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2016年11月02日 イイね!

どっちもどっち、いずれがアヤメの政治屋さんたち、・・。




民進党の蓮舫代表は2日、国対幹部が国会内で開いた会合に出席し、山本有二農林水産相が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)承認案と関連法案の採決をめぐり再び失言したことについて「舌の根も乾かないうちに、まさにうわべだけだと自ら明らかにされた」と不快感を示した。

 
「こんな発想の大臣が大臣でいるうちには、われわれはTPPなど国益に関する質疑は全くできない」とも述べ、山本氏が農水相を辞任するまでは承認案などの国会審議に応じない考えを示した。

 
与野党は2日に衆院TPP特別委員会で、4日に衆院本会議でそれぞれ採決することで合意していたが、山本氏の発言を受けて2日の委員会採決を見送った。野党はなお反発しており、4日の本会議採決にも影響する可能性がある。

 
山本氏は1日夜、自民党議員の政治資金パーティーでの挨拶し、TPP承認案の強行採決に言及して問題になった自らの発言を念頭に「冗談を言ったら首になりそうになった」と述べた。




何があろうがなかろうが、選挙互助会民進党には採決を遅らせるくらいのことしかできんだろう。それよりお前の二重国籍問題はどうした。民進党は他人のことはとやかく言うけど山尾ガソリーヌやレンホーコクセキ―ヌのように自分のことになると途端にだんまりになるお方が多いなあ。しかし、それにしても農水相も口が軽いと言うかどうしようもないなあ。少しは口を慎め。
Posted at 2016/11/02 15:49:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年11月02日 イイね!

大型二輪に乗ろう(疲れない走り方とは、・・。)




BIKEJINが疲れない走り方という特集を組んでいる。その中で1日何キロ走ったら疲れるかと言うのがあるが、6割以上のライダーさんが1日300キロで疲れると言っている。そんなものだろうか。


これまで1日に最も距離を走ったのは「日帰り関ケ原往復」で700キロ弱、次が若狭湾鯖街道と天橋立で600キロ強、後は大体1日4、500キロ程度だ。最も短かったのは長篠・設楽が原に行った時でこの時は1日の走行距離が200キロちょっとで、「え、もう着いちゃったの」と言う感じだった。それで鳳来山などと言う余計なところに登ってひどい目に遭った。もっともヘルメットを持ってライディングブーツで2時間と言うコースタイム通りに登って降りて来たので元山屋の自尊心は何とか保たれたが、・・。


バイクと言う乗り物は吹きっさらしで機械に跨って転倒する恐れのある乗り物を高速で走らせるのでロードワークはかなりきついものがあるだろう。四輪のように(^。^)y-.。o○(タバコは大分減ったかな)、飲み食い自由と言うわけにはいかない。また完全空調の四輪とは違い、夏は照り焼き、冬は冷凍の地獄絵図でもある。


そのためか四輪はむやみと眠くなる時があるが、さすがにバイクでは眠くなることはない。でも疲れてくるとライディングが荒っぽくなったり、いい加減になったりするから適時適切な休息は必要だろう。


僕の場合は、「ひかりは西へ(年がバレる)」じゃないが、西へ向かうことが多いので新東名掛川PAで1回、名神養老SAで人もバイクも昼飯と言う具合で次は見学地、目的地ということになる。最初のうちは腕や肩が張ったり、けつが痛くなったり、背中が張ったり、指がつったりといろいろ大変だったが、けつはそれ自体が強くなったのか、乗り方がうまくなったのかは知らないが、それほどでもなくなった。


交通の状況を見ながら適時体を動かしたり立ち上がったりしている。ただし立ち上がる時は足とペグの位置をしっかりと確認しないと危ない。踏み外したら間違いなく転倒する。後はライディング体操とか言うのがあって体を捻るのが良いと言うのでそれも実行している。


で、疲れないライディングの結論はと言えば、「適切な服装」「正しい乗車姿勢と便利装備」そして「超ポジティブな考え方と修行僧のような達観した心境」ということなのでこれと言った名案はなく、要するに「かりかりしないで疲れたら休みなさいな」と言うことなんだろう。バイクは楽しい。でもハードワークで疲労し易い。疲労がたまると事故につながる。無理をしないで自分のレベルに合った距離と走り方を選択するのがベストだろう。


Posted at 2016/11/02 15:46:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2016年11月02日 イイね!

よくも売ったり、1万食、・・。




陸上自衛隊のエリート部隊に所属する男性が、いわゆる「ミリメシ」をネットオークションで販売していたとして、懲戒免職になった。


戦車や護衛艦の写真が目を引く自衛隊員の非常食「戦闘糧食」、通称「ミリメシ」。
1日午前、稲田防衛相は「部隊の戦闘糧食を不正に入手して、インターネットオークション出品し、売却をしていたことから、昨日、免職の懲戒処分を実施した」と述べた。


市販されていない「ミリメシ」で荒稼ぎをしたとして、懲戒免職となったのは、エリート部隊として知られる、陸上自衛隊習志野駐屯地、第1空挺団に所属していた男性陸曹長(43)。


隊員向けのミリメシを、同僚らから入手し、遊ぶ金欲しさに、およそ1万点をインターネットのオークションで販売し、248万円を売り上げていた。


あるオークションサイトを見てみると、さまざまな国のミリメシが出品されていて、一部のマニアから人気を集めているとみられる。


過酷な状況を想定し、地上200メートルからの投下試験に加え、45度の高温や-20度の中でも、1年半保存できるかを実験。


これを通過したものだけが、ミリメシになることができる、まさに保存食の王様。
そのうちの1つを作ってみると、発熱材を使って食品を温め、待つこと30分で完成。
火も水も使わずに作ることができる。


入手したミリメシの横流しに、稲田防衛相は「二度とこういったことが起きないように、再発防止策、服務指導を徹底していきたい」と述べた。



よくぞ集めたり1万食、よくぞ売ったり、1万食。バレないと思ったのかねえ。米軍のレーションも自衛隊のミリメシも食ったが、米軍のものは一度には食えないほど量が多い。こんなものを食っている奴らとろくに食い物もない日本軍が戦っていたのかと思うと気の毒になった。自衛隊の飯はうまくはないが、まあこんなものだろう。警察の缶弁や水を入れておけば食えると言うわかめご飯、ヒジキご飯はつくづくと感極まるほど不味かった。


Posted at 2016/11/02 15:45:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2016年11月02日 イイね!

やっぱりキャスターの方が向いているんじゃないの。




築地市場(東京都中央区)の移転先となる豊洲市場(江東区)の建物下に土壌汚染対策の盛り土がなかった問題で、小池百合子東京都知事(64)は1日、第2回となる検証報告書の公表を行い、2011年に市場長を務めていた中西充副知事など実務上の決定者8人が懲戒処分対象であることを明らかにした。ただ、盛り土しないことの発案者を特定することはできず、“犯人捜し”はあいまいな形での幕引きに。地下水の上昇や水銀の検出、業者への補償など山積みのままの問題解決に、不安が残る対応となった。

 
「いつ、誰が決めたのか。その責任をきっちりと突き止める」という小池氏の執念は、あいまいなまま終わりを迎えることになった。

 
前回9月30日の報告書では「2008年10月~13年2月の間に、段階的に盛り土をしない方針を決めた」とし、責任者の特定ができなかった小池氏。その後の職員ら28人へのヒアリングから作られたこの日の報告書により、基本設計が起工された10年11月から、実施設計で盛り土なしが最終的に確定した12年5月までの間に要職にいた中西氏ら計8人を責任者とするしかなかった。8人を懲戒処分とするとしたが、公務員ではないOB4人への対処方法は決まっていない。

 
再調査が難航したのは、方針決定の核心部分が各職員の記憶頼みになったからだ。再調査では11年8月の部課長会議で盛り土なしの方針が決まったとの「複数証言」を得たが、当時の部長は否定するなど、職員の主張に食い違いが残った。当時トップだった石原慎太郎元知事(84)は都の質問状に「記憶がない」と文書で回答しただけだった。

 
小池氏の後に会見した中央卸売市場の幹部が「(発案者は)誰とは申し上げにくい」と苦渋の表情を見せた。ある都幹部は「組織的なステップを踏んで盛り土をしないことが決まっており、誰かが思いきって決めたわけではない」と話した。

 
豊洲においては、盛り土以外の問題も小池氏にのしかかっている。地下空間の安全問題に加え、当初予定だった今月7日の移転を見越して設備投資をした業者への補償問題もある。

 
小池氏は「今回、地下空間の問題を明らかにすることで、今後の改革において一つのケースになる」と強気な様子を見せたが、次のハードルとなる安全性確認の成否は見通せず。「ロードマップを近いうちに示す」として移転時期も宙に浮いたままだ。

 
中西氏と、その前に市場長だった岡田至氏について小池氏は「2人はヒアリングでは(盛り土をやめた)報告を受けていないとしていた。ただ、たとえ知らなかったとしても局の最高責任者であり、知り得る立場。知らないでは済まされない」と断罪したが、“伏魔殿”に斬り込むことはできなかった。


◆豊洲盛り土問題の経過

 ▼2001年12月 豊洲移転決定

 ▼08年7月 専門家会議が敷地全体で盛り土提言

 ▼09年2月6日 都が敷地全体の盛り土実施を決定

 ▼10年11月  基本設計起工。11年6月の完了時には地下空間が示される

 ▼8月18日 部課長会議で地下空間設置を実務的に決定

 ▼12年5月 盛り土を実施しないことが最終的に確定

 ▼14年2月 建設工事着手

 ▼16年8月31日 小池知事が移転延期を表明

 ▼9月10日 小池知事が盛り土をしていなかったと発表

 ▼30日 都が検証報告書を公表。責任者は特定できず

 ▼10月7日 報告書の一部に誤りがあり、小池知事が再調査を表明

 ▼13日 小池氏が岸本良一中央卸売市場長を事実上の更迭

 ▼15日 地下空間の大気中から国の指針の最大7倍にあたる水銀が検出

 ▼11月1日 小池知事が新たな検証報告書を公表




このおっかさんは何が世間の注目を集めるか、どんなことをすれば世間が喝采するかを見極める政治家と言うよりもキャスター的な能力はあるが、ではその問題をどう処理するかと言うことになるとなんだか怪しくなってくる。豊洲も誰がそうしたかではなくもうできてスタート直前まで来てしまったあの施設をどうするかが政治家の仕事だろう。いつまでも盛り土をしなかった犯人捜しよりもそっちが大事じゃないのか。バックのない一匹狼だから政治よりも自分の支持を取る方が忙しいのかもしれないが、・・。

Posted at 2016/11/02 15:43:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年11月02日 イイね!

翼の向こうに(33)




医務室に戻ると昨日の若い軍医が待っていた。私の方から昨日の礼を言うと軍医は笑顔を向けて「元気になってくれてうれしいですよ。」と言った。


「ここじゃあ命を救うという医者の使命も何もあったもんじゃないですからねえ。戦争をしているから仕方がないのかもしれないですけど、助かりそうな患者を優先的に治療して重傷者にはモルヒネを打つだけで放置するとか無闇に手足を切り落としたり、まともな治療も何もあったものじゃないですからねえ。ここは軍隊で国の命運を賭けて戦争をしているのだから戦力の維持という点では軽傷者を治療して早く戦線に復帰させるのは合理的なことで仕方がないんでしょうけどね。でも、うれしいですよ、昨日は丁寧な治療ができて、しかも患者が元気になってくれて。」


「軍医は職業軍人ではないのですか。」


私はそっと尋ねてみた。


「志願ですよ。どっちにしても軍隊に行かなければいけないのなら、ねえ、軍医はいい商売ですよ。」


若い軍医は笑いながらいたずらっぽく答えた。


「ところで傷は痛みますか。眩暈や頭痛はありますか。」


真顔に戻った軍医は私に尋ねた。


「傷の痛みは少しありますが眩暈や頭痛はありません。」


「それなら結構です。一番恐れていたのは頭蓋内への出血だったのですが。休暇も出たことでしょうし、少しのんびりしてきてください。」

 
軍医はまたいたずらっぽい笑顔を浮かべた。私はもう一度礼を言ってから薬と包帯を受け取って居室に戻った。そして三日分の着替えや食料を袋に詰めると感状伝達の時間を待った。五分前主義で飛行長の部屋に行くと飛行長は笑顔で私を迎え入れた。そしてそのまま司令の部屋に通された。司令を前にして規則どおりの敬礼を済ますと直立不動で司令と向き合った。


「傷は痛むか。」


司令が短く尋ねた。


「いえ、痛くはありません。機体を破損して戦列を離れ申し訳ありません。」

 
申し訳なく思っていたのは高瀬や他の列機に対してだったが他に言葉もなかったのでそう答えた。


「初陣で敵機を撃墜し、しかも負傷した体で破損した機体を冷静に操ってよく帰って来た。司令から改めて礼を言う。早く負傷を癒して一日も早く戦線に復帰して欲しい。」

 
司令は巻かれた感状をそのままに差し出した。私は差し出された感状を礼式に従って受け取ると司令の前を辞した。時間にすればほんの二、三分のことだった。飛行長から副賞の現金を受け取るとそのまま自分の部屋に戻った。そして荷物を担いで出かけようとすると司令部付の下士官が入ってきた。


「分隊士、ご自宅までお送りせよと飛行長から指示がありました。外に側車が待たせてありますのでどうぞ。」

 
司令部の側車で小桜の家の前まで送ってもらい、運転の下士官に礼を言い終ると下士官は小気味良く敬礼をしてから戻っていった。

 
木戸をくぐって離れに行き中を覗いたが、小桜は不在のようだった。上がって待とうかとも思ったが荷物だけを畳に投げ出してそのまま植え込みの間を抜けて母屋の方に歩いて行くと庭先でまきを割っている小桜が目に入った。


「帰ったよ。」

 
そっと近づいて声をかけると小桜は驚いたように振り返って私を見上げた。私の声に一瞬輝いたように見えた小桜の表情は私の頭に巻かれた包帯に気がつくとみるみる強張っていった。小桜は鉈と薪を投げ出して立ち上がると私と向き合った。


「怪我をしたのですか。こんなところにいてはいけません。すぐに横になって休んでください。」


「弾がかすめただけだ。大丈夫だよ。」

 
小桜の取り乱し方に私の方が慌ててしまい「大丈夫だ。」と何回も繰り返したが、小桜は私の言うことを聞き入れようとしないで押し込められるように強引に家の中に連れて行かれた。


「今、すぐに床を取ります。横になって休んでください。」

 
小桜は手際よく蒲団を敷くと私に『ここに横になっておとなしくしていろ。』と言うように私を見上げた。


「昨日の空戦でしくじった。TBFだとなめたのがいけなかった。高瀬には気をつけるように注意をされていたんだけれど実戦は思い通りにはいかない。それでも二機撃墜したよ。」

 
私は照れ隠しもあって初手柄を披露してからズックの袋に入れてあった司令からの感状を取り出して見せたが、小桜はそんなものにはまるで無関心で取り合おうともしなかった。最後に司令からの金一封を渡そうとすると小桜は目にうっすらと涙を浮かべた。


「私はあなたが無事であればそれでいいのです。他には何もいりませんし、戦争のことなど聞きたくはありません。」

 
私は小桜の涙を見てさすがに口をつぐんでしまった。戦争をしているのだからそれが当たり前のように思っていて深く考えもしなかったが、戦争の匂いをここに持ち込んだことを後悔した。

 
小桜は畳の上に置かれた感状と金一封の袋を取り上げると箪笥の上にそっと置いた。その間に私は米や乾燥味噌、醤油、缶詰を取り出すと畳の上に並べて置いた。


「何時ものとおりたいした物もないけれど何かの足しにしてくれ。」

 
小桜は深々と頭を下げると米の入った袋や缶詰を大事そうに抱えて台所に下がって丁寧に戸棚にしまい込んだ。


「もう少し仕事がありますから、どうぞゆっくり休んでいてください。昼前には戻ってきますから。」

 
小桜は頭に被った手ぬぐいを直して前かけを締め直すとそのまま外に出て行った。一人残された私は作業服を脱ぐと小桜が用意してくれた浴衣に着替えて蒲団の上に横になった。小桜が出て行くと自分の心臓の鼓動が聞こえて来そうなくらいほとんど何の物音もしなくなったこの小さな空間には戦争の匂いは微塵も感じられなかった。

 
小さな整理箪笥の他にはこれといった家具もない殺風景な、それでいてどこか安らぎを感じるこの部屋を見回しているうちに苦しい夢に苛まれた昨夜の疲れのせいか蒲団についた小桜の匂いに包まれて眠りに落ちていった。

 
ほとんど物音のしなかったこの小さな部屋に響く包丁のまな板を打つ音で目が覚めた。蒲団の上でゆっくりと体を起こすと土間で食事の支度をしている小桜の後ろ姿が目に入った。そのまま立ち上がって土間の方に二、三歩歩いて行くと小桜が振り返った。


「横になっていてください。用があれば言っていただければ私がしますので。」


小桜は私を制するように土間の上がり口まで小走りに近寄って来た。


「水をくれないか。」

 
私が頼むと小桜は湯飲みを取って水瓶から柄杓で水を汲んで差し出した。私はそれを受け取って一気に飲み干すと畳の上に腰を下ろした。頭が少し重くかすんだようにはっきりとしなかった。


「よくお休みになっていました。気分はいかがですか。」


小桜が小さなお盆を差し出して湯飲みを受け取りながら言った。


「ああ、よく寝た。でも何だか頭が重い。」


私が頭をゆっくりと左右に振ると小桜の表情が少し曇って見えた。


「傷に障るといけません。横になっていてください。食事の支度はすぐに出来ますから。」


「もう一杯水をくれないか。」

 
小桜は黙ったまま頷くと瓶から水を汲んで差し出した。私は差し出された湯飲みを受け取って、今度は一口づつゆっくりと飲みながら頭を左右に動かしてみた。小桜はそんな私を心配そうに見ていたが、頭を動かしても特に頭痛や眩暈は感じなかった。


「寝起きだから頭が重いのだろう。」

 
私は独り言のように言ったが小桜の心配そうな表情は変わらなかった。そんな小桜を見ていると私自身はこれ以上横になっているのは気が進まなかったが、小桜の手前起き上がるわけにもいかず私はもう一度蒲団へと戻った。

 
そうしてまたしばらく横になっていると小桜が卓袱台を出して食事を運んできた。雑穀の混じった飯に小さな魚の干物、それに漬物程度の粗末な食事だった。部隊の食事に比べれば天と地ほどの開きがある内容だったが、これでも精一杯のご馳走なのだろうと思うと空襲で家を焼かれ、命を脅かされ、食事さえ満足に摂れない民間人が気の毒に思えた。


「突然だったので何も用意が出来ませんでした。でも夕食にはもう少し何か付けますので。」

 
申し訳なさそうに言う小桜に「何でも構わない。」と笑顔で答えてお椀に盛られた雑穀混じりの冷たい飯を口に運んだ。娑婆の食料事情が悪いということは聞いていたが、軍にいると備蓄の軍用食が豊富なために実感として迫ってこなかった。味気のない雑穀を噛み締めながら、いかに俄か雇いの軍人とはいえ国民を守るという軍人としての責任を果たせないことに心の痛みを感じていた。


「いつもこうなのか。」


箸を休めて小桜を見た。


「これでも食べられるだけいい方なんです。こんな食事でも食べられない人も多いのですから。」

 
私は皿に載せられた小さな赤い魚の干物を箸で摘んでみた。今まで見たこともないような魚だった。小さい割にはむやみに頭が大きく食べる部分などろくにないように見えた。


「以前はこんな魚は畑の肥料にするくらいで食べることはなかったそうです。でも塩気がきいてなかなか美味しいのです。よく焼けば頭から皆食べられますので。」

 
小桜は皿から一番小さな魚を取って口に入れた。そして微笑みながら何度も口を動かして飲み込んだ。私も真似をして魚をかじってみたが、小さい割には骨が多くていくら噛んでもとても飲み込めるような代物ではなかった。しかし小桜の手前吐き出すわけにもいかず無理をして飲み込んだ。


「どうですか。」


小桜は私に向かって尋ねた。


「あ、ああ、なかなかいける。」

 
骨っぽさが口の中に残って言葉につかえながらやっと答えた。こんなものも十分に口にすることもできずに空襲で軍人と同じように命の危険に晒されている民間の人達のことを考えると、喉をひっかく骨の痛さよりもこの国を守りきれない自分のふがいなさが情けなかった。

 
食事の片付けが終わると小桜は「午後は早く帰る。」と言い残して出て行った。一人残された私は蒲団に横になったが、眠るでもなく漠然とこの戦争や自分の先行きに思いを巡らせた。とりわけ自分の先行きについて考えるとどう考えても先に待っているものは『死』しかなかった。しかもこれまでは観念的にしか捉えることができなかった自分の死が昨日の空戦で避け得ざる現実として迫ってきた。


Posted at 2016/11/02 00:37:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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