津藩の松平容保につくらせた京都見廻組に暗殺される理由が、どうにも腑に落ちないんです。小説の中では龍馬は倒幕派だったからということになってますが・・・。

「竜馬がゆく」などの中では、尊王攘夷派(倒幕派)の薩長と、公武合体派(開国派)の幕府との間で対立軸をつくっていました。

ところが実際には攘夷倒幕派だったと言えるのは長州藩くらいで、どちらかというと対立軸は公武合体という名の大名合議制政治派(龍馬はココ)、そしてそれに対する幕府の温存守旧派(慶喜、会津、桑名)だったようです。(もちろん外国の軍事力を脅威としていたのは誰しもですが。)

幕府の長州征伐に際しては、春嶽も反対していた頃、遠く離れて龍馬も反対しており、そのために龍馬は薩長同盟を仲介して停戦させようとしたわけです。その時の幕府側の停戦の使いが勝海舟だったのは師弟ならではの因果ですね。

その後も龍馬は、春嶽の手紙で土佐藩に大政奉還を建白させるというウルトラCをやってのけるわけで、これも春嶽や大久保一翁から、普段からさんざん聞かされていたから実現したことでしょう。彼がコロコロ考え方を変えていなかったことは、春嶽の目を通して龍馬を見ると明らかです。

それでも幕府の中にいれば誰しもが考えるが実現は難しい策を、龍馬がタイミングよく人と人を繋いでうまくコーディネートしたことはやはり奇跡のような存在です。

龍馬の理想は、同じ考えを持つ、松平春嶽、横井小楠、大久保一翁、三岡八郎そして勝海舟などが、維新後の新政府の中心で活躍してくれることを期待していたのでしょうね。


すべて行きたいところを行き尽くした後は、NAさんにピザ屋さんに連れて行っていただきました。


福井龍馬紀行71
福井龍馬紀行71 posted by (C)FLAT4


この日の天気予報は雨だったのですが、朝から一滴の雨も降りませんでした。
そしてお店を出ようとするといきなりの土砂降り・・・。びっくりしました。
そして、NAさんにおみやげをいただき、福井の地をあとにしたのでした。

福井龍馬紀行72
福井龍馬紀行72 posted by (C)FLAT4



雨は局地的だったようで、帰りの高速の途中で雨はすぐやんでくれました。


福井龍馬紀行地図
福井龍馬紀行地図 posted by (C)FLAT4

今回福井を巡るためにつくった地図がこちらです。一応プリントして持っていきました。
Googleドライブにも入れておいたので、歩きながらスマホで現在地を見ながら辿れるのが便利でした。

ちなみに今回、福井藩と龍馬とのつながりと時系列を調べるためにまとめた年表をせっかくなので貼っておこうと思います。多くのサイトから集めたので、正確かどうかはわかりません。

1862年(文久2年)龍馬(28歳)

3月24日 龍馬 沢村惣之丞と共に脱藩
7月 9日 春嶽 新設の政事総裁職に就任、公武合体政策を推進
閏8月 春嶽 土方楠左衛門に坂本龍馬が勝海舟、横井小楠への紹介状が欲しいと手紙に書く
閏8月 龍馬 岡本健三郎と横井小楠を訪問
12月 4日 龍馬 間崎哲馬・他と中根雪江に面談。松平春嶽に拝謁を願い翌日の面会を約束
12月 5日 龍馬 福井藩江戸屋敷にて間崎哲馬・近藤長次郎らと松平春嶽に拝謁、海防策について意見を述べる
12月 9日 龍馬 松平春嶽から幕府軍艦奉行並・勝海舟への紹介状を受け、海舟宅を訪問、海舟の門人となる。
同日 龍馬 近藤長次郎と松平春嶽に拝謁し建白書と摂海の図を贈る

1863年 (文久3年) 龍馬(29歳)
1月15日 勝海舟 下田に寄港中の山内容堂をたずね龍馬ら脱藩罪赦免の内諾をえる
1月22日 龍馬 順動丸で江戸を発って2月4日に京都に(松平春嶽も乗船)
2月25日 龍馬 正式に脱藩罪が赦免される。
4月 2日 龍馬 江戸で大久保一翁訪問、松平春嶽宛ての親書を受け取る
4月 3日 龍馬 大久保一翁から手紙をたくされ順動丸で品川を出航する。
5月16日 龍馬 越前福井、横井小楠邸で三岡八郎より操練所運用資金借用
     (この夜半か?坂本龍馬、横井小楠 三岡八郎邸を訪問。)
龍馬『君が為 捨つる命は惜しまねど 心にかゝる国の行く末』という歌を謡う。
5月27日 龍馬 京越前藩邸に中根雪江を訪問、春嶽公の入洛を願う
6月29日 龍馬 勝海舟の使者として京越前藩邸に入る 
援助金の礼と騎兵銃1挺を贈る村田巳三郎(氏寿)と面談
7月 1日 龍馬 近藤長次郎と京越前藩邸で村田巳三郎訪問
7月22日 龍馬 岡田造酒助を京都越前藩邸にたずね陸奥陽之助の身柄について相談をする
7月末  福井藩の上洛頓挫。三岡が罰を受け、小楠も帰ってしまう
10月 龍馬 海軍塾塾頭をつとめる
11月 7日 龍馬 京都東本願寺にて松平春嶽に拝謁し秘密を言上、中根雪江をへて十五両を賜る

1864年(元治元年)龍馬(30歳)
2月 龍馬 国元召喚の延期が認められず、再び脱藩する。
2月19日 勝海舟 熊本城下新町の本陣に入る 
2月20日 龍馬 勝海舟の使者として横井小楠訪問
4月 6日 龍馬 横井小楠訪問、横井左平太・忠平と岩男内蔵允を海軍塾に連れ帰る。
5月14日 神戸海軍操練所創設 龍馬塾頭になる
7月19日 禁門の変

1865年(慶応元年))龍馬(31歳)

3月12or18日 神戸海軍操練所廃止。
5月 龍馬 薩摩藩の援助により、長崎で社中(亀山社中)を結成。福井藩から6名が参加する。
5月19日 龍馬 熊本の横井小楠を訪問

1866年 慶応2年 龍馬(32歳)
1月21or22日 龍馬 斡旋し京都で桂と西郷、小松らが会談し、薩長同盟(薩長盟約)が結ばれる
1月23-24日 龍馬 伏見寺田屋で幕吏に襲撃され負傷(寺田屋遭難)。
8月25日頃  龍馬 長崎にて越前藩士下山尚をたずね面談、大政奉還策の推進を松平春嶽に伝えるように依頼
8月末頃  龍馬 越前藩士下山尚の訪問をうけ面談

1867年(慶応3年) 龍馬(33歳)
2月下旬 土佐藩、坂本龍馬と中岡慎太郎の脱藩罪赦免を決定する。
4月上旬 社中を土佐海援隊に改編。龍馬 隊長となる
4月23日 いろは丸が紀州の明光丸と衝突し、沈没する
6月 8日 龍馬 長崎にて中江某と出会う
6月15日 龍馬 長岡に「船中八策」を起草させ、土佐藩の後藤象二郎に示す
6月26日 薩土芸・三藩による王政復古について意見が一致、「約定書」成る
7月20日 龍馬 京都に戻る
7月29日 龍馬 春嶽から託された手紙を届けるため土佐へむかう佐々木三四郎を追い京都より大坂へ下る
8月14日 龍馬 下関に寄港し、佐々木三四郎へ楢崎龍を紹介したのち夕顔丸にて長崎へむかう
9月28日 龍馬 約五年ぶりに土佐坂本家へ帰り、当日と翌日に同志やその家族たちの訪問をうける
10月 9日 龍馬 京都に入り酢屋へ宿泊
10月13日 龍馬 酢屋から近江屋に宿を移す
10月14日 将軍慶喜 大政奉還 
10月16日 龍馬 新官制議定書を戸田雅楽(尾崎三良)の協力を得て作成
10月23日 龍馬 後藤象二郎から福井へ行ってくれるよう依頼をうける
10月24日 龍馬 岡本健三郎に福井出立の時刻を伝えた手紙を送り、ともに福井へ旅立つ
10月28日 龍馬 福井に入り村田巳三郎と面会
10月30日 三岡八郎・松源太郎(松平正直)目付の出淵伝之丞が龍馬の宿、莨屋旅館をたずね面談
11月1日 龍馬 越前福井藩主松平茂昭、松平春嶽、に拝謁し上京を要請
11月2日 龍馬 莨屋旅館で三岡八郎に会い新政府の構想、財政策を問う
龍馬 中根雪江にも面会し、三岡の新政府出仕を直接懇願した?
春嶽 福井を出立し、同月8日に京都到着。また中根もほぼ同時期に上京している
11月 3日 龍馬 福井を出立5日には京都に戻っている
11月 5日 龍馬 酢屋に入り新政府綱領八策を草案
龍馬 後藤象二郎に「越行(えつゆき)の記」を書き、
新政府上層部に三岡八郎を新政府に出仕させるように強く推薦(2014年発見)
11月10日 龍馬 中根雪江にあてた手紙で三岡の新政府出仕を重ねて懇願(2017年発見)
11月15日 龍馬と中岡慎太郎、刺客の襲撃をうけ龍馬は同日に絶命、
     同日、三岡八郎は足羽川畔で懐に入れていた龍馬の手紙と写真を紛失する。



「竜馬がゆく」を初めて読んでからもう40数年。、その間に巷では新しい発見がたくさんあり、龍馬に対する見方、歴史の解釈も随分変わったことを今回知ることになりました。春嶽と龍馬は江戸や京都ではひんぱんに会っているのに、地元の目もあってか福井の地では会えなかったというのも、驚きでした。

昔は小説を読んであとはその現場に行って碑文や説明板を読むくらいしか情報がなかったのですが、今やwebで市史や県史、国会図書館まで見られるようになって、とても調べるのが容易になりました。

学生時代に比べると、京都にも龍馬ゆかりの地もかなり増えているようで、また機会があれば立ち寄ってみたいと思いました。

福井に行った翌朝、神戸に行ったので海軍操練所跡碑も見に行きました。
確か昔は神戸税関の横にひっそりあったはずですが、目立つ場所に移転したようです。

神戸海軍操練所跡00
神戸海軍操練所跡00 posted by (C)FLAT4



福井に龍馬紀行に行こうと決めてからの半月間、久しぶりに歴史に没頭できて楽しかったです。
私のわがままにお付き合いいただいたNEWAGEさんには感謝しています。

そしてこのブログを最後までお読みいただいた皆様、本当に有難うございました。



最後は越前福井藩藩主。幕末四賢候の一人。松平春嶽の言葉で締めたいと思います。

「我に才略無く我に奇無し。常に衆言を聴きて宜しきところに従ふ。」
ブログ一覧 | ツーリング&ドライブ | 日記
Posted at 2017/07/25 22:18:41

イイね!0件



タグ

今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

茨城(大洗)からフェリーにて北海道 ...
やっぴー7さん

庭花のご紹介です(その2)
hivaryやすさん

定期便です【5/7号】ありがとうご ...
けんちゃん@HOOB(やまけんタイプR)さん

【週刊】5/10:今週のニュース( ...
かんちゃん@northさん

1日早い母の日、スケッチャーズを
キャニオンゴールドさん

いつもの焼肉定食、いただきまーす。
シロだもんさん

この記事へのコメント

2017年7月26日 6:51
FLAT4巨匠、超大作ブログ、お疲れ様でした!

NAさんに色んな場所に連れて行ってもらったんですね~。

マップまで作ってたなんて流石巨匠です。

私も浜田省吾とアンジェラ・アキの聖地巡礼の旅の続きがしたくなりました(^∇^)
コメントへの返答
2017年7月26日 8:37
レガバック大先生、有難うございます。
ようやくというか書き終わってしまったというか、本当に楽しい福井紀行でした。

NAさんにはご案内と説明をいただけて、探索がより一層奥深いものになりました。春嶽の言葉にあるように、福井には素晴らしい人がいるからこそ、「幸福度日本一」なんだと、あらためて実感しました。

実際にはマップなしでもNAさんがまちのことは裏通りまでよくご存知だったんですけどね(^^)

また大先生の旅ブログもお待ちしてますよ♪
2017年7月26日 6:55
FLATさん、おはようございます!!

ついに、完結編!blogを1~見てると1周間の旅のような♪

でも、1日でなんですよね~凄い!!

最後のピザで、現世に戻って来た~っていう纏めかたも
ごいす~です(´∇`)
コメントへの返答
2017年7月26日 8:46
しろへーさん、おはようございます♪

書き始めた時はこんな大作になろうとは思いませんでしたが、これまでのブログ史上一番の長さになってしまいました。

1日なんですよね~。でも一生忘れない旅になりました。NAさんのおかげです。

いきなりピザですもんね(^^)タイムスリップ感すごいですよね♪

お読みいただいて有難うございます。m(_ _)m
2017年7月26日 8:10
このあたりの幕末は大好きです。
熱心に読ませて頂きました!
コメントへの返答
2017年7月26日 8:53
tazzy!さんにも見てもらいたいなぁって、思って書いてました。

幕末と福井ってあんまりメジャーじゃなけど、いい小説かドラマになれば、人気スポットになりそうです♪(^^)
2017年7月26日 21:00
こんばんは♪
お久しぶりです!

しばらくみんカラを開いて
いませんでしたが、歴史好きな私のツボの
ブログを上げられていたので、一気に読んで
しまいました(^^♪
とても興味深くて、楽しませて頂きました!
コメントへの返答
2017年7月26日 21:34
こんばんは♪
そういえばしばらくぶりですね。

お友だちのご厚意に甘えて、1日歴史三昧の探索ツアーをさせていただきました。

少しマイナー気味な歴史人物たちでしたが、お読みいただいて有難うございました。
2017年8月10日 21:07
読み応えありました(^^)

幕末はあまり得意ではないので勉強になりました!

綺麗な写真とわかりやすい説明で旅行した気になりましたよ(^^♪
コメントへの返答
2017年8月10日 21:38
7月はこのブログのために色々調べていた日が半分以上でしたから、楽しかったですね。

私にとってずっと福井県に感じていたイメージを探しに行くことができて、とても親近感を感じるまちになりましたよ。

プロフィール

「@waki8 さん
ネモフィラ満開!
いいお天気でよかったですね~👍」
何シテル?   04/29 13:53
水平対向4気筒エンジンにちなんだHNで”FLAT4(フラットフォー)”と申します。 お出掛けと写真と愛車メンテの記録が中心です。 2006年にみんカラを...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/5 >>

    123
4567 8910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

リンク・クリップ

スバル(純正) 地図更新ソフト(DIATONE) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/02/17 14:15:24
奈良&奈良ニュルツーリング & いまさら語る S4 tS と RA-R 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/06/15 22:29:00
新城・春花と愛車のある風景(撮影テクニック!?解説付き) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2019/04/15 20:14:27

愛車一覧

スバル WRX STI スバル WRX STI
CBA-VABE4EH-66C "STI type RA-R"[No.10/500] R ...
スバル R1 スバル R1
「小さいことの贅沢を味わう。R1。」 そのクルマは、乗る人の価値観を映し出す。 小さなボ ...
日産 プリメーラ 日産 プリメーラ
私の黒歴史のクルマです。 子どもがカミさんのお腹の中にできてFD3Sの乗り心地の悪さに夫 ...
ダイハツ アトレー ダイハツ アトレー
ダイハツ・ハイゼット・アトレーL 初代アトレーです 4MTのFR この赤茶色でした 大 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation