2016年03月22日
一方クレヨンは僕たちの血が滲むような努力で自分の部屋が廃棄物処理場から普通の人間が居住する部屋に戻ったのを感謝するでも喜ぶでもなくソファに体を投げ出して天井を向いてiポッドを聞いていた。
僕はまだ収まらない空きっ腹を抱えて女土方が早く来ないかと思いながらお手伝いが点けてくれた畳一畳くらいありそうな液晶テレビを見ていた。
しばらくするとチャイムが来客を告げた。でもここのチャイムは玄関ではなく門のところに誰かが来るとセンサーが反応して鳴る仕掛けなんだそうだ。それを赤外線と可視光のモニターで監視して門の開閉を行うらしい。安全と言えば安全なんだろうが、ずい分大掛かりで金がかかっていそうな仕組みだ。
モニターには女土方のスマートが場違いなほど小ぢんまりと映っていた。門の内側には駐車スペースがあって来客はそこで車を降りてインターホンで来訪の用件を告げて内門を開いてもらうようになっていた。女土方はそこで車を降りて大きなバッグを提げて歩いて来た。応接間で女土方を出迎えて一緒についてきたクレヨンを紹介した。
「あなたが澤本さんね。あなたのことはいろいろと聞いているわ。よろしくね。」
女土方はクレヨンに向かって微笑んだ。その時クレヨンが一瞬身を引いた。女土方は男の僕から見れば美人の部類に入る女だと思う。ただ、この女の笑顔は凄みがあるというか何となく底が知れない怖さがある。普段は無表情でその無表情も冷たいと言わけではないが取り付き難さがあるが、ちょっと微笑んだ顔も何とも言えない迫力がある。心は決して冷たい女でも怖い女でもないのだが、この凄みというか迫力が人をして女土方と呼ばせるのだろう。
脳みそが慢性血行不良で痺れまくっているクレヨンも本能的にそんな女土方の凄みを感じて身を引いたのだろう。こういう痺れまくりには僕のような実力行使派よりも女土方の無言の威圧の方が効き目があるのかもしれない。
「あなたにはあなたなりの生き方があるのかもしれないけど他人に負担をかけるのは良くないわ。どこまで自分の責任で自分の生き方を通せるのか良く考えておかないと。自分の生き方を通すにはその辺のバランスが大事だと思うわ。」
女土方は相変わらず微笑みながらそんなことを言った。全くもっともなことだけどそのバランスがなかなか難しい。そう言われると僕自身も胸を張り辛いところが多々あるかもしれない。しかしそんな高尚なことが野ザルに理解出来るだろうか。大体そんなことが理解出来るなら端からこんな騒動は起こさないんじゃないだろうか。
「別に私のことなんか放っておいてくれればいいのよ。どうしてこんなに皆で私に絡むのよ。それこそ無駄じゃないの。」
クレヨンは口を尖らせた。やっぱりそうだ。こいつはこの程度だろう。
「それはね今はあなたのお父様があなたを守ってくれるでしょうけど何時かは独りになるのよ。それに何時までも若いわけじゃないわ。そうなったらどうして生きていくの。」
「私は今が良ければそれで良いのよ。先のことなんか誰にも分からないでしょう。そんなことを考えてどうなるのよ。」
これは頭の悪いやつの常套手段とも言うべき言い訳だ。確かに先は分からないが、それなりに必要な手当てをしておくのが利口な人間のやり方だろう。ましてそれ相応の教育を受けるだけの資力が十分に備わった家庭に生まれ育っているのだから。
「食事の支度が出来ました。どうぞダイニングの方にお出でください。」
丁度良いタイミングでお手伝いが食事を告げに来た。これ以上サルと話しているとまた実力行使に至らないとも言えない。特に空腹で血糖値が下がって気が立っているんだから。僕は真っ先にダイニングに入った。テーブルの上にはそれはそれは豪華な食事が並んでいるかと思ったらトンカツとポテトサラダに味噌汁という極めてオーソドックスな洋食だった。
これじゃあセレブのディナーどころか独身寮の賄いのようなものじゃないか。それでも食事中はお手伝いが給仕をしてくれたし器はなかなか上品だった。それに空腹のためもあって味もなかなか良かった。そんなこんなで僕は何時もよりも大分食べ過ぎてしまった。
食事が終わるとコーヒーとデザートが出された。このあたりはさすがに上流階級の夕食らしい気配りだった。これは物を食うという習慣ではなくきっと談話の時間を作ろうという配慮なのだろうが、クレヨンとでは一体何を話すのだろうか、むしろどちらかと言えば問答無用という感が強かった。実際話は全く盛り上がらずクレヨンは早々に部屋に引っ込んでしまった。
お手伝いは食事が終わると僕たちを来客用のベッドルームに案内してくれた。そこは二階の角にある高級ホテル並みのツインのベッドルームだった。
「ねえこの家のホームセキュリティの制御盤はどこにあるの。」
僕はお手伝いに聞いた。
「はい一階の玄関脇にございますが。」
お手伝いは怪訝そうな表情で答えた。
「もう誰も帰って来ないわよね、今日は。」
「ええもう誰もお戻りにはなりません。」
やっぱりこのくらいの家になればそれなりの防犯設備はあるものだ。
「外は赤外線暗視ビデオカメラと赤外線センサー、家の中は火災センサーくらいかな。」
「はい、窓は全て防弾ガラスになっていて簡単には侵入出来ないそうです。ドアはデジタルオートロックでこれも簡単には破れないようになっているそうです。窓の開閉はすべて自動で一階の集中制御盤とそれぞれの部屋のスイッチで開閉が出来るようになっています。窓は二つの鍵が外されると自動的に三つ目の鍵がかかるようになっております。勿論警備会社へ通報されますから安心です。」
防犯装備はほとんど完璧と言ってもいいくらいだが、僕が心配しているのは外からの侵入よりもむしろ中から外に出て行くことだった。
「彼女は防犯設備の操作を知っているの。」
「いえ、お嬢様は制御盤には手を触れたことはありませんのでご存じないと思います。それに設定には暗証番号を使いますから。」
それだ。暗証番号を変えればクレヨンが操作を知っていても解除することが出来なくなる。僕はちょっと制御盤をいじって暗証番号を変えてしまった。これで万全だ。外から入れないのなら中からも出ることは出来ないに決まっている。僕はしてやったりと言う気持ちで防犯設備を全て稼動させた。
「解除の時は私に言ってね。何時でもかまわないから。」
お手伝いは黙って頷いた。ぼくたちはあてがわれた部屋に戻った。広い部屋に品の良い家具、洒落たベッド、こういうところに住んでそれが当たり前と思っている人たちがこの世の中にはたくさんいるんだろう。僕はリクライニングチェアに腰を下ろすとそのまま大きく伸びをした。何とも言えない良い気分だった。でも女土方はベッドの端に腰を下ろして何となく落ち着かない様子だった。
「ねえ、ホテルにでも泊まっていると思えばいいじゃない。のんびりしようよ。」
僕は女土方に声をかけたが女土方の方はなかなかそうも行かないようだった。
「ホテルならホテルでいいんだけど何となくホテルとは違うのよ、個人の家は。私だめなのよね、こういう雰囲気が。ねえお風呂やトイレはどうするの。部屋の外なの。」
女土方は部屋の中を見回した。
「あのドアの向こうにトイレとシャワーがついてるわ。この家は寝室にはそれぞれトイレと洗面台それにシャワーがついているの。お金持ちって違うわよね、考えることが。大きなお風呂がよければ外の風呂を使ってってお手伝いが言っていたわ。それに冷蔵庫の中のものは自由に飲み食いしてもいいって。そのほかに要るものがあれば電話すれば持ってくるって。キッチンの冷蔵庫の中のものもご自由にと言っていたわ。思い切り飲み食いしちゃおうか。」
女土方はそんな僕に苦笑いを禁じえなかったようだ。
「あなたは本当に大胆というか何処に行ってもめげない人ねえ。」
「住めば都って言うじゃない。ここだって慣れればきっと居心地がいいと思うわ。」
僕は立ち上がって女土方のそばに寄るとふざけ半分に抱きついた。ふざけるのはやめろと押し返されるかと思ったのにけっこう真面目に受け止められてしまって僕の方がちょっと戸惑ったが、まあいいかとそのままもつれてしばらくじゃれあっているとアラームが鳴り響いた。
Posted at 2016/03/22 23:09:35 | |
トラックバック(0) |
小説 | 日記
2016年03月18日
そうこうしているうちに社長は会社に戻ると言い出した。社長も忙しいのだろうからこいつに付き合って何時までもここにいるわけにもいかないのだろう。北の政所様も一緒に帰るようなので夜女土方が来るまでは僕一人ということになる。
「ねえ取り敢えず家の中を見せてくれない。こんなに広い家に住んだことがないから迷子になりそう。」
僕はお手伝いに頼んだ。お手伝いは黙って頷くと先に立って応接間を出ようとした。
「あなたも一緒に来るのよ。あなたの部屋も見せなさい。いいわね。」
僕はクレヨンに向かって言った。クレヨンはだるそうに立ち上がると後をついて来た。一階は玄関、応接間、ダイニング、キッチン、家事室、バス、洗面所、トイレ、フィットネスルーム、オーディオルームにお手伝いの部屋が二か所、一つは住み込みのお手伝いが使いもう一つは運転手が時々使っているそうだ。
使用人用のバスとトイレは別に設えてあった。二階は主寝室と書斎、ベッドルームが四室、洗面、バス、トイレに居間を兼ねたユーティリティスペース。どの部屋も馬鹿みたいに広くて僕等には想像もつかないくらい内装の作りも家具も豪華だった。
しかしそれもクレヨンの部屋を見せられて打ち砕かれた。作りや家具は豪華なのだろうけどそれが見えないのだ。何故ってあまりにも散らかり過ぎていて。片付けられない症候群というのがあるそうだが、どうもこいつもそうじゃないのかと思うくらいに乱雑に取り散らかっていた。
床は衣類やバッグ、雑誌、CD、化粧品その他諸々でほとんど足の踏み場がないほどだった。どうしたらこんな部屋になるんだろう。ベッドの上は衣類や雑誌が山のよう。一体こいつはどこで寝ているんだ。
「あんたねえ、ここすぐに片付けなさい。いいわね。」
僕はクレヨンを振り返った。クレヨンは横を向いたまま答えなかった。
「大体何よ、若い女性がどうしてこんなに下着を散らかしてるのよ。ああ見ていると頭がおかしくなりそうだわ。」
「私は一度着けた下着は二度と着けないのよ。」
クレヨンはどこかの女優のようなことを言った。
「二度と身に着けなくてもいいからそれだったら捨てなさいよ。とにかくすぐに片付けなさい。」
僕はクレヨンの腕をつかんで部屋に引き入れた。
「どうして片付ければいいのか分からないわ。捨てればいいの。」
クレヨンは部屋の中に立ち尽くしたまま辺りを見回しているだけで片付けに手を付けようとはしなかった。
「世話の焼ける子ね。要る物と要らない物に分けなさいよ。」
僕は錯乱しそうな精神に鞭打ってありったけの蛮勇を奮って床の上に沈殿している様々なものの中に手を突っ込んでよく見もしないで布切れをつかんだらそれがクレヨンが身に着けて投げたパンティだった。その手の愛好家なら喜んで買うのかもしれないが、何だか気味が悪くて鳥肌が立った。
でももうこうなったら乗りかかった船だと思い、次から次へと下着やら衣類やらをつかんでは必要かそうでないかを聞いてより分けていった。こんなにたくさんパンツがあればこれだけで満艦飾が出来る。アダルトショップに売っても一財産かも知れない。
小一時間で大分床が露出してきた。CDは棚に戻して要らない雑誌は束ねて衣類やバッグ類はクロゼットに収めて下着はポリ袋に放り込んだ。こうして苦闘三時間ほどで概ね片付けは終わったが、どうもクレヨンにやらせるのではなくて僕がやってしまったようだった。
お手伝いに床の掃除をさせて何とか周りと調和するくらいになったところで精も根も尽き果てた。でもまだ洗濯が待っている。ポリ袋に二袋も下着を洗うのはかなり異常だが仕方がない。家事室に行って洗濯機に全部放り込んで回し始めると水が異様な色に濁って来た。何だか洗濯槽を見ているのが恐ろしくなってきて蓋を閉めてしまった。
パンティは何となく不気味だったので2回洗濯してやった。その後洗い上がったパンティを乾燥機にかけたが、ドラムの中で色とりどりのパンティがぐるぐる回っているのを見ていると万華鏡でも見ているように幻想的な気分になって来た。
乾燥が終わるとお手伝いと二人で端から畳んだが、どうして女という生き物はこんなにひらひらのついた布切れみたいなものばかり身に着けたがるんだろう。こんなのじゃあ下着の役どころかただ中身を飾って見せるだけの用しか足さないじゃないか。もっともそれが目的の場合も少なからずあるのかもしれないが。この際身に着けるパンツのタイプも制約条項に入れてやろうか。
そんなことを考えながら一生懸命畳んだが二回洗っても不気味なシミの取れないのは全部捨ててやった。クレヨンは一度身に着けた物はいらないと言い張ったが、贅沢を言うなと押し付けてやった。
クレヨンの部屋の片付けとパンツの洗濯だけで日が暮れて夕食の時間になったが、考えてみれば昼飯抜きでサルの檻の片づけをしていて昼飯がまだだったことに気がついたらひどく空腹を感じ始めた。
「夕食は何がよろしいですか。」
お手伝いが僕に夕食のことを聞いたが、まさか希望したらフランス料理のフルコースでも出てくるのだろうか。
「どうぞお構いなく。何でも結構ですから。」
そんな心の内は明かさずに至極控えめに答えておいたが、正直なところこういう家庭ではどんな食事が出てくるのか興味があった。
「もう一人いらっしゃるのですか。その方の分も用意しますか。」
お手伝いは女土方のことを聞いたのでこれも控えめに「良しなに」と答えておいた。取り敢えずこの空腹を何とかしないといけないとは思ったが、まさか他人様の家で冷蔵庫を漁るわけにもいかないので困っていたところお手伝いが気を利かせたのかコーヒーと洒落た洋菓子を器に盛って運んで来た。
「今日はお昼を召し上がっていらっしゃらないのでお腹が空かれたでしょう。申し訳ありませんが食事の支度が出来るまでこれで辛抱してください。」
「ああ、気を使っていただいてすみません。」
一応表向きは女性なので腹は減っていてもあまりがつがつと食らいつくわけにもいかず、一言御礼を言ってから一つ摘んで口に運んだ。しかし空腹の時というのは一つ手をつけると歯止めが利かなくなったように次から次へと手が出そうになるのを必死でこらえながら『品良く』をモットーに手にとった菓子を少しづつ口に運んだ。それにしても欲望というのは際限のないもので少しでも腹に入るともっともっとと欲求がこみ上げて来て目の前に山と積まれた菓子を見るのが恨めしかった。
僕もちょっと妙齢は過ぎているかもしれないが、まだまだ売り物の女性として振舞わないと佐山芳恵に申し訳がないので食いたいものも我慢しながらコーヒーをお代わりして耐えていたところに女土方から電話が入った。
「今戻ったけどどうすればいいの。あなたの着替えは用意して持っていくけど。ところで社長から直接電話があって『明日は出勤しなくてもいい。』と言われたけどどうなっているの。本当にややこしいことばかり引き寄せる人ね、あなたって。」
女土方はそう言うが一番ややこしいのは僕が佐山芳恵の体に住み着かなくてはいけなくなったことでこればかりはややこしいことばかりと言われても僕にもどうしようもない不可抗力か災難のようなものとしか言いようがなかった。
「ごめんね、変なことにばかり巻き込んで。着替えは上から下まで全部お願いね、動き易いものを。食事はこっちで用意してくれるそうだから来るまで待っているわ。車を停める場所はいやというほどあるわ。ここの場所は分かる。」
「ナビがあるから大丈夫。社長から地図がファックスされて来たし。じゃあもう少ししたら出るわね。」
本当に女土方は何でも嫌がらずによくしてくれる女だ。こんなあほらしいことにも手助けしてくれて本当に涙が出るほどありがたい。
Posted at 2016/03/18 17:51:04 | |
トラックバック(0) |
小説 | 日記
2016年03月13日
そうこうしているうちに社長は会社に戻ると言い出した。社長も忙しいのだろうからこいつに付き合って何時までもここにいるわけにもいかないのだろう。北の政所様も一緒に帰るようなので夜女土方が来るまでは僕一人ということになる。
「ねえ取り敢えず家の中を見せてくれない。こんなに広い家に住んだことがないから迷子になりそう。」
僕はお手伝いに頼んだ。お手伝いは黙って頷くと先に立って応接間を出ようとした。
「あなたも一緒に来るのよ。あなたの部屋も見せなさい。いいわね。」
僕はクレヨンに向かって言った。クレヨンはだるそうに立ち上がると後をついて来た。一階は玄関、応接間、ダイニング、キッチン、家事室、バス、洗面所、トイレ、フィットネスルーム、オーディオルームにお手伝いの部屋が二か所、一つは住み込みのお手伝いが使いもう一つは運転手が時々使っているそうだ。
使用人用のバスとトイレは別に設えてあった。二階は主寝室と書斎、ベッドルームが四室、洗面、バス、トイレに居間を兼ねたユーティリティスペース。どの部屋も馬鹿みたいに広くて僕等には想像もつかないくらい内装の作りも家具も豪華だった。
しかしそれもクレヨンの部屋を見せられて打ち砕かれた。作りや家具は豪華なのだろうけどそれが見えないのだ。何故ってあまりにも散らかり過ぎていて。片付けられない症候群というのがあるそうだが、どうもこいつもそうじゃないのかと思うくらいに乱雑に取り散らかっていた。
床は衣類やバッグ、雑誌、CD、化粧品その他諸々でほとんど足の踏み場がないほどだった。どうしたらこんな部屋になるんだろう。ベッドの上は衣類や雑誌が山のよう。一体こいつはどこで寝ているんだ。
「あんたねえ、ここすぐに片付けなさい。いいわね。」
僕はクレヨンを振り返った。クレヨンは横を向いたまま答えなかった。
「大体何よ、若い女性がどうしてこんなに下着を散らかしてるのよ。ああ見ていると頭がおかしくなりそうだわ。」
「私は一度着けた下着は二度と着けないのよ。」
クレヨンはどこかの女優のようなことを言った。
「二度と身に着けなくてもいいからそれだったら捨てなさいよ。とにかくすぐに片付けなさい。」
僕はクレヨンの腕をつかんで部屋に引き入れた。
「どうして片付ければいいのか分からないわ。捨てればいいの。」
クレヨンは部屋の中に立ち尽くしたまま辺りを見回しているだけで片付けに手を付けようとはしなかった。
「世話の焼ける子ね。要る物と要らない物に分けなさいよ。」
僕は錯乱しそうな精神に鞭打ってありったけの蛮勇を奮って床の上に沈殿している様々なものの中に手を突っ込んでよく見もしないで布切れをつかんだらそれがクレヨンが身に着けて投げたパンティだった。その手の愛好家なら喜んで買うのかもしれないが、何だか気味が悪くて鳥肌が立った。
でももうこうなったら乗りかかった船だと思い、次から次へと下着やら衣類やらをつかんでは必要かそうでないかを聞いてより分けていった。こんなにたくさんパンツがあればこれだけで満艦飾が出来る。アダルトショップに売っても一財産かも知れない。
小一時間で大分床が露出してきた。CDは棚に戻して要らない雑誌は束ねて衣類やバッグ類はクロゼットに収めて下着はポリ袋に放り込んだ。こうして苦闘三時間ほどで概ね片付けは終わったが、どうもクレヨンにやらせるのではなくて僕がやってしまったようだった。
お手伝いに床の掃除をさせて何とか周りと調和するくらいになったところで精も根も尽き果てた。でもまだ洗濯が待っている。ポリ袋に二袋も下着を洗うのはかなり異常だが仕方がない。家事室に行って洗濯機に全部放り込んで回し始めると水が異様な色に濁って来た。何だか洗濯槽を見ているのが恐ろしくなってきて蓋を閉めてしまった。
パンティは何となく不気味だったので2回洗濯してやった。その後洗い上がったパンティを乾燥機にかけたが、ドラムの中で色とりどりのパンティがぐるぐる回っているのを見ていると万華鏡でも見ているように幻想的な気分になって来た。
乾燥が終わるとお手伝いと二人で端から畳んだが、どうして女という生き物はこんなにひらひらのついた布切れみたいなものばかり身に着けたがるんだろう。こんなのじゃあ下着の役どころかただ中身を飾って見せるだけの用しか足さないじゃないか。もっともそれが目的の場合も少なからずあるのかもしれないが。この際身に着けるパンツのタイプも制約条項に入れてやろうか。
そんなことを考えながら一生懸命畳んだが二回洗っても不気味なシミの取れないのは全部捨ててやった。クレヨンは一度身に着けた物はいらないと言い張ったが、贅沢を言うなと押し付けてやった。
クレヨンの部屋の片付けとパンツの洗濯だけで日が暮れて夕食の時間になったが、考えてみれば昼飯抜きでサルの檻の片づけをしていて昼飯がまだだったことに気がついたらひどく空腹を感じ始めた。
「夕食は何がよろしいですか。」
お手伝いが僕に夕食のことを聞いたが、まさか希望したらフランス料理のフルコースでも出てくるのだろうか。
「どうぞお構いなく。何でも結構ですから。」
そんな心の内は明かさずに至極控えめに答えておいたが、正直なところこういう家庭ではどんな食事が出てくるのか興味があった。
「もう一人いらっしゃるのですか。その方の分も用意しますか。」
お手伝いは女土方のことを聞いたのでこれも控えめに「良しなに」と答えておいた。取り敢えずこの空腹を何とかしないといけないとは思ったが、まさか他人様の家で冷蔵庫を漁るわけにもいかないので困っていたところお手伝いが気を利かせたのかコーヒーと洒落た洋菓子を器に盛って運んで来た。
「今日はお昼を召し上がっていらっしゃらないのでお腹が空かれたでしょう。申し訳ありませんが食事の支度が出来るまでこれで辛抱してください。」
「ああ、気を使っていただいてすみません。」
一応表向きは女性なので腹は減っていてもあまりがつがつと食らいつくわけにもいかず、一言御礼を言ってから一つ摘んで口に運んだ。しかし空腹の時というのは一つ手をつけると歯止めが利かなくなったように次から次へと手が出そうになるのを必死でこらえながら『品良く』をモットーに手にとった菓子を少しづつ口に運んだ。それにしても欲望というのは際限のないもので少しでも腹に入るともっともっとと欲求がこみ上げて来て目の前に山と積まれた菓子を見るのが恨めしかった。
僕もちょっと妙齢は過ぎているかもしれないが、まだまだ売り物の女性として振舞わないと佐山芳恵に申し訳がないので食いたいものも我慢しながらコーヒーをお代わりして耐えていたところに女土方から電話が入った。
「今戻ったけどどうすればいいの。あなたの着替えは用意して持っていくけど。ところで社長から直接電話があって『明日は出勤しなくてもいい。』と言われたけどどうなっているの。本当にややこしいことばかり引き寄せる人ね、あなたって。」
女土方はそう言うが一番ややこしいのは僕が佐山芳恵の体に住み着かなくてはいけなくなったことでこればかりはややこしいことばかりと言われても僕にもどうしようもない不可抗力か災難のようなものとしか言いようがなかった。
「ごめんね、変なことにばかり巻き込んで。着替えは上から下まで全部お願いね、動き易いものを。食事はこっちで用意してくれるそうだから来るまで待っているわ。車を停める場所はいやというほどあるわ。ここの場所は分かる。」
「ナビがあるから大丈夫。社長から地図がファックスされて来たし。じゃあもう少ししたら出るわね。」
本当に女土方は何でも嫌がらずによくしてくれる女だ。こんなあほらしいことにも手助けしてくれて本当に涙が出るほどありがたい。
Posted at 2016/03/13 17:37:40 | |
トラックバック(0) |
小説 | 日記
2016年03月10日
「お金のことはいいんですけど私は何時までここにいればいいんですか。そんなに長い間ですか。」
「ここの主があと一ヶ月ほどで戻るから取り敢えずそれまでは。どうかな大変だとは思うけど豪邸の主にでもなったつもりで。ああそうだ。車も自由に使っていいそうだから。」
社長は気楽なことばかり並べ立てた。あのクレヨンがいなければそれは今流行のセレブにでもなったつもりになれるんだろうが、クレヨン付じゃあ爆薬背負って地雷原でも彷徨っているようなものじゃないか。とにかくこんなことになってしまったことを女土方に伝えなくてはと思い応接間から出て電話をかけた。事の顛末を告げると女土方はため息をついた。
「本当にあなたって面倒ばかり背負い込む人ね。それで私はどうすればいいの。何かして欲しいの。」
女土方は開いた口が塞がらないといった風情だった。男として生活している時は本当にこんな苦労はなかったのに人を避けて暮らしていたつけがまとめて来たのだろうか。
「ねえここで一緒に暮らしてくれない。私一人じゃ心細いわ。」
本当はここで暮らしていたら中身男の自分が何をしでかすかそれが怖かったのかも知れない。女土方はしばらく考えている様子だったが、以外にあっさりと思いもかけないことを言い出した。
「その子をうちに連れてくれば。その方が私達には都合がいいでしょう。うちね使っていないロフトがあるのよ。そこに入ってもらえばいいわ。その子には狭苦しいかも知れないけど私はあまり広いところは落ち着かないのよ。その辺で話をまとめてくれば。じゃあね。」
女土方は簡単に言うと電話を切ってしまった。確かにあっちの方がクレヨンの管理にはやり易いかもしれない。目は倍になるのだし家も狭いので監視も行き届くだろうし。しかし本当にいいのだろうかと首を傾げてしまったが、家主がそういうのだから良いのだろう。
でも女土方はどうして家に連れて来いなんて言ったんだろう。僕とクレヨンをこの邸宅に二人で置いておくのは危ないと思ったんだろうか。僕がクレヨンに手を出すとでも。言い訳じゃないが、僕はクレヨンには全く興味がなかった。
性格的に好きではないと言うのが一番の理由だけれど基本的にあまり年の離れた若いのはどうもいけない。ある程度価値観や時代を共有できる相手が良い。体で遊ぶだけなら若いのもいいのかもしれないが、あまりきゃんきゃんちゃらちゃらしていると一緒にいるだけで疲れてしまう。僕とクレヨンは親子くらいも年が離れているんだからそんなのと何かしでかす気にはとてもならない。第一ばかは大嫌いだ。
このことを社長に話すと「二人で見てくれるんならなおさら心強い。」と大喜びだった。もしかしたら僕の凶暴性を女土方が押さえてくれると思ってそれで安心したのかも知れない。ただ社長は父親の意向も確認するからとこの提案に一応留保をつけた。
「今晩だけはここに泊まってやってくれないかな。伊藤さんをここに呼んでもかまわないから。」
仕方がないのでもう一度女土方に電話をして確認すると「一晩くらいなら後学のためにお屋敷を見ておくのもいいかもね。じゃあ後であなたの着替えも持って行くから。」と言って承知してくれた。
「明日は出社しなくてもいいからここにいてくれないか。公私混同かもしれないが大目に見てよろしく頼む。伊藤さんにもそう伝えてくれ。」
公私混同かもじゃなくて思い切り公私混同だろう。こんなことで仕事を休んでいいなんて。そうこうしているうちにクレヨンが美容院から戻って来た。髪を短めにまとめて外見だけは少しはまともになって戻って来た。
「今日からしばらくの間、私生活も佐山さんと伊藤さんが見てくれることになった。迷惑をかけないようによくお願いしておきなさい。いいね。」
社長はクレヨンに諭すように言った。
「佐山さん、あなたは私が嫌いなんでしょう。どうして私の面倒なんて見るの。お手当てでも出るの。」
こいつはどうしてこういう憎らしい口しか聞けないんだろう。でも僕もこいつをかわいがってやった覚えはないから仕方がないのか。
「ええ、あなたのことは大嫌いよ。一緒になんかいるのは真っ平ごめんだけど行きがかり上仕方なくなってね。後に引けなくなっちゃったわ。この先あなたのお父様が帰ってくるまで一ヶ月なんて気が遠くなりそうだけどどうか面倒は起こさないでね。それからこれだけは言っておくけどお手当てなんかもらっていないわ。いいわね。」
そして続けて僕はこれからの生活の条件をクレヨンに言い渡した。
必ず毎日定刻に出社すること。
原則行動は一緒。
門限は午後十時。
休日の単独外出は認めない。
友達を呼ぶ時は予めどこの誰かを申告して許可を得ること。
自分の携帯は原則使用禁止。必要な時はこちらで与えるものを使用すること。
室内で騒音を立てないこと。
室内はきちんと片付けること。
食事、洗濯、買い物を含めて自分の身の回りのことは自分ですること。
クレヨンは悲鳴のような声を立てて文句を言ったが一切異議を認めなかった。自分で蒔いた種で騒動を起こした結果身に降りかかって来た制約なんだからどんな条件も甘んじて受諾するのが筋と言うものだ。これは敗戦後の保証占領のようなものと思ってもらいたい。条件に従わなければ武力行使もやむを得ない。こういうところは僕も女の姿をしているがやることは男丸出しだと思う。
クレヨンは携帯だけは今の自分のものを持たせて欲しいと言い張ったが、これも却下した。携帯が社会との窓口なのかも知れないが、他にもいろいろと方法がある。ネットをしたければパソコンを使えばいい。携帯なんかあのらくらくホンで十分だ。
そうこうしているうちに社長は会社に戻ると言い出した。社長も忙しいのだろうからこいつに付き合って何時までもここにいるわけにもいかないのだろう。北の政所様も一緒に帰るようなので夜女土方が来るまでは僕一人ということになる。
Posted at 2016/03/10 21:33:20 | |
トラックバック(0) |
小説 | 日記
2016年03月09日
「百戦錬磨のお姉さんを舐めるんじゃないよ。私はね、あんたみたいな世間知らずの我儘が大嫌いなの。あんたがハゲタカに食われようが身ぐるみはがされようが私の知ったことじゃないけどね。そうなったら悲しむ人がいるんでしょう。少しはその人達のことを考えなさい。」
クレヨンは本当にサルのような姿になって何やら意味不明のことをわめきながら何度もつかみかかって来たが、その度に床に投げ飛ばしてやった。基本的に僕は男なのだからやることは純粋の女とは違って荒っぽいんだろう。勿論怪我をしない程度に手加減はしていたが。
社長や北の政所様は呆れたように眺めていたが、北の政所様は自分の時を思い出したのかやや苦笑いの態だった。
何度も投げ飛ばすうちにさすがのクレヨンも疲れたのか床にうずくまったまま肩で息をして立ち上がって来なくなった。ぼくはその腕をつかむとクレヨンの体を引き起こしてソファに座らせた。そして呆けたように立ち竦んでいたお手伝いが両手で持っていたバスタオルを引っ手繰ってクレヨンの髪を拭いてやった。そして顎を軽くつかむとうつむいていたクレヨンの顔を上げさせた。
「あんたね、いろいろ事情があるのかもしれないけど、もう少し気合を入れて生きないとこの先とんでもない目に遭うわよ。一体今のあんたに生きていくためのどんな才能があるというの。言っとくけどあんたの自慢の英語なんて全く使い物にならないからね。それから日本語もね。お父さんの傘の下でちゃらちゃら生きていないで少しは真剣に自分で生きることを考えなよ。この世の中を舐めるんじゃないよ。」
クレヨンが僕の言うことを素直に聞くなどとは欠片も思ってはいなかったが、こいつのためにさせられた苦労を考えればこのくらいしても罰は当たらないだろう。
「ねえこの辺に美容室があったら予約してくれませんか。」
僕はお手伝いを振り返って頼んだ。
「この皿うどんみたいな髪を何とかしないとね。丁度濡れてしまったんだから少し切ってストレートパーマでもかけてもらったら。」
クレヨンに話しかけるといきなり顔を振って僕の手を振りほどいた。そして僕の顔につばを吐きかけた。
「舐めたまねをするんじゃないって言ったわよね。」
僕はクレヨンの腕をつかんでもう一度引き起こすとさっきよりも少し強めに床に投げつけた。受身など取れないだろうから頭を打たないように腕をつかんで上半身を支えていてやったので怪我をすることはなかったが、骨盤にかなりの衝撃があったんだろう。クレヨンは「グッ」という声を上げて床に伸びた。そのクレヨンの髪をつかんで上半身を引き起こして「百戦錬磨のお姉さんを舐めるんじゃないと言ったでしょう。」ともう一度警告をしてやった。
「佐山さん、ちょっとやりすぎじゃないか。」
さすがに見かねたのか社長が口を挟んだ。
「私に任せるって言いましたよね。だったら口を挟まないでください。」
僕は思わず口走ってしまったが、これでは僕がこのサルの面倒見ることを同意したことになってしまう。しまったと思ったが、もう遅かった。社長はそれ以上は何も言わずに引き下がった。
「起きて普通の服に着替えるのよ。いいね。分かったわね。」
僕はクレヨンを起こすとお手伝いに引き渡した。お手伝いはクレヨンを支える様にして応接間の外に連れ出した。
「あなたって本当にやることが過激で凶暴なのね。一体若い頃何してたの。」
北の政所様は呆れた様に僕を見た。
『ええ若い頃からついこの間までずっと男してましたから。』
そう言ってやろうかと思ったが、もっと状況がこじれそうだからやめておいた。しばらくするとトレーナーに着替えたクレヨンが応接間に姿を現した。髪はゴムで束ねて落書き化粧なしの素顔だった。わけの分からない化粧を落としてみれば普通の若い娘の顔だった。
美容院の予約が取れたそうでクレヨンはそのままお手伝いと一緒に髪を切りに出かけた。三人になると社長が早速口を開いた。
「いや、本当に佐山さんに引き受けてもらってありがたい。本当に迷惑をかけるけど是非よろしくお願いしたい。僕が一緒にいるわけにはいかないし、冴子でも年が離れ過ぎて具合が悪い。それにどうもそういう性格ではないようだしなあ。冴子は。」
さっきの一言がまずかった。『私に任せるんでしょう。口を出さないで。』なんて思わず口走ってしまったのが失敗だった。社長はもうすっかりその気になってしまっていた。
「この家は好きに使っていいそうだから。必要な経費はお手伝いから受け取ってくれ。取り敢えずここに三十万用意してあるのでこれを遣って必要なものを買い揃えるなり何なりしてくれ。」
社長は封筒を差し出した。
『そうして君たちは何でも金で始末をつければいいってものじゃないだろう。』
社長に一言言ってやりたかったが、そうも言えない宮仕えの辛さがあった。
Posted at 2016/03/09 21:25:04 | |
トラックバック(0) |
小説 | 日記