愛知県豊川市にある海軍工廠跡地。
ここは当時「東洋最大規模」と言われた弾薬工場があり、最盛期は5万人の人が働いていました。
残念ながら昭和20年8月7日の大空襲により大半の施設は破壊されましたが、一部に難を逃れた施設が残っています。
現在では敷地の大半は企業の用地となり、僅か3haが記念公園として解放されています。この他、比較的大きな面積を名古屋大学が光電研究所として利活用しており、その敷地は戦争当時の状態がほぼ手付かずで残されているので、年に数回の見学会の時だけ見ることが出来ます。
13時の集合時間には100人近くの見学者が集まり、人気の高さを伺わせます。
名大敷地に入るとすぐに当時の街路灯がお出迎え。
柱はコンクリート製で、送電線は地中にあるのだそうです。
少し進むと名大の研究施設があります。
敷地に入らせて頂くので、研究者の先生から施設の説明がありました。
これは宇宙線をキャッチするアンテナだそうで、パラボラアンテナに換算すると直径60mに相当するとか。近年では可視光による観測に加え電波などの観測が主流になりつつあります。この施設もその1つ。鹿角型に伸びる架台には無数のピアノ線が張られていて、それが宇宙からの電波をキャッチする仕組みです。
すごい!
しかし。
説明後に出た一発目の質問は「この施設が我々の生活にどう役に立つのか分からん!」
明らかにバカにしたニュアンスの言い方。
それでも先生は一生懸命説明してましたが、その途中別の人が「もっと簡潔に説明せよ!」との怒声。
大半の人が眉をひそめていましたが、声の主達は何処吹く風。あんな年寄りにはなるまいと固く誓いました。
先生には是非別の場でお話を伺いたいものです。
さて気を取り直して見学会。
当時の舗装路を進むと、途中に爆撃で倒された街路灯があります。
近くに着弾したのでしょう。人が亡くなっていなければいいですが…。
更に奥に進むと着弾跡がいくつかあります。
250kg爆弾の跡だそうです。恐らく長年の風雨で穴は浅く小さくなっていると思われますが、周囲に散乱したコンクリート建物の残骸がその威力を如実に物語っていました。
その奥には半地下式の防空壕跡があります。
南北数10mくらいに細長く延びており、当時はこの上に板がかけられていたそうです。樹木も当時からこの位置にあったとのこと。
規模的にはさほど大きくはないので、大した人数は入れなかったでしょう。こうした施設が敷地内に数多く作られていたのでしょうね。
先程の着弾跡がすぐ近くにあるので、爆撃中この防空壕に避難した人たちはどれだけ肝を冷やしたことでしょう…。
次に見学したのは材料庫。
小さな建物2つですが、当時この中には火薬の原料などが貯蔵されていたそうです。
戦後は一時鳥小屋として利用されたそうで、建物内のガラクタの殆どはその時のものです。
しかし中にはこんなものも↓
写真では分かりづらいですが、板の表面に火薬の材料名が書かれています。
こんな貴重なものが普通に風雨にさらされてしまう環境に置かれているのです。
いいんかい豊川市教育委員会!?
その北側には高い土塁に囲まれた場所があります。入口だけはコンクリート製。
土塁の内側は草木が茂っています。
ここは第三窒化鉛製造場だった場所。
万が一の爆発の際、爆風が周囲に及ばないように土塁が作られています。
残念ながら爆撃により建物は破壊されてしまっており、土塁の一部にも爆撃による破損が認められます。
最後に立ち寄ったのは巨大な火薬庫。
倉庫全体を土で覆うことにより温度の変化、特に上昇を防ぎ、自然発火などをさせない作りです。
鉄扉には機銃掃射の跡も見られました。
この他、敷地内にはトイレ跡や電柱などもありましたが、いずれも爆撃により破壊されていました。
見学会は毎年冬頃に数回行われますが、見学場所は毎回同じなのだそうです。
説明はボランティアの方々が詳しくしてくださるので、大変参考になります。
今は欧州方面で戦争が行われていますが、言うまでもなく破壊行為からは何の成果も生み出されません。あえて生み出されるとすれば破壊のための技術革新とそれを大きく上回る量の悲しみです。
こうした戦争遺産の見学を通じて不戦の誓いを新たにしました。
Posted at 2023/01/27 21:46:42 | |
ダークツーリズム | 旅行/地域