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ザクとは違うのブログ一覧

2022年10月29日 イイね!

第9号輸送艦製作記(艦尾付近の工作)

前回から1ヶ月近くも間が開いてしまいました。この間、コロナにかかってしまったため進捗が止まってしまいましたが、今週娘がコロナになり、続いてハモン様も罹ってしまったので、がっつり自宅待機することとなり結果的に模型工作生活となりました(苦笑)

前回は艦尾の運搬軌条やり直し予定というところまででしたが、その後結局やり直すことにしました。
その報告前に、いつものように実艦写真を元に考証作業を行います。

第9号の艤装中のものです。画像に示したようなポイントを押さえながら工作することになりますが、ここで注目したのは2つの運搬軌条の中央にある爆雷投下軌条。
今回の考証や工作を行うまで一等輸送艦に爆雷が装備されていたことを知りませんでしたが、Wikiによれば投下軌条の他に手動投下台4台があり爆雷は34個(or50個)を搭載していたのだそうです。
手動投下台は手元の資料ではその位置などを確認できませんでしたが、投下軌条は↑の写真でかなり詳細に分かります。
ただ取り外し式波除けの向こう側がどうなっているか分かりません。図面ではそこに揚爆雷筒の頭部があるはず。また「ローラー?」と表記した装備も詳細が不明です。
同型艦の写真で確認してみましょう。

第1号輸送艦です。爆雷投下軌条のレールより少し低い高さで揚爆雷筒の頭部が確認出来ます。


こちらの艦名は不明ですが、運搬軌条の高さが推定できます。


こちらも艦名不明ですが、揚爆雷筒は1号と同じ位置にあることが確認できます。
これらの情報を元に工作を行います。
まずはボラード・フェアリーダーそして誤って付けてしまった軌条をすべて剥がし、甲板にペーパーを掛けてから滑り止め甲板を施工し直しました。


次にデザインナイフで軌条の位置をマーキングします。


続いてプラペーパーで運搬軌条のレールを作ります。


レール内側には無数のコロが並んでいるので、これを伸ばしランナーで表現します。
適当な長さに切った伸ばしランナーを並べた上から0.3mmプラバンをあてがい、オルファの「別たち」でバッサリ切ると、0.3mmの伸ばしランナーが量産されるという方法。

しかしイマイチ綺麗にできません。
やむなくプラ角棒の壁に0.3mmプラバンを添え、プラバンの厚み分で伸ばしランナーを切ることを繰り返しました。

こうして作ったコロをレールに沿って並べて接着し、反対側のレールを設置するという工程を4本繰り返します。
それが終わったところでレールの高さ調整のためペーパーを掛けました。
修行でした…。
苦行でした…。

その後、いったん撤去したボラードとフェアリーダーを戻し、艦尾端の点検口と思われるものをプラペーパーで設置するとともに、エッチングパーツで爆雷投下軌条も設置しました。

爆雷投下軌条は実艦写真を見ると足の数が少なめです。エッチングパーツは比較的密に配置されていますが、これを修正するのはちょっと大変そうだと思ったのでそのままにしてみました。
なお艦尾端は、甲板の傾斜がきつくなっているため足を伸ばす必要があったので、プラペーパーで作り直しました。

肝心の運搬軌条ですが、プラペーパーという素材の特性上、レールが微妙にうねってしまいました。その他、ツッコミどころ満載の出来上がりですが、ここは膨大な量の精密作業を完遂したという点で努力賞くらいをもらえると嬉しいです(汗)
Posted at 2022/10/29 20:03:55 | コメント(1) | 艦船模型 | 趣味
2022年10月19日 イイね!

四国旅行でのオフりんぐ

先日のブログでも少し触れましたが、四国旅行途中にみん友のシウさんとオフってきました。
事前の連絡では夕方香川に入って「日本のウユニ塩湖」とも言われる父母が浜へ行き、その後飲みオフ、そして翌日は県内観光という予定でした。
特に父母が浜は干潮時間と合っていたので期待していましたが、当日は生憎の雨。なので飲みオフから開始です。
お店はホテル近くの鶏肉料理のお店。
知らなかったのですが、香川のグルメはうどんだけでなく骨付鳥が有名だそうです。勿論お店はそのためのチョイス。
そして出てきました。
どどーん!

そしてシウさんとのスリーショット(笑)

鶏肉は少し濃いめの味付けで、これがまたビールとの相性がバッチリ!あまりの美味しさにバクバク食べてガンガン飲んでしまいました♪
そして会話は弾み、閉店まで。よく飲みよく食べよく喋りました。それでも時間が足りませんでした(笑)

翌朝は7時始動。
朝食はもちろんうどん。


シウさん「チェーン店ですが、ここはやはり美味いんですよ」
確かに他の地方のものとはコシの強さが違います♪

この日の最初の観光地は銭形砂絵。
小高い山に登るとこんな景色が見られます。

シウさん「展望台から見た時に丁度円形に見えるように整形されているんです」
なるほどー。夜間にはライトアップもしているそうなので、デートスポットにもなりそうですね。
展望台には音声解説がありました。

スミマセン、私はこの手の系列に疎いので…(汗)
驚いたのは年2回の大規模メンテを市民がやっていること。縦横約100mもある巨大な砂絵のメンテはたいそう大変だろうと思いますが、それを率先してやるのが観音寺市民「魂」なのでしょう。
銭形砂絵は市民に根付き、市民に支えられているので、観音寺市の象徴のようなものだと感じました。

次は丸亀城。

近隣の駐車場から見上げた時は「小ぢんまりの天守だなぁ」くらいの感想でしたが、中に入ると印象が一変しました。
それはなんといっても高石垣。

残念ながら少し前の災害で大きく崩れてしまい修復中ではありましたが、健在であれば大阪城に次ぐ国内二番目の高さを誇っていました。
工事の様子は公開されており、石垣から取り除いた石が番号順に並べられていたり…

石垣の内部構造が見られるディスプレイがあったり…

なかなか見られない光景に、シウさんと二人でワクワクが止まりません。
さらに歩を進めるとこんな光景も。

下段に乱積み、上段に切込み接ぎというツーショット。乱積みは戦国初期、切込み接ぎは中期以降の積み方です。古い積み方でも新しい石積みの重量に耐えていることになり、当時の技術力の高さが感じらる光景です。
天守は国内に12しかない現存天守のひとつなので大変貴重です。

シウさん「窓などの無い白壁を利用したプロジェクションマッピングもやっています」
うーむ、見てみたい。

お城はこれだけでは終わりません。
観光案内所でお土産を買おうとすると、シウさんからプレゼントが。

ゴトプラ丸亀城2種類です。
ランナー全体で「丸亀」の字を表現しています。この商品、石垣修復プロジェクト支援として、価格の中に石垣修復への寄付金が含まれています。
右側のキットは蓄光タイプで、一時は品切れだったそうです。ラッキー!
ちなみにゴトプラとは「ご当地プラモデル」。お城だと大阪城と丸亀城だけ。世界遺産の姫路城ですらキット化されていません。
凄いぞ丸亀城!

丸亀城、まだまだ終わりません。
お店の一角で団扇職人さんが製作実演されていました。

良い機会なのでシウさんと二人でお話を伺ってみたところ、以下のようなお話が聞けました。
・1つの団扇を作るための工程は75あり、その中には竹を取りに行くことも含む
・1つずつの工程は別の職人が行う
・1つの工程が満足に出来るようになるまで5~10年かかる
・使う道具は職人ごとに微妙に形が異なる
・京団扇は柄が丸いが丸亀は平たい。平たい方が骨を作りやすいので量産向き
・扇状に広がる骨は厚さ0.5mm
・竹は、節間の長さやしなやかさから真竹を使う
などなど…。
凄いぞ丸亀団扇!

職人専用器械を使って目にも止まらぬ速さで0.5mmピッチで骨を切り出して行く様は見ていて惚れ惚れします。
凄いぞ団扇職人!

また、会話を通じて丸亀団扇職人としての誇りも感じました。
店内では職人さんの作った団扇も販売しています。

1つ数千円ですが、決して高いとは思いませんでした。

このあと宇多津町に移動し、塩田跡を見学。
ここの塩田の歴史は明治始め頃から始まります。事業は着々と拡大され、明治の後半には海岸線に長く塩田が続くほどで、まさに国内屈指の塩田のまちでした。
凄いぞ宇多津町!
しかしその後塩の精製に塩田を必要としなくなり、昭和47年に操業停止。現在は復元塩田での体験が行われています。
公園内には当時の建物が再現されていました。


これも1つの歴史ですね。

そんなこんなでシウさんによる香川観光案内は終了。足掛け2日間の行程は大変濃密で、しかし大変短く感じました。飲みではシウさんの人徳を再認識し、観光ではシウさんの強い地元愛を感じることが出来、その意味でも有意義な時間でした。

でもまだまだ香川には見どころがたくさんある様子。次回は丸亀城石垣修復完了時になると思います。
シウさん、ありがとうございました。
そして次回も宜しくお願いしますm(_ _)m

フォトアルバム
丸亀城
銭形、塩田など
Posted at 2022/10/19 21:11:06 | コメント(2) | まちあるき | 旅行/地域
2022年10月14日 イイね!

ここ最近で行った場所

10月初めの三連休を使って4泊5日の行程で四国1周旅行に行ってきました。
実はその前の週にも1泊キャンプに行っているので、ブログに残しておきたいテーマがてんこ盛りです。
これらを先回のようにテーマ別に分けて記録していくのがよいのですが、とてもその時間と手間をかけている余裕がありません。なのでコンテンツとそれに関する若干のコメントだけをこのブログに記し、細かい情報などはフォトアルバムに譲ろうと思います。
※ブログで語らない分、フォトアルバム内で膨大かつ貴重な写真とともにがっつり語りまくっていますので、ぜひご覧くださいませm(_ _)m
では時系列で。

◆キャンプ
愛知県渥美半島の先端にある「旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場跡



いずれも個人所有となっていますが、当時の形をほぼ留めていました。より組織的体系的な保存が望まれます。
・フォトアルバム「旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場跡

愛知県豊橋市の「二川トーチカ

これも個人所有です。民家が立ち並ぶ中に突然現れます。一つだけ作られたはずは無いので、他にもあったはずですが…。
フォトギャラリー「二川トーチカ

吉田城


一時、徳川家康が領有しており、出世城とも言われています。

この城はかつて陸軍の歩兵連隊跡でもあったので、門柱や歩哨などが残っています。



私と同目的で訪れた人がいて、一生懸命撮影していました(笑)
フォトアルバム「吉田城・陸軍連隊跡

愛知県豊川市の「豊川海軍工廠平和公園
当時国内最大だった、機銃やその弾丸を製造する工場群がありましたが、昭和20年8月の大空襲で殆どが消失してしまいました。
ごく一部焼け残った建物などを当時のまま保存しています。



無料のガイドボランティアに説明してもらえますが、まだお若い女性の方からマンツーマンでお話を聞くことが出来ました。
貴重な施設が残されていることに驚くと共に、悲しい歴史があることも知ることが出来ました。オススメ施設です。
フォトアルバム「豊川海軍工廠平和公園

キャンプ場は蒲郡市の「さがらの森」。

水道が雨水利用なので水持参必須ですが、なかなか良いキャンプ場でした。リピートすると思います。
フォトギャラリー「さがらの森

◆四国旅行初日
お昼頃出発し、高速で一路西へ。
途中渋滞もあまりなく、夕飯は淡路島のSAでうどんを食べました。

おまけで「阿波おどり専用」ドリンクがもらえました♪

この日は愛媛県の桜三里PAで車中泊。

◆2日目
湯築城


戦国時代は河野氏が居城としていました。日本百名城のひとつです。
フォトアルバム「湯築城

伊予松山城




こちらも百名城であり、かつ現存12天守のひとつでもあります。
この城は櫓があちこちに多数設置されているため、色んな角度から複数の櫓を一枚の写真に収めることが出来、かなりの壮観でした。
お気に入りの城のひとつになりました。
フォトアルバム「伊予松山城

第343海軍航空隊跡(現・松山空港)

松山空港近くに石碑が立てられています。
終戦間際、硫黄島などから呉軍港へ飛来する米軍機迎撃のため源田実大佐が精鋭戦闘機乗りを集めて作ったのが通称343空。主力戦闘機は紫電改です。
ここにはその掩体壕が完全な形で残されていました。


フォトアルバム「第343海軍航空隊跡(現・松山空港)

大洲城、宇和島城、河後森城



大洲、宇和島はいずれも築城名人とも言われる藤堂高虎が作った城で、百名城のひとつです。宇和島は現存12天守のひとつでもあります。
河後森城は続日本百名城のひとつです。馬蹄形の縄張りになっており、防御力の大変高い城だと感じました。
フォトアルバム「大洲城」「宇和島城」「河後森城

◆3日目
宿毛湾




海軍の泊地だった場所です。
ここは少し語りたい部分なので、別稿を立てるつもりです。
フォトアルバム「宿毛湾

紫電改展示館

松山の343空で活躍した局地戦闘機紫電改の実機が展示されています。日本にある実機はここだけです。
フォトアルバム「紫電改展示館

高知城

百名城であり、かつ現存12天守のひとつでもあります。
フォトアルバム「高知城

◆4日目
この日はみん友のシウジィさんと丸亀城などを回りました。詳細は別途ブログを立てます。
シウさんと別れた後は玉藻城(松山城)を見てから、瀬戸大橋経由で岡山に渡りました。

鶉野飛行場跡


かつて海軍の練習航空隊が設置された場所で、掩体壕などが残されています。
近くの施設には紫電改の模型などが展示されています。現地到着が日没後だったので、出来れば再訪したいものです。
フォトアルバム「鶉野飛行場跡

◆5日目
三木城、花隈城


三木城は「三木の干殺し、鳥取の飢え殺し」とまで言われた秀吉による城攻めのあった場所です。花隈城は神戸のメリケンパーク近くにあり、石垣などが再現されています。
フォトギャラリー「三木城」「花隈城

戦没した船と海員の資料館




民間船版大和ミュージアムとも言うべき素晴らしい施設です。決して広くはない館内に、会員の方々が血のにじむような努力をしながら収集された大変貴重な資料が膨大に蓄積されています。
民間船を模型で作る予定は現時点でありませんが、そのようなチャンスがあれば必ずここで調べ物をしてから作ることになると思います。
会員の方との会話は大変興味深いものばかりで、滞在2時間が非常に短く感じられました。
フォトアルバム「戦没した船と海員の資料館

かなり駆け足ですが、以上となります。
特に四国や岡山などは我が家から相当な距離があるので移動時間や距離もかなりのものでした。そのため日程が詰込み式になったのはやむを得ないところです。
ただ今まで行きたいと思っていたところの多くに行き、現場の迫力を感じることが出来たのは大収穫でした。
ちなみに四国旅行の総走行距離は1600km。

1900kmの佐世保往復、1800kmの種子島・内之浦に次ぐ長距離ドライブでした。
はー、疲れた。
でもまだまだ行きたいところがいっぱい。
これからも走りまくるぞー!
Posted at 2022/10/15 22:41:07 | コメント(4) | ダークツーリズム | 旅行/地域
2022年10月08日 イイね!

入社30周年旅行(城跡編)

普段なかなか行くことの無い関東方面なので、城跡も少し見てきました。
エリアは茨城県土浦のあたり。
土浦城も見ましたが、なんと言っても素晴らしかったのは小田城!
城跡近くに小さな資料館があり、車もそこに停められます。


数分歩くと高い土塁と深い堀がどどーん!

おーっ、これはなかなか♪
この時点でかなり期待度が高まります。
ぐるりと回って大手門に行くとそこには大きな馬出しも。

もちろん周囲は高い土塁が切り回してあります。

ここは発掘作業が丁寧になされた結果、かなり広大な範囲に縄張りがされており、本丸内でも屋敷がいくつも建っていたり、庭園まで作られているなど、かなり豪壮な作りだったようです。また近年の発掘では障子堀もあったようで、技巧的な作りでもありました。

ではここの城主は誰か。
その名の通り小田氏なのですが、戦国末期に北条氏に攻められて城を奪われてしまいました。
小田氏としての最後の城主は小田氏治ですが、実はこの人すごいんです。
「戦国最弱」とまで揶揄されるし、家臣にも一騎当千の言うほどの物凄い武将がいる訳でもありませんが、北条や上杉との戦いで城を奪われても取り返し、また奪われては取り戻す。資料によっては9回も繰り返したという記録もあるそうです。
通常、一度ならず二度までも城を取られては、配下の者が付いてきません。しかし氏治は何度もリベンジを果たしています。つまりかなりのカリスマだったのでしょう。それゆえ「常陸の不死鳥」という異名も持つほどです。
小田氏は鎌倉時代に守護職も務めた名家。その名声がカリスマの根源だったかもしれませんが、だとしても氏治本人の力量がなければここまで旧領を取り返し続けることは難しかったでしょう。
そう思うと、地域の方々の努力できれいに整備されているこの城が何倍にも魅力的に思えます。見学中ずっと「おー、すげー」を連発してましたw
好きな城のひとつにこの城を加えようと思います(^^)


城跡もうひとつ、江戸城です。
江戸城と言うと皇居を中心とした堀と石垣で囲まれたエリアのイメージですが、実際の縄張りは城下町を含めた広大な地域(総構え)です。現在のエリアだけでも一通り見て回ろうとすると丸一日がかりになると思われるので、今回は北の丸中心に見学しました。

当初の築城主・太田道灌の頃はまだ鉄砲が普及していない時代でしたが、徳川が江戸城を作り直した頃は鉄砲全盛期。よって堀の幅は広く石垣も高いです。
そんな石垣を登ると太平洋戦争時代の名残が見つかります。

千鳥ヶ淵陣地九八式高射機関砲台跡です。
帝都防空のため昭和19年に設置されたもので、砲が据え付けられていた部分には化粧板が張ってあり、小休憩できるようになっています。
しかしこれらがそういう謂れのあるものだという説明板などは設置されていないので、多くの人はそうと気付かないでしょうね。
ちなみに敵機に当たらなかった弾はそのまま民家に落下し死傷者も出たようです。

そこから少し東に歩くと、旧近衛師団司令部庁舎があります。

都内に残っている明治のレンガ建築物は多くなく、この建物も貴重であるとして国指定重要文化財に指定されています。

しかしここは「宮城事件」の現場となったところ。終戦間際、政府がポツダム宣言受諾の方向と知った陸軍将校の一部が近衛師団長に徹底抗戦を主張しクーデター参加を迫るものの断られ、師団長を殺害したというものです。そして偽の師団長命令を出して宮城(=皇居)を占拠し玉音放送阻止を狙いますが、軍によって鎮圧されました。
そんな悲しい歴史が隠されています。

広島城も日露戦争時に大本営が置かれた時期がありました。他にも様々な城が戦争時に軍事利用されています。
城跡自体が大切な遺産なので、こうした愚行は二度と行ってはなりませんね。

一時は東京国立近代美術館工芸館として利用されていましたが、現在は撤退され敷地内立入禁止となっています。
こうした貴重な建物は出来れば近くで見てみたいものです。

今回の城跡巡りはこんな感じ。
やはり小田城は圧巻でした。フォトアルバムの写真の数が物語っています(笑)
Posted at 2022/10/08 20:44:55 | コメント(0) | 城めぐり | 趣味
2022年10月08日 イイね!

入社30周年旅行(宇宙編)

重たい話ばかりの続いたダークツーリズム編でしたが、今度はポジティブな話を。
今回の主目的地の1つが茨城県のつくば宇宙センターです。
2016年2月にJAXA相模原キャンパスは行っており、5年前のWロケット発射場ツアーでは、鹿児島県内之浦と種子島の発射場を見学しました。国内最大のパラボラアンテナ(臼田、美笹)も行きました。しかし国内ではやはり筑波が中心。以前からいつかは行きたいとずっと思ってきました。
我が家から現地までは片道400km。しかもその途中に複雑極まりない迷路・首都高速があります。実は私、この歳になるまで首都高バージン。途中のSAで長めの休憩をとって、深夜0時過ぎに首都高突入!
この時間でもこんなに混んでるの!?と思うほど車の数が多く、しかも短距離の間に次々と分岐が来ます。その都度車線を適切に選択しながら、ナビを確認しながらの深夜ドライブは滅茶苦茶神経を使いましたorz

しかし苦労した分、筑波では気合い爆裂!


決して派手ではない入口を入っていくと正面にJAXAと大書された高層ビルが!
そしてその手前にはH2型ロケット(本物)が!

このショットは映えますね~。
「宇宙兄弟」でも六太たちがこの角度で集合写真を撮ってました。

せっかくここまで苦労してきたなら、やはり場内案内ツアーを申し込むべし!
種子島でもそうしており、実際JAXA職員を質問攻めにした履歴があります(笑)
そして受付へ。

ガーン(꒪⌓꒪)
事前リサーチが不足していましたorz
仕方ない、展示館を眺めて帰るか。また機会があれば来ればいいし。ということで次に訪れたのがプラネットキューブ。

中に入ると…

おーっ、相模原より規模が大きい!展示の数が多い!来客数がたくさん!
興奮を抑えながら順路最初の方の人工衛星を見ていると、すぐ向こうに人だかりが。よく見ると場内案内ツアー(無料)でした。
こりゃ好都合ということで、早速輪の中に入って拝聴します。
そこで聞けたことの一部を紹介しましょう。

・人工衛星表面に貼り付けられた金色の素材はサーマルブランケットと言うが、断熱素材を20枚くらい重ねたもの。これは衛星本体とマジックテープで留めてある。宇宙には空気抵抗がないのでその程度の接続力でも外れない


・3.11の東日本大震災時には携帯電話での通信が必要だったが、地上携帯基地局が壊滅状態だったので、衛星経由で電波を伝えた。ただ携帯の電波は微弱なので、衛生の受信アンテナを半球状に大きく広げた


・ISS(国際宇宙ステーション)でのコップ1杯の水の価格は30~40万円。現在ではおしっこも濾過して飲水に再利用している。それまでは宇宙に放出していたが、放出直後に氷になって飛散するのでキラキラ光っていた。当時これが何か分からず、「宇宙ホタル」と呼んでいた。なお大は放出するとデブリとなって衛星を破壊するので地上に持ち帰るか、他のゴミとともに大気圏に突入させて燃やす


・HTV(こうのとり)のペイロードのうち与圧部は、現在は全体の一部のみだが、ロシアISS撤退により輸送機が無くなるので、HTV与圧部を拡大する計画あり


・世界のロケット発射場は出来るだけ赤道近くに作っている。これは地球の遠心力も利用して打ち上げるから。日本の発射場が沖縄に無いのは、沖縄返還前に建設したから

・展示している衛星は全てフライトモデル。即ち打上げ用衛星がトラブルで使えなかった際の予備機。本機打上後の予備機は本機のシミュレーターとして活用される

・当初に開発した衛星は、機体を回転させることで姿勢制御していた。現在はスラスターやリアクションホイールを利用

・どの衛星も実験的な要素が盛り込まれている。きく5号の場合は機体の分離と再合体の試験。この成果をHTVへ活用した


・折り畳んで格納されていた太陽電池パドルが何らかの理由で開かない時は、衛星をスピンさせて遠心力で引っ掛かりを取る方法もある

・N型ロケットは元はアメリカのICBMなので図面を見るななどの制限が非常に多くてうるさかった

・ドラマ「下町ロケット」の帝国重工のラボの撮影のため、展示してあるロケットエンジン・LE7を持っていった。その間、そこには写真パネルを置いた

・H3ロケットのLE9(新型ロケットエンジン)はなんとか年度内に打上げたい!

他にもたくさんの話を聞きました。あまりにも楽しかったので、一通り聞いたあと、次の回にも参加しました(笑)
この手の説明は説明者によって力点の置き方や切り口が変わるので、説明者の数だけ参加出来れば完璧です。
今回は1人目の方は地球温暖化について熱弁されていましたし、2人目の方はISSを多めに解説してくれました。説明中、参加者からは「へー」「そうだったんだー」などの声が聞こえてきます。そして説明が終わると参加者全員から万雷の拍手。
そしてその後も参加者から説明者への質問攻撃。見ると、どの参加者もすごく楽しそうで、目がキラキラ輝いているんですよね。
宇宙はロマンだ、などと言いますが、こうした光景を見るとそうなんだろうなーという気もします。
ただ一方で地球温暖化対策、自然災害への対応、無重力空間の活用検討など、様々な現実的な課題への解も具体的な成果として求められます。NASAに比べると遥かに少ない予算で、数少ないプロジェクトにできる限りの実験要素を盛り込んで少しずつ前進し、JAPANスペーステクノロジーと言えるような独自のノウハウを今後も蓄積していってほしいものです。

なんてことを考えながら展示館を後にして、物販コーナーへ。いろいろ目移りしましたが、JAXAのロゴが入ったTシャツとポロシャツを買いました!

ここまででつくば宇宙センター見学は終了ですが、宇宙ネタをもうひとつ。
旅程はこの翌日に東京、その次の日に静岡へ行く予定でしたが、台風15号により静岡県内の高速が通行止めになってしまいました。やむなく中央道経由で帰ることにしましたが、せっかくならどこかに立ち寄りたい。
実はつくぱの展示の中に長野県佐久郡美笹にある54mパラボラアンテナの説明がありました。既に全ての工事が終わったとのこと。こうした施設でよくあるのは小規模な展示施設の併設です。同じ佐久郡の臼田宇宙線観測所(64mパラボラ)などでは写真入りのカードを配っていたりします。ということで現地へ。
途中、渋滞に巻き込まれながらもお昼頃に到着。些か曇りがちではありましたが、愛車イフリートカスタムとのツーショットが撮れました♪

しかし残念ながら展示施設は無しorz
時間があればコーヒーを沸かしてパラボラを見ながら飲むというのもやってみたかったのですが…。

その夜は最近お気に入りの大博士キャンプ場で1泊。夜半までは雲で星空は望めませんでしたが、夜中にトイレに起きた時には冬の代表的星座・オリオン座がキレイに見えました♪

ということで宇宙編おしまい。
国内のメジャーな宇宙関係施設は粗方見学できました。残るは北海道大樹町のスペースポート(宇宙港)かな(爆)
Posted at 2022/10/08 19:10:22 | コメント(3) | 宇宙ネタ | 旅行/地域

プロフィール

「第19号輸送艦(捕鯨母船)の製作(船体工作の続き) http://cvw.jp/b/488285/47669612/
何シテル?   04/21 15:51
模型工作とキャンプが大好きなヘタレをやぢです。 私がフォローする方には2種類あります。 一つは「以前からのみん友さん」 もう一つは「ちょっと興味を持っ...
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