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2019年10月03日 イイね!

韓国はノーベル賞の受賞数で日本を凌駕すると豪語するが、・・(^。^)y-.。o○。

毎年10月になると韓国人は隣国・日本のノーベル賞受賞の便りに羨望と相対的剥奪感を感じる。いつごろになれば韓国からも科学分野のノーベル賞受賞者が出てくるのだろうか。筆者はこの質問に非常に肯定的な立場だ。このように自信を持つ1つ目の理由は、科学技術界の事情を相対的によく知っているためで、2つ目の理由は「ヤン・ジョンモ事例」のためだ。筆者は韓国のノーベル賞のことを話すたびに「ヤン・ジョンモ選手を知っているか」と質問する。ヤン選手を知っている最近の学生は一人もいなかった。反面、ほとんどの大人はヤン選手のことをよく覚えている。

1960~70年代、韓国人の夢はオリンピック(五輪)金メダルだった。故孫基禎(ソン・ギジョン)選手は1936年ベルリン五輪マラソンで金メダルを取った時の感激と太極旗の代わりに、日章旗を付けるほかなかった暗鬱の時代状況を回顧した。そうしているうちに、1976年カナダ・モントリオール五輪でヤン・ジョンモ選手が解放後初めて金メダルを取った。当時の号外新聞のタイトルは「民族の念願が叶う」だった。

このようなヤン選手を最近の学生たちはなぜ知らないのだろうか。日本は1928年の金メダル初獲得以来、韓国が初めて金メダルを取った76年までに計65個の金メダルを保有した。韓国は48年間、日本の金メダルの便りを羨望の眼差しで見つめていた。だが、今や大韓民国は金メダル約120個を保有したスポーツ強国としてその位置を確立した。過去30年間、韓国の金メダル数は日本をはるかに上回る。

最近の韓国学生たちにとって、ヤン選手はこの約120個の五輪金メダルの一つを意味するにすぎない。そこには大人たちが感じている国を失った悲しみや貧困はない。学生たちは金メダルを民族の念願だとこれ以上考えもしない。今後、ノーベル賞もそうなるだろう。科学技術研究の歴史が100年を超える日本と比較すると韓国はまだ30年も経っていない。ノーベル賞は通常、20~30年前の研究成果を基に授与される事実を考慮すると、韓国が今すぐは難しくてもそう遠くない未来にはノーベル賞受賞が可能だろう。

最近、韓日葛藤状況を称して輸出報復、経済侵略、さらに「己亥倭乱」と呼んだりもする。だが、筆者は「既得権放棄」だと理解している。過去20年余り、韓国の科学技術が地位を確立しながら韓国企業は急速に国際競争力をつけてきた。その過程で最も大きな障壁が日本の部品・素材産業だった。部品・材料はその特性上、長い研究期間が必要だ。やっと国産化に成功したと思っても、日本のありえない価格引き下げに振り回され、商品化と大企業納品に失敗する事例が茶飯事だった。一歩先に研究・商品化した日本企業の既得権だった。

安倍晋三首相の輸出規制措置は数十年間積み上げてきた日本製品の既得権を放棄する宣言だと見ることができる。一時的な需給の困難のうえに、ひどい場合には生産中断という最悪の状況も予想されるだろう。だが、部品・材料メーカーには市場が開かれ、科学技術者には緊迫感をもって研究・開発(R&D)に没頭し成功させなければならないという名分と使命感ができた。大企業にも近視眼的戦略から抜け出し、国内中小企業との長期的な共生の大切さに気づく機会が生まれた。

日本は今回の措置で既得権放棄とともに信頼を崩壊させる愚も同時に犯した。安倍首相に感謝したいのはこのタイミングだ。日本がいつか必ず使いたかった政策、韓国にとってもいつか一度は予想されていたことが今年起きたためだ。もし日本の韓国排除政策が、韓国の科学技術の準備が充分整っていなかった10年前に行われていたらどうなっていたか、想像するだけでも背筋が寒くなる。だが、研究所と工場に集中して努力すればそれなりに対応が可能だ。「半導体神話」に続いて部品・素材産業で新たな神話を書く時だ。(イ・スンソプ/KAIST(韓国科学技術院)機械工学科教授)



オリンピックの金メダルは国家の国威発揚ではなくアスリート個人の努力の到達点だろう。科学技術や学術研究も個人や機関の努力の成果であって国威の発揚とは直接は関係ない。日本は様々な分野で技術開発や真理の追求のために長い時間をかけて失敗を克服しながら努力を積み重ねてきた。大事なものはその時間と経験であって結果はその上に花を開く。三菱重工がスペースジェットの開発で苦心惨憺しているが、旅客機の開発に50年の空白があるのでいい飛行機を作る技術と経験があってもいい旅客機を作るそれがなかったということだろう。勝ち負けや数にこだわった技術開発では決して技術は育たない。大体、他国のブラックボックスを開けたり、触ってはいけない部品をばらしたりして元に戻せなくなって泣きつくようでは技術など身につくはずもない。失敗したらなぜ失敗したのか、どうしたらうまく行くのか、そうした試行錯誤を繰り返すことが将来の糧となることが分からない国にはノーベル賞など当分無理だろう、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/10/03 12:02:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2019年10月03日 イイね!

大型二輪に乗ろう(ヤマハ社長、バイク絶滅の危機に奔走とか、・・(^。^)y-.。o○。)


■“バイク絶滅”の危機に奔走
 
「何がなんでも“絶滅危惧種”を守らなければ……」。ヤマハ発動機の日髙祥博社長が使命感に駆られるのは野生生物のことではなく、同社の主力事業の二輪車(バイク)である。バイクの国内販売台数は1980年代のピーク時には年間300万台を超えていたが、ここ数年、40万台を割り込むほどの激減ぶり。
 
「バイクの日」の2019年8月19日、都内では日本自動車工業会(自工会)などが主催するイベントが開かれた。自工会の二輪車特別委員会の委員長を務める日髙社長は「私も1人のライダーとして、愛車に跨り風を切って走る爽快感がたまらないが、交通マナーを守ってツーリングを楽しんでほしい」と、バイクの魅力と安全運転を訴えていた。
 
87年名古屋大学法学部卒業後、ヤマハ発動機に入社。「バイク好きで、学生の頃からヤマハを乗り回していた」のが入社動機という。フランスに5年、オランダの欧州統括本部に6年駐在。その後、業績悪化の米国法人に副社長として出向。2年半の在任中にV字回復させた手腕と豊富な海外経験により2018年1月、取締役から社長に大抜擢された。
 
同社は21年までに売上高2兆円、営業利益1800億円を目指す中期経営計画を実行中。ただ、19年中間決算で業績予想を下方修正するなど道のりは険しい。売り上げの6割以上を占める二輪事業や利益率が高い船外機に次ぐ第3の柱として産業用ロボットなどの新規事業の強化が目標達成の決め手。就任2年目、早くも真価が問われる。

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日髙祥博(ひだか・よしひろ)
ヤマハ発動機社長
1963年生まれ。87年名古屋大学法学部卒業後、ヤマハ発動機入社。上席執行役員企画・財務本部長を経て、2018年代表取締役社長。
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経済ジャーナリスト 福田 俊之



今年は二輪の教習生が多い。中でも普通二輪小型AT限定が人気だが、これは一種原付からの乗り換え需要に普通二輪小型AT限定なら2日間で免許が取れるなど取得が容易になった効果だろう。もっとも2日間教習はやっていない教習所も多いが、・・。一種原付は幹線道路では交通流に乗れない他に2段階右折など鬱陶しいし、排ガス規制などの問題で絶滅が危惧されてもいるようなので乗り換えるんだろう。女性や50代、60代など年配の人も多い。「大型二輪を取りませんか。世界が違いますよ」と勧めるがさすがにしり込みしてしまうようだ。

普通二輪、大型二輪も増えている。やはり中高年が多い。「バイクに乗って風になってライフスタイルを変えてみませんか」なんてキャッチコピーに魅かれて来るんだろうか。でも注意しないと本当に風になってしまう。先日も愛知県内で右折の車両と衝突したバイクのライダーさんが亡くなったという記事が出ていた。「バイクは危険だというけど危険なのはバイクじゃなくて乗り方だ」とよく言うんだけど実際にそうだと思う。

速度を控える、コーナリング時はコーナーに入る前に十分速度を落とす、車列の左側通行とすり抜けをやめる、周囲をよく見る(バイクに乗ったことがない四輪の運転手はバイクのことを見ていない傾向がある)、そしてヘルメットはフルフェイス、最低でも胸背部プロテクターを装着する、・・とこれだけは守りなさいと言っている。乗っている人間を守る手段が皆無のバイクだからライダー自身が気をつけるしかない。何をしてもダメな時はダメだけど備えているといないでは天と地以上の違いがあると言っているんだけど、・・。

ああ、それからバイク産業だけど今後は量産・量販を目指すのは無理だろう。近距離コミューターの2種原付はそこそこ数が出るかもしれないが、250以上のバイクはそうそう数は増えないだろう。大きいバイクは基本趣味的な乗り物で実用性は乏しいのだから趣味的な世界に特化した生産に移行していくしかないだろう。もっとも国内に限らずに世界と言うレベルで見ればまだまだバイクの需要は大きいだろうからユニバーサルモデルの大量生産なんて手もあるかもしれないが、日本人のし好はなかなか難しいからねえ。

あとは免許制度の改正で普通二輪の小型限定で250まで、普通二輪で750まで、それ以上は大型とすればミドルクラスのバイクがもっと数が出るんじゃないだろうか。それでも数は知れているから世界を相手にしたユニバーサルモデル、国内はそうしたバイクを基礎としたカスタム生産なんて方向もありかもしれない。ホンダもCB1300のようなガラパゴスバイクは止めてCB1000Rのようなユニバーサルモデルに移行したいようだが、なかなかうまく行かない様だ。特にバイクが主力のヤマハには厳しいだろうけどヤマハも産業構造の転換を図るしかないだろうな、・・(^。^)y-.。o○。

Posted at 2019/10/03 10:52:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク | 日記

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ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
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