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2011年09月02日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編②

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編②偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! 引き続きミニカの歴史を振り返りながらUP!!!DOWN!!!を検証したいと思います!

今回は『2代目ミニカA100/101・A100/101V型(サブネーム=ミニカ70/71/72/73)』を取り上げます。

軽自動車としては異色?なFR機構を採用し上級の3BOXセダンのテイストを生き写しにした初代ミニカLA型、発売時はクリフカットの独特なデザインと当時のライバルに較べより現代的な洒落っ気で話題になりながらも1000cc大衆車を主としたマイカー元年(65~67年頃)以前の軽自動車ブームで雨後のタケノコのように次々デビューするライバル他社の攻勢に徐々に霞み特に軽自動車界に革命を起こしたとされる67年の ホンダN360 の前で完全に撃沈!Nコロ(N360)はそれまでベストセラーで鳴らし今も“てんとう虫”の愛称で親しまれる『スバル360』すら駆逐する勢いでミニカごときでは歯が立たないのが当然のように受け止められ当時の三菱重工(70y~三菱自動車工業)は“打倒N360”を目標にして2代目ミニカを69/7にデビューさせました!!

“打倒N”は三菱だけではなく富士重もダイハツもスズキもこれを掲げNが最大に受けた理由=安価でスポーティ、高性能 という部分を徹底的に検証したモデルが2代目ミニカと相前後して登場、70y以降は普通車に訪れたハイパワーブームが軽自動車界にも飛び火し新開発軽自動車にこの“ハイパワー”も加わり魅力溢れる個性派ミニが続々とデビューした原点の時代でもありました。

2代目A100/101はNコロ同様に完全2BOX化、直線基調のペキっとしたボクシーなスタイリングとなり変に3BOXを意識し最終型では分不相応にゴテゴテしたどことなく野暮ったかった初代を反省しスッキリとしたフォルムに産まれ変わりました!
そのフォルムに角型2灯式ヘッドライトに横一線のブラックアウトされた精悍な顔付と角型の可愛らしいテールランプが愛嬌を示し組み合わされています。

↓69/7にデビューした2代目『ミニカ70スーパーDX』


↓ミニカ70透視図


堅実で保守層にはそこそこ評判の高かった初代に較べNのユーザー層を意識し若者層にアピールするスポーティな雰囲気となり一気に若返っています!

尚、A100/101からは新たに『70』(1970年の意)のサブネームが付けられ来る70年代に向け気合が入っていました!!
A100/101の最大の特徴は普通車でもまだ馴染みがなく軽では初のHBタイプを採用した事でこれは上級の既発売の普通車、コルト1000F で多用途性を売りにし一定の評価を得た部分をミニカにフィートバックしたモノでよりボディが小さい軽だからこそその多用途性が大きく生きA100/101以後、可倒式シート+テールゲートという後年では当たり前になった軽自動車セダンのスタンダードとメーカー問わずになりました、現在のハイト系がメジャーになる以前の軽乗用と言えばこのタイプでしたね…

↓まだ“ハッチバック”という言葉すらなかった時代に第三のドアを最大限アピール!



ボディタイプは2種+1でHBタイプのセダンを元にルーフを伸ばし大口径のテールゲートを設けたバンと先代をそのまま継続するピックアップがラインナップされています。

↓専用バンボディの『ミニカ70バン』(A100V型)



↓先代を継続販売した『ミニカピック』(LT25型)


それではA100/101のモデル概要です。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1345 (以上mm)
(車重)
445kg
(定員)
4名
(エンジン)
ME24型2st空冷直2 360cc 26ps/3.6kgm 最高速105km
2G10型2st水冷直2 360cc 28ps/3.6kgm 最高速110km
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
3ドアHB
(バリェーション)
STD/DX及びバン/ピック=ME24型搭載 型式A100型(バン=A100V型、ピックLT25型) 
スーパーDX/スポーティDX=2G10型搭載 型式A101型
価格=385,000円(スーパーDX)

A100/101でも伝統のFR駆動を継続しますがFRながら新設計モノコックの2BOXボディは劇的に後席は広くなり~普通車と何ら遜色ない~と言われたホンダNコロ以上のユーティリティを誇っていました!
これはワタシもかなり昔、A100とNコロを較べた事を思い返すと所詮“ドングリの背較べ”で足元はFFのNの勝ち、ヘッドスペースはA100の勝ちといった印象が残っています。もっとも後席に押し込まれて長時間ドライブという経験はないのであくまでもちょっと座った感じですのでアテにはなりませんが(汗)

長距離でも疲れにくいウレタンフォーム製のシートを採用したインテリアと外見同様に直線的スクエアな見切りのいいスクエアなデザインのインパネも軽自動車らしかぬ高級感とスポーティなイメージで好印象、A100と同年の69年12月にデビューしたA50系初代コルトギャランと並びこの時期三菱のデザインが飛躍的に美しくなった代表格でミニカ・ギャラン以前の堅実/実直なデザインながらともすれば走ればいいんだろ?的な野暮ったさが失せ非常にお洒落で従来の三菱車に対するイメージを180度変えるモノでしてワタシも小ガキながらにオヤジと行ったモーターショーの三菱コーナーでギャランとミニカを初めて見た時には衝撃を受けたような。。。

↓DX㊤とスーパーDX㊦のインパネ


サイズは軽ですから大きくなりようもなく全高がスポーティ&現代的を表すかのように低く抑えられています!
エンジンは先代LA系末期同様に空冷と水冷の2種を用意、空冷はLA型のME24Dを26psまでパワーアップし遂にMAXスピード100kmオーバー(105㎞)を実現しエンジン型式をME24Eとしまた、2G10も23ps→28ps、MAX110kmという性能を誇り31ps/MAX115kmのNコロに迫るモノでした!!

↓28psまでパワーアップした2G10型エンジン


この2種類のエンジンはエアクリーナーに着色しME24Eを黄色、2G10を赤としそれぞれイエローエンジン/レッドエンジンと呼んでいました!

↓レッドエンジン(2G10)㊨とイエローエンジン(ME24E)


ミッションは来る70年代に相応しくフロアシフト化、足廻りも先代が古めかしいリーフを採用していたのに対しFrにはストラットを、Rrには先進的な5リンク式を採用しました。
まだまだ普通車でも後軸はリーフが全盛の時代に一早くしなやかさを実現するリンク式の採用は三菱がミニカに賭ける意気込みを感じさせるモノでした。

↓Frストラット/Rr5リンクのサスペンジョン


それではA100/101ミニカのモデル改歴です。

(69/12)
2G10型にツインキャブを装着し内外装をスポーツ装備で固めたスポーティバージョンの『SS』(スーパースポーツ)と『GSS』(グランドスーパースポーツ)を追加、ME24E空冷最高峰の『ハイDX』も同時追加されています。
『SS』『GSS』は内装では4連メーター、3本スポークステアリング、スポーツシート等を装備、外装では丸目4灯式のFrフェイス(内側はフォグ)、砲弾型ミラーやラジアルタイヤ(GSS)が装着されopにてシートベルトも用意された本格的ミニ・スポーツバージョン。
これはL/100ps(360cc36ps)で高い人気を得ていたNのスポーツモデル、N360TSに対抗するもので2G10-2型と呼ぶツインキャブ38ps(トルク3.pkgm)の数値を叩き出し大注目されました!
これによりMAXスピードは1L普通車並の130kmを実現しホンダN-TSを上回る実力を得ています。
『SS』『GSS』は従来のユーザーとは異なる層に訴求、下の写真のように売り方も派手なイメージで押していましました。

↓HOTバージョンの『GSS』は当時クラス最高L/100ps超の38psを発生するスーパーミニ!(op付)



GSSのインパネ㊤とSSのインテリア㊦



尚、この時から従来のシングルキャブ2G10型は2G10-1型としツインキャブの2G10-2は「ゴールドエンジン」の称号が与えられています。

↓2G10-2型は“ゴールドエンジン”


同時追加のハイDXは水冷版スーパーDXの空冷バージョン的存在でした。

(70/10)
MCで70後期型となります。
同時にME24Eイエローエンジンを26ps→30psに、2G10-1レッドを28ps→34psにそれぞれパワーアップ、そして2G10-1を搭載するシリーズ最高峰となる『GL』が設定、代って『SS』がカタログ落ちしています。
GLは内装ではハイバックシート、8トラカーステレオや木目インパネ&コンソロールを、外装はGSS同様の丸目4灯式Frフェイスが装着され70年代中盤から始まる軽高級化路線の先駆けのモデルでした。
GLは東京店頭価格が425,000円。

↓新追加のGLとハイバックシートが奢られたインテリア



MCは主にテールランプの意匠変更でこれまで小型の角型のデザインが横長のバックライト含む3連式のデザインとなり高級感を高めています。

↓全車新デザインのテールランプで高級イメージ化、インパネはGL!


↓30psとなったイエローエンジン(ME24F型)


(71/2)
車名を1971年になった事から『ミニカ71』に改称、同時に水冷の廉価版『ファミリーDX』を設定。

(71/5)
クーペバージョンとなる『ミニカスキッパー(型式A101C型)』を新設定します!
スキッパーというネーミングには“船のキャプテン”という意味と不良という意味があり勿論メーカーとしては前者を意味した名付けでしたがワタクシ個人的には従来の大人しいミニカのイメージをイケイケ風のヤンチャ坊主に仕立てたスキッパー=不良の方がピッタリときます(笑)
スキッパーは前年発売の小型スペシャリティクーペで人気の『コルトギャランGTO』のイメージをそのまま軽自動車のスタイリングに持ち込み「よくまぁこのサイズで見事にクーペにしたな~」と思わせる秀逸作品!
個人的にはスーパーミニの中ではフロンテクーペに次ぐ傑作デザインではないかと思っています!!

↓小癪にもクーペデザインが決まっていた新追加の『スキッパー』(GT)



↓こちらはお手本?となったギャランGTO(72yMR)


スキッパーは単にミニカにクーペボディを載せたモノでメカニズムやエンジンはミニカを踏襲しています。
しかしそのクーペスタイルは3mに満たない全長ながらフルファストバックの流麗なデザインを実現、後席の乗員スペースをギリギリ確保するためテールエンドがどうしても尻切れ気味になってしまいますがこれをうまく処理、サイドから見てもテールをGTO的にカムテールに近ずけデザインの破綻を避けています。
ただこのままでは後方視界が極悪になる事からテールには国産初のスクープウィンドゥを採用、後方からラゲッジルームが丸見えにならないようスモークガラスを採用する等の配慮がなされていたのも特徴的!
後のホンダCR-Xや現在のプリウス、インサイトのようにルーフ~テールエンドの傾斜の緩いファストバックの後方視界確保には欠かせないこのデザイン、国産ではスキッパーが元祖です!

スキッパーは全体のデザインはもちろんインパネデザインやFrフェイスなどもオリジナルでベースのミニカと較べ高級&スポーティさを演出、小さいながらも軽スペシャリティパーソナルクーペとして高い注目を集めこの分野では先発の70y発売のホンダZ、71yのフロンテクーペ、フェローマックスHTと並び軽ハイパワーブームの一翼を担っていました。
これらモデルは360ccで無理矢理高psを出すため非常にピーキー、トルクを得るために絶えずギアチェンジを繰り返しながら狭いパワーバンドに乗せなければまともには走れない代物ですし旧々規格のタイトな運転席は極端に左にオフセットされ大袈裟に言えばクラッチペダルとブレーキペダルが干渉するほどキツイもの(実際、油断するとブレーキ踏むとクラッチペダルも踏んでたりと…)ながらこれを苦労して操る独特な感触も楽しいモノであったのも事実、特に背の低いフロンテクーペやスキッパーはカートに近い操縦感覚は印象に強く残っています!

↓スキッパーのインパネ&室内(GT)


Rrウィンドゥはハッチ式、Rrシートも可倒式とされベースのミニカの多用途性を踏襲、積載容量はクーペスタイル故にミニカよりは少なくなりますがそれでも小さいクーペを最大限活用できる便利な仕様だったと思います。

↓Rrをハッチ式とし多用途性を持つスキッパー(SL)


尚、スキッパーの概要は下記の通りです。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1275 (以上mm)
(車重)
470kg
(定員)
4名
(エンジン)
2G10-1型2st水冷直2 360cc シングルキャブ34ps/3.8kgm レッドエンジン
2G10-2型2st水冷直2 360cc ツインキャブ 38ps/3.9kgm ゴールドエンジン
(駆動)
FR
(ミッション)
4速フロアMT
(脚回り)
Frストラット式独立懸架/Rr5リンクコイルリジット
(ボディ)
クーペ
(バリェーション)
SL、L/L、同with stereo、GT(型式A101C型)
価格=443,000円(GT)

SLをベースグレードとしLLがミニカのスーパーDXやGL、GTがGSSに準じるグレードに位置付けされますがLLを除いてそのイメージはベースにないかなりエキサイティングなモノ、ハイバックシートは全車に標準、最高峰GTにはタコメーター、砲弾ミラー、ストライプ、ラジアルタイヤが標準とされ更にopでよりスポーツ心を満たす装備もチョイスできました!

↓本格スポーツ装備が魅力のGT


↓opパーツで更に魅力もUP!!


尚、スポーツ部門はスキッパーに任せ従来のミニカからこの時点でGSSがカタログ落ちしミニカはスポーティDXが唯一のスポーツ気味?グレードで残るのみでファミリーユースモデルを主力化します。

(71/9)
従来型ミニカがMCを行いネーミングを『ミニカ72』と変更します。
72は上級グレードのFrフェイスをスキッパーの丸目4灯にハニカムグリルに統一、中級グレード以下は角目2灯を継続しながら新デザインのグリルを採用、全種インパネもスキッパーと同タイプになりテールは71と同じ意匠ながらウインカーをアンバー化、サイドエアダクトが大型化されました。

↓ミニカ72、㊨GLと㊧スーパーDX


↓ミニカ72のRrビュー(ファミリーDX)


72となり最後まで残していたスポーツイメージのスポーティDXを廃版としています。

(72/10)
次期型となる3代目ミニカF4 A103A型がデビュー、しかし三菱がよくやる新旧混在ラインナップをこの時も行いミニカは水冷2G10-1型(A101)とスキッパー、バンを従来型を継続しています。

↓72/10にデビューした新世代の3代目『ミニカF4』


継続されるミニカは新たに『ミニカ73』を名乗りますがあくまで新型F4の廉価版に位置付けられバリェーションは低グレードのSTDとDXのみ、外観ではグリルのカラー変更とミラーをF4共通の平型→樹脂製に変更された程度です。

↓モデル大幅縮小ながら継続された『ミニカ73』


スキッパーは発売2年にも満たないため外観上の変更は僅かでRrスクープウィンドゥ部に従来オーナメントのみだったところにエンブレムを追加しています。
但しエンジンはF4と同一の新開発4サイクル 2G21型水冷直2 OHC シングル32ps、ツインキャブ36psに換装されました。
これによりネーミングを4サイクルを意味する『スキッパーⅣ』に改めました!

4サイクル化はこの時代深刻化した排ガスによる公害問題に対応した変更で日本で最初の排ガス規制である昭和48年規制は2stのまま各社パスしながらも既に決定していた来る50年規制は48年のそれとは比較にならない厳しい規制数値が並び2stのままでは適合不可と判断した三菱は一早く4st化に踏み切ったものでした。

2stのパンチ力にどうしても劣る4stなので軽自動車で元気な走りを求めれば2st有利なのは承知の事実でしたが既に時代はこれの存在を許さずまた、この時期OILショックも起こり合わせて普通車、軽でも湧きに沸いたハイパワーブームは急速に鎮静化しスポーツモデルのスキッパーはそれまでのイケイケイメージを若干抑えた出で立ちとなり最高グレードGTも4st化により2psダウンの36psとなっています。

↓『スキッパーⅣ』となりながらも継続販売されたスキッパー(LL)



スキッパーⅣでは先記のようにスポーツブームの終焉もありGTは象徴として残しますがSLグレードを廃止、代ってファミリーユース的なFLをラインナップしました。

バンはこれまで空冷ME24搭載でしたがこの時からは水冷2G10に換装し型式をA101V型とし継続、初代LA型ベースのピック(最終型式LT25型)はここで廃版となり61yの三菱360ピック以来11年の歴史を閉じました。
尚、バンに関してはこの後4st化、排ガス適合、規格改正500→550ccを潜り抜け車名を『ミニカ5バン、同55バン』、型式をA104V→105V→106Vと変えながらも81年まで基本スタイルを維持して生きながらえ、様々な事情からMCできなかった最終のH42型を除くとミニカ史上では69~81yの12年の長寿を数えました。

(73/10)
スポーツモデルの逆境もありスキッパーはバリェーションから遂にGTをカタログ落ちとしLL/FLのみの2グレードに整理し安全対策の一部小変更を受けます。
ミニカ73はこれをもって廃版となり完全にミニカシリーズはF4にバトンタッチされました。

余談ですが三菱はコルト→ギャラン、ギャランFTO→ランサーセレステ、ギャランGTO→ギャランΛ、ギャランΛ→スタリオン等新旧切り替え時に併売を行っていますがこれにどれだけの効果があるのか…?
新型の相乗効果で旧型が売れるという事もなく旧型はより古臭くなるだけでラインは二つ用意しなければならなく大した意味はなかったと思うのですが何故か70~80年代はこうしたケースは少なからずあり贅沢で余裕のあった時代をつくづく感じます。
他社でもトヨタがカローラで20と30を、日産がブルーバードで510と610を併売したり一番最近で記憶にあるのはスズキのスイフトがそうだったですね…
商用モデルではよく行われこれは開発費の問題等でやむなくというのは分かりますが上に挙げた車種で事情が理解できるのは510位かな?他は新型で新デザインが最も売りになる乗用モデルでこの政策に何の意味があったのか?識者の方に教えて欲しいモノです!!

(74/7)
最後まで残っていた先代となるスキッパーが製廃、これは先記の通り急速に市場の支持を失ったスポーツモデルの衰退からなるモノでF4では新たにこの分野の開発は行われず軽本来の姿?であるファミリーモデル専属となりました!

振り返りますと2代目ミニカは70年から発足した新星『三菱自動車工業』の船出に相応しく大人気となった小型車、コルトギャランと並び高評価を得て発売翌年の70年には12万台オーバーを記録、新星三菱の基礎を築き同社の代表車種となるUP!!!ぶりでした。
スクエアでクリーンなスタイリングやハードモデル、スキッパーの存在が大きくイメージアップに寄与しモデル末期の73年でも5万台オーバーでダイハツと首位争いを演じた程の人気でした(当時の資料によればホンダ、スズキ、スバルは71年以降三菱/ダイハツに販売台数は及んでいませんでした。)

“打倒ホンダN360”の目的は先方がモデル末期だった事と後続ライフが今ひとつだった事もあり目的を達成、さぁ、この勢いを3代目ミニカF4は維持及びUP!!!できるのか~…

(次回A103A/A104A/A105A/A106A/A107A・V型3代目/4代目ミニカF4/5/アミ55/アミL/エコノに続く)
Posted at 2018/05/27 15:40:30 | コメント(0) | トラックバック(1) | UP!!DOWN!! | クルマ
2011年09月02日 イイね!

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…ロードペーサー編

保存版・“華麗なる一発屋!!!”…ロードペーサー編
”華麗なる一発屋!!!” シリーズ、今回はコレ→『RA13S型マツダ・ロードペーサー』を取り上げます!

ロードペーサー…何かレースの先頭で青いパトランプ回してそうなな名前ですがそんなクルマではなく75~79yにマツダ(当時東洋工業)が最上級サルーンとして送り出したモノです。

ロードペーサー、60年代中盤~70年代前半当時、最高級国産ショーファードリブンの市場はトヨタセンチュリー、日産プレジデントが2分しておりこの状況に第3メーカー以下(三菱、マツダ、いすゞ)は風穴を開けようと試みました。マツダの挑戦がこのロードペーサーになる訳です!

75/4、マツダ発の3ナンバーショーファードリブンとして登場したロードペーサー(前期型)


↓Rrビュー


まず三菱はセンチュリー/プレジとはやや下のクラスになるものの自社の高級車、デボネア(A31型)73yのマイチェンよりそれまでオーナーカーの方向で販促されていたものを見つめ直しショーファーとしての性格を強めました。ハイヤーや三菱関連企業の社用車としては一定の実績を持っていたデボネアは一応この転換が成功し86年までこのスタイルを通したのはご承知の通りです、一時提携先のクライスラーからプリマス等のセダン他を輸入しショーファーカー的に販売した時期もありました(75~77y頃)が自社デボネアを推す事で一定の成果を得ています・・・

ただマツダといすゞは上位3メーカーのように広い一般マーケットを対象にできないにも関わらず開発費や生産コスト(少量生産)をかけてまで自社開発をする資金的余裕はなくこの為海外車を購入し自社ブランドで販売するという方法でこのクラス参入を試みました。
いすゞとマツダが選んだ車種はほぼ同一のモノ、まずいすゞが73yにオーストラリアのGMホールデン・ステーツマンをそのまま購入しネーミングを「いすゞステーツマン・デビル」として販売、当時未認可だったドアミラーをフェンダーミラー化するのみでエンジン等はオリジナル(5L V8 240ps)、当時既にGMと提携していたいすゞは同じ右ハンドルのオーストラリア産は非常に都合のいいものでしたが販売力の弱さから僅か250台弱、2年で撤退という事になっています。

そしていよいよマツダですがいすゞや三菱のように海外メーカーとの提携がない時代(フォードとの提携は後年)だった為両社のように「できた物を輸入し国内基準に合わすだけの小変更で販売する」という手法ではなくボディ(シャーシ)を海外から購入し当時マツダが情熱を賭けていたREエンジンを搭載して送り出す手法が取られました!
そこでベースとして選んだのはいすゞ同様右ハンドルのホールデン、但しいすゞのステーツマンではなくプレミアムという車種、これはステーツマンの1クラス下という位置付けながら兄弟車で外見上はほぼ同一車でした。

このホールデンのステーツマンやプレミアム、70年代の米他アクション映画等では結構お目にかかれあのM・ギブソン主演の豪映画「マッドマックス」では近未来風にリデザインされたPC仕様が登場してました~~。

さて、このような経緯のロ-ドペーサー、最大の特徴はやはりREエンジンです!!
選ばれたREは73yにルーチェグランツーリスモに搭載されたRE13B型654×2 135ps/ 19.0kg、OILショックで無政策に載せられていたREエンジンを政策見直しでスポーツカーとパーソナルカー/高級車に限定して搭載という新方針に従ったルーチェに続く第2弾となった訳です。

ボディは借り物でも心臓はマツダの自信作であるRE13Bを搭載


本来5L V8が載るべきスペースにコンパクトなREエンジン搭載の為、ワタクシも一度このクルマを眺めましたがボンネット内は現代から見るとスカスカの部類でしたねー、ドライブはした事ありませんがV8より格段に軽いエンジン重量ですしバランス的にどうだったのか…?

サイズは海外ではミディアムクラスのモノながら国内では立派なショーファーカーサイズ、センチュリーやプレジと較べてもサイズ的にやや長さがないだけで幅と高さは堂々としたものです。
装備は当然フル装備、後席重視なショーファーらしくオーディオや空調コントロールが後席でもできるのはセンチュリーやプレジ同様、内装は日本人好みの豪華さに仕立てられモノグレードながら5人乗りセパレートシート仕様と6人乗りベンチシート仕様が設定されています。
ミッションは3速ATのみ、脚廻りはプレミアムのままでFr Wウィッシュボーン、Rrリーフリジットという平凡なモノ。

ショーファーとして相応しい豪華な内装(写真はセパレートシート仕様)


↓インパネはほぼプレミアムのまま


以上のようなロードペーサー、75/4に発売後同年10月にはマツダAPシステムにより51年規制に適合、77/8に小変更(グリルの意匠変更と新色追加、快適装備の充実化、メーターを横型→丸型)しています。この変更、特に新色追加は思うように販売が伸びない中でのオーナードライバーにアピールするものでした!

若干グリル変更、新色追加を行いオーナー層にもアピールした後期型(77/8~)


しかしテコ入れも虚しくロードペーサーの販売は月間目標の1/10以下という悲惨な状況は改善されませんでした。
センチュリーとプレジデントの2極化した市場開拓は非常に高い壁がそびえ困難な事と本来V8のゆとりあるトルクで車重約1.6tのボディをストレスなく走らせるのが前提のこのクルマにさすがのREエンジンも非力さは否めなくまた、いかに燃費を問題としないこのクラスであっても重さ/非力+3速ATとういう組み合わせと当時のREの燃費に関する悪評から一向に販売は伸びる事なく発売約3年の78y、いすゞステーツマン同様に短命でこの世を去る事となりました。

実際には当時3.4Lのセンチュリーや4.4Lのプレジとはそう燃費も変わらなかったとの事ですが当時はRE=ガソリンだだ漏れ みたいな意識のある時代でしたから風評被害と言いますか何と言いますか気の毒なお亡くなり方だったと思います(T_T)/~

このクルマもそう滅多には見れないモノでしたがやはり舶来品(古っ)の為国産車とは明らかに違うオーラがあり特にインパネやRrスタイルはアメリカンそのままの雰囲気が結構個人的に好きでした~。
OILショックがなければ?自社開発だったら?…野球同様“たら、れば”はいけませんが丸の内や官庁街でこれら障害がなければ今でももしかしたらあの独特なREサウンドが黒塗りから聴こえてたかもしれませんね、その存在はあっという間に終わりましたが国産唯一の“ロータリーショーファードリブン”であるロードペーサー、名前の響きもカッコいいし記憶に留めたい『華麗なる一発屋』でした!!
Posted at 2017/08/23 22:42:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月02日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ランティス編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…ランティス編
“華麗なる一発屋!!!今回は『CBAEP/CBA8P型ランティス』を取り上げます!

ランティスは93/9にそれまでにない少し変わった風味のクーペと4HTで登場、但しクーペと言っても『4ドアクーペ』とメーカーは名乗っており後に専門家や書籍で「4ドアとしては背が低過ぎて狭く落第」なんて不評も目にしましたがメーカーは「4ドアだが精神はスポーツクーペ!居住性よりスタイリングと走りに目を向け欲しい」という主張は現在のRX-8の原点だったように感じます! (クーペ=実際には5ドアHB)

93/9、日本で初めて「4ドアクーペ」を名乗って発売されたランティス・クーペ


↓クーペRrビュー


クーペは当時トヨタのカリーナEDが火をつけた4ドアスポーツを突きつめたモノ、即ちそれまで“スポーティ&スタイリッツィュ”なクルマ=2ドアHTまたはクーペという常識を破り4ドアの利便性を持ちながらも都会的なお洒落感覚とセダンを超えた走りをも楽しめるという触れ込みで登場したモノ、先発のEDやこれに類じたC33ローレル、三菱エメロード等がありますがこれらはどちらかと言うと『お洒落感覚』を強く意識した所謂“デートカー”を意識したモデル、しかしランティス・クーペは走りを訴求した点が特徴でデートカー的志向は同時に設定した4HTに任せてクーペは徹底的に抑えた全高とRrオーバーハングと投影面積を思い切って絞り込み空力を最大限に考慮した触れ込み通り4ドアとは思えない非常にスポーティかつ特徴的なデザインでした!
尚4HT(センターピラー付ドアサッシュレス4ドア)はクーペとはまるっきりデザインテイストが異なり外板もクーペと共通なのは前後ドアのみというリ・デザインされたモノ、元々は違うクルマとして設計されただけありまるで別物の印象。雰囲気はクーペよりも常識的で落ち着いたイメージで広い年齢層にアピールができこちらはある程度4ドアとしての居住性を考慮した仕上がりでした。
尚、この時期のマツダは妙にウネウネしたデザインを内外装に取り入れていましたがランティスに関してはその具合はかなり抑え気味にしておりシャープに振ったモノ、個人的にウネウネスタイルは受け付けなかったので好感持てました!

4HTは4ドアスポーツのテイストはクーペと共通ながら落ち着いたデザイン


↓4HT Rrビュー


搭載エンジンは1.8L 直4DOHC135ps BP-ZE型と2LV6DOHC 170ps KF-ZE型の2種、当時はバブル期の急増小排気量V6がブームの頃でわざわざ1800や2000でV6にする必要ある?みたいなエンジンが雨後のタケノコのように各社から発売されてましたがワタクシ、このランティスのV6に乗った時はそういう悪印象を吹き飛ばす程のパワフル感に舌を巻いたの憶えています…。
ある比較テストで各社小排気量V6を乗り較べた事があるのですが回転、トルクの盛り上がり方が絶妙でNAとは思えない盛り上がり方は驚愕の味、事実データでも高評価な数字が並んでおり決して軽くない乾燥車重1.2tのボディを軽々とパワフルに引っ張りシャーシとのバランスは優れモノでしたねー、5000rpm位から唸る独特なエンジン音も魅力的…。
ドライブ系の各ギア比セッティングも適正でかなり煮詰めて設計されたものと認識できました。
クロノス他にもこのKF V6は積まれていましたがランティスのそれは吸排気系の見直しで10psUPが行われクロノス他では感じられなかったパワフル感はこれも影響してるのだと思います、宣伝文句の「4ドアスポーツ」に嘘はなかったです!
尚、全体的に不人気モデルの烙印を押されましたがこのV6のクーペ最高峰のタイプRのMTだけはその走りの良さから一時別格の人気を中古車市場で示した時期もありました~。
一方の1800ですがこちらは平凡なエンジン、不足はないですがKF程特徴的印象はありませんです。。。

室内はクーペはもうタイトの一言でクーペとしては語ってはいけない後席、やはり4ドアという観点で見たらコレはもう×というレベルですが従来の“2ドアクーペ”として見れば必要充分です、4HTに関してもお世辞にも広いとは言えない感じでデートカーなら充分でしょうがファミリーユースには落第、もっともこのモデルにそれを求めるのが非常識なので雰囲気的を大事にする、と言う観点でであればこれはこれでいいのだと納得しますが。

↓インパネはこの時期のマツダ特有の“ウネウネ”したものではなくシャープでスポーティ


ALLストラットの脚廻りはハードな味付け、Rは当然ながら低グレードでもそこそこしっかりはしていて追従性も良かったですがやはり裏腹のゴツゴツ感は拭えない部分があり少々悪い路面は走りたくない!そんな印象が残ってます。

ランティスは非常に真面目に煮詰めた設計でクルマとしては良くできたモノだったと思います、しかし登場した時期が悪すぎましたねー…
この時期、93年というのはマツダはバブル好景気時(80年代終盤~91年頃)に驀進した販売多チャンネル化(5チャンネル)に合わせた急激な新車種を乱発しまだまだ販売力やマーケットがそれに準じていなかった事がバブル崩壊後に露呈しただでさえマツダのマーケットが低い中で身内の車種同士で食い潰す現象に苦慮している時期であり全体的に低迷期でもありランティスも素生は良いモノながらそれに巻き込まれてしまい人気、販売は低迷、非常に個性的なデザインも拒絶反応が強く好き嫌いがハッキリと分かれるものでありクーペのみならず普及版4HTでもこの現象が見られ商業的には陽を見る事はありませんでした。
発売後新色追加や一部変更を行い96/7には安全装置(SRSエアバック、ABS)を充実させたり小規模の意匠変更等も行いテコ入れは行いましたが一向に販売は上向く事ありませんでした。
この事から『マツダ323』のネーミングで海外では人気があったので輸出モデルは継続されるも97/8で国内モデルは生廃、98年に在庫処理の販売が確認されて終了を迎えます。

一時はツーリングカーレース参入や一部走り屋層には注目されるもこのモデル(特にクーペ)は“4ドア”という点が裏目に出たのでは?と思えます、クーペだけでも素直に2ドアとしていればもっと華やかな人(車)生が送れたのではないかなー と。。。
また時期的にも不運で車種編成がしっかりなされた後に出てくればまた違ったのではないかとも感じます。
マツダは70年代にもカペラを出しその後サバンナを出すとカペラが売れなくなる、ファミリアを出しグランド・ファミリアを出すとファミリアが売れなくなる、コスモを出せばルーチェが影響を受け人気モデルの派生(ファミリア→エチュード)は鳴かず飛ばず…と車種同士のキャラやコンセプトが近過ぎて潰し合ってしまうという醜態を演じこの事からバブルの勢いで多チャンネル化しながらもこれもマーケット層の見誤りで失敗しかつての悲劇を繰り返してしまいましたがランティスのようにこれに埋もれながらも素生のいいモデルも少なからず存在し非常に勿体無く感じますね、ランティスはそんな“勿体無い”『華麗なる一発屋』としたいです!!
Posted at 2017/07/28 19:50:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ
2011年09月01日 イイね!

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編①

保存版・偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! ミニカ編①偉大なる“UP! DOWN! 野郎たち”!!! 今回からは軽自動車、つい先日(2011/6)49年という長い歴史に幕を降ろした『三菱ミニカ』を取り上げていきます!

①として『ミニカ』の初代LA20/21/23型を紹介します。

初代ミニカを語るにはこれのパイロット版となる61yに新三菱重工(現三菱自動車工業)から発売された『三菱360』(LT20/21型)に触れなければなりません。
三菱360はこの時代はまだまだ“乗用車=贅沢品”という風潮があり高度成長に欠かせなかった商業車を各社重点に置いている時期、しかしながら時の通産省による国民車構想や政府の所得倍増論、そして来る高速道路の開通、新幹線の開通、東京五輪開催決定などイケイケ調子の日本で確実に乗用車需要が見込まれ始めたこの頃、まずは市場に抵抗のない商業モデルを投入しその評判を見て乗用モデルを発売する、という施策が各社取られ普通車ではダイハツコンパーノやマツダファミリアもこの手法が取られミニカもこの一例となる軽ライトバンモデルである『三菱360』をまずは発売しました!

↓61/4発売の三菱360(61yライトバン)


三菱360は戦後間もない1946年から製造を行ってきた貨物型オート三輪(三菱みずしま)と59y発売以降軽オート三輪ブームに乗り元祖のダイハツミゼットやマツダK360と共に庶民の生活を支えた人気三輪の三菱レオの経験や技術、実績を踏まえ“もはや戦後ではない”が合言葉だったこの時代、より快適で安全な運搬・運送が求められ始めかつて一世を風靡した軽・普通3輪は4輪の時代に移り替わり始めておりその風潮に呼応し開発された軽4輪ボンネットバンでした…。

バリェーションは後部ガラスが目隠しされたパネルバン(LT20)と後部をグラスエリア化した一般的なライトバン(LT21)の2種。

当時の軽自動車は限られたスペースを最大限生かすため一早く55y発売の軽乗用スズキ・スズライト(後のフロンテ→現アルト)がFF方式(フロントエンジン/フロントドライブ)、58yに誕生し軽乗用で名を上げ王者的存在の富士重スバル360(後のレックス→ヴィヴィオ等)やマツダR360→キャロルがRR方式(リアエンジン/リアドライブ)を採用し最大限室内スペースを有効に設計、これに伴い機構面やサスペンションに様々な工夫や新技術を投入していましたが三菱360は商用という点と上記車種には新技術故に付きまとう耐久性の不安やコスト高を避け堅牢、シンプル、耐久性では当時普通車でオーソドックスな“当たり前”であったFR(フロントエンジン/リアドライブ)を採用、ライバルが凝った脚廻りを採用する中でFr横置きリーフ独立、Rrリーフリジットという誠にありふれた設計がなされその分廉価でありながら耐久力や信頼性では安心感のあるモノでした。当然の如くその代償として室内スペースはただでさえ狭い室内のフロアにドライブシャフトのトンネルが陣取り後席足元はかなりタイトながらRr荷室はライバルとなるスバル360のバンが後方にエンジンがあるため荷室スペースは不利だったところ三菱360はFRの利点で荷室は広くまた、積載時は駆動輪にトラクションがかかり走行性能的にはバランスが良いとされ好評を得ました!
但し若い方に分かり易く伝えるとすれば“広い”と言っても旧々規格の3mにも満たないボディのしかもボンバン(ボンネットバン)ですから現代目線で見たらその荷室、長さはシートを倒した状態で今の軽箱バンの後席を上げた程度、横方向は約1mですからね~、今なら恥ずかしくて「ライトバン」とは名乗れないでしょう(笑)
尚、三菱360→ミニカはライバル他車が居住スペースの関係からRRやFFを採用、80年代初頭には全てがFF化されたのに対し66~70yの初代ダイハツフェロー、72~76yのマツダシャンテがFR方式を採った以外、唯一84年まで永年FRを継続していました。(軽トラ/箱バン除く)
90年代にスズキカプチーノで軽FRは蘇りますがカプチーノは趣味的要素の強い少量生産モデルでしたので実用普及大量生産としてのFR軽と言えばミニカ!的な印象がワタシら世代以上にはあるのではないでしょうか。。。

三菱360のスタイリングは何の変哲もない2BOXの2ドアバンであり直線的デザインにFrに丸味を付けた優しく愛嬌ある表情、最大の特徴はドアが後ヒンジ、前開きという部分ですネ!
まだ衝突安全基準が緩かった時代だからこそのモノですが今の軽とは較べものにならない小ささですので乗降性に最大の難があったこの時代の軽では最も有効なそれの解決手段でありこれは先人であるスバル360を見習ったものと推察されます。

↓前開きドアが特徴的な三菱360(64yモデル)


↓メーター1個に機能スイッチのみのシンプルなインパネ


エンジンは新開発のME21型2st強制空冷直列2気筒360cc 17psを搭載、パワー的には先発ライバルとほぼ同等ながら当時としては軽自動車は3速ギアが定番だったところに普及しだしたばかりのフルシンクロで4速(コラムMT)が採用され当時の軽貨物としては必要充分以上だった最高速80km/hオーバーを実現していました。

↓新開発ME21型2サイクルエンジン!


三菱360のモデル概要は下記の通りです。

(サイズ)
全長2995全幅1295高1370 (以上mm)
(車重)
490kg
(定員)
4(2)名
(エンジン)
ME21型2st強制空冷直列2気筒360cc 17ps/2.8kgm 最高速86km
(駆動)
FR
(ミッション)
4速MTフルシンクロ
(脚回り)
Frリーフ式独立懸架/Rr半楕円リーフリジット
(ボディ)
2ドアバン
(バリェーション)
ライトバン/パネルバン

三菱360のモデル改歴は下記となります。

(61/10)
ピックアップトラックモデル(LT22型)を追加。
この時代は上方向に制限がない(実際は道路運送車両法で積める荷物の高さに制限ありますが…)ピックアップ/トラックも重要モデルで上級普通車でも乗用のベースのピックアップモデルも立派に需要があり(例:コロナやクラウンのピックアップやダットサントラック=ブルーバードベースのトラック)三菱360にもラインナップされました!

↓追加設定されたピックアップトラック


(62/4)
ライトバンにサイドモール、ホワイトリボンタイヤ、ホイールキャップ、高級仕様シート、後席&荷室レースカーテンを標準装備した『ライトバンDX』を設定、従来型を『ライトバンSTD』と改称します。

↓乗用車並の豪華装備が目を見張る『ライトバンDX』


追加されたDXはまだこの時代、遊び?専用の乗用車を用意するのではなく平日は仕事に、休日はレジャーにというクルマの使い方も多く~日曜は乗用車として~という要望に応えた乗用車並の装備を与えたモノでした。
尚、三菱360の価格は・・・
ライトバンSTD=325,000円
ライトバンDX =360,000円
ピックアップ =300,000円
となっています!!

(62/10)
商業的に成功を収めた三菱360、これがメーカー手応えを感じさせ『イケる!』となったのでしょう(多分。。。)バンDXの追加などで軽乗用市場の動向を探りながらいよいよ三菱360をベースにした乗用モデルである『三菱ミニカ(LA20型)』が発売となります。
ミニカ…読んで字の如く小さい車=ミニカーが由来との事、単純明快でいい名前ですね(笑)

↓62/10、三菱360をベースに乗用モデルとして発売された『初代ミニカLA20型(前・前期型)』



ミニカはシャーシ、エンジンや機構等は全て三菱360と同一でスタイリングもFrグリルを“乗用”らしくメッキ処理した高級なイメージにリ・デザインしながらBピラーまでは共通、メーター1個のシンプルなインパネも共通です。

但しミニカはあくまで乗用車!この時代の“乗用車”=セダンを表しておりBピラー以降を新たにセダンボディに手直ししています。
セダン化のためルーフを短くしますが後席乗員のヘッドスペース確保のため着座姿勢の頭の位置ギリギリまでルーフを確保、またセダンとし必要なトランクルームも確保するため通常の3BOXデザインではこれを両立できず苦肉の策でRrガラスをほぼ垂直に切り通常のセダンデザインでは珍しいカタチをとりました、しかしこの事=Rrガラスを斜めにしない という工夫から後部にスペースが生まれトランクを確保しています。
どうしてもサイズ制約がある軽自動車で後席スペースを少しでも確保しようと思うとこのような普通車にはない変則的なデザインとなりこれはほぼ同時期に発売されたライバルの一つ、初代マツダキャロルでも見られました(キャロルの場合はRrウィンドゥは垂直ではなく逆ゾリ!!)
ミニカではRrサイドウィンドゥは通常の2ドアセダン同様に後方を斜めにデザインし垂直気味に切り立てたウィンドゥの両サイドに若干のフィン形状にアレンジ、これによりサイドから眺める視覚上デザインと実際のRrウィンドゥの角度からなる違和感を抑えた名付けて“クリフカット”と呼ぶ見栄えと後席乗員スペースの確保を両立させたスタイルが最大のアピールポイントでした!

↓“クリフカット”の美しくも機能的裏付けあるデザインであるミニカのRrスタイル


クリフカットのミニカ、かつて一度だけ乗る機会があって実車を味わいましたが外見からなるそのミニマムさからは想像できない後席スペースに驚いた経験があります。
勿論サブロク軽ですから現代目線では話になりませんが当時のセダン型軽乗用としては立派なモノ、ワタクシ的に経験のあるライバル他車はスバル360とキャロルですがこれらに較べるとヘッドスペースでは勝っていました!(その代り足元は負けてました~、まぁ、ドングリの背較べ)
後発のホンダN360から始まる2BOXには適わないながらこのサイズで一応?二人が頭を下げずに普通に乗れるスペ-スを確保しており「よくこのサイズで!!」でと設計者様に敬意を表したくなりました(笑)

↓車体後部には小さいながら立派に独立したトランクルームを備える普通車テイスト!


ミニカのモデル概要はサイズで全高が1390mmとされ車重がやや増加した以外、ほぼ三菱360と同様でエンジン、サス等も同モデルを踏襲しています、要はバン→セダン化されたのみです。(サスの味付けは360よりも柔らかいセッティングでした。)
セダン化され室内は360に較べ豪華にアレンジ!2トンカラー化された小洒落たシート柄は明るい印象で助主席(運転席)シートはまださすがにリクライニングは装備されず2段折りたたみ式で後席への乗降は背もたれを前に倒して行うモノ、但し座面も起こしてたためるため荷物スペースにも早変わりというアイディアが採用されていました。(助手席のみ)

↓明るい印象のミニカの室内


それではミニカを含めたモデル改歴に戻ります。

(63/9)
ミニカ/360共にFrを小変更、グリル内に設置していたターンシグナルをヘッドライト下に移動し視認性を高めます。

↓63/9~前・後期型となったミニカ


(64/11)
両車、再度のMCで後・前期型となります。
Frの意匠変更は前年6月に上級車種として登場したコルト(A20~型)に似せたデザインとなり従来の丸味帯びた表情から直線的で引き締まった顔付きになりより現代的に、より高級感を高めています!
また、特徴的なCピラーのデザインを変更し中央部にオーナメントを装飾しRrサイドガラスの傾斜に合わせて太いデザインとしその分Rrウインドウのフィン形状が強まっいます。
正直、従来型はRrサイドウィンドゥとRrの傾斜がアンバランスで個人的には?と思いますがようやくこの変更でよりクリフカットが映えるスタイリングになったと感じます!

↓64/11~後・前期型ミニカ


↓同三菱360バン


このMCではエンジンも換装、ME21型を基本に新たにリードバルブ管制方式、分離給油方式を採用し出力を1psアップの18psとしたME24型を搭載しこの時点でMAXスピードは89km/hとなっています。(ミニカ/360共に)
この他インパネのデザインも小変更されています。

(66/12)
ミニカのみ外装の装備を落としした「STD」を追加、従来型を「DX」とします。
STDが340,000円、DXが368,000円の価格設定。
DXには時代の要請からリクライニング機構を採用、シートは2トーンから黒一色のモノトーンとされました。

↓遂に普通車並の“豪華装備”であるリクライニングシートが採用されました!


(67/5)
両車、エンジンをME24D型としpsを21psまでパワーアップ(トルクは3.2kgm)しMAXスピードを90km/hまで高めます。
尚、この時三菱360はライトバンをLT23/LT23D型、ピックアップはLT25型に型式変更されました。

(68/9)
MCで初代最終型となる後・後期型となります。
Frはブラックアウトされたグリルとなりスポーティ感が味付けされインパネもこれまで鉄板むき出しだったモノをFRPでカバー、opで装着するラジオスペースが新設されています。

↓初代最終型(後・後期型)ミニカ


この時に三菱360は車名変更が行われバン→ミニカ・バン、ピックアップ→ミニカ・ピックとしています。

↓68/9、三菱360(ピックアップ)→ミニカピックに車名変更


(68/10)
新開発となる水冷エンジンである2G10型2st直列2気筒360ccエンジン搭載する「スーパーデラックス」が追加されます!(最高psは23ps)
この頃はは既にハイウェイ時代が到来、いかに軽自動車であろうともロングツーリングも視野に入れなければならない時期に来ており時代の要請による水冷化でした。
スーパーDXは外観や装備に特に変更ありませんがラジオを標準装備していました。

↓水冷エンジン搭載のスーパーDXとラジオ装備の豪華な?インパネ!!



↓水冷化された2G10型エンジン


(69/4)
安全対策(運転席ヘッドレストやシートベルトのop設定等)を施す一部変更を実施。

(69/7)
61/4の三菱360からは8年以上、62/10のミニカからは7年近くの長きに渡り生き永らえた初代ミニカは初のFMCを受け2代目となる『A100/101・A100/101V・A104/105V・A106V型ミニカ(サブネーム70/71/72/73)』へとバトンタッチします!

↓69/7、約7年ぶりにFMCした2代目ミニカ(初期ミニカ70スーパーDX)


以上が初代ミニカとなりますがデビュー時は50年代設計のスバル360やスズライトといった古めかしいモデルの中でFR機構、フルシンクロ4段ミッションという普通車のテイストで注目を集めた初代ミニカは発売数年は順調なUP!!!を送りますがその後、雨後のタケノコのように相次いで登場した新ライバル攻勢には苦戦、特に67yにセンセーショナルな話題で一躍人気を得たホンダN360登場以降は完全DOWN!!!となってしまいましたora・・・

ただワタシが幼少の頃は結構見かけ“ポロンポロン”と可愛いい音ながらけむったい白煙をあげて走りまわっていましたねー。オヤジの友人が良く乗って遊びにきていて前開きのドアに感動したモノです(笑)

さてさてミニカだけではなく並み居るライバル、横綱のスバル360をも蹴散らし軽自動車市場を60年代後半に完全制覇したホンダN360!
この“名車”に初のFMCで挑戦する2代目ミニカの活躍は如何に!!!!

(次回A100/101・A100/101V・A104/105V・A106V型2代目ミニカ=サブネーム70/71/72/73に続く)
Posted at 2018/05/27 15:10:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | UP!!DOWN!! | クルマ
2011年09月01日 イイね!

保存版“華麗なる一発屋!!!”…バモスホンダ・ホンダZ・ホンダライフステップバン編

保存版“華麗なる一発屋!!!”…バモスホンダ・ホンダZ・ホンダライフステップバン編
“華麗なる一発屋!!!”、今回は60年~70年代のまだ在野精神旺盛な時代のホンダの名作ミニ3車種をを取り上げます!

1967年(昭和42年)に発売以後、軽自動車の概念を変えたN360は爆発的ヒット作となり今では名車に数えられる一つであるのはご承知の通りですがあれだけ売れまくり人気も高かったN360、当然のように派生車種が次々にデビューします。

同じエンジンを使うキャブオーバー型トラック/バンのTNシリーズ(現在のアクティ)やN360後続(つまりは同じシャーシ)を使うユニークかつ実用性の高いライフステップバン(ピックアップ)、雰囲気のみながらバギー調で遊び精神旺盛なバモスホンダ(現在のバモスとは一切関わりなし)、スペシャリティカーのホンダZ等がそうなのですが今回はこの中からバモス、Z、ステップを取り上げたいと思います。

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(バモスホンダ)

“華麗なる一発屋!!!”、ホンダのカルト車?変態車?…実にマニアックな『TN360型バモスホンダ』になります。


バモス、現行でもありますねー ホンダの軽ミニバン…
但し現行は「ホンダ・バモス」が正式であり「バモス」が前に付くか後ろに付くかで全く異なるクルマになってしまします。
ホンダ・バモス(HM1/2型)はTN360の軽箱バンをルーツにする99yに発売された旧アクティストリートの次期型であり現在も人気の軽ミニバンの一つ、結構やんちゃ気味にドレスUPされた個体をよく見かけます…
ホンダバモスとバモスホンダではクルマ的脈略や殆どなく生い立ちに一部関連がある程度(先祖がT/TN360と言う軽トラ)で先日取り上げた“華麗なる一発屋!!!”…42のホンダZ同様、ホンダ製の軽自動車 という点が2車を比較した時、唯一の共通項!?って感じです、従ってバモスホンダは立派な『一発屋!!!』に認定しちゃいます!!

バモスホンダは70/11に登場した形式上は“軽トラック”となります。
但し普通に想像する軽自動車とはイメージを異にする出で立ちが大きなポイントです!
当時はアメリカで流行っていたサンドバギーというオフロード車に日本も注目し70年の大阪万博に限定で発売されたダイハツフェロー・バギーが登場、結局このバギーは日本では広まらなかったようですがこの時にホンダが提案したのがバモスホンダでした!

国産市販唯一のバギー車、ダイハツフェロー・バギーを意識!?


バモスホンダは既存の軽トラであるTN360のシャーシに個性的なボディを載せたモノ、軽ジープ(商標権の関係で“ジープ”とは名乗れませんでしたが…→ジープは三菱がライセンス生産の為)として高い注目を集めたスズキジムニー(70/4発売)とユニークなバギースタイルそのもののフェローバギーの中間のような性格で非常に独創的でした。
ジムニーのような本格4駆ではないながオープン、オフ車的要素がありながらら実用もある程度こなせフェローのような完全遊び車でもなくオールラウンダー的にオーナーが自由に使える楽しさがありスタイリング的にはあえて先記の2車に捉われない新感覚、Frにスペアタイヤを取り着けたにこやかな顔付も非常に個性的なモノでした、ワタクシは後年に2代目ミゼットが出た時はすぐにバモスホンダを思い出してしましました~(^^;)

ワタクシ、幼心にこのクルマは非常に強く印象に残りましたネー、ユニークな顔付とドアがない!というワイルド感は遊園地の乗り物の様で町に停まってるとシゲシゲ眺め暫く動きませんでした(笑)
今見るとゴルフ場のカートみたいな頼りなさですがコイツは行きつけの長野県のペンションのオーナーさんに頼まれ、昔納車で横浜~長野に納車した事がありその時初めて乗りました!
もうこのクルマに関しては力とか乗り心地とかを語るレベルではなくただただ楽しい(スリル満点)の一言!冬は乗れたモノではないと思いますが(ヒーターなんて当然空冷オープン商用車には設定されてません!!)走行時に“ガチャン”と装着する転落防止のバー1本だけで地面はすぐそこ、狭まっ苦しいキャビンとオープンにした時の解放感はクルマというより遊戯物、おもちゃに乗ってる気分でした。
走りは360ccながら軽い(データでは540kg!!)のとオープンor幌なので体感速度は実際の倍位に感じました!

ユニークなスタイルがカルトオーラ出しまくりの『バモスホンダ』(フォー)


↓「ツー」


↓「フルホロ」 


↓ベースは軽トラの「TN360」


バモスホンダは先記のように商用軽トラックのTN360がベース、エンジン/サスペンションも全て共通。
エンジンはN/TNで好評のお馴染N360E型空冷2気筒OHC、商用TN用にデチューンされた30psタイプを搭載、TN同様水平横置きで後輪駆動です。
脚はTN同様Fr:ストラット、Rr:ドデオンアクスルリーフ方式。

↓エンジンはN/TNでお馴染空冷N360E型エンジン


ボディは計3種類のボディが用意され全て取外し可能の幌車、2人乗りの「ツー」、4人乗りの「フォー」、4人乗りで荷台部まで全て幌が被る「フルホロ」が用意されていました、ワタクシ乗ったのはフォーという写真のヤツでしたが幌は雨よけ程度の効用だったと思います、走行感覚は幌を装着しようが外そうがオープンそのものでした。価格も比較的安価で「ツー」が321,000円、「フォー」が351,000円、「フルホロ」で369,000円というもの。

「フォー」のRrビュー


「フォー」幌開閉時


インパネ…と言うより計器盤と言った方がピッタリのメーター周りはワイルドそのもので鉄板むき出しでメーターがポンと付いてるだけながらオープンカーの為防水防塵だったとの事です。
運転操作に必要ないものは一切ない運転席はジープのそれに近いイメージですが惜しい事にジープや初代ジムニーのようにFrスクリーンは可倒式ではなく固定でした。

↓ワイルドそのもののインパネ


↓バイクのようにフラッシャーも左右点灯はなく[TURN]ランプ一つのみ


このクルマは一応?トラックですので立派な荷台も備えていたのも特徴的で「ツー」で約160omm(長さ)、TNにはないWキャブ的に荷物と4人の移動ができる「フォー/フルホロ」でも790㎜の内寸を持つ荷台は結構重宝していたようです。

こんなユニークでおもしろ車だったバモスホンダ、後年のバブルのような時期ならば生きる道もあったと思います、しかしこの時代では感覚的にこのような実用不向きなクルマはやはり評価は得られなかったようで発売2年半後の73年中旬には製廃となってしまします。
トラックとしてはオープンで冬場の使用が躊躇われジムニーのようなクロカン使用や当初ライバルとしたフェロー・バギーのような本格的な遊び車には徹しておらず故にその方面での評価も得られず“ハンパ”なイメージが災いし販売も伸びなかったとの事、本格4駆のジムニーが発売以後そのスタンスを永年貫き根強いファンに支えられているのとは正反対の運命を辿ってしまったように思います。
バモスホンダも4駆を発売する計画もあったらしくその証拠にシフトレバー前の丸い皿のような小物入れ?の部分にが2←→4のトランスファ切り替えシフトが付く予定だったとか!
実現はしなかったながらコイツの4WDが登場していたらジムニーの良きライバルとして魅力的でありまた生きる道も違ってたかもしれませんネ~。

↓軽4駆のパイオニア、ジムニーの敵にはなれず…


しかし今振り返れば充分にこのクルマも楽しさ、ユニークさ満点であり70年代初頭ならではの市販車でもありながら少し出るのが早過ぎた感がありますね矛盾しますが…
ステップバンといいこのバモスホンダといいユニークなクルマを送り出してきたホンダの独創性は時として失敗作、無駄と言われたクルマをも出したりしてましたがホンダのチャレンジ精神旺盛な青春時代を振り返ると実用と合理性、コストダウン一辺倒の現代が非常に淋しく感じてしまいます。。。

バモスホンダ、コイツは“華麗なるユニークミニ一発屋!!!”として忘れたくないクルマです!

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(ホンダZ)

“華麗なる一発屋!!!”、サブロク時代の軽の傑作車!名車!と言われる『SA型ホンダ・Z』を取り上げます!

ホンダZ…このネーミングは最近もありましたネ、98y~2002yに存在、床下にミッドシップエンジンを搭載した軽SUV!!  ん?ならばこれが2代目Zなので『一発屋』じゃねーべ!!
はい、その通りです。
その通りなのですが初代Zと2代目Zでは“軽自動車” “ホンダ製” と言う事以外全く共通項がなく性格や味付けも方や軽ハイパワーブームに呼応したスペシャリティ・ミニ、方やフルタイム4駆の背高SUV…
ですので名前のみの復活(初代と2代目では24年もの開きがあります!)と判断し初代Zは(2代目もですが…汗)一発屋として独断と偏見ながら認定させて頂きました~!!

な訳でホンダZ、先記の通り70年代前半に起きた軽ハイパワーブーム真っ只中の70/10にセダン(ホンダN360)ベースの軽スペシャリティカーとして登場しました!

そもそも軽ハイパワーブーム、これの先駆けとなったのがこのN360でN以前の軽と言えばせいぜい20ps、当然の如く2stエンジンの為白煙モクモクでようやく100kmを必死に達成する、そんな時代にいきなり4stのOHC、31ps、最高速度115kmというスペックで登場した訳ですから一躍人気者になりライバル他社がこのNを標的にし次々とパワーアップやフルチェン、ちょうど普通車の世界でもDOHC、ツインキャブ、RE等のハイパワー化が訪れこれに相応しいスポーツ、スペシャリティカーがもてはやされこの流れがNをきっかにしたヒパワー化が軽市場にも押し寄せていました。
Nを撃沈すべく各ライバル車はNの後発新型車でツインキャブを装備、リッター/100ps超のスーパーミニを次々に発売、ホンダも黙っておらずNに同様のスポーツモデル(N360TS)を追加して迎撃してましたが年々エスカレートする中、Nの鮮度落ち(67y発売)から後発三菱ミニカ、フェローMAX、スバルR-2等に見劣りし始めた為ホンダはNの車台、機構をそのままにスポーティなボディを載せた所謂“スペシャルティカー”を開発しホンダZとして発売したのでした。

70/10、軽初のスエシャリティカーとして登場!(前期型)


機構やエンジンはもちろんN360を踏襲し開発費を抑えています、横置きFF駆動やFrストラット/Rrリ-フリジットの脚廻りも当然Nそのもの、あの単車(CB450)のエンジンをそんままポンとボンネット内に収めたような空冷エンジンに単車そのものだったドッグクラッチもNそのままです。

↓Nで大きな話題を呼んだバイクそのもののN360E型空冷エンジン


↓ベースは“名車”の名を欲しいままにするN360!!


ホンダZはそのスタイリングが特徴的かつ実用性に優れており後発のスペシャリィティ・ミニがよりスポーツ度の高いボディ(フロンテとミニカがクーペボディ、フェローMAXはHT)で対抗してきましたがZはこれらとは異なる3ドアHB!しかしながらロングノーズでFrウィンドゥも傾斜を強めHBとして “どファミリー” 的な印象はなく小さいボディながら見事に 低く長く を実現していました。しかもこのボディ形式の為、ライバルが後席は赤ん坊以外使い道にならないモノだったところ大人がきちんと座れルーフもきちんと頭上までありしかも可等式シートと合わせると広大なる!?カーゴスペースまで用意され実用性/スポーツ性を兼ね添えたモデルでした!
尚、HBのRrハッチ部分がABS樹脂製そのままの黒色、この形態から『水中メガネ』の愛称で親しまれました(^^)

↓独特なハッチ形状で“水中メガネ”の愛称で親しまれました!(前期型)


Zはこの種のモデルとしては珍しいワイドバリェーション、当初4種の設定(上からGT、TS、PRO、ACT)で71/1に最高峰GSが追加され5種を誇るモノとなっています。

ACT/PROが N360E型空冷2気筒OHC 360cc シングルキャブ31psを、これ以上が同ツィンキャブ36psエンジンを搭載、最上級のGSはまだ普通車のスポーツグレードでも少なかった5MT(軽初搭載!)が奢られ他にもハードサス、145ラジアルタイヤ、前輪ディスクブレーキといった本格装備で人気を得ました。

71/1追加の最高峰GSは普通車スポーツをもアッと言わせた本格装備!


Zはインパネも兄貴分『ホンダ1300クーペ』が採用した“フライトコクピット”で武装、機能一辺倒だったNのそれとは違いソフトパッドで覆われた豪華な造形とされN同様のダッシュチェンジ(コラムとフロアの中間)ながらNよりはフロアに近い位置までシフトレバーを下げ最上級GSでは普通車並にセンターコンソロールまで採用し操作性と見た目の豪華さも実現させています。

↓GSのインパネ


このような充実度満点のZは発売後、Nが低下した戦闘能力を補い後発フロンテ・クーペとハイパワー・ミニの1、2を常に争う高人気を得、これを維持する為様々なバージョンUP!!と新モデル追加が矢継ぎ早に行われてゆきます…

まず、71/2にゴールデンシリーズを発売(以下G)、Gは外見を大人しくかつ高級イメージ化しておりシルバーのホイールとボディ同色ハッチ(例の水中メガネ部)が特徴、エンジンは31psチューンのみでした。
GにはATも設定しておりこれを一つのグレード化、他にカスタム、ホリディと高級版GTLがGの内容。尚、従来型はこの時にダイナミックシリーズ(以下D)と名付けられています。

71/12、Zは大きな変革がなされ時代の要請からいよいよ水冷化となります!
ベースのN360の進化版、NⅢ360が71/6、ホンダ・ライフにフルチェンジ(NⅢは車種整理して72yまでライフと併売)、ライフはハナから水冷で設計されておりシャーシも新設計、この為Zはボディスタイルはそのままにプラットフォームをこのライフのモノに変更、この為若干ホイールベースが延長となりよりロングノーズ化しています。 脚廻りには変更なく(形状的に) ストラット/リーフ式。
尚、この時に前後を意匠、FrグリルをHマーク&横線基調のデザインとしテールランプに赤一色から保安基準変更に合わせアンバーを追加、他各部小変更のマイチェンも実施され中期型に移行しますが71/12はまずDが、年が明けて72/1にGが中期になっています。

↓ライフべースになりよりロングノーズ化、グリルにHマークが入りやや大人しめのイメージとなった中期型


換装された水冷エンジンはライフのモノを換装、EA型360cc 直2 シングルキャブ30ps/ツインキャブ36psという性能でシングルで1psダウンながらツインではリッター/100psを維持!!

↓新たに搭載された水冷EA型エンジン


↓中期型以降はN360の後釜『ライフ』をベースに!


水冷化と同時にエンジン換装=ミッションも換装により例の特徴的だった“ダッシュチェンジ”が改められ通常のフロアシフト化がなされおり水冷になりN/Zでの最大のウォークポイントであったヒーターの機能が強化されています。
時代の要求による進化には間違いなく一つの完全なる自動車としてはこれが正しい道、しかしながら創意工夫のたまものであったNの特徴が次々に消されていったZに淋しさを感じたホンダ・ファンも多かったとか。

ワタクシZは後期の水冷しか経験ありませんがNは以前セカンドカーで乗っていた時期もあり確かにやかましくて高速時の熱ダレ感、登坂/渋滞での不安、冬場のエンジン熱ダイレクト送風のヒーターでOIL/ガソリン臭が酷い空冷(N)に較べごく普通に乗れ中期以降のZは安心でしたがNや前期Zのおもしろみさが消え去ったのも事実、荒々しさも空冷時代が強くて空冷→水冷を乗り較べるとあのフィーリングが味わえなくなった当時のファンの淋しさが実感できましたね~。

ただそれでも(中期以降)のZもサブロク特有の気の抜けないドライビングは健在でスズキや三菱の2stツインキャブ(3キャブ)程ではないにしろ狭いパワーバンドに合わせるようにギアチェンジを繰り返し少したあの感覚は懐かしいですな~~。

↓デザイン変更はないもののダッシュチェンジ→フロアに変更された中期型以降のインパネ


この後Zは72/11に二度めのマイチェンを実施し後期型となり普通車でブームになっていたHTボディを手に入れています。
従来型のフォルムはそのままにセンターピラーを廃し、ドアサッシュレス、Rr巻き上げサイドウィンドゥを新たに採用しました。
またFrとRrを以上変更、Frはハニカム二分割の彫の深いデザインに変更し高級感をUP!! テールはそれまで下部にスペアタイヤ収納の開口式取り出し口があったものをこれ(スペアタイヤ取り出し)をラゲッジ取り出しに変更、このため一体式Rrパネルとなり分割バンパー、ナンバプレートの下部への移動を行いイメージを一新します。
尚、これまでGとDに分けていたシリーズを一体化し旧Dシリーズの外装に統一、“水中メガネ”のみのボディエクステリアになりグレード名も一新しSS/GL/GT/GSSとされました!

72/11、後期型ではHTボディを採用


↓後期型Rrビュー、分割バンパー&ナンバー位置移動でイメージを一新


この後73/8に排ガス対策(48年規制=シャコールキャニスタ等の採用)と安全対策(ブレーキマスターシリンダー強化)を行い74年いっぱい生産されました。

来る昭和50年は軽の規格拡大、排ガス規制の強化などが待ち受けておりホンダはこれのクリアを断念、莫大な開発費をかけてこれをクリアしても採算でペイできない事が一点、急速に去った軽ハイパワーブームも手伝って軽乗用に情熱を失った事が一点、以上の理由と72yに発売した普通車・初代シビックが絶好調で永年の夢であった普通車市場でのメジャー化をようやく果たしばかりでこれの充実安定化と上級車開発(初代アコード)に専念する為、商用、軽トラのTN7(TN360の発展型)を残して軽乗用市場から撤退してしまいました。発売4年経過しながらまだまだ人気の高かったZの製廃は非常に惜しまれていたのを記憶しています。。。
この後88年の初代トゥデイ(JA-1)の乗用5ナンバー発売(4ナンバートゥデイ=JW-1型は85年登場)まで軽乗用市場には沈黙を決め込み冒頭で触れました通りZ製廃後24年を経て98y、新星『ホンダ・Z』が発売されています!

24年後の2代目?Zは全くコンセプトの違う軽SUV


ただ、しつこいですが2代目に初代Zからの継続性、共通性は全くない事からSA型ホンダZは文句ない『華麗なるミニ・スポーツ一発屋!!!』とワタクシは信じて疑いませんです!

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(ホンダライフステップバン/ライフピックアップ)

今回は生存は僅か2年少しでしたが後年、70年代後半~80年代にその変わった?個性ある出で立ちから人気となりわが国では少ない軽商業車ながらの『名車』とされているコイツ→『VA型ホンダライフ・ステップバン』を取り上げます!


ホンダライフ・ステップ・バンはまだ軽自動車規格が360cc時代の72/9に発売された全く新しい思想の軽商用車として登場しました。
ベースをセダンである「ホンダライフ」としこのシャーシに現代のミニバンや軽箱バンで主流となったカタチ=1.5BOXとなる“セミキャブオーバー”のボディをまとってデビューしました!!

見慣れない1.5BOXセミキャブオーバースタイルでデビューした『ステップバン』


新車販売時は鳴かず飛ばず…しかし製廃後や後年に人気がウナギ登りになる、というモデルは他にも多い(特に日産)ですがこのステップ・バンはその最たるモノ、特に軽商用でこのようなケースは少なく他に目立つのは先日 “華麗なる一発屋!!!”…33 で取り上げたスズキ・マイティボーイ位でしようか…

このステップ・バンが発売された時代、ワタクシはまだ小学生でしたが子供心に「変なカッコで最悪~」と思いました!
市場の反応もどうやら子供の感覚と同様だったらしく新車時は街で見かける回数も少なく滅多に当時走ってる;姿って記憶にありません…
しかしながら後年、サーファー(丘含む)を中心にブームが起き、現在製廃30年を過ぎながらも愛用者、クラブ等が存在するという現実を誰が当時想像できたか…それ位の不人気車でした。

当時ステップバンが不人気だった理由は割と単純明快で一口に言えば「産まれたのが早過ぎた」=「異端児」だった事ですね。

当時は商業車の場合、軽バン(トラック)はキャブオーバータイプかボンバン(ピックアップ)が当たり前の形態、前者は同じホンダのTN360(現在のアクティやバモスの先祖)や三菱ミニキャブ、スズキキャリィ、ダイハツハイゼット、後者はライフバン、ミニカバン、フロンテハッチ(アルトの先祖)やフェローバン(ミラの先祖)が常識のところに見慣れないセミキャブの妙に背高のバンでしたから「異端児扱い」も当然の事、この形式は海外等では小口配達専用バンでは既に広まってきていたのですが国内でこの形態を取ったのはステップバンが初!! 当然“ミニバン”なんて言葉はありませんでしたが今見ても全く違和感ないスタイリングでグラスエリアが小さい以外は現代の軽ハイト系や軽箱バン、ミニバンと同じスタイリングでもありFFという点を除くと似たような造りというのも驚き!

FFセダンのライフをベースにした事によりエンジン他動力系を全て前方にまとめボンネットを設ける事により乗降性(軽バンでは小口配達などで乗り降り回数が多くこの「乗降性」も立派な設計思想になりえます)と慣れていた乗用車(3BOX=ボンネット付きという意味)から違和感なく乗り換えができる!! を売りとしていたのも現在のミニバン各社がデビューした時にセールスポイントとしていたのも記憶に新しいと思います。
現代車は衝突安全基準によるクラッシユスペースの拡大からこの1.5BOXを採用していったのでステップバンの思想とは異なりながらも結果的に同じカタチになっていってたという点がおもしろいですネ~~。

2995×1295×1620mmというボディ寸法、長さと幅はサブロク旧々規格ながら高さは当時の軽バンとしては超ハイトであり現代の軽とさほど変わりません、もしろんバンですから大事な内寸にしても当時クラス最大高さの1135mmを持っており当然、「商業車」としても立派なモノでした。

↓当時のカタログでは居住性、積載スペース、乗降性をアピール!



このような“新ジャンル”のステップ・バンでしたが結果は見事過ぎる位にスベりました(=_=;)
その要因はやはり違和感アリアリのスタイルと鼻のあるスタイルが災いするカーゴルームの小ささが原因です。
キャブオーバーに較べ鼻がある分のシワ寄せは当然荷台に現れ当時の平均的キャブオーバー・バンの荷台長さ(約1500mm弱)より約20cm短い1270mmという内寸は少しでも荷物を積みたい使用者側には不利も当然、これの裏腹の利点=セミキャブの為タイヤ上に座らず乗り心地がイイ→「乗用車と変わらない乗り心地、操縦性」 という部分は商業車には大したセールスポイントにはならず前者の理由が大きな要因でステップ・バンは嫌われたようです。高さでは有利ながらそれは長さ程有利な条件にはならなかったという訳ですねー。
慣れた乗用車からの違和感をなくすヒンジ式のRrドアを採用したのも逆効果で他箱バンのスライドドアに較べ積載時の実用性で劣っていたのも不評を買ったようです。。。

また当時はFF自体が乗用含めてまだまだ珍しい時代、乗用ならFRより広い室内が実現できるFFという最大の売りも悪点(操縦性)以上のセールスポイントになれても商用車の場合、貨物を積載すると前輪荷重が小さくなり操縦性に変化が出過ぎてしまいFFは適しておらずその証拠にステップバン以降、後年~今日に至るまでワンボックス、セミキャブの商用バンにはFFは採用されていません。

↓「高さ」による積載性をアピールしたが…


このようなステップ・バンですがFF化による利点はもう一つ、当然な事ながら動力機構が後部にない事から低くフラットなフロアが生まれそのフロアと高いルーフ、開口面積の大きなドアなどによって実現しており「積みやすく、乗りやすい」を徹底的な売りにしまた。「アイデアあふれる商用設計」も特徴とし機能的なインパネ設計がなされており車内での伝票処理などを考慮したトレイタイプのダッシュボードに加えセンター集中メーターなど斬新な装備もなされていました。(センターメーターは機能的ダッシュボードを実現する観点意外に実際には存在しなかってた輸出左ハンドルにもコスト安で対応したい という考えもあったようです。)

↓現在では珍しくないトレイ式ダッシュはセンターメーターも斬新なるアイディでした!


ステップ・バンは他ホンダ車のパーツをうまく流用しコストダウンにも挑戦しておりキャブオーバー・バンとしては廉価を達成、バリェーションは2種でベースのSTDが376,000円、上級装備のスーパーDXで403,000円は積載能力が小さい同じホンダのライフ・バン(ボンバン)よりも安かったです!

エンジンもライフのEA型水冷直2 OHC360cc 30psを搭載、国産初のタイベル使用やバランサーを採用した静粛性、スムーズさでは定評のあるものでキャビン内にエンジンを載せない非キャブオーバーの利点がココでも光っていました。尚、脚はFrストラット/Rrリ-フリジットです。

↓エンジンはライフやZのEA型をそのまま流用


このクルマ、後年に後輩が一時乗っていました!後輩が乗っていた時期で既にもう10年を経過しておりボロかったのでドライバビリティはあまり参考にできませんがメーカーが新車時に売りにした程の居住性はやはり旧々規格の“狭さ”だけが印象にあり確かに高さは上級車や当時の550軽箱と比較しても遜色ないモノながら窮屈感は否めなく正直このサイズだとキャブオーバーだろうがセミキャブだろうがさほど変わらない?感じでした。ただボロでも高さのある荷台、後席倒せば結構なスペースがありその能力はバカにできなかった記憶アリです!
30psのEAエンジンは当時のライフやホンダZで馴染みのあるモノ、まだ当時では生存していた2stと較べてももちろん、軽としては静粛でZ等の京浜精ツインキャブに較べれば大人しいながらホンダらしくよく回るモノでした。

ステップ・バンは73/8にボディバリェーションを拡大、バンのボディをトラック化した『ライフ・ピックアップ(PA型)』を追加します。

73/8に追加されたステップ・バンのトラック『ライフ・ピックアップ』


ピックアップはステップ・バンのBピラー以降を切り取り荷台としたモノで今見るとトラック、商用車らしくないお洒落さで個人的にはステップ・バン以上の注目度があると思います! スズキのマー坊も真っ青の豪快なテイストと出で立ちは今ならコレを本来の商用、仕事に使えば物凄いインパクトで文字通り「動く広告塔」になるのでは?と思います。
ただこのピックアップもステップ・バン同様、当時ではやはり“ゲテ物”扱い、実用的にもキャブオーバーの常識的な軽トラ(ホンダTN360、ミニキャブやサンバー、キャリィのトラック)には遠く及ばず荷台の小ささが命取りでステップ・バン以上に市場には受け入れられず失敗作とされてしましました。

↓積載量は軽トラと遜色ない350kgを実現しながら荷台内寸の不足が致命的でした。


マー坊もそうでしたが現役時代に商用として“失格”の烙印を押されたモノに限って後年本来の使用目的ではないお遊びやファッション的には高い注目を集めカスタマイズされながら生き残るというのも現役時代を知る者には感慨がありますネ(^^)

ステップ・バン、ライフピックアップ追加しシリーズも充実させましたが先記に記載の通り市場では失敗作、販売は振るわず月販売計画の数字に対し1/3の実績(計画=月/2000台、実績/700台)という結果から74/10、僅か2年1カ月で製廃となってしまいます。

非常に先見のあるコンセプトとアイディアが詰まったステップ・バン(ピック)でしたがやはり既存の軽商用とあまりにもかけ離れ当時はただ「異端児」にしか受け入れられなかったという点が致命傷で短命でした。
ミニバンなどという概念が影もカタチもなかった当時はお洒落とかアイディアなんて事よりも一つでも多く米や段ボール、ビールケースを積めるのが「いいクルマ」であった時代ですので製廃は致し方なかったと思います。

ただ、現役時は不幸な人(車)生ながらステップバン(ピック)が中古車市場で注目を集め始めたのは70年代後半から訪れたアメリカから「バニング」=サーファーが主にバンをカスタマイズして遊びクルマにする 文化が日本にも飛び火し個性溢れるこのクルマがこれのベースとなり中古価格も高騰した時期がありこの時に道具のように使いまくられて廃車にされた個体も多いですがここを生き抜いた程度のいいこのモデル、現在ではプレミア価値モノとなっいます!

尚ステップ・バン(ピック)は製廃後メーカーそのものが軽自動車に情熱を失い75年以降は軽トラのTNを除いて軽市場から撤退した事もあり当然後続モデルは設定されずこれは現在に至るまで継続しています、ただ冒頭で触れたように現在はミニバンと言われる30年前のステップ・バンのフォルムが常識化していますね!!
これは93yに「新たなコンセプトの軽自動車」として大人気を得たスズキ・ワゴンRが発端ですがこれを見た瞬間に“ステップの焼き直し?”と思ったのはワタクシだけでなくステップ・バンを知る世代は誰でも感じたのではないでしょうか…

↓93yデビュー時にはステップ・バンを真っ先に想像した初代スズキ・ワゴンR


尚、ホンダ自身もかつては泣かず飛ばずのお荷物だったステップ・バンの後年の盛り上がりには驚いたのか96年の乗用ミニバンに『ステップ・ワゴン』=ネーミングを、同時発売のあの“走るラブホテル”『S-MX』のキャッチフレーズで~ステップ・バーン~を使いステップ・バンへのオマージュをしていました!!

このクルマも現役は決して“華麗”ではないながら後年は『華麗過ぎ!?なるミニ・一発屋!!!』として忘れられない存在ですネ。。。
Posted at 2017/07/29 18:38:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 一発屋 | クルマ

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