
この日は京都へ幕末に活躍した新選組の足跡をたどる旅をしてきました。
新選組の史跡を訪ねるのは2018年の
このブログ以来。あらためて見ると写真が消えててとっても残念…。
Akippaで阪急大宮駅近くの駐車場を借りました。こんなに広くて1日1,000円。とっても気に入りました。
1. 壬生(みぶ)に入ってくると新選組の「誠」の幟の酒屋さん。新選組のビールなどを売っておられます。
2. 新選組の史跡「旧前川邸」。ここはあとで訪れます。
3. 新選組の最初の屯所「壬生屯所旧跡 八木家」。ここは前回訪れたので今回はパスします。
4. 「壬生寺」ここも前回訪れたので通り過ぎます。
5. 新選組隊士が歩いた道をたどって南に下ります。
6. 貸衣装屋さんなんかもありました。恥ずかしいですが一度着てみたいです😅
7. 島原に入ると道が石畳になります。
8. 京都で唯一、幕府より公認を受けた格式高き花街・島原。
そのなかで今も営業を続け、日本でただ一軒太夫を抱えるお茶屋が、「輪違屋」です。一見さんはお断りです。
9. 古い町並みが続きます。
10. 今回の最初の目的地「角屋(すみや)」が見えてきました。
11. 「長州藩士志士 久坂玄瑞の密議の角屋」の石碑があります。
12.
「角屋もてなしの文化美術館」。通りに面して結構広いです。
13. 昔はここから入ったんでしょうね。
14. 「新選組刀傷の角屋」の石碑があります。
15. 予約していましたのでまずは2階から見学しました。撮影禁止でしたが何とも言えない日本建築の粋を凝らしたつくりになってて、これほどの精緻なつくりは見たことがありませんでした。素晴らしいです。
1階は一部を除いて撮影可能でしたのでご覧ください。
16. 障子や天井を見ていただくと凝ったつくりなのがおわかりいただけると思います。2階はもっとすごいです。
17. 新選組初代局長の芹沢鴨が暗殺される夜に宴会を開いていたのがこの広間だそうです。
18. 向かい合ったこの庭を新選組の隊士たちは眺めながら酒を飲んでいたのです。ちなみにこの松は2代目だそうです。
19. よく幕末当時のまま残っているものです。
20. 障子を閉めるとこんな感じ。欄間も障子も凝ったつくりです。2階には新選組隊士が切りつけた柱なども残っています。
21. 「西郷隆盛が行水したたらい」。これが残っていたおかげで角屋が戦時中取り壊しをされずにすんだという、嘘のような本当の話。
22. 1階の帳場。当時のまんま残されている。
23. 箱階段。とっても急です。私が登ったのは別の階段でしたがそちらもめっちゃ急でした。
24. 台所。ここ角屋はいわゆる遊郭ではなくて揚屋(あげや)という宴会場だったそうだ。祇園などの花街が芸姑、舞妓なのに対し、官位のある花魁(おいらん)や太夫がいたというのも島原の人にとっては格が違うプライドがあるようでした。
25. こうした揚屋も昔は江戸と大阪にあったそうだが今では日本で唯一現存するのがこの角屋だけなのだそうです。
26. 角屋を出て島原大門を目指します。
27. この辺りが島原と呼ばれるようになったのは、島原の乱にちなんでいるそうで実際の地名ではないそうです。
28. 島原大門。慶応3年(1867年)5月建築。明治維新直前ですね。新選組や維新の志士たちもこの門をくぐったはずです。
29. 島原に残る史跡は置屋の輪違屋、揚屋の角屋、そしてこの島原大門の3つだけだそうです。当時を偲ばせる貴重な史跡です。
30. ランチは島原のカフェ「
Hygge」さんへ。詳細は不明ですが築150年の古民家だそうです。
31. 写真でおわかりの方もおられるでしょうけど、今日のレンズは広角ズーム。なので周りの景色もこんなに入ります。
32. 食後、少しというかだいぶ歩いて新選組の最後の屯所へ。
33. ここは京都のリーガロイヤルホテルの敷地内。新選組がこの不動堂村にいる間に、大政奉還があり、さらに元隊士である伊東甲子太郎ら御陵衛士の粛清(油小路事件)があった。その後薩長を中心とした倒幕勢力が起こした政変「王政復古の大号令」が慶応3年(1867年)12月9日に発せられると、新選組は京の都を去り伏見へ転出していくことになる。
34. もう少し京都駅に向かって歩くともう一つの石碑と説明板があります。
35. 実際のところ、最後の屯所の正確な場所はよくわからないようです。ただこのあたりに一時あったことだけは事実です。
ということで続きます…。
撮影機材
EOS R6 MarkⅡ
EF16-35mm F4L IS USM
最後までご覧いただき有難うございます😄
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Posted at
2023/05/29 18:17:04