太平洋戦争中の1943年12月に民間人ら約600人を乗せた定期船「湖南丸」を撃沈し、44年に日本近海で消息を絶った米潜水艦「グレイバック」がこのほど、久米島沖で発見された。沈没した潜水艦を探索する米国の調査チーム「ロスト52プロジェクト」が11日、写真を公表した。
同プロジェクトのメンバーで、歴史研究家の岩崎裕さんの推定を基に、沖縄本島の南西の海域を調査し、ことし6月に75年ぶりに発見した。久米島の南約40キロ、水深435メートルの位置に沈んでいた。同プロジェクトを率いる米国の海洋開発会社「ティブロン・サブシー社」のティム・テイラー最高経営責任者(CEO)が本紙に提供した写真では、船体やGRAYBACK(グレイバック)」と書かれたプレートなどが確認できる。グレイバックは多くの日本船を撃沈したことで知られているが、その最後はよく分かっていなかった。
一次資料を再調査した岩崎さんが、戦後に残された経度情報に誤りがあることに気付き、従来の記録から240キロ離れた海底で発見した。乗員80人のグレイバックは44年2月26日、東シナ海で日本軍の爆撃を受け、沈没したことが分かったという。岩崎さんは「グレイバック発見のニュースを、攻撃した九七艦攻のパイロット3人と、湖南丸の犠牲者の慰霊碑『海鳴りの像』に手向ける花のように思っている」とコメントを寄せた。
湖南丸で母の弟を亡くした戦時遭難船舶遺族会事務局長の大城敬人さん(79)は「米軍は民間船と知っていて攻撃したのではないか、国際法違反ではないかという思いで今日まで来た。日本政府も船舶犠牲者の補償はしないが、発見は改めてこの問題を考えるきっかけになる」と話した。
戦時遭難船舶 1942年10月から45年11月にかけて、米軍の魚雷や空爆などの犠牲になった沖縄関係の船舶は、学童疎開船「対馬丸」を含め26隻に上った。沈没地点は南西諸島周辺だけでなく旧南洋群島などに及び、少なくとも計4580人が亡くなった。米軍は日本と中国や南方をつなぐ輸送路を断つため、沖縄近海に潜水艦隊を配備。戦時中は民間船も陸海軍の徴用船として、兵員や軍事物資などを運んでいたため、軍民の区別なく標的になった。那覇市若狭には、対馬丸を除く赤城丸や湖南丸など25隻の犠牲者をまつった「海鳴りの像」が87年に建立されている。
戦争だから承知で撃沈したものも相当数あるだろうけど病院船とかでなければ撃沈されても文句は言えないだろう。日本は戦争中54隻の連合国潜水艦を撃沈しているそうだ。潜水艦を発見するための日本の聴音機や探信儀は米英のものよりも大分精度が劣っていて攻撃兵器も旧式だったそうだ。そして日本の爆雷攻撃は徹底さを欠いていてちょっと油が浮いてきたりすると「撃沈」とか言ってすぐにやめてしまったようだ。月に15隻も撃沈の報告が上がったこともあったというが、戦後になってあまりの少なさにびっくりだったそうだ。米英の対潜攻撃は徹底していて高性能の探査機器で完全に撃沈するまで何日も追い回したらしい。これは狩猟民族の血なんだろうか。それでも旧式な兵器と戦術思想でよく54隻も撃沈したものだと思う。日本にも執念深く米軍の潜水艦を追い回したのもいるようだ。それでも戦争は勝っても負けてもかかわった個人にはこの上ない悲劇ではある。戦争などやるべきではないが、人間の性だからなあ。亡くなったすべての人の冥福を祈る、・・。
Posted at 2019/11/12 16:05:14 | |
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