2026年09月30日
海軍の将官で「こいつはダメ」というのは何人かいるが、陸軍の牟田口廉也のように四方八方どうにも救いようがないというのは見当たらない、(^_^;)😇😅🛳️。いずれも海軍のシステムやら巡り合わせの犠牲になったところもあるが、それでもこいつはダメというのは嶋田繁太郎だろう、(--〆)🤬😠😅。
嶋田は対米戦開戦時の東條内閣の海軍大臣で当時は海軍も「対米戦をやれば負ける」と分かっていても責任回避や組織防衛のために「開戦やむなし」状態だったが、嶋田は東條英機に迎合して対米戦開戦を何ら防止することなく戦争に突入、日本を破滅させた、(--〆)🤬😠😅。嶋田は対米戦をやれば負けることは分かっていただろうが、対米戦開戦に反対した際の混乱の責任を取ることを嫌って何ら防止することなく戦争に突入した、(--〆)🤬😠😅。
その後も東條に習って軍令部総長を兼務するなど東條に結諾々と従って東條の副官と言われた、(--〆)🤬😠😅。東條内閣崩壊後は軍事参議官などの閑職を経て昭和20年1月に予備役に編入、海軍を退職したが、戦後の東京裁判で起訴されると膨大なメモを使って自己弁護を展開して死刑回避を試みた、(--〆)🤬😠😅。
裁判で堂々と自己の意見を述べる東條英機と異なり嶋田はひたすら自己弁護に努めて他の被告たちと衝突したが、開戦時の海軍大臣として責任を取ろうという意思は欠片もなかった、(--〆)🤬😠😅。そして一票差で死刑を免れると死刑判決を受けた者たちの前で生き残ったことを高笑いして喜んだ、(--〆)🤬😠😅。あれほど付き従った東條英機に対する同情の欠片もなかったことが、反発をかった、(--〆)🤬😠😅。戦後海上自衛隊の練習艦隊出港の壮行会に出席して祝辞を述べたことを井上成美が知ると「恥知らずにも程がある。人前に顔を出せる立場だと思っているのか」と激怒したという、(--〆)🤬😠😅。
嶋田と同様に東京裁判で起訴された対米戦開戦当時の軍令部総長の永野修身は裁判で「開戦の全ての責任は自分にある。他の者は最高責任者の自分の決断に従っただけで責任はない」と申し立てて責任を一身に背負って死ぬ覚悟をしていたことは評価に値するが、嶋田は全ての責任を他人になすりつけて自分だけが助かろうとしたことは嶋田の評価を落としてこれを擁護する意見はない、(--〆)🤬😠😅。嶋田繁太郎は国家の命運を左右するような時局の指揮官としての大局観もなければ主体性もない将官だった、(--〆)🤬😠😅。
Posted at 2026/09/30 18:17:24 | |
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軍事 | 日記
2026年09月30日
牟田口廉也という陸軍将官がいた、(--〆)🤬😠😅。盧溝橋事件では独断専行して中国軍に反撃して日中戦争のきっかけを作った、(--〆)🤬😠😅。太平洋戦争ではマレー作戦に従事してそれなりの戦功を挙げている、(^_^;)😇😅。そして1944年にビルマからインドに侵攻するインパール作戦を実行しようとしたが、補給が続かないこと、雨季か近づいていることなどを理由に参加部隊指揮官や軍団参謀は軒並み反対したが、牟田口廉也は「牛に物資を運ばせて不必要になった牛は食糧にしろ。英軍は士気か低いので3週間で片が付く。物資は英軍から奪え」と言って強引にインパール作戦を強行した、(--〆)🤬😅。
しかし牛は思うようには進まず川で流されたり山岳地帯で崖から落ちて物資とともに失われて雨季に入って川は増水して仮橋や筏は流されて山岳地帯の道は泥沼化して日本軍は補給も退路も断たれた、(--〆)🤬😅。それでも佐藤師団は驚異的なスピードで進軍してインパールへの補給路であるコヒマを抑えて2か月間持ち堪えたが、佐藤師団長は補給がないことに激昂して独断で後退、他の参加師団も退却、戦線は崩壊した、(--〆)🤬😅。
退却も英軍の追跡を受けながら泥濘化した山岳地帯や増水したチンドウィン川の渡河で多数の兵員を失いインパールからの退路は白骨街道と呼ばれる凄惨な状態だった、(--〆)🤬😅。その間牟田口司令官は自分の言うことを聞かない師団長を解任、自身は後方で毎日芸者を挙げて飲み食いしていたという、(--〆)🤬😠😈。
インパール作戦は参加兵力10万の半数を失い失敗したが、牟田口は「物資は敵から奪え。武器がなければ手足を使え。死んだら幽霊👻になって敵を倒せ」と精神論ばかり強調して自分は司令部の敷地に礼拝所を作って毎日戦勝祈願をしていたという、(゜o゜;🤬😅。
インパール作戦は佐藤師団の善戦や宮崎兵団の奇跡的な撤退戦などもあったが、太平洋戦争中最も愚かな作戦という評価を受けた、(--〆)🤬😅。しかし牟田口司令官は「作戦が失敗したのは部下の敢闘精神が足りなかったから」と全ての責任を部下に押しつけて戦後もひたすら自らの正当性を主張し続けた、(--〆)🤬😅。
補給の問題や精神論は日本陸軍全ての問題で牟田口司令官だけが異常だったわけでもないが、部隊の最高指揮官として補給についてできる努力をしなかったことや作戦失敗の責任は最高指揮官が取るべきところを全てを部下の責任として省みるところがなかったことは何とも見苦しい限りであった、(--〆)🤬😅。
戦後は戦犯としてシンガポールで裁判を受けたが、「愚かな作戦を実行して日本軍の崩壊を早めた」というわけの分からない理由で無罪となって帰国している、(--〆)🤬😅。「責任は全て本職にある」と言って常に部下を庇い続けた今村大将とは天と地ほども違う見苦しさでまさに陸軍最悪の指揮官だったと言えるだろう、(--〆)🤬😅。階級と立場は取るべき責任の範囲と重さを示したもの、そんなことも分からない者が総指揮官として作戦を指揮した悲劇の結果がインパール作戦だった、(--〆)🤬😠😅。
Posted at 2026/09/30 18:15:59 | |
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軍事 | 日記
2026年09月30日
太平洋戦争当時陸軍の将官で今村均という人がいた、(^_^;)😇😅。この人は第16軍司令官としてジャワ攻略を指揮したが、英国駐在歴などがあり極めて合理的かつ理論的思考の持ち主で兵站補給を重要視したという、(^_^;)😇😅。また占領地域住民の生活や安全を考慮して地域住民にも慕われたそうだ、(^_^;)😇😅。
その後第8軍司令官としてラバウルに赴任、ラバウルでは遠からず補給が途絶えることを見越してサツマイモ、タピオカ、サトウキビ、野菜などの栽培を奨励、1人1反を耕すように指示して自らも司令部脇の土地を耕したという、(^_^;)😇😅。さらには10万将兵の中から様々な産業に従事していた者を選別してビール、タバコなどの嗜好品、布類、燃料、石鹸、さらには医薬品まで製造させたそうだ、(^_^;)😇😅。また破壊された兵器を再生して武器弾薬まで自作していたそうだ、(^_^;)😇😅。
今村司令官の最も重視したのは『部下を失わないこと』でそのために様々工夫しながら部隊を維持したそうだ、(^_^;)😇😅。戦後進駐してきた米豪軍は『日本軍は飢えてボロボロだろう』と高を括って3千人ほどの部隊で進駐してきたが、栄誉状態のいい小ざっぱりした服装の日本兵が10万人もいて腰を抜かすほど驚いたそうだ、(^_^;)😇😅。
また数百キロに及ぶ地下陣地や大量の武器弾薬まで保有していて数年は戦えるほどの備蓄があったという、(^_^;)😇😅。さらには復員船が来るのが遅れると100トンから150トンの木造機帆船を作って日本に帰ろうとしてオーストラリア軍に止められたそうだ、(^_^;)😇😅。オーストラリア軍司令官は「これほどの士気と統制が取れた武器弾薬や食糧も豊富な10万の部隊がなぜ戦わずに降伏するのか理解に苦しむ」と語ったそうだ、(^_^;)😇😅。
戦後戦犯として起訴されて禁固10年の判決を受けたが、本来巣鴨で刑期を送るはずが、地獄と言われたマヌス島の収容所での服役を希望して同所に収容された、(^_^;)😇😅。戦犯裁判では責任を逃れようとする士官が多い中で「全ての責任は司令官であった自分にある。責任のある者が東京でぬくぬくと刑期を過ごしているわけにはいかない」と語ってマッカーサーにマヌス島への移送を懇願してマヌス島収容所に向かったそうだ、(^_^;)😇😅。
収容所は荒れ果てて暴動寸前だったのが、今村司令官が来ると収容されている日本軍の雰囲気は一変してラバウルの時のように開墾や生活改善のための作業に勤しむようになって秩序や士気も回復したという、(^_^;)😇😅。これを見たマッカーサーは「日本に来て初めて本物の武士道に触れたような気がする」と今村を称賛したという、(^_^;)😇😅。
刑期を終えて帰国した後も自宅の庭に陸軍刑務所の独房を模した四畳半を建ててそこで自活して反省の日々を送り著作物の印税などは全て戦死した部下の遺族のために使って公職や高額な年金などは「多くの部下を死なせた自分にはそんな贅沢な暮らしをすることなど許されない」と言って全て拒否したという、(^_^;)😇😅。そして死亡するまで部下や戦死した部下の遺族に寄り添って贖罪の生活を続けたという、(^_^;)😇😅。
Posted at 2026/09/30 18:14:02 | |
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軍事 | 日記
2026年09月27日
WEC富士6時間耐久レース🏁は残り1時間を切ってホームストレートでLMGT3クラスの2台が大クラッシュ、セーフティカー導入中にピットレーンがオープンすると各車一斉にピットイン、6番手でピットインしたトヨタ8号車は給油量を最少にしてトップでコースに復帰、2番手はBMW15号車、以下アルピーヌ35号車、アストンマーティン9号車、アルピーヌ36号車、キャデラック38号車、プジョー94号車、キャデラック12号車と続いた、(^_^;)😇😅🏁。
その後アルピーヌ36号車がBMWをかわして2位に浮上、スピードで優るアルピーヌがトヨタ8号車をテールトゥノーズで追い詰めるも8号車平川がアルピーヌを抑えてトップでゴール、優勝🏅を飾った、ヽ(^。^)ノ😇😅🏁🏅。まさにレース🏁は何が起こるか分からないを地で行ったような結果だった、(^_^;)😇😅🏁🏅。
しかしコースを席巻して最後まで速さを見せつけたのはアルピーヌだった、(^_^;)😇😅🏁🏅。まさにトヨタにとっては降って湧いたような優勝🏅だった、(^_^;)😇😅🏁🏅。2位はアルピーヌ36号車、3位はBMW15号車、以下アルピーヌ35号車、キャデラック38号車、プジョー94号車、キャデラック12号車と続いた、(^_^;)😇😅🏁🏅。
トヨタ7号車は8位でフィニッシュした、(^_^;)😇😅🏁。トヨタにとっては8号車が優勝、7号車もポイント圏内で万々歳だろう、ヽ(^。^)ノ😇😅🏁🏅。
Posted at 2026/09/27 21:35:25 | |
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自動車 | 日記
2026年09月27日
今日はWEC富士6時間耐久の決勝で4時間半くらいまでアルピーヌが1-2だった、(^_^;)😇😅🏎️。アストンマーティンも1時トップに出たが、ピットレーン違反でドライブスルーペナルティを受けて後退してしまった、(^_^;)😇😅🏎️。それでもけっこう速いので初表彰台に行くかもしれない、(^_^;)😇😅🏎️。キャデラックも速い、(^_^;)😇😅🏎️。
フェラーリ、BMWは下位に沈んでパッとしない、(^_^;)😇😅🏎️。トヨタは4、5、6、7、8位辺りを上がったり下がったりしている、(^_^;)😇😅🏎️。どうも直線でのスピードが今一つでブエミも「ストレートでできることは何もない」と言っている、(^_^;)😇😅🏎️。ジェネシスマグマレーシングもそこそこ頑張っている、(^_^;)😇😅🏎️。
もう間もなくレース🏁は終わるが、結果はどうだろうか、(^_^;)😇😅🏎️。トヨタはポイント圏内に2台が入れば上出来だろう、(^_^;)😇😅🏎️。マニュファクチャラータイトル争いをしているBMW、フェラーリがポイント圏外なので少しでもポイントを重ねて差を広げたいところだろう、(^_^;)😇😅🏁。
ところで今日のレース🏁はけっこう荒れている、(^_^;)😇😅🏁。スラッシュやらコースオフやらSCやFCYが頻発している、(^_^;)😇😅🏁。耐久レースは終わってみないと何が起こるか分からないからなあ、(^_^;)😇😅🏁。
Posted at 2026/09/27 21:33:57 | |
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