2016年03月31日
「本気でしてもらったら。彼女とても上手よ。一度経験したら病み付きになるかも知れないわよ。」
僕はクレヨンに向かってそう言ってやった。
「おばか、こんな時に本気になる訳ないでしょう。」
クレヨンが答える代わりに女土方に叱られてしまった。
「三人でしたらいいじゃない。」
今度は正真正銘サルが答えた。
「あなたとは波が違うのよ。あなたと一緒にいると電波干渉を起こすのよ、私は。」
「本当にかわいくない人ね。何時ものことだけど。」
クレヨンの声が聞こえた後すぐにがさがさという人が動く音が聞こえた。そして「そんなにくっつかないでよ。こら、離れなさい。」という女土方の声が聞こえた。体を起こしてみるとクレヨンが女土方に抱きついて女土方がそれを手で押して離そうとしていた。そんなにやる気ならここで見ていてやるから本当にやればいいのに。
「ねえ、佐山さんは私のこと嫌いって言うけどどんな人が好きなの。」
クレヨンが体を起こして変なことを聞いてきた。
「そうね、頭の良い人がいいわ。目が合っただけで背筋が凛と凍りつきそうなくらいに緊張するようなそんな頭の良い人が好きよ。」
「どんな人か想像もつかないな。そういう人って。目が合うと寒気がするってことかな。」
目が合ったとたんに寒気がして鳥肌が立つのはお前のことだろう。クレヨンの言うことを聞いていた女土方が笑い出した。
「変な言い方かもしれないけど佐山さんは私が思っていたよりもずっと頭の良い人よ。頭が良いってこともいろいろな頭の良さがあるんでしょうけど、この人はここという時に状況を把握して対応を導き出すのがとても早いわ。そして的確だわ。それに洞察力も優れている。でも普段やることはかなり大雑把で強気に出るわよね、佐山さんは。
佐山さんがね、頭の良い人が好きだと言うのは、きっと彼女自身何か思うことがあって、その答えを探しているんだと思うわ。いえ、答えはもう出ているのかも知れないけど、きっとその答えが正しいのかどうか誰かに聞きたいんじゃないの。」
「ふうん何だか良く分からないけど難しいこと考えているのね。二人とも。」
クレヨンは天井を向いて考えていたが、突然僕の方に向き直るとまたとんでもないことを言い出した。
「ねえ佐山さん、一体何を考えているのか教えて。二人とも明日は仕事には出なくていいんでしょう。だったらいいじゃない。少しくらい遅くなっても。」
本当はそういう話は女土方と二人でしたいのだけどサルならいても大して問題はないだろう。
「考えてることってそんな大げさな話じゃないわ。でもきっと長い話になると思うけどかまわないかな。」
僕がそう言うと二人とも興味津々と言う感じで身を乗り出して来た。
「何をどう話していいのか分からないけど何が聞きたいの。」
何をどう話していいのか分からずにそう切り出すとクレヨンが「佐山さんがそんなに強いわけ。」と言いやがった。
「そんなのは簡単よ。人を頼らないからじゃない。」
僕は佐山芳恵の過去をほとんど知らない。だから話が矛盾しないように「表向きとこれから話すこととは違うことがあるかもしれないけど。」と一言断った。
「私はね、今考えれば馬鹿みたいなんだけど基本的にお人好しと言うのか他人に精一杯何かをしてやれば一々言葉で説明しなくても相手もきっとそれを分かって私に答えてくれると思っていたの。一生懸命尽くせばきっとそれが相手に通じるって。でもね、どうもそうじゃないみたいなのよね。
それは相手が悪かったのかも知れないし、自分にも責任があるのかも知れないけど幾ら相手に尽くしてやってもただ当てにされて終いにはそれが当たり前って感じになってしまって、そうしてやらないと文句を言われたり怒られたりそんなことばかりだったから段々面倒になってきちゃったのよ、人とかかわって生きるのが。
人とかかわって生きながらその煩わしさに耐えるよりも独りで生きてその淋しさに耐える方が自分にとっては楽だってそういうことかな。そんなこんなで段々人から遠ざかっていって今のように独りで生きるようになってしまったのよ。独りで生きるには女でも強くなければいけないでしょう。これって人間不信なのかな。でも今は彼女がいるから気持ちは以前よりもずっと楽よ。」
「そうかあ、いろいろあるんだなあ。ただ無闇に強いんじゃあないんだ。それなりに苦労や悲しみがあるのねえ。」
クレヨンが珍しく人並みなことを言った。
「じゃあ私が聞いてもいい。あなたが考えていることとか答えを求めていることは何なの。」
今度は女土方が聞いて来た。
「そうね、いろいろあるわ。例えば学問って何かとかそう言うとすごく現実から遊離したような話になってしまうけど要するに高等普通教育って何の役になっているのかとかそういうこと。でもこれは自分なりに答えが見つかったわ。それから、」
僕はもう少しでうっかり『日本近代史における太平洋戦争の意義と日本人の特質とは』なんてことを口にしそうになって慌てて言葉を引っ込めた。いくらなんでも佐山芳恵がそんなことに興味を持っていたなんてあり得ないだろうから。
「コウトウフツウキョウイク。それって日本語なの。」
阿呆、お前だって大学に学ぶ者だろうに。
「あなたが大学で勉強していることがそうよ。考えたことないの。そういうことを。」
「そんなこと一度も考えたことないわ。だってあんなこと何も役に立ちそうもないもの。」
「あなたねえ、それはあなたが何もしようとしないからよ。根気良く時間をかけて勉強すれば学問は決してあなたを裏切らないわ。」
クレヨンは怪訝な顔つきで「裏切らないって何の役に立つの。」と聞いて来た。きっとお前には神社の魔除けのお札の方が役に立つだろう。
「あのね、」
僕はその後続けて『お前に言ってもサルの耳に念仏だろうけど、』と言いたかったが、これは口には出さなかった。ただし僕の名誉のために断っておけば『サルの耳に念仏』ではなくて『馬の耳に念仏』と言う諺なのは承知の上だが。
「最近の脳医学では人間の脳というのは認知した情報に対して蓄積された記憶を検索して物事を認識したり理解したりしているということなの。だから判断の材料になる情報が脳にたくさん蓄積されている方がものごとをより詳しくそして正しく認識できるんだそうよ。
昔のように社会が単純だった頃は日常の生活で得られる情報だけを記憶しておけばそれで十分だったのでしょうけれど現代のように科学技術が発達して社会が複雑に分化してくるとそれなりのより高度な知識が必要になってくるのよ。そういう時に必要なのがさっき話した高等普通教育つまり学問的な知識なのよ。
例えば身近な例で話せば今ファイル共有ソフトによる情報漏洩が大きな社会問題となっているでしょう。でもただファイル共有ソフトを使うなというだけじゃあだめなのだと思うわ。ネットワークに接続しなければ良いという乱暴な意見もあるけど、それじゃあせっかく進歩した便利な通信手段が宝の持ち腐れになってしまうし世の中も後退してしまうわ。
どんなものにも両刃の剣じゃないけどメリットもあればデメリットもあるわ。何でも自分にとっておかしなもの、理解出来ないものは捨ててしまえじゃなくて要は使う側つまり人の問題だと思うの。
デジタルネットワークや共有ソフトについて基本的な知識があればそれがどういうものか理解も出来るしどうしたら情報を守ることが出来るかも考えることができるでしょう。知識ってそのためのものじゃない。
あなたのように大学って何も役に立たないという人が多いしこの国の人は受験が終われば受験で得た知識を捨て、大学を卒業すれば大学で得た知識なんて役に立たないと公言してはばからない人が多いけど知識って無限の連鎖のように繋がってこそ役に立つもので魚の切り身のように切り売りできるものじゃないし、第一知識が役に立たないって言う人は自分が何もしなかったからだと思うわ。
あのね、すぐに役立つということがはっきりと認識出来る職業教育と今話している普通教育とは同じ教育でも全く異なったものだと思うの。普通教育って一見つかみ所がない形の定まらないものに思えるけどそれがどういうものかを理解した者には変幻自在、しなやかで強かなとても頼りになる武器なのよ。あなたもせっかく大学に籍を置いたのだからだまされたと思って広く捉えて勉強してみたら。」
このクレヨンなんか高等普通教育なんて千年かけても理解は出来ないだろうけど血統は悪くはないはずだからひょっとすると奇跡が起こらないとは言えないかもしれない。しかし当の本人はただ呆けた口を半開きにして僕の話を聞いていたようだったが、いきなり「ウィニーって便利よ。何でも好きなファイルが簡単に探せるのよ。私って良く分かっているじゃない。学問に向いているのかな。」と言いやがった。こいつには未来永劫学問の神は微笑みかけないだろう。
Posted at 2016/03/31 22:52:54 | |
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2016年03月31日
今日はCB1300スーパーボルドールで通勤した。気温も上がって大分春らしくなってきた。バイクの季節到来だ。今日はちょっといたずらをしてみた。西湘バイパスに合流した直後、2速で7千回転まで引っ張ってみた。
普段は3、4千回転までしか使わないので穏やかなスーパーボルドールがまるで違った咆哮を上げる。ものすごい加速で2速7千回転で○○キロほど、すぐにアクセルを戻す。
付き合い始めて2年、初めてこのバイクのフルパワーを体験した。普段は穏やかな淑女が魔女にでもなったような荒々しい様子にちょっとビビる。リッター超のバイクとしてはさほどパワーがないと言うCB1300だが、これだけパワーがあれば十分なんてものじゃない。
その後は穏やかに制限速度+α程度で走る。このバイクは荒ぶるよりも穏やかな走りが似合う。今更、大型バイクで飛ばしまくるような年でもないし、穏やかに優しくどこまでも走って行きたいと思う。CB1300って、イメージに反してとんでもなくパワフルで速いモデルだそうだ。でも、CB1300はパワーフィーリングが穏やかで、車体の動きも限りなく素直、いいねえ、このバイクは。
最近、教習生に、「どんなバイクに乗れば良いんでしょう」と聞かれることが良くある。聞かれる方もまともなバイクに乗ったのは400XとCB1300だけ、ど素人の「ど」が取れた程度、ああ、もう2万キロ以上走ったから、「素人」も取れたかもしれないが、・・・。
それで、「自分が一番乗りたいと思うバイクに乗れば良い」と言うことにしている。一応、知っていることは話してはやるが、・・。でも、バイクって100%趣味の世界のものだから自分が一番乗りたいと思うバイクに乗れば良い。実用性がどうのとか、燃費がどうのとか、そんなことは全く関係ない。そう言えば僕自身、CB1300スーパーボルドールに一目ぼれして大型2輪免許を取ってこうして乗っている。不満は全くない。だから自分が一番乗りたいと思うバイクに乗るのが最良の選択だと思う。
Posted at 2016/03/31 22:31:47 | |
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バイク | 日記
2016年03月31日
織田信長さんという人物を一言で言えば、「日本史上、不世出の天才戦略家」だろう。戦略家としては何千年に一人、あるいはこの先誕生することがないかもしれないほどの天才だろう。信長さんを一言で言えば、「超合理主義者」だろう。若い頃は奇行が目立ち、「大うつけ」と呼ばれていたそうだが、一説には母親の関心を引くためとも言われるが、そんなことではなく、守旧的な権威、形式にとらわれた武家の習俗などに対する反発とともに、活動し易さ、自己完結性など野戦における合理性の追求だったのかもしれない。
髷は形にとらわれない茶筅髷、半そで、半袴、帯など使わずにどこでも簡単に手に入る荒縄、腰に水や火打石などの七つ道具をぶら下げて山野を駆け巡るというのは信長さん自身が考えた野戦のスタイルだったのだろう。この人は母親には疎まれ、兄弟には背かれ、家臣にはそっぽを向かれ、天才とは言っても一部の能力だけのことで神ではないのだから辛いものがあっただろう。
そこで自分でスカウトした親衛隊が兵農分離の戦闘専従部隊の原型となった。当時は戦になると農民を徴兵して部隊編成を行なっていたが、そのために戦は農閑期しか出来なかった。これを戦闘専従部隊を編成して常に作戦行動が可能なようにしたのが信長さんだった。
また、銃器や弓と言った長射程火力を重視し、積極的に戦に取り入れたのも信長さんだった。そうした長射程火力の導入は戦闘における合理性の追求だったのかもしれないが、もう一つは味方から犠牲者を出さないと言うこともあったのかもしれない。信長さんは尾張統一戦で親衛隊から犠牲者が出ると非常に悲しんだと言う。
戦闘で犠牲者を出さずに勝利すると言うのは戦闘における合理性の追求だが、信長さんの部下に対する思いやりもあったのかもしれない。銃器と言う長射程火力を効果的に使用して勝利した戦いの例に挙げられるのが「長篠の合戦」だが、最近は火縄銃の三段撃ちはなかったと言うのが定説になりつつある。
銃兵を3列に並べて入れ替わり射撃すると言うのは不可能と言う。当時の銃器の使用方法は突撃してくる敵に向かって一斉射撃を加えると後ろに引いて槍隊が前進し、最後に騎馬兵が突撃すると言うのが常道のようだ。設楽が原には実際に行って見たが、こんな狭い地域によく何万もの軍隊が展開出来たと思うほどだ。信長さんはここに野戦築城で陣地を築いて馬防柵で騎馬兵の突撃を阻んだと言う。
射手が入れ替わる三段撃ちというのは大部隊では難しいと言うが、部隊ごとに射撃の順を決めておけば間断のない濃密な弾幕を構成出来る。徳川軍は柵から出て白兵戦を行なっているが、織田軍が白兵戦を行ったと言う記録はない。それでいて武田軍が全滅に近い打撃を受けたと言うことはやはり銃器の威力なのだろう。
信長さんにとって危機というのはいろいろあったが、やはり何と言っても今川軍の侵攻が最大の危機だっただろう。今川軍の兵力は2万5千人と言うが、非戦闘員を除いた実兵力は1万5千人ほど、織田軍は5千ほど、尾張一国57万石と言うので最大動員数は1万5千ほどもあるだろうが、農民を動員しなかったのかもしれない。
この一部を前線基地である砦に貼り付けていたので本隊は3千人ほどと言う。当時の大兵力の侵攻に対する常道は籠城だが、籠城と言うのは救援があってのことで孤立無援では何時かは力尽きる。信長さんは情報戦で今川軍の本陣の位置を突き止めるとともに今川軍の分断を図って前線に兵力を集中させた。今川軍の本陣は5千と言うが、補給など非戦闘員の部隊もあったことだろうからもっと少なかったかもしれない。
この戦は信長さんにとっても負けるか勝つか、乾坤一擲の戦だっただろう。今川義元が持っていた太刀をその後の戦には必ず持ち歩いていたと言うから本人もよほど感慨深かったんだろう。しかし、乾坤一擲はこの戦くらいで力をつけてからは十分な兵力を用意して勝てる戦しかしていないと言う。
木津川の海戦で村上水軍の小型船による機動力と焙烙による火力でこっぴどく負けると鉄で装甲した大型船を作り、大砲(フランキ砲?)による火力で村上水軍を圧倒している。当時の圧延技術は金てこで叩く程度で大きな鉄板は作れなかっただろうし、トップヘビーになるので船の規模も問題だろうが、燃えない船=鉄船などとは誰も考えなかっただろう。信長さんに前例踏襲はない。常に客観的な状況認識と合理的な発想で時代を超越したことを考え出す。これも天才と言われる所以だろう。ただ、ついて行く者は大変だっただろうが、・・。
Posted at 2016/03/31 17:55:43 | |
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