2017年04月07日
翌朝、もう朝とは言えない時間だったが、クレヨンに「女土方がいない」と起こされた。起き上がろうとすると僕の体に昨日女土方にかけてやったケットがかかっているのに気がついた。きっと女土方がかけてくれたんだろう。ベッドには着せてやったTシャツがきれいにたたんでおいてあり、その上にシールで封をした小さなメモが置かれていた。
『迷惑をかけてごめんなさい。昨日はいろいろありがとう。あなたの気持ちは良く分かりました。明日の日曜、家で待っています。』
メモには女土方の手でそう書いてあった。これで関係修復はほぼ完了したことになるが、次の問題はクレヨンの方だった。昨日あれだけ騒いだクレヨンが今日はどう出てくるかその辺りを見極める必要があった。もっとも姿かたちは男ではないので先に手を出したとか出さないとか言う言い争いがないのは気楽には気楽だった。僕はクレヨンが昨夜のことをきれいさっぱり忘れていてくれるのではないかと淡い期待を持っていた。
『私はあなたが思っているほどバカじゃない。』
昨夜はクレヨンはそう啖呵を切っていたが、僕はクレヨンが思ったとおりバカなことを祈った。しかしそんな淡い期待はすぐに木っ端微塵に打ち砕かれた。
「ねえ、昨夜、私が言ったことを覚えているわよね。あなたの答えが聞きたいわ。昨日言ったことについて。あなたの真面目な答えが。答えてくれるわよね、私に。」
この一言で僕は木っ端微塵のバカに木っ端微塵にされてしまった。
「うーん、何があったっけ。良く思い出せないわ。」
僕は寝ぼけた振りをしてちょっと韜晦戦術に出たが、これもいきなりクレヨンのディープキッス攻撃であっさりと打ち砕かれてしまった。
「どう、これで思い出した。」
口の周りが涎だらけになるほど強烈なキッスでもうこれ以上とぼけるわけにも行かなかった。
「もう、起き抜けから涎が垂れるほど濃厚なキッスなんかしないでよ。まだ半分寝てるんだから。」
僕は一応クレヨンに文句を言っておいてから何と答えようか考えた。そして「ねえ、優しい亜矢乃さん、冷たいコーヒーを持って来て。」と言ってクレヨンにコーヒーを取りに行かせた。僕なんかコーヒーのパックはスーパーか何かで安いものを買うんだけどここのコーヒーは「●●●コーヒー」といったブランド物で内容は似たようなものなんだろうけど僕なら間違っても買わない高級品だった。
その高級品のコーヒーをグラスとパックごと持って来たのでグラスにどっぷりと注いで思い切り飲んでやった。程よい苦味とほんのりした甘味が喉に心地良かった。やっぱり高級品は違う。
「さあ、落ち着いたでしょう。答えを聞かせて。」
クレヨンは畳み掛けるように僕を問い詰めた。あの時会社で部長に引き継がれてクレヨンと出会って以来こいつにここまで追い詰められようとは思いもしなかった。
「あんたねえ、好きだとか嫌いだとか何を言ってるのよ。あんたは日本の巨大銀行の頭取の愛娘でしょう。その愛娘が、男ならいざ知らず、こともあろうにわけの分からない女とくっついてどうするのよ。それこそあんたのお父上は血液逆流させてしまうわよ。
あのね、それは私はこれまで数えきれないくらいあなたの人格を否定するようなことを言ったりやったりして来たわよ。それは否定しないわ。でもね、本当に嫌いだったらこんなに一緒に眠ったり抱き合ったり食事を共にしたり出かけたりして生活を絡み合わせたりはしないわ。
あなたのことは好きよ。でもね、あなたは私や彼女とは違う人よ。私達のように他に生き方がないわけじゃない。心の傷が癒えたらまた自分の足で立って歩き出さないといけないのよ。今度は間違えないようにね。
でも私達はいつもあなたと一緒にいてあげるわ。別に見放すわけじゃない。いいわね。あなたのことは好きよ。だから分かってね、私の言うことを。」
「あなたの言っていることは良く分かるわ。正論だと思う。でもね、それが正論かどうかなんて私には関係ないわ。あなたが女かどうかも関係ないわ。私はあなたが好きなの、それが今の私には一番大事なことなの。あなたが言うことは分かったわ、一応考慮するけど私の言うことも分かってね。」
Posted at 2017/04/07 18:17:02 | |
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小説 | 日記
2017年03月27日
「あなたは姿かたちだけは女だけど、本質は女じゃないと思うわ。私にはあなたが一体何者なのか分からないけど、でもそんなことどうでもいいの。私はあなたの優しさが好き。どうしようもないくらい好きなの。」
何だか分からないのはこっちの方だ。一体僕にどうしろと言うんだ。
「ねえ、私にどうして欲しいの。こうして抱いててあげればいいの。」
それで良い訳がないだろうが、突然のことに僕も他に言うことを思いつかなかった。
「そんなのいや。あなたを私だけのものにしたい。誰にも渡したくない。」
クレヨンはもっと強く僕に抱きついて来た。この際だからこいつと一緒になって日本の金融界を牛耳ってやろうか。でも自分の愛娘が女とくっついてしまったら、あの金融翁も血液が逆流してしまうだろう。それに僕自身も為替や金融関係には全く疎いのでいくら日本一の銀行でもあっという間に食い潰してしまうかも知れない。もっとも巨大銀行を食い潰せるくらいならそれはそれで相当な才能かも知れないが。
もう一つの手はここで、ここじゃなくてもいいんだけど、皆で仲良く暮らすことだが、これは男の感覚では成立しても女の感覚では絶対に成立しないだろう。男の場合、同時に複数の女を好きになり、ちょっと気の利いた男ならその複数の女と等距離でうまく付き合っていくことも可能だし、それも全く自然にあり得ることだが、女の場合はそんなことは絶対にあり得ない。そんなことはあり得べからざるものなのだ。
そんなことを考えながら適当にクレヨンを慰撫していたところ、いきなり伸び上がったクレヨンに思い切り唇を奪われてしまった。もうここまで来たら何が起こっても驚いたりはしないし、キスくらいしたければ幾らでもしてやるが、こいつ等も一体どうなっているんだ。でもクレヨンも大分酒臭かったのできっと相応には飲んでいるんだろう。明日の朝になって酔いが覚めればこの淫靡な抱擁もきれいに忘れて平常に戻るかも知れない。
そんなことを思いながらクレヨンのしたい放題身を任せていたが、いい加減口の周りがだるくなった頃、長い長い抱擁が終わってクレヨンは僕から体を離した。そしてもう一度しっかりと僕を抱き締めて
「もう誰にも渡さない。そこで寝ている人にも、絶対に。」と物騒なことを呟くと何時の間にか穏やかな寝息を響かせて寝入ってしまった。
こいつそんなに酔っていたのか。そんなクレヨンを抱き上げてベッドに運んで寝かせてやった。物騒なことを言って僕の心胆を寒からしめた張本人は意外に平和な顔をしてその心を夢の世界へと漂わせているようだった。
僕はソファに戻ってビーフジャーキーの欠片を口に放り込むとビールを一口飲み込んだ。せっかく女土方との関係改善に光明が見えて来たと思ったら、今度はクレヨンの爆弾発言で僕を巡る人間関係はまた混沌とした様相を呈して来た。
これをどう乗り切るかちょっと思いを巡らせては見たものの自分の決心だけではどうにもならないことなのですぐに考えるのを止めてしまった。僕は今ではクレヨンのことは決して嫌いではないが、だからと言ってクレヨンとこの先の人生を共にしようとは思わない。彼女にはそれなりの人生があるのだろうし、またそれなりの社会的な責任もある。
僕はただ請われてここに同居をしているだけなので「さよなら」と一言そう言ってここを出てしまえばそれで終わってしまう。クレヨンがもしも本気だったとしたら暫らくは淋しい思いをするんだろうが、それもちょっと甘酸っぱい人生の試練のようなものだろう。そんなことを思いながらまだクレヨンの唇の感触が残っている口にビールを流し込んだ。
僕は今夜こそ誰が何と言っても女土方を抱いて眠るつもりだった。誰が何と言っても彼女の温もりを感じながら穏やかな気持ちになってまどろむつもりだった。でもこれじゃあ女土方にもクレヨンにも張りつけないじゃないか。
何だかご馳走を目の前にしてお預けを喰らっている犬のような気分だった。そんなことを考えながらクレヨンが持って来た缶ビールを飲み終わっては潰し、飲み終わっては潰して結局皆飲んでしまった。そしてそのままソファに仰向けになると複雑な思いを抱えたまま夢の中へと落ち込んで行った。
Posted at 2017/03/27 23:06:03 | |
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小説 | 日記
2017年03月17日
クレヨン宅に着くと女土方をベッドに寝かせてから着ているものを脱がしてやった。クレヨンやテキストエディターのお姉さんなら面白半分にみんな引っぺがしてやるんだけど、クレヨンにでも女土方の裸を見せるのははばかられたのでクレヨンにシャツを出させてそれを着せてからブラを外したりスカートを脱がせたりした。
もっとも以前に何度も泊まったので女土方もクレヨンの前で裸体を晒してはいるんだけど。着替えが終わると今度は濡れタオルで女土方の顔を拭いてやった。顔を拭く時、女土方は何だかもそもそ言って顔を背けたりしたが、僕はさっさと拭いてケットをかけて寝かせてやった。
そうして女土方が完全に沈没したのを見届けてから僕はクレヨンにビールを持ってくるように言った。滅多に酒を飲もうなんて気にはならないのだが今日はさすがに少し飲みたくなった。クレヨンは黙って頷くとビールとビーフジャーキーを持って来た。こいつとも何だかんだ言いながらもう長い付き合いなので僕の好みが良く分かっているようだ。
僕はプルトップを引くと缶のまま飲み始めた。以前、ある飲み仲間が『ビールを缶のまま飲むなんて邪道だ。ビールはグラスに注いで泡の白さとビールの琥珀色を愛でながら飲むんだ。』なんて気取ったことを言っていたが、僕は缶のまま飲んで飲み終わった缶を潰すのが好きだった。
僕は何だか消耗し切ったようにソファに体を沈めてビールを飲んでいた。クレヨンは僕の横に座ってビーフジャーキーの袋を切って皿に移していた。この皿の上のジャーキーはその辺のコンビニで売っているような半端なものではないので何となくいただくのが申し訳ないように思うが、この家が注文して業者が持って来るんだから食ってやらないと申し訳ないだろう。
そんなことを思いながら皿の上のジャーキーを取って口に放り込むとクレヨンが「美味しいか」と聞いた。僕はただ「良いものね、美味しいわよ」と答えると、いきなりクレヨンが抱きついて来たので危うくビールの缶を落としそうになった。
「私だってあなたのことを考えて一生懸命いろいろやってあげているのにあなたはちっとも私の方を見てくれない。あなたは私をバカにしているけど私はあなたが思っているほどバカでもなければ子供でもないわ。私だって大人の女なんだから少しくらい私の方も見てよ。男とか女とか関係ないわ。あなたが好きなのよ、そのくらい気がついてくれてもいいじゃない。」
僕にしがみついて泣きじゃくるクレヨンに僕はまた腰が抜けるほど驚いてビールの缶を持ったままただただ唖然として固まってしまった。
「私のことも見てよ。私にも優しくしてよ。」
クレヨンは僕にしがみついたまま泣きじゃくっていた。そしてほんの数メートルのところに女土方が眠っていた。一体、こいつ等はどうなっているんだ。僕は手に持ったビールの缶をそっと手を伸ばしてテーブルに置いた。そしてその手でクレヨンを抱いてやった。
「どうしたの。あなたはビアンじゃないでしょう。相手が違うでしょう。」
今ここで騒がれても困るので出来るだけ優しく言ってやったが、クレヨンは首を振るばかりだった。やっぱりこいつの首はあのビアンバーでへし折っておけばよかった。
Posted at 2017/03/17 18:00:21 | |
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小説 | 日記
2017年03月13日
女土方はそんな僕とクレヨンを見て笑っていたが、やはりどことなく何時もの落ち着いた女土方とは雰囲気が異なっていた。そのせいか酒のピッチも早かった。早いペースで飲むのを止めようかと思ったが、人間たまには飲みたい時もあるだろうと思ってそのままにしておいた。
僕自身は酒をあまり好まない。何か問題がある時に酒を飲んでも酒が問題を解決してくれるわけではないし、飲み過ぎると頭や胃が痛くなるばかりでなく懐にも打撃を与えることになる。だから酒を飲んでも無駄だと思っているし、飲んだからと言って良い気分にもなれない。
でも酒でストレスが軽減するという人もいるのだろうし、そういう人にはほどほどの飲酒は利益があるのかも知れない。しかし、これもあくまでも程々と言う限定条件付の話だ。
そんな僕の趣向とは裏腹に女土方はろくにものも食べずに極めて早いペースで飲み続け、あっという間に呂律が回らなくなっていた。女土方とは鉄のように強靭で冷たい女という意味でつけられたあだ名のようだし、実際に相当強靭な性格の持ち主なんだけど本物の土方歳三でも悩んだり苦しんだりしたのだろうから、ただあだ名を奉られただけの女が弱みを見せて酔い潰れたからと言って誰がそれを責められるだろう。
僕はカウンターに突っ伏してしまった女土方を見てからママに「もう連れて帰るわ。これじゃあだめでしょう。」と言った。
「お願いね。」
ママは酔い潰れた女土方の髪をそっと撫でた。
「うん、これから良く話をしてみるわ。多分大丈夫と思うけど。また報告にくるから聞いてね。」
僕は支払を済ませるとクレヨンに女土方の荷物を持たせてから酔い潰れた女土方を背負った。男だった時なら抱き上げることも出来たんだろうけど、いくらウエイトで鍛えていると言っても女の力では大柄な女土方を抱き上げて運ぶわけにもいかなかった。
ママが呼んでくれたタクシーに乗り込む時に女土方がうなり声を上げるように「気持ちが悪い」と言い出した。いくら何でもあの勢いで飲めば誰でも気持ちが悪くなるだろう。僕はタクシーの運転手にいくらかの金を渡すと「すみません」と謝って帰ってもらった。
そして店に戻ると女土方を洗面所に連れて行って水を飲ませて吐きたいだけ吐かせてしまった。そして女土方が落ち着くまでしばらく休ませてもらった。
「彼女が私の行動が原因でそんなに苦しんでいるなんて考えもしなかったわ。私は彼女と一緒にいればそれでいいと思っていた。私自身彼女から離れようなんて思いもしないのだからそれで気持ちが伝わると思っていた。でも違うのよね、放っておくと宝石でも貴金属でも曇ってしまうように人の関係も手入れしないといけないのよね。かわいそうなことをしたわ、彼女に。」
「そうね、相手に分かってもらう努力って大切なのかも知れないわね。特にこの世界のような特別の関係はね。でも大丈夫よ、あなたたちならきっときちんとお互いに折り目を付けて付き合っていけると思うわ。私、それを見るのを楽しみにしているからお願いね。」
僕はママに黙って頷いた。ママも僕に答えて頷いた。その時女土方はもう深い夢の中だった。もう一度タクシーを呼んでもらって女土方をクレヨンのところに連れて帰った。考えてみればこいつの世話で女土方との間が疎遠になったんだ。
それでも面倒を見てやったのに余計なことばかり言いやがって本当に首をへし折ってやろうか。でもこいつの首をへし折っても刑務所に入れられるだけで良いことはないから止めておこう。
Posted at 2017/03/13 21:48:03 | |
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小説 | 日記
2017年02月28日
「どう、突然あんなことを言われると混乱したでしょう。」
女土方が覗き込むように僕を見た。
「ビアンのオカマってそれは普通の男ってことじゃないの。」
「そうかもね、そんなことはどうでもいいのよ。私ね、あなたのことは大好きよ。あなたとさよならしたいなんて思ったことはないわ。でもね、あなたと一緒にいると私自身、今あなたが感じたことと似たような混乱を感じてしまうのよ。
あなたはね、姿かたちは女だけど考え方ややることは男みたいなところがあるでしょう。あなたはごく普通の典型的な女だったのにある時期から男には目もくれないで女性ばかりを好むようになったみたいだけど私達のようなビアンとはちょっと違うような気がするのよ。それもどちらかと言えば男性のそれのよう。そしてね、私が一番不安なことはあなたが周囲の人達をあれこれいろいろと見ているように感じることなの。
私ももうそんなに若くはないわ。これから先あなたと一緒に暮らせるなら私にはとても幸せだし安心だと思うわ。でもあなたを見ていると何だか時々不安になってくるの。いきなり私の前から去って行かれて一人で取り残されるのはいやなのよ。だからあなたに他の選択肢があるのなら私は私で自分の道を行きたいの。分かるでしょう。」
なるほど、よく分かる。そういう考え方は男にはない女特有の考え方かも知れない。少なくとも僕自身はそんな考え方はしない。でも女土方が僕を見ていてそんな不安に駆られるのならそれはまだまだお互いの間に信頼関係が育っていないと言うことになるし、その原因は相当程度僕が負うべきなのかも知れない。
「じゃあ、私が自分の行動を考え直すと言えばそれでいいのね。また一緒に生きてくれるのね。」
「待ってよ、私にも時間が欲しい。少し考える時間が欲しい。」
「考える時間なんて必要ないわ。一緒に暮らしてその中できちんと話し合ってお互いにすり合わせながら修正していけばそれで良いわ。そのくらい言いたいことが言えない関係なんてどうせ長続きはしないわ。だから何でも話して。私も何でも話すから。ねえ、ママ、そうでしょう。」
ママは僕を振り返って笑顔で肯いた。
「ねえ、ママ、念のため一つ確認しておきたいんだけどママはゲイじゃないでしょうね。別に他意はないの。ただ念のために。」
ママと女土方は顔を見合わせて笑った。どうもこの二人は予め話が出来ていたようだった。
「ママはゲイじゃないわ、大丈夫よ、心配しなくても。」
女土方が笑った。
「あなたも違うわよね。いくら手術が進歩しても手術ではあんなにきれいに体のパーツは作れないわよね。そうでしょう。」
思い切りからかわれたお返しにちょっと秘め事でからかってやると今度は女土方が顔を赤くした。どうだ、思い知ったか。
「ねえ、結局なんだったの、二人の間の問題って。これでお終いなの。こんなに簡単なことであんなに悩んで大騒ぎしていたの。一体どういうことなの。」
今度はクレヨンがおかしなことを言い始めた。どうでもいいからこんな奴はさっきの衝撃で顎が外れて喋れなくなれば良いのに。
「まだ終わってはいないわ。みんなこれからのことばかりよ。まだまだ問題はたくさんあるの。私にも芳恵にも。」
「でもね、この人、いい年をして私に抱きついて『咲子、咲子』って寝言を言ってるの。何があったか知らないけどかわいそうだし、私も負担だから許してあげたら。おばかだけど悪い人じゃないみたいだから。」
クレヨンはカウンター越しなので何を言っても安全と思ったようだが、僕はカウンターに乗せたクレヨンの腕を掴むとそのままカウンターの上に全身を引きずり上げてやった。そして首根っこを押さえつけると「何だって、よく聞こえなかったからここでもう一度大きな声で言ってごらん。」と耳元で言ってやった。
「ごめんなさい、もう言いません。」
こいつはずるい奴だから自分が不利になるとすぐに弱い振りをして泣きべそかいて謝ったりするが、心の底から謝っているわけでもないし、これも僕とクレヨンのゲームのようなものなので僕はすぐには離さなかった。クレヨンは何をしているわけでもないのに「痛い、痛い」と泣き喚いていた。
「もう余計なことを言わないのよ。分かった。今度言ったら二度とその減らず口が利けないように首をへし折ってやるからね。」
僕はそう言って離してやったが、離すと同時にカウンターから駆け下りて女土方の後ろに隠れると「こんな暴力獰猛女はやっぱり二度と立ち直れないようにしてやった方がいいわ。」と憎まれ口を利いた。もう一度痛い目を見せてやろうかと思ったが、今日はそれが目的ではないので止めておいた。
Posted at 2017/02/28 17:44:39 | |
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