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2018年10月09日 イイね!

今なら売れたかもしれない車だって、・・(^。^)y-.。o○??




世の中、一発屋といえば、一般的には一発当てて消えていったお笑い芸人やヒット曲を出したものの、あとが続かない歌手のことを指すことが多いが、クルマ界にも一発屋は多数存在する。登場当初は話題になったものの、その後尻すぼみとなって、一代限りで消えていったモデルのなんと多いことか!今回はそんな一発屋のなかから、比較的記憶に新しい、1990年代以降のモデルで、なんとも悲運で、名残惜しい一発屋グルマを6台紹介しよう。もしかしたら、今なら売れたかも……?


■先進的でスタイリッシュ、ハンドリングも秀逸だったのに……
マツダランティス(1993年8月誕生、1997年8月没)
 1989年から始まった、マツダの暗黒の歴史ともいえる、5チャンネル販売体制。これによって多くの一発屋……、いや、一発も当てられないまま消えていった多くのモデルが生まれたが、そんななか、「悲運の一発屋」として賞賛したいのが、ランティスだ。
 
今思い返しても、ランティスは実に先進的かつスタイリッシュなクルマだった。ボディタイプは5ドアハッチバッククーペと4ドアハードトップセダンがあったが、特にハッチバッククーペが超スタイリッシュ。ロングホイールベースに、キャビンをキュッと絞ったスポーティなボディを乗せ、前後オーバーハングは短く、タイヤは力強く大地を踏みしめていた。当時私も一目でファンになりました。メカニズム的には、マツダ自慢(?)の2L、V6エンジン(170ps)搭載が特筆されるが、ハンドリングも実に秀逸で、意のままに走ってくれるフィーリングは、現在のマツダのZoom Zoomに受け継がれている。しかも、1996年の衝突安全基準を真っ先にクリアしたボディを持っていたのですよ!しかし悲しいかな、当時のマツダは5チャンネル販売体制の混乱で国内販売が大混乱。こんな「小さな高級車」を出されても、それを売るブランドイメージは皆無で、5年間で4万台余りを売ったのみで消滅とあいなりました。時代を先駆けたいいクルマだっただけに、その悲運ぶりに涙が出ます。出るのが20年早かった……。


■飽きのこないボクシーなスタイルは今でもウケそう
日産ラシーン(1994年12月誕生、2000年8月没)
 Be-1で始まった、日産パイクカーシリーズ。続くPaoも好評で、1980年代後半の日産のブランド再建に一役買った(その後日産は再度ボロボロになり、ルノー傘下に入りましたが)。そのパイクカーの精神的な後継モデルとしてカタログ販売されたのが、このラシーンだ。ちなみにラシーンとは「羅針盤」を意味しております。ベースはサニー。そこにビスカスカップリングによるフルタイム4WDを組み込み、全車4WDだった。と言っても本格的クロカンにはほど遠く、走りはまぁ凡庸だったが、思えばこのラシーンこそ、今を時めくクロスオーバーSUVの走り!飽きの来ないボクシーなスタイルは、現在のジムニーの大ヒットの先駆けと言えないこともない。今出せば売れるかもしれない!実際、ラシーンのデザインは大好評で、中身なんかどうでもいいからあれが欲しい! というファンが多数生まれた。その人気は現在でも健在で、いまだにラシーン専門の中古車店が存在するほどだ。これほど人気のあったラシーンが、なぜ一代限りで消滅することになったのか?思えばラシーンが生産中止になった2000年は、日産がどん底にあえいでいた時期。カルト的人気はあるがあって合計7万3000あまり販売されたものの。会社の不調のあおりを受け、整理されたということだろう。無念じゃのう。


■CMキャッチコピーは「恋愛仕様」
ホンダS-MX(1996年11月誕生、2002年8月没)
 1994年に発売されたオデッセイの大ヒットは、苦境に陥っていたホンダの国内販売を救ったが、ホンダはオデッセイに続く「クリエイティブムーバー」シリーズとして、1996年にステップワゴンを発売し、これまた大ヒット。そのステップワゴンの全長を切り詰めて若者向けに仕立て直したのが、S-MXだった。当時、バブルはとうに崩壊していたが、バブル期のカップル文化はまだ余韻を残していて、クルマはデートのための道具という側面はデカかった。ただ、バブル期はスポーツカーでデートがカッコ良かったのが、1990年代中盤からはRVに変わりつつあった。S-MXはその需要を見事に突き、そこそこのヒットとなったです。が、このクルマは、販売台数よりも、1990年代中盤の若者のクルマへの欲求を見事に体現していた点で、一発当てたというべきだ。見た目は若々しくボクシーで、ローダウン仕様が最初から用意されていた。後席ドア(普通のヒンジタイプ)は左側だけで、右側から見ると2ドアに見る。これらは、バブル期の「所帯じみたクルマはカッコ悪い!」という価値観を微妙に継承(?)していた。

全長4m弱の寸法のなかで、室内は十分広く、カップルが狭苦しい思いをせずにイチャつくことができる。前後シートはフルフラット化も可能。フルフラットにすると枕元になる位置にはティッシュボックスやドリンクホルダーを置くスペースがありました。CMキャッチコピーが「恋愛仕様」で、走るラブホとも呼ばれていたのです。そんなS-MXが一代限りで消滅したのは、カーセックスに励むような貪欲な若者文化の消滅と軌を一にしている。「カーセックスのためのクルマ」という脂ぎったイメージが、S-MXを消滅に追い込んだといってもいいでしょう。結局、月2000台平均で、16万台あまり売れヒット車となったが、1990年代後半からのどん底の経済氷河期は、若者からクルマを買うお金や意欲を奪い、カーセックスどころではなくしてしまったのだ。涙ポロポロ。今、車中泊が注目され、N-VANがヒットしているなか、このS-MXが現代に復活すれば売れそうな気がもしますが……。


■渾身のFRスポーツセダン!
トヨタアルテッツァ(1998年10月誕生、2005年7月没)
 アルテッツァは確実に一発当てた。それは、コンパクトなFRスポーツセダンの復権という一発だった!1997年に消費税が3%から5%に上がり、ようやく多少戻っていた景気が完全に壊滅。しかしそれでも当時の日本には復活への希望があり、元気になれる商品への期待もあった。アルテッツァは、元気をなくしつつあったクルマ好きが、再び元気になれる”タマ”だったのだ!が、その期待は、徐々にしぼんでいった。発売当初は月販台数7000台を誇ったが、1年半経つと3分の1となり、月販目標台数2500台に遠く離れた1000台レベルにまで失速、2003年には月販600台にまで落ち込んだ。アルテッツァの走りは期待ほどではなかったし、メーカーも改良の意欲に乏しく、ほとんど放置プレイでした。アルテッツァの発表当時、私は「これは国民的スターになれる!」と思ったものです。石原裕次郎の再来みたいな。その期待は完全に裏切られました。アルテッツァは、ダラダラと2005年まで販売されたが、レクサスISにバトンタッチする形で、消滅するに至った。ISもパッとしませんけどなぁ。ただ志はよかったのではなかろうか……。時代が早すぎたのか!?


■小ベンツ?! 小さな高級セダン
トヨタプログレ(1995年5月誕生、2007年8月没)
 プログレはアルテッツァとプラットフォームを共有する、小さな高級セダン。このクルマは、道の狭い鎌倉で資産家の足として重宝され、”鎌倉クラウン”との異名を取った点で、小さな山を当てました。当時は、5ナンバー車がどんどん消滅して、クルマが肥大化していくことを憂える声がけっこうありまして、特にクラウンユーザーの間にそれが大きかったのです。プログレは、そういう方々の期待に応える小さな高級セダンだったのですね。品質はクラウン以上、塗装は5層コート、全車本革シート。個人的には、このクルマがレーダークルーズコントロール初体験で、その闘争本能を奪うピースフルなドライブ感覚に感動したものです。が、10年間モデルチェンジも受けず、昭和ヒトケタ世代とともに、静かに消えたのでございます。そう言えば私の父親も、最後のクルマはプログレでした。これからは高齢化社会。今、このサイズの高級サルーンを出せば、売れるのはないかと思ったりもします。


■スポーツカー不毛の時代に生まれなければ……
トヨタMR-S(1999年10月誕生~2007年9月没)
 MR-Sのことを思い出すと、涙が出ます。このクルマは、国産スポーツカー最後の復権への挑戦という側面があり、それが見事に失敗に終わったからです。1984年登場の初代MR2は、国産初のミドシップスポーツカーとして、ミドシップの大衆化を果たしましたが、2代目で堕落し、1999年に消滅。その後を受けたMR-Sは、軽量コンパクトなミドシップスポーツへの原点回帰を目指しつつ、AT限定でも乗れるシーケンシャルマニュアルトランスミッションも投入。より幅広い層に本格派スポーツを味わってもらいたい! という意欲が感じられたのでございます。チーフエンジニア氏は、自らフェラーリ348tbを購入して研究したと聞きました。当時私自身が348tbに乗っていたので驚愕したのですが、氏は「もう、こういうスポーツカーはいいだろう」という反面教師として研究したと仰られ、そのことに強い感銘を受けましてございます。が、現在フェラーリはますます肥大化し、かつ隆盛を極めているのと対照的に、MR-Sは8年でその生を終え、後継モデルも出ませんでした。是非もなし。スポーツカー市場が冷え込んでいた時代ということもあり、2006年は年間1000台程度(月販は2桁)となり、総生産台数は7万8000台あまりと振るいませんでした。86に続いてスープラが復活する今、MR-Sの不運を見るといてもたってもいられません……。




ランティスは当時走りに関しては極めて評判が高かった。ボディ剛性も高く足も良かったらしい。5ドアハッチバックはちょっと買ってもいいかなと思ったけどねえ。

ラシーンは日産パイクカーシリーズの一つで車としてはどうと言うこともない車だがデザインで売れたのかもしれない。今でもたまに見ることがあるので大事に乗っている人がいるんだろう。

ホンダのS-MX、一言で言えばホンダらしい車と言うことになるかな。まだ男が草食化してスマホに没入する前だったのでそれなりに売れたようだが、今だったら若者よりも高齢者の旅車だろうか。

アルテッツァはどうしてこの車が出てきてどうして消えて行ったのか分からない車だったなあ。ツィンカムのトヨタを復活させようとしたけど車が道具に変わっていく時代の煽りを食らって転覆したのかなあ。ただなんか中途半端ではあった気がする。今でも時々見かけるので大事にしている人もいるんだろう。

プログレは「鎌倉ベンツ」とか言われていたけど鎌倉居住者が多く買っていたんだろうか。これも中高年に受けた車で内容は悪くはないんだろうけどスタイリングがどうもパッとしなかった。姉妹車でブレビスと言うのがあったが、これも似たような運命をたどっている。プログレは悪い車じゃなかったように思うが、高級車は思い切り高級に、実用車は思い切り実用に、と言う時代の流れに乗れなかった中途半端な車になってしまったのかもしれない。

MR-Sはねえ、先代のMR2とともに面白そうな車だと思っていた。でも、当時はガッキーがいたので2シーターなど以ての外だった。流面形セリカもそうだったが、車としては乗ってみたい車ではあった。そのせいで今になってコペンなどに乗っているのかもしれない。そして次はGT-FOURとか、・・(^。^)y-.。o○。

以上、当時として興味があったのはランティス、アルテッツァ、MR-Sというところだろうか。ランティスとMR-Sはちょっと買おうかなと言う気にはなった車だった。ビスタVSツインカム5ドアに乗っていたが、5ドアハッチバックと言う車、日本では売れないそうだが、スタイルが良くて使い勝手もなかなかのいい車と思う、・・(^。^)y-.。o○。



Posted at 2018/10/09 16:37:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2018年10月09日 イイね!

政府、慰安婦「和解・癒し財団」の解散を否定、・・(^。^)y-.。o○。




西村康稔官房副長官は9日午前の記者会見で、韓国の康京和外相が9月の日韓外相会談で河野太郎外相に対し、慰安婦問題をめぐる日韓合意に基づき設立された「和解・癒やし財団」を年内に解散すると伝えたとの一部報道について「事実ではない」と否定した。


同時に「わが国は日韓合意の着実な実施が重要だという立場だ。この立場に基づいて、引き続き韓国政府に粘り強く働きかけを行っていきたい」と強調した。


西村氏によると、外相会談後の日韓首脳会談で、文在寅大統領が安倍晋三首相に、日韓合意を破棄せず、再交渉も求めない方針を伝えるとともに、財団の現状を説明した。両首脳は、この問題が日韓関係に悪影響を及ぼさないよう互いに知恵を出すことで一致した。


日韓合意に従い韓国政府が設立した財団は、日本政府拠出の10億円から元慰安婦や遺族に現金を支給する事業などを担ったが、現在は理事の大半が辞任し、事実上運営を停止している。





日本国内の反発を恐れて火消しに躍起のようだ。でもなあ、慰安婦合意が合意内容そのままに進むことは絶望的だから日本ももっと強気に出て言うことは言った方がいいんじゃないか。どの道、近い将来は敵性国になるんだから。北も南もあまり支援し過ぎるとそれが刃になって日本を向くことになるからなあ、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/10/09 16:35:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2018年10月09日 イイね!

北朝鮮、「旭日旗問題」で激しく日本を非難、・・(^。^)y-.。o○。




北朝鮮が8日、日本海上自衛隊の旭日旗掲揚主張には侵略の野望が根底にあると指摘した。

北朝鮮労働党機関紙の労働新聞はこの日、「厚顔無恥な強盗の詭弁」と題した論評で「日本の反動が済州(チェジュ)で開催されている観艦式に旭日旗を掲げた海上自衛隊艦船を参加させると主張し、内外の激しい非難と怒りを招いた」とし、このように明らかにした。

同紙は「旭日旗といえば20世紀に日本の帝国主義者らが『東洋制覇』を叫んでわが国とアジアの国に対する野蛮な侵略行為を敢行する時に使った血なまぐさい戦犯旗」とし「当然、1945年の日帝崩壊と同時に歴史のごみ箱に埋葬されるべきだった」と非難した。続いて「海上自衛隊艦船に旭日旗を堂々と掲げて済州に入ってくると主張したのは、わが民族と国際社会に対する冒とくであり愚弄」と述べた。

同紙は「(旭日旗の掲揚は)日本は戦争ができる国であり『大東亜共栄圏』の過去の夢をあきらめていないことを国際社会に誇示する傲慢な意図がある」とし「観艦式に参加する海上自衛隊艦船に旭日旗を掲揚すると固執したのも、露骨になっている侵略野望の発露」と強調した。また「日本が済州の観艦式に参加するかどうかに関係なく、朝鮮半島とアジアの国々を侵略して踏みにじろうとする軍国主義狂信者の凶悪な内心は決して変わらない」と警戒した。

さらに日本の旭日旗掲揚に反対する韓国国民を擁護したりもした。同紙は日本が韓国側に「非常識かつ礼儀を欠く行為」と指摘したことをめぐり「南朝鮮の朝鮮人民は日増しに横暴無道になる日本反動の軍事大国化の野望を決して容認しないはずであり、反対してよりいっそう積極的に闘争していくだろう」と強調した。続いて「(日本は)過去の侵略犯罪に対する謝罪と反省どころか、実に図々しく振る舞っている。世の中にこれほど厚かましい人がどこにいるだろうか」と指摘した。




南北が統一されると強力な反日国家が生まれることは間違いない。でも北朝鮮にこんなことを言われる筋合いは全くないよなあ。お前んところがやって来たことをよく思い出してからものを言えって。仮に大東亜共栄圏を構成するにしても半島は抜きだな、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/10/09 16:34:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2018年10月09日 イイね!

北のバカ大将、拉致についてはノーコメント、・・(^。^)y-.。o○。




河野太郎外相は8日夜、7日に北朝鮮を訪れたポンペオ米国務長官と約15分間電話で会談し、平壌での金正恩朝鮮労働党委員長らとの会談の結果について説明を受けた。


河野氏は電話会談後、外務省で記者団の取材に応じ「日米が今後ともしっかりと連携を強化しながら、朝鮮半島の非核化にあたっていこうということで一致した」と述べた。ただ、トランプ米大統領と金氏の2回目の米朝会談の実施時期や場所に関する質問には「控えたい」として回答を避けた。


ポンペオ氏が事前に金氏に提起する考えを示していた日本人拉致問題に関し、河野氏は「金委員長に対して日朝の関係で問題提起をしていただいた」と説明した。しかし、ポンペオ氏から説明があったとみられる金氏の反応については「特に申し上げない」として明らかにしなかった。


また、金氏がポンペオ氏との会談で、北東部、豊渓里の核実験場に査察官を招く考えを示したことについて、河野氏は「一つの前進ではあろうかと思う。後ろに下がっている話ではない」と語った。




北は米国と交渉してより良い条件を引き出すために自分の後ろ盾になってくれる国と手を結びたいんで自分たちと対立する国と交渉している余裕はないんだろう。でも、いいじゃないか、拉致問題の解決なくしては経済支援はあり得ないと横を向いていればいいのだから。こっちからお願いして話し合ってもらうような問題じゃない。日本は何一つ困らないんだから、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2018/10/09 16:32:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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