2011年09月22日
日本の戦車は火力が弱く装甲が薄いと極めて評判が悪いが、それでも太平洋戦争開戦当時は世界の標準を満たしていた。1942年に97式改中戦車が鹵獲した米国のM3軽戦車の前面装甲を撃ちぬいた時、97式改が太平洋戦線最強の戦車として君臨した時期もあった。米国のM4A3が登場すると一気に劣勢となったが、それでもM4の2インチの前面装甲なら47mm戦車砲は近距離で貫通可能だったようだ。
もしも日本が97式を対戦車戦闘に主眼を置いた戦車として開発していたらどんな戦車となっただろう。まず、主砲だが、75mm野砲を改良した主砲、または57mm長砲身戦車砲辺りだろうか。そして装甲は前面が50mm程度、重量が20トン程度の戦車だろうか。この程度の戦車であれば戦争前期には十分に活躍できただろう。これに続くのが4式と言うことになるのだろうが、日本の場合いろいろと問題が出て来るようだ。
まず、輸送の問題、日本の陸軍は基本的に外征軍、装備を港まで運んで船で外地に運ぶことになる。国内は今のように道路網など整備されていないので鉄道と言うことになるだろうが、そこで貨車輸送に関する制限が加わる。そして港湾でもクレーンはせいぜい15トン程度の加重にしか耐えられないし、輸送船も7、8千トンのものでそう多数を運ぶ音が出来ない。勢い装甲車両は小型に設計せざるを得ない。
その小さな戦車でさえもそうたくさんは作れなかった陸軍だから例えば4式などを正式化しても数を作ることはできなかっただろう。何しろ陸軍の火力の基本である野砲でさえ、戦争中期以降はろくに作ることが出来なかったようだから。4式の主砲はボフォースの75mm高射砲をコピーしたものらしいが、その高射砲も戦車に割り当てられるのは年に6門程度だったという。
97式戦車の生産数は2,200両ほど、それに比べて米国のM4は各型合わせて5万両と言うからこれでは仮に少しばかり優秀な戦車を作ったとしても数に圧倒されてしまうだろう。ドイツのタイガー・パンサー戦車も雲霞のように押し出してくるM4を押し返すことはできなかったのだから。
それでも97式にしても95式にしてももう少ししっかりとした火力の大きい戦車を作っておけば個々の戦闘では日本の戦車兵はあれほどみじめな戦闘を強いられることはなかったのかもしれないが、戦争後半の戦車の敵は戦車だけでなく艦船、航空機、野砲、そして歩兵の対戦車砲とありとあらゆるものに対抗しなくてはならなかったのだから、少しくらい優秀でもただ押し潰されるだけだっただろう。
しかし、戦車設計者は重装甲で威力の高い戦車砲を装備した戦車を開発するよう具申していたが、容れられなかったことから砲塔を装備する開口部をできるだけ大きく取っていたという。そのため3式に至るまで新型の大型砲塔も容易に装備できたという。97式はなかなかスマートな外観を持った近代的戦車で新型砲塔を装備した改はM4などよりもずっと洗練された風情がある。
戦後も日本は戦車国産の道を歩み、61式、74式を経て90式が完成したが、これを以て日本の戦車は世界の主力戦車と肩を並べるに至った。戦車に関してはこれを以て良しとすべきだろうか。
Posted at 2011/09/22 23:52:23 | |
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