奈良の明日香村へ行ってきました♪
レガシィにクロスバイクを積んで近畿道から西名阪の郡山IC経由で飛鳥寺へと到着。まずは飛鳥寺を見学します。
飛鳥寺 posted by
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今日のテーマは「蘇我氏」です。有力な豪族で天皇家とも深く関わりがあり、蘇我馬子は日本に仏教を広め、国家としての制度をまとめた偉人であるはずですが、後世あまりいいイメージで伝えられることがありません。むしろ当時の改革パートナーの厩戸王(聖徳太子)の評価がやたら高いことに学生当時違和感を覚えたことを覚えています。
近年の研究で日本書紀は蘇我氏を貶めるために藤原不比等などによって悪く書かれたという説があります。蘇我氏、蘇我馬子(そがのうまこ)、蝦夷(えみし)、入鹿(いるか)という名前も蔑むためにわざと悪い名前で書き残されたという説もあります。また十七条憲法や冠位十二階などの実績を蘇我氏以外のものにするために、聖徳太子という人物を創作したという説もあります。
飛鳥寺(元興寺)は蘇我氏が建てたといわれており当時は五重塔などもある規模の大きいものだったらしい。雷などで燃えて残ったのは本堂内にある飛鳥大仏だけだったそうです。しかしこの大仏さん、あんまり補修にお金がかけられなかったせいか、お顔もぼこぼこの継ぎはぎだらけです。それでもよく残っててくれてたなぁと思います。
飛鳥寺 posted by
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飛鳥寺 posted by
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飛鳥寺には藤原時代の出土した瓦や仏像なども展示されています。恵飛須さんの像などがとてもコミカルなのが笑えます。
飛鳥 posted by
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ここにレガシィをとめてクロスバイクでポタリングで移動します。飛鳥寺のすぐ近くに蘇我入鹿の首塚があります。飛鳥坐神社を経て飛鳥資料館へ向かいます。
飛鳥資料館 posted by
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ここにはキトラ古墳や高松塚古墳のデジタル画像や飛鳥京のジオラマなどがあります。
山田寺遺構 posted by
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そしてこのあと訪れる山田寺址の遺構がここで見ることができます。1000年以上倒壊したままの状態で地中に埋まっていた東回廊を樹脂処理したものです。法隆寺より約50年古いそうで現存すれば日本最古の木造建築物ということです。
山田寺址 posted by
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ここが山田寺址です。ここも蘇我氏一族である蘇我倉山田石川麻呂の建てたお寺です。彼も身内の蘇我入鹿殺害に加担し、さらに謀反の疑いを掛けられてここで自害します。
ここでお友だちのちゅわわさんが遊びに来てくれました♪
ちゅわわ号にも試乗させていただき有難うございました<(_ _)>
(写真もお借りしました)
ちゅわわさんとバイク posted by
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ここから藤原鎌足の産湯の井戸、川原寺、橘寺を経て石舞台古墳に向かいます。
飛鳥 posted by
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もう何度ここに訪れたかわからないですが、子どもの頃遠足で来たときはこの石舞台の上で走り回って遊んだことを覚えています。今は古墳の周りが柵で囲まれています。
明日香村 石舞台 posted by
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この古墳は蘇我馬子の墓ではないかというわれています。もともとはこの石組の上に盛り土がしてあって墳丘だったわけで、ものの見事に墓が露わになっています。後の政権にお墓を破壊されたのでしょうから、よほど藤原氏は蘇我氏が憎かったのでしょうね。
明日香村 石舞台 posted by
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古墳の前では多くの観光客の方が記念撮影をしていました。もし天皇家のお墓であれば宮内庁管轄となり立ち入りを禁止されていたでしょうから、こうして親しむことができるのはいいことですね。
飛鳥寺に戻る際に伝 飛鳥板蓋宮跡に立ち寄ります。
ここは蘇我入鹿が首を切られた絵で有名な場所の址とされています。飛鳥に始まり飛鳥に終わった蘇我氏最期の地も今は訪れる人もまばらでした。
伝飛鳥板蓋宮跡 posted by
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ここ2年ほど、図書館で鴨氏、葛城氏、蘇我氏関係の書物は片っ端から読んできました。いろんな説があって読めば読むほど頭がこんがらがるようです。そのくらいここ奈良にはまだまだ謎があって、それが発掘によってどんどん解明されていっている。教科書で習ったものが現代では否定されている、そんな生きた歴史がとても面白いと感じます。
飛鳥という地名も「ア+スガ」から来ているといいます。蘇我も「スガ(須賀)」から来ているということらしいし、地名にちなんで蘇我氏ではなく飛鳥氏と呼び名を変えたらわかりやすいし親しみやすいのになぁと思います。
Posted at 2013/10/27 23:12:54 | |
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