地味な船体工作はもう少し続きます。
今回はまず舷窓の施工。
龍田の舷窓位置は明確にわかる写真や図面などがないため、天龍と同じ状態とするしかありません。幸いその位置図は燕雀洞に掲載されています。
今回は戦争後半を再現するので、舷窓の大半は閉塞された状態とします。
史実ではS18年2月の舞鶴入渠時に中甲板以下を閉塞していますが、さらにその上の一部も閉塞されたものとして作ります。
その表現としてドリルで開けた穴にプラ棒を刺し、0.1mmプラペーパーを左右に置いて切断することでわずかな凸を作ります。
この試作でうまくいったので、龍田船体へ施工しました。
舷窓の大きさは「軍艦メカニズム図鑑・日本の巡洋艦」によれば350mm(倉庫等は200~250mm)なので、1/700で0.5mmです。
盲蓋は舷窓より少し大きいので、0.7nnの穴に0.6mmのプラ棒を刺すのがよいでしょうが、なんとなく大きすぎる印象だったので、0.5mmプラ棒にしました。
これをひたすら繰り返して前後左右に開いた舷窓と閉塞された舷窓を施工します。その結果がこちら↓
直線的に並んだ舷窓の姿を見ると、苦労して施工した甲斐があったと思います(^^)
さらに舷外電路を施工します。
燕雀洞によれば電路の幅は0.4mmくらいだそうなので、そのようにプラペーパーを切り出して貼り付けました。
電路は甲板のヘリと舷窓の間に設置されていますが、舷窓の開口位置が甲板に近すぎたので電路設置場所に余裕がなくなってしまいましたorz
次は艦首の甲板。
鉄甲板とリノリウム甲板の境目の形状は、キットでは後ろ向きの凸のようになっていますが、以下に示す天龍の画像からはもう一段角が作られている(赤ライン部)ようです。
なおこの画像から分かるように、艦首鉄甲板には滑り止め鋲が設置されていないようです。
艦首が切り裂いた波をモロにかぶる場所ですが、無くてもいいのでしょうか??
今回の製作では舳先を、凌波性向上のためスプーンバウから直線的なラインに改装したこととしているので、これに併せて滑り止め鋲を設置したとしてもよいのですが、後述するように鋲の設置はなかなか大変なので躊躇します(^^;)
ということでとりあえず鉄とリノリウムの境目を施工。
船首楼甲板後端には小さな凸部があります。
キットでは後ろ向きの台形ですが、学研「真実の艦艇史2」に掲載された写真からは後端が円弧を描いていることが分かるので、そのような形状としました。
ちなみに↑の実艦写真では左端のハンドレールが途切れた右側に、その下の甲板に降りるための階段が設置されていると考えられます。この施工はまた後日。
天龍型の上甲板は全面リノリウムだったようですが、今回は艦尾付近に大量の爆雷投射機を設置する予定なので、その部分を鉄甲板にします。
そのスペースの投射機や投下軌条が設置される場所以外には滑り止め鋲を施工します。
鋲は長さ200mm、600~650mm間隔で斜めの互い違いに設置され、その角度は100°だったようです。(軍艦メカニズム図鑑・日本の巡洋艦より)
よってまずはそのラインをプラペーパーに描きます。
このあと超極細伸ばしランナーを貼り付ける作業に移ります。
駆逐艦竹でも同様の施工をしましたが、一部の方から「狂気の沙汰」とお褒めの言葉をいただきました(爆)。
施工範囲は限られるものの、地味な作業を根気よく続けることになります。
頑張れ、オレ!
とりあえず今回の製作報告はここまで。
このあとは艦橋や煙突を作っていくことになりますが、艦橋にかかる検討を行ったのでその報告をしておこうと思います。
燕雀洞の以下の記事では、龍田の艦橋前面についての検証が行われています。
「スカイウェーブジャーナルNo.6」の「天龍型」の記事を検証する – 1/700で天龍型軽巡をつくる: 15
スカイウェーブジャーナルには畑中省吾氏の「天龍と龍田の識別点の一つとして羅針艦橋前端が平坦でやや前傾しているのが天龍、半円で垂直に立っているのが龍田」という意見が掲載されているそうです。
これについて燕雀洞読者の篠崎敏彦氏の「天龍と比較した結果、龍田羅針艦橋前面は少し丸みを帯びているのでは」との意見があると紹介されています。
これについて燕雀さんは、龍田の写真2枚↓から天龍同様角ばった前端で、司令塔と同ラインでないかと推定しています。
(↑の2つの画像はいずれも燕雀洞より転載しました。)
当時の写真がどれも不鮮明なので、どの意見も一理あるように思います。
そこで自分なりの検討を行ってみました。
まずはS13年頃の龍田の写真↓
前マスト三脚部の後ろ2本が重なっていないので、完全な真横から撮影したものでないと思われます。
ただ、舳先が左右どちらに振った状態なのかまではわかりません。
次にS16年夏頃の龍田の写真↓
これも真横でなく、少し斜め前からの撮影。
小さな青ラインで示したように羅針艦橋天蓋前面が濃い直線状になっており、その後ろとの色の境目も割と明確なことから、少なくとも羅針艦橋前面は円形や丸みを帯びた台形などではなく、角のある台形でないかと見ました。
また羅針艦橋下の影の位置は艦橋真正面の中央あたりに落ちているように見えます。
↓は竣工時の天龍艦橋の図面(アジ歴より)です。
天龍の艦橋は羅針艦橋前面が少しすぼまったような形状になっていますが、これをそのままに垂直に落とした作りとしたのが龍田の艦橋だったのではないでしょうか。
ただしこの場合、S13の龍田の写真の説明がつかなくなります。
あくまでも私見の域を出ませんが、この写真は逆光気味のため背景の空と艦とのコントラストが強めになっています。海面の照り返し方を見ると写真中央少し右上方に太陽があると思われ、そうであるならば特に艦橋周辺はさらにコントラストが強くなっている可能性があるのではないかと。
そのコントラストの強さに当時の撮影機材等の表現力が追いつかず、細かいディテールが潰れてしまったのではないでしょうか。
ん~しかし若干我田引水な気もしなくもないですね…。
まぁ、明確に正解が判明している部分ではないので、あまり泥沼にはまりこまないようにしつつ「自分なりの龍田改二」を作っていこうと思います(笑)
Posted at 2021/04/24 15:07:01 | |
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