菅直人首相が東日本大震災発生翌日の12日に、
東京電力福島第1原子力発電所の視察にあたり「原子力について少し勉強したい」と発言していた
ことが分かった。視察に同行した原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長が28日、参院予算委員会で明らかにした。
首相は16日の笹森清内閣特別顧問との会談で「私は原子力に詳しい」と語っていた。わずか4日で専門家を自称したことになる。
この日は閣内からも不適切な発言が出た。参院予算委では池田元久経済産業副大臣が、第1原発の見通しについて「予見しうる最悪の事態を考えて(対処して)いるが、それ以上は神のみぞ知る」と責任回避とも取れる発言をした。野党は反発したが、池田氏は陳謝せず審議は5回も中断。ようやく池田氏が「神以下の発言はおわびして取り消す」と陳謝した。
首相の視察では、原子炉内の圧力を下げるため放射性物質を含んだ蒸気を排出する「ベント」と呼ばれる作業を遅らせる原因になったとの見方がある。枝野幸男官房長官によると、11日午後10時に経済産業省原子力安全・保安院が第1原発の炉心溶融の危険を指摘。ベントの必要があると報告し、首相は12日午前1時半にベントを急ぐよう指示を出した。だがベント開始は首相の視察後の同日午前9時4分だった。
枝野氏は首相の視察は「ベントがあることが前提だった」として、ベントを遅らせたとの見方を否定したが、遅れた理由については「検証が必要だ」とも述べた。
まあ、「僕は原発には詳しい」などとよくも言ったものだ。東電と官邸でどんなやり取りがあったのか分からないが、どうもかなり悪い方向に動いていることは間違いないだろう。早期に放射性物質の封じ込めをしないと汚染は広がるばかりだろう。実際には収納容器は破損していたし、炉心の一部は融溶していたわけだから発表とはかなり食い違いがあるのではないか。
半月以上が過ぎたが原子炉は未だに制御ができない状態で今後も相当期間が必要というのでは環境汚染は相当なものになるだろう。東電は何とか原子炉を再使用したいと思ったのだろうが、官邸はそれに引きずられたようだ。それが致命的だったんじゃないかと思うがどうなんだろう。
国の原子力政策の安全規制を担う原子力安全委員会の班目春樹委員長の発言に首相官邸が神経をとがらせている。
班目氏は28日の参院予算委員会で、菅首相が東日本巨大地震発生直後の12日、東京電力福島第一原子力発電所を視察したことについて、「首相が『原子力について少し勉強したい』ということで同行した」と語った。視察が「首相の勉強目的」とも取れる発言だったため、野党が「視察が初動の遅れにつながった」と猛反発。首相は29日の同委で、「そういう(勉強したいという)言葉を発した記憶はない」と打ち消しに躍起となった。
班目氏は22日に首相と面談した後も、「(首相に)呼びつけられ、怒られた」と記者団に説明、首相周辺が「首相は怒っていない」と“訂正”して回る一幕も。過去にも、原子力発電所の運転差し止め訴訟の被告側証人として、「どこかで割り切らないと(原発の)設計はできない」と証言したことがあり、22日の同委では「割り切り方が正しくなく、十分反省している」と述べた。
班目氏は東大教授などを経て、2010年4月に原子力安全委員に任命され、互選で委員長に就任した。研究者からは「ざっくばらんな性格で、偉ぶらない」と評されている。
これは、斑目氏の言っていることが事実に近いのだろう。バ菅はかんしゃくを起こすだけでどうもあまり決断力があるとは思えないし、実行力も薄弱のようだ。相当期間顔を出さなかったのは、あまりの惨事に腰が抜けて立ち上がれなかったのではないか。枝野君も理路整然としているようで内容はかなりちぐはぐだった。しかし、大破した4基の原子炉と破損した大量の燃料棒、そして高濃度の汚染水数万トンをこれからどう処理していくんだろうか。もう封じ込める他にはないと思うが、・・・。
国難というが、国難は災害だけではないのが見えて来たように思う。
Posted at 2011/03/29 22:04:41 | |
トラックバック(0) | 日記