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2023年06月01日

空冷エンジンに換装して本来の性能を発揮した三式戦闘機、・・(◎_◎;)。

空冷エンジンに換装して本来の性能を発揮した三式戦闘機、・・(◎_◎;)。 数奇な運命で破壊を免れた「幸運機」
岐阜県各務原(かかみがはら)市には、かつて旧日本陸軍の各務原飛行場があった由縁で、現在では日本有数の航空博物館として知られる「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」、通称「そらはく」があります。ここには、T-2高等練習機やF-4EJ「ファントムII」戦闘機といった各種自衛隊機とともに、太平洋戦争などで用いられた旧軍機も展示されています。中でもメインと言えるのが、銀色に光り輝く姿で展示されている旧日本陸軍の三式戦闘機二型「飛燕」です。

この機体は戦後にアメリカへ渡ったものではなく、ずっと日本国内にあったものだそう。どのような流れで、「そらはく」に展示されるようになったのか、その経緯を振り返ってみましょう。「そらはく」に展示されている機体は、三式戦闘機二型の試作17号機、型式名称「キ61-II改」の6117号機になります。太平洋戦争中は、東京・多摩地域の福生飛行場(現・在日米軍横田基地)に所在した陸軍航空審査部の飛行実験部戦闘隊で運用されていました。このように、本土の飛行場で各種試験に用いられ、最前線へ行くことがなかったからこそ、生き残れた機体といえるでしょう。1945(昭和20)年8月に戦争が終わると、各地に残された多くの陸海軍機がスクラップにされましたが、本機はアメリカ軍が接収、横田基地(福生飛行場)内で展示されることになったため、奇跡的に破壊を免れます。それから8年後、1953(昭和28)年に機体は日本側へ返還され、一般財団法人日本航空協会に所有権が移ります。ただ、この後、国内各地のデパートや遊園地などで展示されたことで、その間に損傷や部品の紛失などが相次いだとか。それでも貴重な大戦機として残り続けたことで、1986(昭和61)年には鹿児島県の知覧特攻平和会館に貸与されることが決定、そこから30年近く同地で翼を休めることとなりました。そして2015(平成27)年には文化財として同機の修復が決まり、「飛燕」が生産された川崎航空機の工場があった各務原に里帰りしたのでした。

アメリカでは「和製メッサー」とも
そもそも、この旧日本陸軍の三式戦闘機「飛燕」とは、どういう戦闘機だったのか改めて振り返ってみましょう。「飛燕」は型式名称「キ61」といい、川崎航空機(現・川崎重工)が太平洋戦争中に開発した戦闘機です。初飛行は太平洋戦争が始まったのとほぼ同時期の1941(昭和16)年12月で、それから2年後の1943(昭和18)年10月に制式化されました。ただし、実際の量産はその前年から始まっており、1945(昭和20)年8月の終戦までに約3000機以上が生産されています。同機は太平洋戦争で日本が多用した戦闘機のなかでは唯一の液冷式エンジン搭載機です。搭載したエンジンは出力1100馬力の「ハ40」型ですが、これは戦争中、同盟国であったドイツのダイムラー・ベンツ社が開発した液冷式エンジン「DB601A」型(1050馬力)を、川崎航空機がライセンス生産したものでした。このエンジンはドイツのメッサーシュミットBf-109E型戦闘機にも搭載されており、加えて「飛燕」の機首や風防(キャノピー)後方の形状がBf-109Eと似ていたことから、アメリカ軍では「和製メッサー」と呼んでいたとか。しかし、両機を比べた場合、「飛燕」の方が空力的に優れた形状をしており、速度だけでなく上昇力や旋回性能まで含め、ほとんどの点でBf-109E型を上回っていました。ただ、これはあくまでもカタログスペックでのハナシ。高い工作精度や冶金技術を要する液冷式エンジンは、しばしば不調を起こして本来の性能を発揮することができず、これは「飛燕」の問題として最後まで残りました。それでも改良は絶え間なく行われ、エンジンを性能向上型の「ハ140」型(1250馬力)に換装して胴体を延長、主翼を大型化したキ61-II型が1943(昭和18)年8月に試作され、このタイプでは最高速度610km/hを記録しています。最終的には量産性を考慮して従来のキ61-I型の主翼と組み合せたキ61-II改となり、翌1944(昭和19)年12月までに229機分の機体が完成しました。ところが、前出の工作精度や治金技術の問題は新型エンジンにも付きまといます。「ハ140」の生産はうまく軌道に乗らず、結局、数十機程度が完成しただけで、エンジン未搭載の“首なし機”が工場内に溜ってしまいました。そこで陸軍は「ハ140」型に見切りをつけて三菱製の空冷式エンジン「ハ112-II」型(1500馬力)への換装を決定。こうして生まれたのが、旧日本陸軍最後の制式戦闘機と呼ばれた「キ100」、通称「五式戦闘機」でした。

「そらはく」の飛燕が銀色な理由
「そらはく」に展示されているのは、性能が向上したキ61-II改。いうなれば“後期生産型”と形容できます。この「6117」号機は国内各地を展示行脚(あんぎゃ)していくなかで、前述したように部品が散逸する悲劇に見舞われます。ただ、1962(昭和37)年には日米協力の元で一度、修復が行われました。しかし、この後、機体には史実と異なる塗装が施されてしまいます。とはいえ、知覧特攻平和会館に貸与され、屋内で長期にわたって保存・展示されるようになったことで、それ以上は劣化することなく保たれるようになりました。貴重な大戦機として現存した「6117」号機は、川崎重工の協力を得て2015(平成27)年より、同社の岐阜工場で修復作業が始まります。この時に、かつて間違って塗られた塗料は全てはがされたほか、以前の修復時に施された金属パテなども全部除去され、機体はオリジナルの状態に戻されました。さらに機首のエンジン上部のパネルや、操縦席の計器板などのレプリカ部品が製作され、操縦翼面(方向舵、昇降舵、補助翼)の羽布の張り替えといったことも行われています。「6117」号機は1年半におよんだ復元作業を終えると、2016(平成28)年11月には日本航空協会から「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」への貸与が決まり、収蔵庫での分解展示が始まりました。さらに2018(平成30)年3月の同館リニューアルオープンに合わせて再び組み立てられ、展示品の目玉として公開されて現在に至ります。こうして修復を終えた三式戦闘機二型「飛燕」の「6117」号機は、いまや世界で唯一の完全なる現存機として、「そらはく」の館内で銀翼を休めています。同博物館には、機体だけでなくライセンス生産された液冷式エンジン「ハ140」や落下式の燃料増槽なども併せて展示されているため、これらを眺めることで往時の日本の航空機産業に思いを馳せてみても良いのではないでしょうか。(吉川和篤(軍事ライター/イラストレーター))


三式戦闘機は日本陸海軍で唯一の液冷エンジン装備の戦闘機でエンジンはドイツのダイムラーベンツ製DB601を川崎重工でライセンス生産したものだった。このエンジンは製造元のドイツでも手を焼くほどの精緻なエンジンで少数の生産なら日本人の器用さでいいものを作れたかもしれないが、量産となると別で液令エンジンに不慣れなことと相まってトラブルが頻発したと言う。それでも当時としては高速、重武装で速度、運動性も高く高性能戦闘機と期待された。しかしラジエターカバーの設計などは単に箱型でP51の抵抗減少と冷却効果の両立を図ったものから見ると劣っていたと言う。三式戦闘機は1型甲から丁まで改良型が作られ、エンジンを出力強化型のハ140に換装したⅡ型が作られたが、エンジンのトラブルでエンジン生産が進まず首なし機体が300機近くも溜まってしまい空冷エンジンのハ112(金星)を装備した5式戦闘機に改造されている。これは海軍の急降下爆撃機彗星も同様でやはり同系列の熱田32型から金星に換装されている。エンジンを空冷に換装した5式戦闘機は速度こそ30キロほど落ちたが、安定した性能で使いやすい戦闘機で「陸軍最強の戦闘機」とも言われたが、要するに燃料と潤滑油を入れればいつでも飛べるという安定した性能と稼働率の高さが好まれたのだろう。川崎は液冷エンジンを好んだが、当時の日本は液冷エンジンの扱いには慣れておらず敢えて液冷エンジン装備の機体を作る必要があったのか悩ましいところではある。最初から手慣れた空冷エンジンにしておけば戦闘機が最も必要だった昭和17年後半から18年にかけてもっと活躍できたかもしれない。米軍から見ると「重武装で急降下速度が速く機体が頑丈だが、上昇力に劣り速度もさほどではなく与しやすい戦闘機」だったと言う。現在日本に現存する三式戦闘機は米軍から返還された後各地を展示巡回したために破損が激しく今回川崎重工の協力を得て完全に復元された。飛行可能状態に復元することも考えられたらしいが、機体の傷みがひどく飛行可能な状態に戻すことはできなかったと言う。戦後の日本は兵器に対する嫌悪感がひどく兵器が悪いわけではないのに兵器の展示保存などに意を尽くさなかったが、最近は工業遺産と言う考え方が浸透してきてこうしたものを保存展示しようという機運が出来てきたことはいいことではある、・・(^。^)y-.。o○。
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Posted at 2023/06/01 01:04:52

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