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2017年08月26日 イイね!

大型二輪に乗ろう(バイクは安全に、そしてスマートに乗ろう、・・(^。^)y-.。o○)




イングランド南東部ウェスト・サセックス州で昨年8月7日午前11時55分、オートバイとバンが正面衝突し、バイクに乗っていた50歳のライダーが死亡した。
 

バイクに搭載したカメラには、チチェスターのグッドウッド付近をウィリー走行するバイクが対向車と正面衝突する瞬間が記録されている。
 

通常走行していれば避けられる事故だっただけに、ルールに反した乗り方をするリスクを知ってもらおうという遺族の希望で、ビデオは公開された。




欧米のバイク動画を見ているとウィリーなどをしてはでんぐり返っているのが多い。特に英国とロシア、それに米国だろうか。イタリア、スペインも多いか。普通に乗ればいいじゃないかと思うけどねえ。以前400Xに乗っていたころ、慣れて来たのでちょっと気合を入れてアクセルを開けたら前輪がふわっと浮いたことがあった。すぐに気がついて「おっとっと、・・」と言う感じでアクセルを緩めたらすっと前輪が着地した。「うーん、簡単に浮くんだなあ」と言う感じだった。400でもあれだからCB1300スーパーボルドールだったら簡単に持ち上がるだろうなあ。


この動画を見ると駐車場のようなところから本線に出ると一斉に加速を始め、緩い左カーブで前輪が持ち上がったまま反対車線にはみ出して行ってその後四輪のバンパーか何かが数秒写ってから動画は終わっている。確かにウィリーなんかしなければ事故にはならなかっただろう。バイクスタントじゃあるまいし、結構対向車の多い公道でどうして不安定な挙動をするんだろうねえ。


バイクは二輪で自立が出来ず重心が高くてタイヤの接地面積が非常に小さいという極めて特殊な乗り物だ。その割に馬力荷重などパワーに対する重量負担は極めて低いレーシングカーのような乗り物だ。だから乗り手は走り方やパワーに細心の注意を払うべきで「見て、聞いて、感じて、判断して、実行する」と言う一連の動作をよほどうまくやらないとバイクはきれいに走らない。だからバイクは頭を使って走るスマートな乗り物だと思う。体も使うけどね、・・。


スピードもスタントも命あってのことでバイクも趣味である以上命を懸けてやるほどのことではない。自らが招いたこととは言え、事故の被害者と遺族の方にはお気の毒であった。

Posted at 2017/08/26 16:38:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年08月26日 イイね!

消えゆく可変後退翼技術、・・(^。^)y-.。o○。




F-14の特徴「可変翼」、最近の機種では…?
 
1986(昭和61)年に上映された大ヒット映画『トップガン』。主演のトム・クルーズさんが2017年5月、その続編を製作中であると語ったことがニュースなどで報じられました。気になる内容は、主人公マーベリックが教官役で登場し、ドローンの話だといわれています。


『トップガン』といえば、アメリカ海軍の艦上戦闘機F-14「トムキャット」。映画の撮影にはアメリカ海軍が全面協力し、空母から発艦するシーンや敵機とのドッグファイトなど、その勇姿を余すところなく映像で伝えています。

F-14はアメリカ海軍のF-4「ファントムII」の後継機として1973(昭和48)年に配備が開始され、主翼に可変翼を採用した戦闘機でした。飛行状況に応じて主翼の角度が変更できる可変翼は、映画の中でも場面によって色々な角度に変化しているのが見られます。

しかし2017年現在、アメリカ海軍のF-14のみならず、世界中を見渡しても可変翼機はまったく主流ではなく、後継機開発も見られません。なぜ、これほどまでに衰退してしまったのでしょうか。

そもそも可変翼とは? 実用化とその歴史
 
その前に、そもそも可変翼とはどのようなものなのでしょうか。航空機はジェットエンジンの登場によって、より早いスピードで飛行することが可能になりました。そして主翼には、空気抵抗の少ない後退角を持たせた「後退翼」が登場します。後退翼は高速飛行には適していますが、直線翼に比べると離着陸時や低速時の安定性が劣ります。そこで、高速性と安定性を両立させるために、状況に応じて主翼の角度を変え飛行特性を変化させる可変翼が登場しました。

 
可変翼の開発は、第二次世界大戦のナチスドイツにまで遡ります。

1942(昭和17)年に初飛行したジェット戦闘機メッサーシュミット Me262は、エンジンの配置など重心調整で後退翼が採用され、後にそれが高速飛行に適している事が判明します。そして、音速で迎撃するジェット戦闘機として開発されたメッサーシュミット P.1101は、主翼の後退角を変えることで飛行特性を変化させる可変翼機として研究されますが、完成前に終戦となり実用には至りませんでした。

 
戦後、この戦闘機の設計図を入手したアメリカ軍が、1951(昭和26)年に可変翼の実験機X-5の試験飛行を成功させました。その後、実用化を目指して様々な可変翼の航空機が開発されましたが、主翼角度の変化によって操縦特性も変わるため上手くいきませんでした。

 
可変翼機が実用化されたのは、1964(昭和39)年に初飛行を行ったF-111「アードバーグ」でした。アメリカ空軍やオーストラリア空軍に採用され、ベトナム戦争や湾岸戦争などに参加しました。


当初は「手動」?
 
当初、F-111は開発費と維持費の軽減のために、アメリカ空軍と海軍とで共通の機体を使用する予定で計画がスタートし、空軍型のA型と艦上戦闘機型のB型を開発する予定でした。ところが空軍と海軍の要望を採り入れるために、様々な機構を採用した結果、機体の重量が予想よりはるかに増加し、海軍は重量増加では運用が困難とB型の採用を取り止め、A型のみがアメリカ空軍に採用されました。

 
その後、技術革新によりコンピューターによる飛行制御が可能となり、F-111が「CAS(コントロール増強システム)」により、ようやく可変翼が実用化に至ります。主翼の角度は、飛行中にパイロットが手動で変更させる方式でした。

 
ところがいざベトナムで実戦投入されると、敵戦闘機との空戦には苦戦し、空域を制圧する制空戦闘には不向きであることが露呈します。爆撃機としては優れたF-111でしたが、空軍はより優れた制空戦闘機としてF-15の開発をスタートさせます。


一方、採用を見送った海軍はF-111の可変翼やミサイル、エンジンなどの技術を転用し、F-14の開発に着手します。F-111では手動で変更させていた可変翼は、「CADC(統合飛行制御装置)」により角度の自動制御が可能となり、優れた飛行性能を発揮することができました。

 
可変翼はその後、1960~1970年代に流行しアメリカ空軍の爆撃機B-1やソ連の戦闘機Mig-23やSu-24、イギリス軍のトーネードなどに採用され、軍用機の新しい技術として定着するかに思えましたが、やがて時代の流れで衰退していきます。


可変翼はなぜ衰退してしまったのか
 
可変翼が開発された当時は、戦闘機は速度競争の真っ只中にあり、各国はより速く飛べる技術の開発に心血を注ぎましたが、やがて戦術の変化やマッハ2を超えるような超音速が実用性に乏しいことを理由に高速化を追い求めなくなり、結果、可変翼の特性である高速性と低速性の両立をさせる必要が薄れました。そして新型のエンジンやコンピューターによる機体制御が進むと、可変翼を使わずとも運動性能を向上させることが可能になりました。


また可変翼機は、一般的に主翼の根元にある回転軸で主翼の角度を変化させます。この回転軸が主翼の荷重を支えるため重く頑丈に作られています。そのため機体の重量増となり、また構造が大変複雑なためメンテナンスに要する時間が多くなります。そして何より1機当りのコストが増加します。形状的にもステルス性が損なわれるため、新たに可変翼の戦闘機が開発されることはありませんでした。


『トップガン』で一躍知名度が上がり、艦上戦闘機としてその強烈な存在感でいまだファンの多いF-14「トムキャット」。実戦では湾岸戦争、アフガニスタンやイラク戦争などで活躍した後、2006(平成18)年にアメリカ海軍から完全に退役しました。現在は、基地のゲートガードなどのモニュメントとして余生を送っています。そして現在、第一線ではF-14の後継機F/A-18E/F「スーパーホーネット」が活躍しています。




一時は最新技術のように持てはやされた可変後退翼だが、今はもうすっかり鳴りを潜めて消えてしまった。CCVなどでそれ以上の機動性を持たせることが可能になったことやミサイルや電子機器の発達で飛行特性の向上が以前ほど重要ではなくなったこともその理由だろう。F14は旧ソ連の飽和ミサイル攻撃から空母機動部隊を防御するために開発されたが、ソ連が崩壊すると空母に対する脅威は消滅してしまったために効果で維持管理にも手がかかるF14を保有する理由がなくなり、艦載機は安価なFA-18に更新されてしまった。結局この機体は高度な防空能力を有してはいたが、高価格で維持管理に手間がかかりすぎたことが寿命を縮めたのだろう。これでトーネードとB1が退役してしまうと西側の可変後退翼は過去の遺物となってしまうだろうが、分進秒歩の技術の前にはやむを得ないのだろう。
Posted at 2017/08/26 12:48:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2017年08月26日 イイね!

戦艦大和は世界最強の戦艦だったか、・・(^。^)y-.。o○




1945年4月、米軍の攻撃を受けて鹿児島県沖で沈没し、今も海底に眠る戦艦大和。当時、極秘裏に建造されていたため、その全容にはいまだ未解明の部分が多い。大和型戦艦の基本計画に参画していた松本喜太郎氏は、昭和9年3月から20年4月まで海軍艦政本部において艦艇の設計に従事し、昭和20年4月以降、呉海軍工廠造船部設計主任、終戦時、海軍技術大佐として大和型戦艦の開発経緯を含めた基本資料のほとんどを手元にそろえていた。今回は、その松本氏が保持していた設計図をはじめとする一次資料と、戦後間もなく松本氏により発表された大和研究の論文その他を多数収録している『戦艦大和 設計と建造 増補決定版』から一部抜粋して、大和の実像の一端に迫る。

 
主砲とは、その軍艦に搭載した大砲の中の最大のものをいう。
 
戦艦の近代形式主砲の最大のものは、当時までは各国をつうじ大砲の口径すなわち弾丸の直径41cm、インチでいえば16inあった。戦艦大和の最大の特長は、46cmすなわち18in砲を装備したということである。第一次大戦以来、各国海軍を支配していた大艦巨砲主義の思想、この考え方に徹した戦艦大和の出現、これをもって国家を泰山の安きにおきうると考えた。

● 主砲の配置が 戦闘力の発揮に大きく影響する

図は、戦艦大和の外見図である。本艦の設計上まず第一に研究されたのは、相手方の戦艦との戦闘用である46cm3連装主砲塔3基の配置であった。この配置の適否は戦闘力の発揮に重大な関係がある。艦の左右いずれの舷の戦闘に対しても、主砲の全射線を全幅的に活用しうるために、砲塔全部を船体の中心線上に配置するのは近代軍艦の定石である。

 
この前後方向の配置は、最後案に決定するまでには全砲塔を英国のネルソン級のように、艦の前部にまとめる案もあった。この案は砲戦上も防御計画の上からも有利である。前部にすべてをもってくると、船体のバランスが不均衡になり、また、後方への砲火威力を発揮する上から具合がわるい。

 
この図のように2砲塔を前方、1砲塔を後方に配置すると、射撃上は好配置であり、重量の釣合はよく、また艦橋の位置が後部にかたよりすぎないから操艦が楽であるなどの理由で、最終的にこの配置が採用された。

 
砲塔の下方に設けられる主砲弾庫内の弾丸格納法については、給弾速度の迅速確実という見地から、これまでの形式とはまったく異なった方式がとられた。すなわち1砲身あたり定数100発の弾丸のうち、約半数は砲塔の旋回部内に置き、残りをその周囲の固定部に置いた。いずれも弾丸を直立の形で置き、水圧力で弾丸を横へ移動させるように工夫された。この方式は弾丸の供給を迅速になしうるようにしただけでなく、弾火薬庫内の配置の上からも極めて有利であった。


● 問題を残した大和型戦艦の副砲

副塔の配置も船体の中心線上に置くことが同様の意味から望ましく、いろいろ研究されたが、全部をそうするだけの余地がないため、図のように15.5cm砲3連装砲塔2基を中心線上に、残り2基を左右両舷に1基ずつ配置された。この配置によって、全射線12をもって片舷で同時に発射可能弾数は9となった。この副砲配置には問題があり、後に左右の2基は撤去された。本艦の出現によって、日本にはじめて近代型戦艦が出現したのである。

 
46cm砲、さらにすすんで本艦自体がいかに大きかったかは、巡洋艦最上と比べるとよくわかる。最上の主砲は大和の副砲と同じ15.5cm砲で、3連装砲塔5基となっている。最上に搭載して威容を誇った同じ砲塔4基が大和に搭載されて、いかに小さく見えることであろうか。

 
副砲用弾丸の砲1門当たりの定数は、発射の機会の多い1番および4番砲塔(前および後部のもの)に対しては150発とし、2番および3番(両舷のもの)に対しては120発として搭載された。


● 対空兵装が意外にも貧弱だった理由

対空兵装は、口径12.7cm連装高角砲6基と25mm3連装機銃8基であって、今日の眼でながめると貧弱であったが、これは後日、戦訓にもとづいて充分に強化された。当時は空襲から大和を守るのにこの程度で充分と思われていた。その理由は、味方が制空権をにぎった条件下での水上戦闘を考えていたためと、常に戦艦大和の周囲には護衛艦艇が配置されることが前提であったからである。




戦艦大和は世界最大の戦艦の割にはほとんど活躍もせずに撃沈されたというが、副砲の防御や装甲の結合、非装甲部分の防水対策など問題はあるにしても当時世界最強の戦艦だったことは間違いないだろう。航空攻撃に弱いという指摘もあるが、建造当時、あのような圧倒的な航空攻撃を受けることは想定していなかっただろうし、魚雷1,2本を受けても戦闘力を失わず、3,4本を受けても沈没せずに帰投できる程度だっただろう。英国のプリンスオブウエールズは5本の魚雷で沈没しているし、米国のアイオワ級でも同様の航空攻撃を受ければ大和ほどは耐えられずに沈没しただろう。アイオワ級との砲撃戦になった場合、昼間晴天であれば大和が優勢だっただろうが、悪天候や夜間だとレーダーの性能差で不利だったかもしれない。大和型戦艦は連合艦隊旗艦に使用されたことや大量の燃料を消費することから戦争の前半は使用が制限されていたが、この戦艦を戦争前半、特にガダルカナル島争奪戦当時に投入したらそれなりに活躍の場があったのではないだろうか。速力も空母に随伴できないなどと言うが、現実的には問題はなかったようだ。

Posted at 2017/08/26 12:47:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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