4月以降なかなか遠出が出来ていませんでしたが、ようやく1日休みが取れたので、福井まで行くことにしました。
朝6時前に出発し北陸道・武生ICを出て小さな無名の城跡をいくつか周り、途中「越前温泉漁火」へ立ち寄る予定でした。こちらの温泉は露天風呂から日本海が見渡せるそうで、入湯料も520円と格安!
待てよ、営業開始って何時だっけ…。と調べてみると11時。到着見込みは9時半頃です。仕方ない、また次の機会に^_^;
この後、鯖江市を経由して福井市へ。
福井のまちは戦国時代まで北ノ庄と呼ばれており、その地に織田信長の部将・柴田勝家が築いたのが北ノ庄城です。
この城はかなりの規模だったようで、宣教師ルイス・フロイスによれば城下町の規模は安土城の2倍はあったとのこと。相当賑わっていたようです。すごいぞ柴田勝家!
城はその後取り壊されたので、現在は石垣などがほんの少し残っているのと、資料館が建てられているだけです。
熱心に説明板を読んでいると、つかつかと近寄ってくるご老人が。胸には「語り部」と書かれたバッチが付いています。どうやらお城の歴史に詳しい地元の方のようで、滔々と北ノ庄城と柴田勝家について語ってくださいました。
折角の機会なので「破却された北ノ庄城の石材や木材などは、福井城の築城に活用されたのでしょうか」とお尋ねしたところ、北ノ庄城がどのようにして作られたかを一生懸命説明してくださいました。聞いちゃいかんことを聞いちゃったかな…(汗)
そしてその後作られたのが福井城。
立派な石垣と広いお堀が残っており、今では県庁などの敷地になっています。
石垣を眺める亀w
天守閣は北東角に建てられていましたが江戸時代に消失したため現在はありません。
天守台には小さな井戸が作られていました。
脇に立つ看板には「福の井」の表記が。
説明によると、この井戸が「福井」の語源になっているとのこと。ただ、調べてみると福の井の前に福居と名付けられたようです。
元の地名の北ノ庄は「北」の字が敗北などに使われるため縁起が悪いとなり、より縁起の良い「福」が使われたのだとか。その後、お城の井戸が福の井と呼ばれたという順序のようです。諸説あるようですが(笑)
ここで思ったのは、福井以外にも福の付く地名として、福島や福岡があります。それらはどうなのか。福島は島ではないし、福岡も岡(高台)ではなく平野です。
調べました。
まず福島ですが、福島県ホームページに以下のような説明がありました。
信夫(しのぶ)郡は昔、見渡す限りの湖で真ん中に信夫山(しのぶやま)があった。この山には吾妻(あづま)おろしが吹きつけていたため、吹島(ふくしま)と呼ばれるようになった。
その後、長い歳月を経て、湖が干上がり陸地ができ、次々と集落が生まれた。吹島は風が吹きつけることをきらって、吹を福とし、福島と呼ぶようになった。
「信夫伊達風土記」より
他にこんな説明もありました。
語源は「深シマ」。つまり泥が深く水害の多い湿地帯という意味。
次に福岡。
こちらは豊臣秀吉の軍師・黒田官兵衛の子、長政がこの地を治めることになった際、黒田家の出身地である備前(岡山県)福岡から名前を取ったのだそうです。
では、備前福岡の語源は?と思って調べてみましたが、鎌倉時代の国宝『一遍上人絵伝』に「福岡の市」と描かれた物が残っているということは分かりましたが、それ以上のことは分かりませんでしたorz
福井は県庁所在地。
福井駅や福井城周辺は都市化が進みきれいに整備され、高いビルも多く建っていますが、同時に足元の商店街はシャッターが閉まっている所が多く見られました。
駅南側の商店街を一本入ると…
(この感じ、好きです♪)
北ノ庄城や福井城があった頃は京都にも及ばんほどの賑わいを見せた地域ですが、今は少し寂しいところもある様子。
福井を愛する人たちは、柴田勝家公の再臨を願っているかもしれません。
さていよいよキャンプ場へ。
この日は麻那姫湖青少年旅行村。三度目の利用です。
約6万㎡の巨大な敷地にわずか数組の利用という寂寥感バリバリの状況。
サイコーです(笑)
このキャンプ場は昨年の中秋の名月の日に泊まりましたが、その日にここでそらくんが亡くなった連絡を受けた場所です。
この日は満月直前の大きな月が雲に見え隠れしていました。
そらくん、お月様の上で楽しく散歩してるかな。
翌日もいくつかの城跡を巡ろうかと考えましたが、前日の山城攻略で筋肉痛になってしまったため、以前から気になっていたキャンプ場の下見だけして帰ることにしました。
しかしこのキャンプ場が…。
続きは次回!
Posted at 2022/06/15 15:04:37 | |
城めぐり | 旅行/地域