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2016年04月04日 イイね!

あり得ないことが、(65)




翌日は出勤に及ばないと言うことだったのでその気になって寝ていたら社長からの電話で起こされた。休みではなく社外勤務で出張扱いとのことで昨日の状況報告を求められた上に今後は午前午後の二回北の政所様あてに状況を報告するよう指示されてしまった。給料が支給されるのだから当たり前と言えば当たり前のことで休み気分になっていた僕たちが甘かった。

 
最も個人的な関係で社員を使うのも筋違いではないかと言いたいところだが、社のメインバンクということになると広い意味ではその家族のことに対応することも公務に含まれるのかもしれない。しかし皆を巻き込んだ渦巻きの中心人物であるクレヨンは毛布を肌蹴たお世辞にも上品とは言えない姿で眠りこけていた。枕を蹴上げて起こしてやろうとすると女土方がそっと制止した。


「この子も疲れているのよ。目が覚めるまで寝かしておいてあげましょう。」

 
こういうところが女土方は優しいんだ。ぼくにはどうもその辺がきつくなってしまう。でもそれも良し悪しだと思うけど僕は女土方のその優しさに惹かれたのかもしれない。もっとも女土方との出会いは衝撃的だったけれど。


「お目覚めですか、お食事を用意しますが何時もの朝食でよろしいでしょうか。」

 
お手伝いが顔を出して朝食の注文取りに来た。何時ものと言われても分からないのでどんなものかと聞くとここの家では朝食はイングリッシュブレックファーストに決まっているのだそうだ。外に働きに出る時は十分に栄養を摂ってから出ると言うのがここのご主人の主義なんだそうだ。

 
僕達は着替えるとダイニングに下りて行った。なるほどそこには朝からこんなに食うのかというほどの料理が並んでいた。ハム、ソーセージ、卵、チーズ、シリアル、果物、野菜にトーストと牛乳、ジュースにコーヒー、確かに英国で一番うまい食事は朝食だということは知っていたが、まさしくそのとおりの朝食だった。

 
僕達は出されたものをたらふく食ってから今日からどうするかを話し合った。女土方はクレヨンも思春期に母親を亡くして父親は多忙で不在がちだったようだし、淋しいことが多かったのだろうと同情的だった。でも僕はその意見には同調出来なかった。

 
確かに斟酌すべき理由はあるのかもしれない。しかしどうも今の世の中は子供が悪いことをするとやった本人は責められずに大人が悪いの社会が悪いのとまるで大人や社会が悪いことをさせたように言うがこれは大きな間違いだし子供の犯罪を増徴させることにも繋がりかねないと思う。

 
三つ子がしたことならそれは周囲や社会が悪いのかも知れないが少なくとも善悪の区別がつくような年齢の子供であればそれは何よりもまずやったやつが悪いんだ。それを知らしめた上で周囲の責任や社会の問題を考えていくべきだ。それを子供の犯罪が起こるとまるでやった本人には罪はなく社会や周囲が悪いと言う。

 
それも天下の秀才が雲霞のように集まっている新聞やテレビなどのメディアがこぞってそうした報道をばかの一つ覚えのように繰り返す。何よりも罪を犯した者の責任と言うものをしっかりと認識させてその後に背景を考えて行くべきではないのだろうか。あんなことばかりしていたらがきがつけあがるのも無理はない。だからがきが呆れるような凶悪な犯罪を繰り返すんだ。

 
何時か女子高生をさらって一ヶ月くらいも監禁して暴行と強姦を繰り返して殺し、その後ドラム缶に死体を入れてコンクリートで固めて捨てた事件があったが、あんなことをしたやつ等は高圧電流を流した柵で囲った土地に地雷でも山ほど埋めてその中を歩かせれば良い。ついでに背中に爆薬でも背負わせて一時間以上動かないで留まっていたら爆発するようにしておくか、留まっていたら機銃掃射でもしてやればいい。

 
そこで一週間生きていられたら更生施設にでも移してしっかり罪を償わせて更生させた後で放免にでもしてやればいい。何よりもまず自分が犯した罪がどのようなものなのかその重さをしっかりと知らしめておく必要がある。理不尽に他人に命を奪われる、理由もなく自分の財産を奪われると言うことがどういうことなのか思い知らせてやらなければ犯罪者の更正なんてことはあり得ないと思うのだが。もっとも罪と言うのは人間が背負った業のようなものだから永遠の課題として考えていかないといけないのだろう。そんなことを女土方に話したら呆れた顔をされてしまった。


「どうしてあなたってそうして過激になってしまったのかしらねえ。言ってることは間違ってはいないけど、どうして地雷を埋めてそこを歩かせろなんて発想が出てくるのかしら。それに澤本さんは何も悪いことはしていないじゃない。」

 
確かに罪は犯していないのかも知れないがこれだけ他人に迷惑をかけているじゃないか。それに不法滞在の外国人を援助することは不法滞在助長罪という犯罪になるのだそうだ。もっとも相手が不法滞在と知っていて宿泊施設を提供したり職業を斡旋した場合のようだけどクレヨンにはそんなに気の利いたことは出来ないだろう。


「まさかあなたはあの子に地雷原を歩かせようなんて思っていないでしょうね。一応念のために聞くけど。」

 
日本は対人地雷廃棄条約を批准して自衛隊も百万個の対人地雷を廃棄したのに今更地雷原なんてどこにあるんだ。


「彼女にも思うところもあれば言い分もあるんだからお前を見ていると鳥肌が立つなんて言ってはだめよ。いいわね。」


こうして女土方にしっかりと釘を刺されてしまった。女土方は優しい女だ。いやなことでも頼めば引き受けてくれる。北の政所様の時もそうだったし今回のこともあきれながらも僕を助けてくれる。しかも僕にだけでなくクレヨンにも優しい。

 
それはこの女が孤立無援になった時の心の辛さ苦しさを良く知っているからだと思う。知っているからどうしてやればいいのか分かるし手間がかかるとは思っても何かをしてやろうと思うのだろう。無知は強い。知らなければ何も怖くはないし辛くもない。少なくとも他人の辛さ苦しさは素通りして何の感情も抱かないだろう。だから知るということは大切なんだ。そうするとやっぱりろくでなしには地雷原を歩かせないといけないのかも知れない。


「あのサルの言い分を聞くのはいいけれど聞いてもどうせろくなことは言わないわ。手前味噌ばかりでしょう。個人の自由と言うけれどそれは義務と責任と表裏一体だということは知らせておかないといけないと思うわ。」


女土方はくすくす笑い出した。


「あなたって本当に強硬路線なのね。でもあの子ももう大人の女性なんだからサルなんて言ってはいけないわ。それにあの子悪い子じゃないわ。きっと一人で淋しいだけなのよ。あなたの言うことは何時ももっともだと思うけど誰もみんなあなたのように臨機応変に対応できるわけでもないし何でも自分で解決してしまうほど強いわけでもないのよ。

 
それぞれその人なりの対応の仕方があれば接し方もあるのよ。それを分かってあげないと。ただ状況を良く考えて行動しろ、強くなれと言っても自分ではどうしようもない人がたくさんいるのよ。あなたが出来すぎなのよ。」

 
女土方は僕にもっと優しくなれ、手取り足取り教えてやれと言っているが、どうも僕にはそういうことは出来そうもない。別のことなら手取り足取りもあるかもしれないが、それもクレヨンではちょっと願い下げだ。でも僕が出来過ぎなんて言うが、女土方だってかなりのものだろう。


「あなただって立派に出来過ぎじゃない。それだけしっかり強かに生きて行ければ十分だと思うけど。でも剛と柔で私たちは良いコンビなのかもしれないね。分かったわ、今回はあなたに任せて良いかしら。悪い子じゃないのかもしれないけど私はどうもあの手は苦手だわ。」


「そうかもね、森田さんとは違って私の方があの子には向いているかもしれない。こうなったら仕方ないわね。」


女土方は苦笑しながら頷いた。



Posted at 2016/04/04 20:44:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記
2016年04月02日 イイね!

あり得ないことが、(64)




その年の暮れにご主人から『最後のお別れに来てやってください。』と連絡があって病院に駆けつけたけれど体中にチューブを挿され人工呼吸器を口に固定されて虚ろな目を開いて横たわる彼女を見てただ立ち尽くすだけで言葉もなかったわ。

 
彼女の葬儀は締め付けられるような寒い日だったわ。彼女のご主人の強い希望で火葬された彼女のお骨をご主人と二人で拾って骨壷に納める時でさえ涙も出なかった。何だか心の中に大きな穴が開いてしまって自分の大切なものがその穴からどんどん流れ出て行ってしまうのにそれをどうしようもなくただ呆然としているしかなかったわ。」

 
僕は話しながら涙が頬を伝って流れ落ちるのを感じていた。たとえ体が入れ替わっても友人が死んだのはこれまでの人生で何よりも一番辛い思い出だった。女土方とクレヨンは緊張した面持ちで黙っていた。


「その頃夫との関係が込み入っている時で通夜から帰って来て高熱を出して立っているのもままならない私に『あれをしろ、これはどうした。』と無神経に要求する夫にも愛想が尽きてしまったわ。彼女が死んで身の置き所のないような淋しさに苛まれながらそれでも少しづつ彼女とのことを整理しようと思い始めたのは本当に最近になってからのことよ。それまでは彼女のことは何も手につかなかったわ。夫と別れたことも余分な負担がなくなって気持ちが軽くはなったけど連れ合いがいなくなったことが悲しいとか淋しいなんて思いもしなかった。

 
彼女との仲はほとんどフィフティ・フィフティで貸し借りなしだったけど一つだけ心残りなものが見つかったのよ。彼女は神とか信仰とか本当に真面目に考えようとしていたのに私はそれを茶化すだけで取り合わなかったことが今になっては悔やまれてね。どうしてあの時彼女と一緒に考えてやらなかったのかってね。だからそのことを考えてみようかと思ったのよ。自分なりに神とか信仰とか、それが一体どういうものか。」


「あなたも辛い思いをしてきたのね。」


女土方がぽつりと言った。


「他の人がどう思うかは知らないけど生きるってことは何かしら自分も他人も傷をつけていくことじゃない。それが悪意や故意ではなくてもね。何十年も生きていればあちこち傷だらけでそれでも流れる血を鎧で隠して自分の身を護るために戦わないといけない。こんな考え方をするのは私が少しおかしいからかもしれないけどね。だから心を許して鎧を外せる場所が欲しいの。」


「かわいそう。私だったら一緒に死んじゃうかも。」


クレヨンがべそをかいたような声で言った。


「そうね。でも私はそんなことは考えなかったから、死んだら向こうの世界で一緒になれるなんて思うほどロマンチストじゃなかったみたい。」


「そういうところが佐山さんは強いと思うわ。私なんかそんなに強くなれないわ。」

 
クレヨンはそう言ってバスルームに入って行ったが、この世の中に無知より強いものはないということをこいつは知っているんだろうか。僕たち二人きりになると女土方が僕を真正面から見据えて言った。


「ねえあなたは一体誰なの。」


「え、私は佐山芳恵よ。他の誰でもないわ。」


「そう、姿かたちは間違いなく佐山芳恵、でも私が知っている佐山芳恵とは全く別人。」


「人は時として変わるものでしょう。そうじゃない。」


「そうね、あなたが誰だろうと今の私には大事な人なんだからそれでいいのかな。」

 
女土方はあっさり引き下がった。あまり真顔で的を得たことを言うのでどきりとしたが、こればかりは誰が何と言おうと証明出来るものでもないだろう。そこにクレヨンが戻って来た。


「佐山さんは神とか信仰とか考えたんでしょう。ねえ神様はいると思う。」

 
こいつが「神が存在するか」と聞いているレベルはカッパがいるかとかネッシーがいるかとかそんなレベルに違いない。もっともクレヨンを見ているとカッパくらいはどこかにいそうな気になってくるが。


「乱暴な言い方をすればあなたが神はいると信じれば神は存在するわ。私はそう思うわ。」


「じゃあそう信じれば私のお願いをかなえてくれるかな。」

 
どうしてこのサルはこうもレベルが低いんだろう。お前は『天は自ら自分を救おうとする者を救う。』という大原則を知らないのか。太平洋戦争末期の帝国海軍も天佑神助を確信するだけでその戦法に何ら改革も加えなかったから圧倒的な戦力差があるアメリカ海軍に全軍突撃しては撃破されていたじゃないか。ただ天佑神助を確信するなんていう神頼みでは結果は見えているんだよ。


「あのね神はいくら頼んでも奇跡を起こして人を救ってくれたりはしないと思うわ。私自身はそこまでは信じられないけれど神が見守っていてくれる、自分は一人じゃないと思えるだけで穏やかな気持ちになれる人がたくさんいるみたいね。

 
生きていると自分ではどうしようもないことに突き当たることがあるけどそんな時に神の存在を信じてそれが神の意思だと自分を納得させることが出来ればきっと救われた気持ちになれたり強くなれるんだと思う。

 
信仰ってね、結局自分自身がどのくらい信じることが出来るかって言うことじゃない。信じればたとえこの身は救われなくても魂は救われるかもしれない。いろいろ考えたけれど私にも良く分からないわ。でもそれが信仰だと思うわ。結局人間ってそんなに強くはないのよね。」


「なんだあ。いくらお願いしてみても願いをかなえてくれないのか。じゃあ意味がないわね。」


「要は現実の世界の話じゃなくて自分の内面の問題だと思うわ。自分が神と共にあると信じてそれを意味があると思うかどうかは個人の価値観によるんでしょう。客観的に神の存在を証明することは出来ないわ。」

 
クレヨンは何だかつまらなそうな顔をしていた。神様に頼んで良いことがあるのなら誰も好き好んで嫌な仕事なんてしないだろう。


「神とか信仰とか本当に難しい問題よね。特に日本は宗教と生活がかけ離れているし、宗教に向き合う時はお祝い事や冠婚葬祭くらいしかないんだからどうしても特殊なものって印象が強くなったり苦しい時の神頼みになってしまうけど本当は自分の内面と向き合うのが宗教とか信仰なのかもしれないわね。」


女土方はやはりまともなことを言う。クレヨンとは大違いだ。


「お友達のことを思い出したら何だか淋しくなっちゃったな。しなくてもいい経験はしたくないわね。」


僕は一つ大きく伸びをした。


「もう時間もずいぶん過ぎているわね。そろそろ休もうか。」

 
サルも僕につられたのか大きなあくびをして立ち上がるとよろよろとベッドに倒れこんだ。女土方だけが何時もの淡々とした表情を崩さなかった。


「あなたは外見は何となくよそよそしくてそして何でも跳ね返しそうに強いけれど、でも本当はとても繊細で優しい人ね。」

 
女土方が僕に向かって笑顔でそう言った時にはクレヨンはもう寝息を立てて眠っていた。僕は飲み食いの後片付けをしてから休もうとして洗面所で女土方と鉢合わせした。本当はベッドで思い切り抱き合いたい気分だったがクレヨンがいるのであまり派手にするわけにもいかず洗面所のドアを閉めてから女土方を抱き寄せた。僕は当然男として女土方を抱いているつもりだったが洗面所の大きな鏡に映った僕たちの姿はやはり男女の抱擁とはかけ離れた姿だった。でもそんなことかまうものか。

 
ずいぶん長い間抱き合ってから僕たちはベッドに戻ったが、クレヨンはもうだらしなく寝込んでいたので結局僕と女土方が同じベッドを使うことになった。明かりを落として暗くなったベッドの中で僕たちはまた抱き合った。もしかしたら女土方はもう休みたいと思っていたのかもしれないが、僕は彼女を離す気にはならなかったし、彼女も丁寧に僕に応じてくれた。女土方の柔らかさと温もりが鎧の下でささくれ立った心を癒すようで心地よかった。



Posted at 2016/04/02 18:28:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記
2016年04月01日 イイね!

あり得ないことが、(63)




「なんだか難しい話だけど言われてみれば何となく分かるような気がするわ。確かに知識ってそれなりに蓄積がないとだめなのかもね。でも時間がかかりそうね、あなたの言う知識の蓄積って。私もやってみようかな、少しづつでも。」


さすがは僕の恋人女土方、なかなかの手練、理解が早い。でもその後ドキッとさせることを言った。


「でもねえ、こんなことを言ったらいくら私達の仲でも失礼かなって思うけど、あなたって以前そんな難しいことを言ったことがあったっけ。何だか人が変わったみたいね。最もご本人は人が変わったと言っているけどねえ。」

 
そう言えば佐山芳恵の部屋にはどう考えても学問の研鑚に励んでいたような証跡は見当たらなかったかもしれない。でもいいじゃないか。佐山芳恵は生まれ変わったんだから。


「ああ何だか疲れちゃったわ。話を聞いているだけでぐったりって感じ。」

 
そういうクレヨンの本当にぐったりという感じの表情を見ていた僕の方が何だか余計にぐったりしてしまった。こいつも生まれ変われば良いんだろうけどこの手合いは一体どう生まれ変われば良いんだろう。

 
「ねえ佐山さんは何か答を求めているものがあるんじゃないかって伊藤さんが言っていたけれど、何の答を求めているの。今話したコウトウフツウキョウイクとかいうことなの。それとも何か他のことがあるの。」

 
クレヨンがまた変なことを言い出した。こいつのこの好奇心がそれなりの方向に向かえば相当なものになるかもしれないのに何となくこいつの好奇心は低回的なところがある。

 
「あのねそれもあるけど今一番考えていることは答が出ないことなのかもしれないわ。答が出ないというよりもその答は誰かが教えてくれることじゃなくて自分で探さなくてはいけないことなのかもしれない。

 
私はね二十代の半ばで父親を亡くしているの。この間伊藤さんに一緒に法事に行ってもらったけどね。その後に友達を亡くしたのよ。その友達はね、大学の時に同じ学部にいて知り合ったんだけど何となく馬が合って卒業する頃には本当に一生の友達というくらい親密な関係になっていたわ。

 
もちろんビアンじゃない普通の友達よ。でも何時も一緒にいるから周囲からはビアンじゃないかって疑われたこともあるけどね。私達が一緒にいるとそばに近寄ることさえ何となくはばかられるくらいに思えるほど仲が良く見えたらしいわ。

 
学校を出てお互いに職業を持つようになると会う回数は減ったけれどそれでも年に何度か旅行に行ったり食事をしたりして顔を合わせてはいろいろな話をしたわ。高尚な話から馬鹿げた悪ふざけや失敗まで彼女になら何の躊躇いもなく何でも話せたし私はお酒を飲むのが好きじゃなかったけれど彼女となら日付が変わるまで飲んでいたわ。

 
女は結婚して子供が出来るとどんなに仲の良い友達でも疎遠になってしまうって言うけどお互いに結婚しても何も変わらなかったわ。彼女のだんな様って穏やかなとても素敵な紳士だったけれど私が彼女と一緒にいると間に入っていけないほど親密な雰囲気で彼女が男性と一緒にいるよりも嫉妬してしまうと笑いながら言うほどの仲だったの。

 
私にとって彼女の存在はそこにあって当たり前の生活の一部だったわ。ごく自然に一生のお付き合いになるってそう思っていたわ。年を取ったら二人でどこかの温泉でも行って思い出話に花を咲かせようってそんなことを考えていたわ。自分の側から彼女がいなくなることなんて考えてもみなかった。そんなことは私にとってはあり得ないことだったし絶対にあってはいけないことだったわ。」

 
僕はここで一旦話を切ってグラスにコーヒーを注いで口をつけた。そうしたらタバコが吸いたくなって
「ちょっとごめんね。」と断ってベランダに出てタバコに火をつけた。女土方とクレヨンは何も言わず何時になく真剣な面持ちで畏まっていた。

 
タバコを吸い終わって戻っても二人は身動きもしないで僕を待っていた。僕自身は深刻な話をするつもりはなかった。ただ何を考えているのかと聞かれたのでこれまでだれにも話したことがない自分が一番心の奥底にしまい込んでいることを口に出しただけだった。


「ねえ何か飲もうか。澤本さん、何か食べるものを持って来てよ。」

 
クレヨンは黙って部屋を出て行ってポテトチップスやビーフジャーキーを提げて帰って来た。そこで各々ビールやワインを取り出して飲み始めた。


「彼女ね、亡くなる二、三年前からしきりに神や信仰について口にし始めたわ。『この世に神様がいると思う。』とか『宗教って何だと思う。信仰って生きることにどんな意味があると思う。』なんてね。その頃私は二十代の後半と言ってもまだまだ子供を引き摺って生きているような年頃だったからそんな彼女が何とも不思議に、いえ滑稽にさえ思えて笑ってしまったわ。


『神様なんてそんなものいるわけがないじゃない。宗教とか信仰なんてそんな辛気臭い話はやめようよ。』

 
そう言ってね。彼女寂しそうな顔をしていたけど私が取り合わなくてもしきりに神や信仰の話をしていたわ。彼女はきっと自分の運命を本能的に察してそんなことを言い出したんだろうと思うわ。

 
彼女が最初に入院したのは亡くなる二年前だった。肝炎ということで二ヶ月入院したわ。その時の病名は本当に肝炎だったのだけれどきっとガンが発生して彼女の体を蝕んでいたんでしょうね。でも三十前でガンなんて考えもしなかったし肝炎は長引くと思っていたから思うように回復しない彼女の病状にもそんなに疑問を持たなかったわ。

 
彼女が亡くなる年の夏に彼女から『何所かに旅行に行こう。』と誘われたの。彼女の方から誘うんだから良くなったのかと思って二つ返事で承知して当日車で迎えに行くと玄関先で御主人が笑顔で見送ってくれたわ。彼女旅行を本当に楽しみにしていて毎日ガイドブックと睨めっこをしてはどこに行こうかと独り言を言っていたらしいわ。

 
旅先では彼女は本当に楽しそうにはしゃいでいて私も元気になったんだなと安心していたの。でもせっかくの食事をあまり食べなくて一緒にお風呂に入ったら変に肉が落ちてすらりとした体つきになっていたからどうしたのと聞いてみたの。

 
そうしたら胃に潰瘍があるので秋口に入院して手術をすると言うのよ。私ってばかだったわ。そこまで言われたのにまだ単純に彼女の病気が胃潰瘍で切れば治るって思っていたのよ。帰りの車でシートに身を沈めて眠る彼女が本当に疲れた様子だったのに私は何も考えないで彼女の自宅で簡単に『さよなら』って別れてしまったわ。

 
彼女が入院してから最初に見舞いに行った時彼女のあまりのやせ方に驚いてしまったわ。でも潰瘍で食事が出来ないからと言われてそれでまた納得してしまったわ。その時には彼女のガンはもう手の施しようもないほど進行していたのに。

 
見舞い帰りに旅行の写真を受け取って自宅に帰って開いてみて愕然とするほど驚いたわ。写真に写った彼女の顔がとても生きている人間の顔には見えなかったから。私ね何度も何度も写真を見返していてあることに気がついたの。彼女の病気は胃潰瘍なんかじゃないんじゃないかって。

 
私はすぐに彼女のご主人に電話をかけて車を飛ばして自宅に行ったわ。そして写真を見せて彼女のことを聞いたの。ご主人がね、私に『妻が一番信頼していたあなただから話します。』って彼女が末期ガンだったことを話してくれたの。

 
それを聞いた私の頭の中は全ての配線がショートしてしまったような状態で何も考えられなかったわ。今聞いた現実を受け入れるどころか理解することさえ出来なかった。帰り際にご主人から『彼女には何も話していないので。』と言われてもただ『はい。』と返事をするのが精一杯だったわ。」

 
僕が話していることは死んだ友達が男だったことと死んだ時の年齢を除けば全く事実そのままだった。そしてこの二点に変更を加えることは僕が佐山芳恵の体で生活しなくてはならなくなった現在止むを得ないことだったが、僕自身が佐山芳恵自身の生活を詳しく知らない状態で話すと矛盾が生じるかもしれなかった。

 
それでもこんなことを口に出した理由は自分でも良く分からなかった。ただこの状態が続くのならこの先佐山芳恵をなぞって生きていくのではなく僕自身の思いを知って欲しいという気持ちが働いたからかもしれない。


クレヨンと女土方は一言も言葉を発することもなく相変わらず椅子に畏まって僕の話を聞いていた。


「二度目に彼女の見舞いに行ってベッドの脇に座って取り留めのない話をしていると彼女が旅行の時の写真を見せてくれって言うのよ。ご主人から写真が見たいと言っていたと聞いていたから写真は持っていたけれど彼女の表情が心に引っかかっていてあまり気が進まなかったの。でも見せないのはもっと不自然だからと思い直して写真を彼女に渡したわ。

 
彼女ね、何も言わずに写真を一枚一枚じっと見つめていたけれど最後まで見終わると『何だか私ってどれもとても疲れた顔をしているわね。』って言うのよ。私はドキッとしてしまって『体調が良くなかったからじゃないの。』とだけ言うと彼女は意外にあっさりと『そうかもね。』と言って写真を置いたの。

 
でもその後『久しぶりの旅行でとても楽しかったわ。また行きたいね。行けるかしら。』って言われた時にはもうわっと泣き出しそうになったわ。爪先で踏み止まるような思いで泣いちゃいけない、泣いちゃいけないって自分に言い聞かせて『どうして。元気になればまた何時でも行けるでしょう。』と答えると彼女は『そうね。』とだけ言って窓の方を向いてしまったの。

 
その横顔がとても淋しそうでその姿を見ていて泣き出しそうになるのを堪えるのに必死だったわ。親しい人が死んでいくのに何も出来ないでただ見ているだけって辛いわよね。こんな時本当は私が支えてあげなくてはいけないのに私にはそんな勇気はどこにもなかった。彼女の方が穏やかで落ち着いているように見えたわ。

 
彼女が私の方を向き直った時私はもうこれ以上彼女の前で平静を装っていられる自信がなかったから席を立とうと思ったら彼女が黙って私の方へ手を差し出したの。白くてやせた細い腕だったわ。その時彼女が私にお別れを言おうとしているんだって感じたわ。きっと彼女は自分の運命を知っているんだ。だから私にお別れをしようとしているんだってね。


『芳恵、しっかりしなさい。笑顔で手を取るのよ。』

 
私は自分で自分を叱りつけるように言い聞かせて差し出された手を取って握ったわ。関節が無闇と太く感じる冷たい手だった。


『また何所かに行きましょう。今度来る時までに場所を選んでおくわね。』

 
私は彼女に微笑みかけたつもりだったけれど自分がその時どんな顔をしているのか全く自信がなかったわ。


『楽しみにしているわね。』

 
彼女は笑顔で頷いたので『じゃあ、またね。』と言うと逃げるように病室を出て車に戻ったけれど涙が堰を切ったように流れてしばらくは動けなかったわ。お互いに意思が通じ合う状態で彼女に会ったのはこれが最後だったわ。



Posted at 2016/04/01 21:22:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記
2016年03月30日 イイね!

あり得ないことが、(61)




「いいじゃない、見せてあげれば。ここには女だけしかいないんだし。」


『女土方よ、僕は男だ。』

 
そう言ってやりたかったがそれこそ身包み取り去ってさらけ出しても証明は出来ないことだから黙っていた。さすがに事ここに至っては僕も覚悟を決めざるを得なかった。前にも話したかもしれないが元々男の僕は上半身を人前に晒すことには何の抵抗もなかったが、下半身となると話は別だった。


「分かったわ。ちょっと待ちなさい。」

 
僕はバスルームに入るとさっさと着ているものを脱いでバスタオルを体に巻きつけて部屋に戻った。そしてクレヨンの前でやや足を開き加減に立ってバスタオルを開いて見せた。ああ恥ずかしいなんてものじゃない。


「さあこれでいいでしょう。」


僕はバスタオルを閉じて体を覆うとバスルームに戻ろうとした。


「へえすごい。きれいな体。ねえ後ろも見せて。」

 
何てやつだ、こいつは。どこまで人をおちょくったら気が済むんだ。もうほとんど自棄になって僕はバスタオルを取り去って手に持った。そしてそのまま何も言わずにバスルームに入ってしまった。全くつい口走ったとはいえ、何とはしたないことをしてしまったんだろう。トレーナーやTシャツを着て部屋に戻るとクレヨンが叫んだ。


「佐山さん、素敵じゃない。もっとおばさん体形かと思ったら肩なんか筋肉が盛り上がってとてもセクシーよ。驚いちゃった。」

 
セクシーだと。お前の脳みそにはかなわないよ。こいつに恥じらいなんて期待した僕が間違っていた。ところでそう言えば女土方の止めるのも聞かずに最近ウエイトを始めたんだった。この時代女も見目麗しさだけではなく力も必要だからな。


「二人ともとても素敵だったわ。でもお遊びはそろそろ終わりにして休みましょうか。」

 
それまでニヤニヤ笑いながら成り行きを楽しんでいた女土方が口を挟んだ。元祖ビアンの女土方はこの馬鹿馬鹿しいせめぎ合いをけっこう楽しんでいたのかもしれない。僕は女の真似事のようにささっと顔を整えてからコーヒーとタバコを持ってベランダに出た。そういえば今日はごたごたしていてタバコも吸っていなかった。

 
この家のベランダはとにかくだだっ広くてテーブルとデッキチェアの他に立派な灰皿が備えてあった。タバコを吸うならここで吸えということなのだろう。早速コーヒーを一口飲み込むとタバコに火をつけた。一口吸うと頭がくらくらした。一口でこれだけ影響があるんだからきっと体にはかなり悪いんだろう。止めた方がいいんだろうけど体に悪いことは他にもたくさんあるからまあいいだろうと思ってしまうのがニコチン中毒の言い訳なのかもしれない。タバコを吸い始めると女土方がベランダに出て来てタバコを吸い始めた。


「あなたはあの手の子の扱いにずい分慣れているわね。ちょっと意外だったわ。あなたがあの手の子に慣れているなんて。」


女土方はタバコに火をつけて一口吸い込むと僕の方を向いた。


「ビアンの世界は狭くて複雑だって最初に会った時にあのバーで話したでしょう。なかなか思うような相手が見つからないって。そういう時に温もりが欲しくなったらどうすると思う。あの子みたいな若い子が情報誌か何かで見つけてビアンの世界に迷い込んでくることがあるの。勿論半分は自分がそうじゃないかと思い込んででも半分は興味本位で。そういう子の中でいいなと思う子を選ぶのよ。

 
でもそんなにたくさんそんな子がいるわけじゃないからほどほどで妥協したり、一人の子をめぐって何人かが競ってトラブルになることもあったわ。けっこうジメジメした暗い世界なのかもね。あなたにこんなことを話すと嫌われてしまうかも知れないけど、人が連合いを求めるのはヘテロセクシュアルでもホモセクシュアルでも同じことでしょう。皆淋しいのよ。」

 
僕は女土方に「うん」とだけ答えた。にわか女の僕には女の気持ちは分からないし、ましてビアンの思いなど想像も出来ないが、独りで生きることに淋しさが付きまとうということは痛いほど良く分かった。


またビアン入門者に手練が群がるという構図も確かにどろどろした艶かしさを感じさせるが、男なんていう生き物は毎日行き交う女の乳やけつを品定めしては風俗に飛び込むのだからビアンを責める資格なんかないだろう。さる日本のトップエリートの方も「通勤電車で女性のパンツが見えると得したような気持ちになる。」などと酩酊気分で楽しそうにおっしゃっていたから女を求める欲求は知性とはあまり関係がないのだろう。


「軽蔑したでしょう。私のこと。」


女土方が僕を見た。


「どうして。皆同じでしょう。誰もそんなこと責められないわ。私は何とも思っていないわ。」


「ありがとう。」


「お礼なんていわれるようなことじゃないわ。私はあなたが好きよ、だから一緒にいるの。お礼を言いたいのは私の方よ。」


女土方が微笑んで何かを言おうとした時に窓が開いてクレヨンがベランダに出て来た。


「仲良しなのね、あなた達って。いいな、お友達がいて。」


サルが珍しくまともなことを言った。


「あなたにはいないの、お友達が。」


「遊ぶ仲間はたくさんいるけど本当のお友達ってどうなのかな、いるのかな。よく分からないわ。」


「そう、良いお友達が見つかるといいわね。」

 
女土方は優しく答えたが僕はお前が友達を見つけたいなら日光か高崎山でも行けと言ってやりたかった。そんな僕の気持ちを察したのか女土方が僕に視線を向けて機先を制した。


「さあ、休みましょう。」

 
女土方が立ち上がったのを合図に僕達は部屋に戻った。そしてそれぞれ寝支度をしてベッドに入った。クレヨンは一人で、そして僕達は二人一緒に。明かりの照度を落としてしばらくするとクレヨンが起き出した。また逃げ出そうとしているのかと思ったが、ベッドに半身を起こしたまま特に動く様子もなかった。


「ねえ、私もそっちに行っていいかな。」

 
クレヨンは突然おかしなことを言い出した。幾らなんでも三人は窮屈だろうと僕は思ったが、女土方はあっさり承知した。クレヨンは自分のベッドを飛び出して外を大回りすると女土方の側に潜り込んだ。


「ああ、温かい。」


クレヨンは満足そうな声を上げたが、僕はその分押し出されてベッドから落ちそうになった。


「そっちはあなた達に譲るわ。」

 
僕はベッドから出てからになった隣に移った。クレヨンは小柄な女だったが、大柄な僕達に加えて三人ではさすがの大型ベッドも窮屈極まりなかった。


「ごめんね。」

 
クレヨンの声が聞こえたが僕は何も答えなかった。その後しばらくは静かだったがいきなり「きゃっ」という女土方の声が響いた。


「こら、そんなことすると私も本気になるわよ。」


何だか満更でもなさそうな女土方の声がした。本当にここでおっぱじめる気だろうか、この二人は。


「一人ぽっちでかわいそう」

 
クレヨンがそんなことを言ったが僕は一向に構わなかった。男という生き物はこと女に関してはかなり基準が甘い生き物で特に僕のようないい加減は大方の女は許容範囲なんだけどどうしても嫌なのもいる。クレヨンはそのどうしてもの一人だった。

 
それにこの場合女土方は僕の恋人ということなんだろうからここでクレヨンと絡むのは一種の裏切りなんだろうけどそのことにも僕は何とも感じなかった。ビアンの世界ではどうなのかは知らないが、元の年齢がそういうことを超越し始めた年齢なので特に何も感じなかった。

 
第一僕はビアンではないし、女土方が他の女と絡んだからと言ってそれが裏切りとは全く思わなかった。もしも目の前で男と絡んだら何かを感じるだろうか。きっと「他の場所でやれば」と言うくらいだろう。元々嫉妬とかそういった類の感情がなかったかと言えばそんなこともない。若い頃は激しく嫉妬したことがなかったとは言わない。

 
でもだんだんとそんなことで自分が煩わされるのが馬鹿馬鹿しく思うようになってきた。皆それぞれ思うところがあるのだし一度しかない人生だから思い切り好きなように生えればいい。そんなふうに思うようになると何時の間にか嫉妬なんていう感情が心の中から消えていった。嫉妬する人間の醜さを見せつけられたこともあるのかも知れないが。

 
仮に女土方が他の、例えばクレヨンを気に入って一緒に生きたいというのならそれはそれで仕方のないことだと思う。褪せた感情を取り戻そうとしてもどうにもならないのならそれに追いすがるよりも新しい生き方を探した方が合理的だろう。


Posted at 2016/03/30 00:28:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記
2016年03月28日 イイね!

あり得ないことが、(60)




『あのばか娘、もう逃げ出そうとしているのか。』

 
僕は跳ね起きて衣服を整えると廊下に飛び出した。クレヨンの部屋のドアが開いているので外に出たことは間違いなかった。玄関を開けるとクレヨンが門扉をよじ登ろうとしているのが目に入った。何所に行こうというんだか知らないが、もう少し知恵を使ったらどうなんだろう。サルでももう少し別の方法を考えるだろうに。


「何所にお出かけなの。」


僕が声をかけると門扉に摑まったままクレヨンが振り返った。何だか出来損ないのサルのようだった。


「門を乗り越えると警備会社に通報が行って大騒ぎになるわよ。無駄なことはしないで降りてらっしゃい。」

 
こいつも深窓の令嬢なんだろうにどうしてこうも下品なんだろう。昔の公家社会でもたまに山賊も真っ青なくらいの野蛮な豪傑が生まれたと言うが、それは種の保存のためだったということを何かの本で読んだことがある。そうするとクレヨンも何かの必要があって生まれた突然変異なのだろうか。しかしこんなのが出て来ても種の保存どころか絶滅に繋がりかねないような気がするがどうなんだろう。クレヨンは僕に呼ばれて渋々門扉から降りて来た。


「どちらにお出かけ。」


我ながら嫌味な口調だと思うような聞き方だった。クレヨンは勿論むっとした表情で僕を睨んだ。


「ここは私の家だと思っていたら何時から刑務所になったの。」


「ええ今日からよ。」


僕はクレヨンの嫌味を軽くかわしてやった。


「あなたのお父様が帰国するまでの生活条件を伝えたわよね。自分の家を刑務所のようにしたのはあなた自身よ。そこをよく考えてね。」


返事もしないで僕たちの前を通り過ぎようとしたクレヨンを女土方が呼び止めた。


「ねえ私達が使っているお部屋に来ない。あなたにはどうか分からないけど私達には十分くらい広すぎるお部屋だから一人くらい増えても大丈夫よ。」

 
クレヨンの動きが止まった。どうもこいつは女土方には他とは違った特別なものを感じているようだ。


「ねえそうしなさいよ。その方が私達も気楽だし。それにこれから先お父様がお帰りになるまでのことも話し合わないといけないし、ね。だからお出でなさい。」

 
誰もが手こずるあのクレヨンが女土方には一も二もなく黙って頷いた。女土方はビアンだから女を操るオーラのようなものを持っているんだろうか。


「じゃあ部屋に戻って支度をして来てね。」

 
女土方は軽く告げたがクレヨンは言葉を発することもなくただ黙って頷いた。部屋に戻って寛いでいるとドアをノックする音が聞こえてクレヨンが入って来た。かなりきわどい下着透けまくりの格好だったがどうもこいつには興味が湧かなかった。


「ベッドは二つだけど私はどこに寝ればいいの。」


クレヨンは部屋と僕等を交互に見ながらそう言った。


『お前みたいなサルは床でもどこでも寝ろよ。』


そう言ってやりたかったが黙っていると女土方が答えた。


「どっちでも好きな方のベッドを使うといいわ。私達はもう一つのベッドを二人で使うから。このベッド大きいから二人で使っても大丈夫よ。」


クレヨンはしばらく黙って僕たちを見ていたがそのうちに胡散臭そうに言った。


「ねえあなた達ってもしかしてビアンさんなの。」


「そうよ、どうして。驚いた。」


女土方はこれまたごく自然に応じた。


「ええ本当に。キモイわ。」


「どうして。別にあなたにも仲間に入れなんて言っていないしあなたの前でする気はないからいいじゃない。」


女土方は何とも飄々とクレヨンに言葉を返していた。


「あなた達って何だかそんな気がしたのよね。だって何だか二人ってずい分仲が良いし、佐山さんて妙に男っぽいし。男っぽいというよりも男そのものという感じがするわ。」


「彼女ね何ヶ月か前から劇的に変わったのよ。当のご本人は目が覚めたら女の体に変わっていたなんて冗談を言っているけど何か思うところがあったんでしょうね、彼女なりに。」

 
女土方は極めて常識的な見解を示したがクレヨンはまだ訝しがっている様子だった。知的レベルがサル並みなだけに動物的な本能で何かを感じるのかもしれない。


「ねえビアンってどんなふうにするの。ちょっと興味があるわ。ここでやって見せてくれない。」


こいつはやっぱりサル並みだ。


「見世物じゃないからお断りよ。でもあなたがしてみたいって言うのならお相手してもかまわないわよ。どうする。」

 
サルが、いやクレヨンが一瞬身を引いた。どうもこいつは女土方には気後れするみたいだ。でも女土方がするのならそれはそれでいいけど僕はこいつとは何となく遠慮したい。


「ちょっと考えさせて。少し勇気が要るわ、女同士って。でも佐山さんにも興味があるなあ。本当に女なのかどうか。」

 
何が勇気が要るだ。お前のやっていることの方がよっぽど勇気が要る。勇気というよりもクレヨンじゃあ蛮勇と言った方がいいかもしれない。第一僕はお前なんかには興味はない。


「私は遠慮するわ。あなたにとって私が女だろうと男だろうと興味本位以外の何物でもないでしょう。あなたが私を男と思うなら別にそれでもかまわないわ。あなたにそれを証明して見せる必要もないし、そんな気もないわ。」


「本当にかわいくないわね、あなたって。そんなに私が嫌なら抱きついて離れないであげようか。」


「どうぞ。でも投げるわよ。さっきみたいに。」


「ほらほらけんかしないのよ。お二人とも。この子まだまだ子供なんだからむきにならないで抱っこしてあげたら。かわいいじゃない、彼女。」

 
女土方が噛み合いでも始めそうな僕たち二人の間に入った。クレヨンはベッドの上でわざと太腿をむき出しにして僕に微笑んだ。本当にどこまで脳みその腐った女だろう。僕はいきなり立ち上がるとベッドの上に足を投げ出して座っていたクレヨンを押し倒して両腕を押さえつけた。突然のことにこわばったクレヨンに微笑んでやった。


「分かったわ、そんなにお姉さまに興味があるのね。じゃあお姉さまがかわいがってあげるから目を瞑りなさい。」

 
両足でクレヨンの足を挟みつけて右腕を左脇の下に敷いて動きを封じ左手でクレヨンの左手を握ってそうしても僕の右手は自由だった。


「さあじっとして。怖くないからね。」


クレヨンの顔の前で自由に動かせる右手を振ってみせるとクレヨンはさすがに声を上げた。


「ちょっと待って。いやぁ、待ってよ、待ってぇ。」

 
クレヨンは体を捩って逃れようとしたが力は勿論僕の方がずっと強い。でもあまりこんなことをしていても仕方がないのですぐに離してやった。


「お姉さんを舐めたらだめよ。怖いんだからね。」

 
僕はちょっとからかい気味にそう言ったがクレヨンは真顔で「本当に凶暴な人ね。」と文句を言って口を尖らせた。


「そんなに子供みたいにじゃれていないで静かにしなさいな。」

 
女土方は落ち着いた様子で僕たちを嗜めた。クレヨンはまた自分のベッドに戻って音楽を聴き始めた。女土方はシャワーを使いにバスルームに入り僕はパソコンで遊び始めた。しばらくすると女土方がバスルームから出てきたので入れ替わりに僕がシャワーを使うことにした。男の頃から風呂には時間をかけなかった僕は女になってもそれは変わらなかった。ただ、髪を洗う時間だけはどうがんばってみても男だった時の二倍はたっぷりかかった。

 
よく男も女も風呂あがりは裸で部屋の中を歩き回るくせのあるのがいるが、僕は男の時からどうも素っ裸は落ち着かず好きではなかった。脱衣場で下着やTシャツを身に着けてバスタオルを首に巻いてバスルームを出た。


「なんだ、服を着ちゃったの。つまらない。」


ベッドに起き上がったクレヨンが声を上げた。


「せっかく佐山さんの裸が見られると思ったのに。」


このサルは本当に僕が女かどうか確かめようと言うのか。


「そんなに私の裸が見たいなら先にあなたが自分の裸を見せなさい。」


まさかと思って強気に出た僕が甘かった。敵は衣類の何たるかを理解しないサルだった。


「え、本当に。」

 
うれしそうに叫ぶとさっさと服を脱ぎ始めあっという間に裸になると僕の前でモデルのように一回転して見せた。何と言う考えなしだろう。知性枯れるとはこいつのためにある言葉じゃないだろうか。僕はあまりの恥じらいなしに顔が赤くなっていくのをはっきりと感じていた。

 
それでも若いだけあって見惚れると言うほどではないが、それなりにきれいな体をしていた。でもこいつとは御免被りたい。


「あらあ、顔を赤くしちゃってお年の割にはかわいいわね。」


このサルは人間様をおちょくりやがって。荒縄で引っ括って軒に吊るしてやろうか。


「さあ、あなたの番よ。約束だからね。」


サルのくせに約束なんて洒落たことを言うやつだ。


「バカなこと言わないで。そんなこと出来るわけないでしょう。」


「あらだってあなたが言い出したことよ。恥ずかしがらなくてもいいじゃない、女同士なんだから。」

 
気安く女同士なんて言うんじゃない。サルに同類呼ばわりされる覚えはない。こんな僕等のやり取りを大御所女土方はニヤニヤ笑いながら眺めていたが特に口を挟むわけでもなかった。


「ねえどうしたの。何時もご立派なことを言うのにお約束も守れないの。」


クレヨンは勝ち誇ったようにたたみかけて来た。


「いざとなると案外勇気がないのね、佐山さんて。」


ああこんなサルに言われるとむかっ腹が立つ。遂にここに至って女土方が仲裁に入った。



Posted at 2016/03/28 20:26:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記

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