2020年07月24日
スタッドレスタイヤの話題から、若かった頃のことを思い出してみた・・・・。
私は雪道を走るのが好きでそれこそ、雪が降れば弟と二人で千葉の山道を駆け回ったし、雪道走行のトレーニングに、長野県軽井沢の白糸ハイランドウエイや小瀬林道などを好んで走っていた過去がある。
湯の丸峠や地蔵峠などは積雪が多いと良く通行止めになっていたが、兎に角行けるところまでは行くと言う考えで進みボディー下面が深い雪に触れて、その抵抗で走れなくなるまでは頑張ったものだ・・・。
そのようなチャレンジングなドライブでもいわゆるチェインは使ったことが無く、当時は禁止になっていなかったスパイクタイヤが唯一のウエポンであった。
千葉県在住の者として雪道運転の訓練はやれる限りの努力をしたという自負はあるが、北海道に住んで年の半分近く雪道を走る人たちのキャリアには遠く及ばないので、そこはあくまでもスポーツドライブとしての鍛え方というレベルのことではある。
しかし、幾らトレーニングに出かけていたと言っても、自前の車ではるばる千葉県から長野県までやってきているという事だから、どこかの峠で事故でも起こして無事に帰れなくなれば悲惨な状況が待っていることは予想できたから、そのことが頭の中から離れることは無かった。
ただでさえ交通量の少ない林道でコースアウトしてしまい、車を自力で道路に戻せない状況なら、携帯電話もない時代だから、そこで凍える思いもするだろうし、町まで歩くか、交通量のある街道へ出て助けを呼んでもらうよう頼むしかないからだ・・・・。
したがって山中でコースアウトするかもしれないというような大きなリスクを冒すことは出来ないから、WRCで見られるような大胆なドライビングが試せるわけでもないのだ。
雪の少ない南関東に住む私は、兎に角出来るだけ積雪路を多く走ってほんの少しリスクを冒してスロットルを開けたり急ハンドルに車がどう反応するかを試しつつ、どうすれば速度をあまり落とさずに曲がりくねった道を走破出来るか試行錯誤していたという事だ・・・・。
考えてみればすぐに気づくことだが、WRCのドライバーは車を自費で用意してはいないし、サービス隊にサポートされた環境の中で、軽量でパワフルであらゆる走行に有利な部品で組まれている車両を使っているわけだから、若く、薄給の私がローンでやっと買った車を走らせている状況とは全く別の異次元の話なのである。
当時の私はWRCのドライバーの運転技術に憧れを抱いて、少しでもそのまねがしたいという思いがあるだけで、WRCの世界との繋がりなど微塵もない残酷なほどに遠い世界であったことが解るのだ。
そうした危険と隣り合わせに思える走行は雪が積もった道だけではない・・・。
好んで人里離れた林道深く非舗装路の道を深夜に・・・、たった一人で可能な限りアベレージを上げつつ走るという私のその頃の趣味は、冷静に考えれば恐ろしくリスクの高い事であり、今思い返すと薄氷を踏むことに近いものだったと解るのだ・・・。
事故を起こすこともなく、よく無事に今まで生き延びてこられたものだと我が身の幸運に感謝したい・・・・。
Posted at 2020/07/24 10:40:20 | |
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運転技術 | 日記