2022年07月14日
Webで昭和の頃の投手の球速などを見ていたが、興味深い数値があったのでBlogに書いてみようと思った・・・。
深く調べればもっといろいろなことも解ると思うが、今朝1時間ほどでの調査結果なので全てが正しいかと言うと責任は持てないし、速球派と言われる投手たちを全て網羅しているわけでも無いのでそこはご容赦ください。
昭和の40年代の頃の話もあるので、スピードガンが未だ無い時代の記録は、映像記録から計算で求めたものです。
金田 正一がデビューしたばかりの長嶋を4連続三振に切って取った時の直球の速度は154.3km/hと計算されました。
江夏 豊がオールスター戦で9者連続三振を奪った時の直球の最速は158.8km/hと計算されました。
山口 高志投手は1975年~78年、最も早いボール投げる投手とされたが、その球速は159.2km/hと計算されました。
沢村 栄治投手は米大リーグが日本で試合をした昭和9年(1934年)の日米野球戦で投げた時の直球は、159.4km/hと計算されました。
江川 卓投手の全盛期は高校生時代ではないかと言われたりするが、法政大学を経てプロ野球に入った頃は「もう昔のようなボールは投げられない」と自ら語っていた。プロでのその球速は当時のスピードガン計測では154km/hでありますが、当時の計測はバッターボックスに近い場所の速度を計測しており、現在のピッチャーの手を離れた直後で計測すれば158km/h以上は出ていると解っています。又、高校時代の記録は定かでないが160Km/hを越えていたかもしれないと思えるような戦績が残っている。
高校時代は公式戦でノーヒットノーラン9回、完全試合2回、36イニング連続無安打無失点、県予選合計被安打2での夏の甲子園出場、等々である。
江川 卓の大きな特徴は直球の正確な縦回転で、2750rpmと計測されており、火の玉直球と言われた藤川 球児が2700rpmと計測されているから、NPBのナンバーワンかも知れない。
藤川 球児は最速156km/hとされ、高めに投げて空振りを取りに行く時は球速が150km/h以下が多いがその代わりバックスピンを非常に強くかけていて、ボールが重力で落ちずにミット迄届いていたので、実際に、バッターはホップして浮き上がって見えていたと言われ、藤川はカウントボールは154km程度で投げていても、三振を取りに行くときは高めにホップさせることを強く意識して投げ分けていたのです。
ここまで書いて思ったのだが、江川 卓の高校時代のボールを実際に見て見たかったと思う。あのホップしていると言われる藤川 球児よりもスピン量が多く、奇麗な縦回転で150km/hの後半で投げていたと考えると、幾ら高校生相手と言ってもノーヒットノーラン9回、完全試合2回は十分すぎるほど頷けるものである。
何故ならそれだけの記録を持つ投手に対し、高校生ならではと言うバントヒットを狙ったり、兎に角、何とかバットに当ててしまえば偶然ヒットになることも有る中でのノーヒットゲームを高校時代に11回やり遂げた記録を、これまで誰も超えられずに居ることが何よりの証拠に思えて来るからです・・・・。
Posted at 2022/07/14 11:50:51 | |
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