2023年09月20日
日本の陸軍と海軍は極めて仲が悪かったそうだ。どこの国でも陸軍と海軍は仲が悪い。それは戦争に対する思考の相違が起因しているのだが、日本の場合はそれにしてもではある。装備に関しても一部に海軍陸戦隊が陸軍の戦車、装甲車、銃器などを借用していたり陸軍の高射砲開発に海軍が技術支援したりした例もあったが、基本的に陸軍と海軍は全く別のものを開発装備していた。航空機や機関銃などは陸海軍でそれぞれ別のものを試作していたし、機銃などは微妙に口径が違ったり同じ口径でも弾薬の規格が違っていてお互いに融通することができなかった。こうしたことは量産性に大きな足枷になったという。工業力の貧弱な日本が陸海軍の軋轢で生産性を阻害していたのに比べて米国は銃器や弾薬と言った大量生産品の共用化を図っていた。航空機などの大物装備はそれぞれ戦術上の要求が異なるのでなかなか難しいが、海軍の零戦と陸軍の隼はどちらも長距離援護戦闘機なので零戦を陸上戦闘機に改良すればそれで済んだだろうし、海軍の局地戦闘機は陸軍の二式単戦でも良かっただろう。武装などは陸海軍がそれぞれ選択すればいい。雷電の開発がなくなれば三菱の航空機設計陣にとっても大きな負担軽減になっただろう。三式戦は不要だろうし、海軍の紫電、紫電改と陸軍の四式戦も統一しても差し支えなかっただろう。双発爆撃機は長距離進攻を重視した海軍と反復攻撃を重視した陸軍では戦術思想が異なるのでなかなか難しいが、96式陸攻と97式重爆、一式陸攻と100式重爆、銀河と四式重爆などもやり様によっては1機種で間に合っただろう。実際には陸海軍の思想の相違や縄張り意識、競争心や面子があってなかなか難しいだろうが、工業力の貧弱な日本にとって陸海軍がそれぞれ似たような装備を別個に開発生産するということは大きな負担だっただろう。戦略も戦術も全く違う陸海軍の装備を共用化することはなかなか難しいだろうが、生産性の効率化や資源の有効活用のためにできるところはぜひそうすべきだっただろう。もっとも陸軍自体小銃弾薬や機関銃弾薬など様々なものを使用していたので規格の統一などという意識がなかったのかもしれない、😁🌀🎃😅。今の自衛隊はどうかというと陸自と空自は戦後米軍の影響を受けて組織を作った陸自と空自は海自について「海さんは特殊ですからねえ」とか言っていた。旧海軍の伝統を受け継いだ海上自衛隊は「伝統墨守、唯我独尊」で一人我が道を行っているようだ、・・(◎_◎;)。
Posted at 2023/09/20 19:01:37 | |
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2023年09月20日
海軍は偵察機は水上機や攻撃機を流用して専用の偵察機を開発することには消極的だった。戦争後半になって艦上偵察機彩雲を開発したが、それまでは開発に失敗した双発戦闘機や彗星艦爆の試作機を偵察機に転用したりしていた。それに比べて陸軍は偵察機の開発に積極的で97式司令部偵察機や100式司令部偵察機など高性能偵察機を開発装備していた。海軍も陸軍の偵察機を借用して運用していたそうだ。特に100式司令部偵察機は1939年11月に初飛行、時速540キロを記録、Ⅱ型は1941年3月に初飛行、時速604キロを記録、さらに1943年3月に初飛行したⅢ型はエンジンを瑞星から金星に換装して630キロを記録、さらに推力式単排気管に改良して642キロを記録した。さらに排気タービン過吸器付ハ112-Ⅱルを装備した4型は北京~東京間を平均時速700キロで飛行している。奇跡のエンジンと言われながら技術的な問題から不調がちな誉を装備した海軍の彩雲偵察機より安定していて高性能だった。その飛行性能を買われて対B29用戦闘機に改装された機体もあった。また100式司令部偵察機は第二次世界大戦で活躍した最も美しい機体の一つに選ばれている。奇跡のエンジンと言われた誉に惚れ込んで誉にのめり込みすぎた海軍に比べて陸軍はカタログデータよりも実用的なエンジンの選択をしていたようだ。海軍は最後にアツタ30倒立V12気筒水冷エンジンを並列にしてギアで連結したヤケクソのようなエンジンを搭載した景雲という偵察機を開発したが、エンジンの過熱で10分しか飛行できなかったそうだ。しかしジェット化するために開発を続けたが、結局は間に合わなかった。1機種に入れ込み過ぎる海軍よりもバカな陸軍と言われながら暗号もそうだが、航空機の開発も陸軍の方が合理的であったかもしれない、❔\(^_^)/😁🌀🙆🆗🎃😅。
Posted at 2023/09/20 19:00:21 | |
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2023年09月20日
日本海軍は戦艦の主砲から8センチの高角砲まで大砲に関しては自主生産、英国の影響を受けているが、していた。ところが機銃となるとすべて外国製であった。7.7ミリは英国、7.92ミリはドイツ、13ミリは米国、20ミリはスイス、25ミリはフランスだった。陸軍も航空機用機銃は概ね同様で欧米製だった。陸戦用には国産機銃を使用しているが、傑作と言われる92式重機関銃や99式軽機関銃も頻繁な整備を必要としたという。日本の機関銃の欠点の一つはバネだそうだ。機関銃は発射時のガス圧を利用して遊底を後退させて排莢装填を連続的に行うが、日本の冶金技術では遊底を復座させる強度の高いバネが作れなかったそうだ。また機関銃は20世紀初頭にはほとんど完成された兵器だったが、1分間に何百発という弾丸を発射するために各部の部品が極めて正確に動かないとジャムが起こって弾丸を発射できなくなる精密機械である。そうした精密機械加工技術でも日本は遅れていたそうだ。戦後警察予備隊が創設された時に92式重機関銃を採用しようという意見があったそうだが、米国製のM1919A重機関銃が採用された。これは正解でM1919Aの方が軽量で信頼性も高く運用も容易だったという。その後継が国産の62式軽機関銃だが、これがトンでもない機関銃で部品が落っこちる、装弾不良、キャリングハンドルを持って走っていたらなんか軽いので見てみると機関部がなくなって銃身だけになっていた、引き金を離しても連射が止まらない、部品数が多くて整備点検に時間がかかるなど「62式言うこときかん銃」「キングオブバカ銃」「62式単発機関銃」「62式分隊自滅火器」など悪口雑言が止まらなかったそうだ。このような不具合の原因は軽量化のために銃身を細くしたことだそうだ。銃身を太くして再設計したらという助言があったが、製造元の日特金は受け入れなかったそうだ。日本人は何事も突き詰め過ぎるところがあるが、兵器などはある程度の冗長性も必要だろう。62式機関銃の後継となったベルギー製のMINIMIは日特金を吸収した住友重工でライセンスしたが、本家に比べて性能的に劣っていたそうだ。住友重工は機関銃のデータ改ざんで指名停止処分を受け機関銃製造から撤退している。自動小銃や機関銃は兵器の中では単純な兵器だが、やはり技術の蓄積が必要な兵器で技術を積み上げて行かないとそれなりのものは作れないのだろう。技術の蓄積のない日本にはこの先機関銃は作れないだろう。MINIMIの後継はMINIMI Mk3だそうだが、この機関銃はすべて輸入になるそうだ、。
Posted at 2023/09/20 18:59:08 | |
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