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2018年05月11日 イイね!

佐山芳恵再び、‥(^。^)y-.。o○(42)




昼の休憩時間になって一緒に食事に出ようと誘ったら、「食事は一人でとる主義なので」と簡単に断られてしまった。そして歓迎の意味を込めて仕事が終わった後でどこかに出ないかとも誘ったが、これも用事があるのでと振られてしまった。まあ僕にしても職場の延長で飲みに行くのはあまり好きではないのだけれど顔合わせという意味もあったので誘ってみただけだったが、こうもあっさりと振られてしまうとは思わなかった。普通は義理とか付き合いとかそんなものがあってなかなか入ったばかりの職場では断りにくいのだが、こうもすっぱりと断られると何だか納得してしまうところがあった。
  

午後もトイレに立つかコーヒーを取りに行くくらいでほとんどパソコンから目を離すこともなく仕事を続け、クレヨンが買ってきたケーキも、「ああ、ありがとう、その辺に置いておいて」とあっさりと切り捨てられてしまった。そして終業時間になると何の躊躇いもなくさっと席を立って「じゃあ、お疲れ様」と言って帰ってしまった。何の遠慮もためらいもない何とも天晴な帰り方だった。こうしたお義理の付き合いには冷淡と自負していた僕にしてもここまでは割り切ることはできないだろう。クレヨンの買ってきたケーキも手も付けずに机の上に置きっぱなしだった。クレヨンは知的美人が出て行ったドアと机の上のケーキに代わる代わる視線を移して何だか泣き出しそうだった。僕はクレヨンの頭を撫でて、「まあ、何か用事があるんでしょう。また機会もあるから。」と慰めてやりながら天晴な帰りっぷりを反芻していた。  
 
 
「さあ、私たちも帰りましょう。予定もなくなったことだし。」

 
僕は自分の机に戻ると片づけを始めた。大方片付け終わってさてと思ったところでそれまで黙っていた女土方が口を開いた。
 
 
「ねえ、どうせ寄り道していくつもりだったんだからちょっと寄って行かない。」
 
 
僕はどうでも良かったのだが、クレヨンは泣きべそかきかけていたのが急に元気になって、「え、本当、行こう、行こう。」とはしゃぎだした。僕もこのメンバーなら気心が知れているし、自宅に帰っても同じことなので寄り道に同意した。女土方は、「じゃあ、支度するわね」と言って急に帰り支度を急ぎ始めた。
 
 
職場を出ると女土方が、「ねえ、今日はあそこでいい。このところちょっと遠のいていたので顔も出したいし。」と言い出した。女土方が、「あそこ」というのは変な意味ではなく彼女がよく通っていたビアンバーのことだった。そう言われてみれば確かにあのバーにはもうかれこれ一年ほども顔を出していなかった。僕はビアンではないので特にあの店に行く必要もないのだが、女土方はずい分と長い付き合いだったのだろうからたまには顔を出したいのだろう。僕としても特に問題はないので女土方の提案に二つ返事で承諾した。しかし、あの店今でも営業しているのだろうか。女土方は先に立って歩き始めた。あの店はここから歩いて行ってもそう遠くない距離なのだが、女土方は通りに出るとタクシーを拾った。

 
車は走り出すとものの十分もしないうちにあの店の前に止まった。女土方はさっさと料金を支払うと店の方に歩いて行った。店はあった。以前と全く変わらないたたずまいで同じ場所にあった。僕は店の前で立ち止まってつくづくと入り口を眺めてしまった。それから意を決して中に入ると女土方はもう指定席に収まってママと話をしていた。
 

「あら、ずい分と久しぶりねえ、今日はみんな一緒に来てくれたの。」

 
ママが僕たちの方を見て微笑んだ。クレヨンは走り出すとカウンターにかじりつくように座った。

 
「ずっと来たかったんだけどあの人がなかなか連れて来てくれなくて。」

 
クレヨンは僕の方を振り返った。このサルは自分が良い子になるために僕に責任をなすりつけようと言うのか。大体ここはビアンバーだろう。普通の男の僕が顔を出す理由がないだろう。僕は店の中に入ると店内をゆっくりと見回した。何組かの女性カップルが席を占めていたが、これがみんなビアンなんだろうか。中にはビアンにしておくにはもったいないような美人もいた。そんな女たちを眺めていると僕の耳にクレヨンの声が飛び込んできた。
 
 
「そんなところでぼおっとしていないで早くこっちに来て座れば」

 
せっかく男の感慨に浸っているのにうるさいサルだ。僕はこのうるさいサルを締めてやろうと思って近づいて行くとサルはさっと女土方の後ろに隠れた。そう言えばここでずい分とこのサルを締めたものだった。
 
 
「佐山さんはビールだったわね。」

 
ママはさっさとグラスにビールを注いで出してくれた。女土方はもうサワーを口にしていた。僕が席についてグラスを手に取った時にはママはもうハムの盛り合わせをカウンターに出してしまってフライドポテトとフライドチキンを用意している最中だった。そう言えば酒を飲むこと自体あまり好きではないのだけれどここに来るとハムだのから揚げだのポテトフライだのそんなものばかり食っていたかもしれない。しばらくは女土方はママと世間話に耽り僕はクレヨンをからかいながら時間を過ごしていたが、ママが他のお客の対応でちょっと引いた時に女土方が僕に話しかけてきた。
 
 
「ねえ、あの人どう思う。」

 
女土方は知的美人のことを気にしていた。
 
 
「私ね、あの人どうも何かが引っ掛かるのよ。どこがどうと具体的に言えないけどなんかあの人ってとんでもないものを隠し持っていそうな、そんな気がするの。仕事は申し分ないんでしょうけど。あなたが採用したんだから。」
 
 
「そうそう、あの人って他人に対する思いやりが欠片もないの。私がせっかく買ってきたケーキも手も付けずに無視するし。」
 
 
クレヨンが合いの手を入れてきた。食い物の恨みと言うが食われても食ってもらえなくても食い物は尾を引くようだ。


Posted at 2018/05/11 22:05:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説3 | 日記
2018年05月11日 イイね!

YS11、能登空港で動態保存へ、・・(^。^)y-.。o○。




高松市の高松空港に2015年から駐機されている、戦後唯一の国産旅客機「YS11」が11日、同空港を3年ぶりに離陸し、能登空港(石川県輪島市)へ移る。高松空港ではイベントで地上走行を披露するなどファンに親しまれてきたが、今年4月の民営化に伴って駐機場の拡充も計画されており、従来通りに駐機し続けることが難しくなっていた。【植松晃一】

 
YS11を所有する航空機整備会社「エアロラボインターナショナル」(大阪府八尾市)によると、機体は国土交通省から払い下げられたもの。寄付金を募って飛行が続けられる「動態保存」に取り組み、高松空港には15年5月に羽田空港から飛来した。その後は同社が時折、エンジンを動かすなどして整備していた。

 
ところが、国が管理していた高松空港は4月に民営化。運営会社が策定した計画によると、16年度に188万人だった年間旅客数を32年度に307万人まで伸ばす方針で、格安航空会社を含めた発着便数の増大を目指している。航空機を止め、旅客の乗り降りに使える駐機スポットも現在の6カ所から8カ所に増設する計画で、駐機したままのYS11の取り扱いに頭を悩ませていた。

 
さらに民営化に伴って定められた空港の供用規定で、機体を駐機できる期間を上限10日間とする項目も新設されたため、4月中旬からは“違反状態”になり、運営会社が離陸を求めていた。

 
11日は午前11時に離陸して付近を約30分間試験飛行した後、午後2時15分に能登空港へ向けて再び離陸する。

 
能登空港では、空港に隣接し、操縦士や整備士を養成する日本航空学園が保管場所を提供する予定。エアロラボ社の担当者は「能登空港でも飛べる状態を維持する。教材としても使ってもらえれば」と話している。

 
YS11は戦後初めて開発された双発機で輸送機としても利用された。1962年に初飛行して計182機が製造された。




能登空港って出来て間もなく1回利用したけど何だかがらんとした空港だった。でもそこで動態保存ができればそれはいいことだね。日本は蒸気機関車以外の動態保存には冷淡だし、また、航空機の動態保存には金がかかるからなあ。まあ落ち着き先が決まって一安心だろう、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/05/11 15:57:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2018年05月11日 イイね!

子ども議会もあきれるような議論はいい加減にしたらどうだ、・・(^。^)y-.。o○。




加計学園問題をめぐり衆参両院の予算委員会で10日に行われた参考人招致は、柳瀬唯夫元首相秘書官と学園関係者との面会の回数や状況が焦点となった。ただ、獣医学部新設に関する本質的な議論は一向に深まらず、主要野党は「加計ありき」の連呼に終始した。

 衆院予算委員会で野党のトップバッターとして質問した立憲民主党の長妻昭代表代行は、矢継ぎ早にまくし立てた。

 「加計学園関係者とゴルフはしたか」

 「ゴルフの代金はどなたが払ったか」

 「おごりなのか? それちょっと重要なんで…」

 立憲民主、国民民主両党をはじめとする主要野党の議員の多くは、学園関係者との面会に関する質問に力点を置いた。

 安倍晋三首相と学園の加計孝太郎理事長との友人関係に少なからぬ国民は疑義を抱いている。面会の経緯を明らかにして「えこひいき」(長妻氏)の有無を検証したかったようだ。

 しかし、そもそも獣医学部新設がなぜ困難だったかという事柄の本質に、大半の野党議員は正面から触れようとしなかった。

 獣医学部新設に高いハードルを課したいわゆる「石破4条件」は、獣医学部増設に反対する日本獣医師会の意向を反映したものだ。新設が最終的に加計学園1校に絞られたのも、獣医師会側が「1カ所1校」とするよう求めた結果だった。

 「既得権者の抵抗が激しく『結果的に1校だけ』という議論もあったと聞く」

 「岩盤規制(の突破)は評価する。しかし、認可の過程で外形的公平性が担保されなかった。そのために国民に不信感を抱かせた」

 こう訴えた日本維新の会の井上英孝組織局長の論法は、この日の野党の中では異色だった。

 「加計ありき」の立証に注力するにしても、主要野党の攻め方は稚拙さが際立った。立憲民主党の蓮舫参院幹事長は、柳瀬氏にこうたたみかけた。

 「あなたの記憶は自在になくしたり思い出したりするものなのか」

 「記録と記憶はどちらが信用されると思うか」

 「あなたの『普通』は人と違う」

 この質問を投げかけることでどんな発言を引き出し、何を証明するというのか。「国会18連休」の末に満を持して繰り広げる追及にしては、あまりに子供じみている。(松本学)




この問題は50年以上獣医学部が新設されなかったという行政政策が正しかったのか、その点から議論を始めるべきなのに、お友達だ、ひいきだ、忖度だ、そして対象者を「バカ」だの「嘘つき」だの罵しってまるで子供の喧嘩以下ではある。維新が言うように「規制の打破は認めるが、公平性の担保に問題があった」と言うのが、もっともなところだろう。仮に「首相案件」と言ったとしても柾のその通りだし、それが違法なことでも何でもない。こんな世間にアピールするだけの子ども議会のような、子ども議会に失礼か、バカげた議論を何時までも続けていないでもっとまともな議論でもしたらどうだろ。よく飽きもせずにやっているものだが、まともな議論ができれば政権が取れるかもしれないが、・・(^。^)y-.。o○。



Posted at 2018/05/11 15:56:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2018年05月11日 イイね!

95式軽戦車を動態保存へ、・・(^。^)y-.。o○。




御殿場市のNPO法人防衛技術博物館を創る会が、欧州に渡った旧日本陸軍の「九五式軽戦車」の帰還プロジェクトに取り組んでいる。国産戦車として最多の約2300両以上生産され、太平洋戦争で各地の戦線で使われたが、国内には1台も残っていない。小林雅彦代表理事(47)は「当時の日本の工業レベルが分かり、戦争を学ぶきっかけにもなる。工業遺産として国内で継承したい」と語る。

 
帰還させる計画の1両は、ミクロネシア連邦から1981年に国内に戻り、京都府の博物館を経て和歌山県の博物館で展示されていた。同館閉館に伴い売りに出され、英国人が買って2005年に欧州へ渡った。小林代表理事はわずかな差で購入できなかったという。

 
17年11月、都内の骨董(こっとう)店を通じて購入の打診があった。旧日本軍の戦車は生産数が少ない上に戦後多くが廃棄され、コレクターの市場に出回ることも少ない。小林代表理事は「この機会を逃すと日本に戻ってこない」と考えた。

 
同法人は日本の技術力や機械産業の歴史を語り継ぐため、御殿場市内で防衛技術博物館の開館を目指している。九五式軽戦車の所有権を得た際には、ひとまず英国の戦車博物館に寄贈し、当面展示してもらう。防衛技術博物館開設を実現させた後、同館に移して展示の目玉の一つとする計画を抱く。

 
所有者の英国人は自走可能にするため、世界中から部品を集め、劣化した戦車の復元をポーランドで進めている。小林代表理事は「できるだけ日本製にしたい」と、代用品が見つかっていない国産の燃料噴射ポンプを探している。

 
帰還プロジェクト実現への課題は購入資金の準備。復元作業が終わる9月ごろまでの調達を目指し、1口10万円の寄付を募っている。問い合わせは同法人<電0550(82)2854>へ。

 
<メモ>九五式軽戦車 国産実用戦車第2号として1935年に誕生した。重量が約7トンと比較的軽く機動力に優れ、主に偵察や連絡用として中国大陸や南太平洋などで使われた。太平洋戦争後、戦地に放置されたり、各国の軍事博物館に展示されたりして、数十台が現存するとみられる。




95式戦車は本来は装甲車に分類されるべき戦闘車両であったのにこれを戦車として分類してしまった帝国陸軍のせいでこの車両の悲劇が始まった。快速と高い信頼性で非常に使いやすい車両だったそうだが、低威力の37ミリ速射砲と対機銃弾防御の12ミリの装甲では戦車として米国のM4どころかM3軽戦車に対抗するのも不可能だった。撃破されて戦場に残骸をさらす95式戦車は日本の工業力の低さと輸送インフラの貧弱さの象徴のようでもあるが、快速と使いやすさを活用して、もう少し装甲を厚くしたうえで偵察用装甲車として使用すればもっと活躍の場があったかもしれない。戦後は武装を外して建設用機械として使用されたり警視庁では警備用装甲車としても使用されていたという。歴史の証人として保存するのはいいことだろう、・・(^。^)y-.。o○。



Posted at 2018/05/11 15:54:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2018年05月11日 イイね!

MRJの追加開発資金をクラウドファンディングで、・・(^。^)y-.。o○。




● MRJ開発に垂れ込める暗雲 日の丸ジェットは大丈夫か
 
三菱重工業が中心となって開発する国産初のジェット旅客機MRJ(三菱リージョナルジェット)に、暗雲が垂れこめてきた。5月8日の三菱重工の発表によれば、MRJを開発する子会社の三菱航空機の開発費が嵩んだ結果、今年3月時点で1000億円の債務超過に陥っているという。もともと2013年に納入される予定だったMRJは、設計の見直しなどが原因で納期が5度も延期され、2020年にずれこんでいる。開発費用も当初は1800億円を見込んで始まったが、現時点で6000億円に膨らんでいるという。

 

現時点では、国が機体の安全性を認める型式証明をまだ取得できておらず、この先の最初の関門になっているのだが、それを突破するためにはさらに開発費用の投下が必要だという。とはいえ、今夏ヨーロッパで開かれる航空ショーで初めて機体を実際に飛ばす飛行展示を行い、2019年に型式証明を取得するところまでの道筋は見え始めている。本来ならば「最後の踏ん張りどころ」というべき状況ではあるのだが、問題は親会社である三菱重工の決算の目論見が外れてしまったことにある。

 

今回の三菱重工の発表は、MRJの債務超過のニュースもさることながら、本体の業績が期待されたほどには順調ではないことが明らかになったことも話題となった。従来の計画では、主力事業の火力発電機器とボーイング向け航空機部品で稼いだ利益を子会社が開発するMRJに投入することで、企業グループとしてのさらなる成長を見こむ考えだった。ところがパリ協定以降、世界がエコに舵を切った関係で火力発電所の建設は思っていたほどは伸びなくなった。一方で、あてにしていたボーイング社の新型機体は開発が思ったほど進まなかった上に、その新型機体への期待から従来機の発注も伸びなかったため、本体の航空機部品部門でも売り上げが伸びないという誤算が起きた。


● 戦後解体された航空産業への思い MRJ開発は決して退けない戦い
 
]親会社も苦しいなか、子会社のMRJプロジェクトも債務超過となり、現状を乗り切るための新たな資金調達が必要であることが、ここにきて明らかになったわけである。いったい、どうやって乗り切るべきなのだろうか。通常のビジネスと違って重要なことは、この日本製ジェット旅客機開発計画は日本企業、ひいては日本人にとって大きな夢を背負っているということである。

 
宮崎駿氏の映画『風立ちぬ』をご覧になった方は覚えているだろう。『風立ちぬ』はゼロ戦を設計した堀越二郎さんを主人公にした長編映画で、堀越さんたちが活躍していた会社が三菱重工の開発部隊だった。そう、戦前の日本は航空機開発で世界の先端をいっていたのだ。ところが敗戦後、GHQから日本に対して航空禁止令が布告され、国内の飛行機はすべて破壊され、航空機メーカーは解体された。大学で航空力学を教えることすら禁止されたのだ。そして日本の技術情報はすべてアメリカに持ち去られてしまった。

 
終戦から7年後、サンフランシスコ講和条約が発効して航空機産業が部分的に解除されたが、この間に日本の航空機産業はアメリカから大幅に遅れをとってしまうことになる。国産旅客機はプロペラ機のYS-11が開発されたのが戦後唯一の例で、日本に航空機産業と言うべき母体はなきに等しい状態だった。三菱重工がMRJの開発計画をぶち上げたときに、こういった経緯を知っている日本人は快哉を叫んだ。だからこそ日本人にとって、MRJの開発は決して退いてはならない「戦い」なのだ。とはいえ、航空機開発に必要な資本は莫大である。こういう話もある。かつてゼロ戦は三菱重工が開発し、その生産の過半数は中島飛行機、つまり現在のスバルが担当した。スバルの社内でも航空機部門の再興に関して、気概を失っていないという話を聞いたこともある。スバルでも10人乗り程度のビジネスジェット機の開発プロジェクトを進めていた。2008年時点では10年以内の開発を計画していたが、その後、資金調達の制約から開発を延期し、現在では事業の収益性が見えた後で開発計画を復活させるとしている。ロマンを忘れない一方で、「戦わない」「いったん退くべき時は退く」という事業計画の退き際も理解していたわけである。


● 三菱が歩み続ける「修羅の道」 見ているだけでいいのだろうか
 
では、MRJはどうすればいいのか。ここはもう、修羅の道だろうと茨の道だろうと進むしかない。現実的には三菱UFJフィナンシャルグループや三菱商事といったグループ企業に頼り、資金調達、資本増強で乗り切る以外にはないだろう。他の道はないのだろうか。たとえば、日本人の夢を後押しするプロジェクトならば、クラウドファンディングで1000億円を集めることは不可能だろうか。ロマンに対して1億円を出資する企業が1000社集まれば、不可能な数字ではない。100万円を10万人の個人で、という考え方だってある。無茶を言っているように聞こえるかもしれないが、日本人にとっては悲願のプロジェクトの「詰めの部分」なのだ。我々日本人が最後まで「見ているだけのサポーター」のままでいるのは、あまりにもったいないのではないだろうか。




経験がないから客船の艤装でも大損失を出すし、飛行機は作れても旅客機を作ったことがないから同様に艤装で手間を食って計画が遅れる。でもやらなければ何時まで経っても分からないし、何時まで経ってもできない。今回は将来に向けた投資と捉えればいいだろう。すそ野の広い航空機産業などは日本に絶対に必要な産業で人口が減少していく日本には高度ハイテク産業が向いている。まあ1千億だったら三菱重工で工面するだろうけどクラウドファンディングで資金を集めると言うなら出してもいい。ここで引いたらゼロなんてものじゃない。もう間違いなく次はない。日本の航空機産業はつぶれてなくなる。がんばれ、三菱重工、・・(^。^)y-.。o○。


Posted at 2018/05/11 15:53:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って9年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒になり...
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