戦前・戦後に開発された戦車や装甲車などを、産業技術の観点から保存・展示しようという活動を静岡県御殿場市の会社社長が進めている。地元自治体をはじめ重工業関係の技術者や元自衛官など幅広い層に支援の輪を広げており、旧日本陸軍の戦車の実物大レプリカも製作。日本初の民間による“戦車博物館”開設を目指している。
計画を進めているのは御殿場市の自動車整備会社「カマド」の小林雅彦社長(43)。同市は近くに陸上自衛隊駒門駐屯地など自衛隊の関連施設が多く、「小学校の同級生にも『父が自衛官』という友人が1~2割はいました。一般公開などで、戦車に乗せてもらったこともあります」と小林社長。学生時代は「道路の歩道から演習中の戦車が見えるので、写真を撮りに行ったりもしました」と振り返る。
実家が自動車修理工場ということもあり、メカの魅力に取りつかれた。なかでも陸上自衛隊の戦車は、重量約40トンと乗用車の約30~40倍、出力は1千馬力以上。そうしたパワーを制御する機械工学に興味をひかれたという。
「『戦車は千社』といわれるように、1つの戦車を生産するには約1千社の企業が部品製造に関わっている。それぞれの社に独自の技術がある」。ところが、その技術の重要性を紹介したり、技術開発の歴史をたどれる施設は日本に全くなかった。
「イギリスやアメリカはもちろん、同じ敗戦国のドイツでも、軍事に関するものは時代の最先端の技術資料として博物館で大切に保存、活用されているのに対し、日本では軍事関連というだけで忌避されてきた」と一念発起。日本にも同様の博物館を-と、一昨年、NPO法人「防衛技術博物館を創る会」を立ち上げた。
昨年にはアメリカHBO社のテレビドラマ「ザ・パシフィック」の撮影のために制作された「九五式軽戦車ハ号」の実物大レプリカをオーストラリアのマニアから購入。今年3月に横浜港に到着した後、大規模な修理と整備を行い、9月に開催された東京ゲームショウや、7月開催の自作フィギュアなどのイベント「ワンダーフェスティバル」(ワンフェス)など各地のイベントに出展。文字通り黒山の人だかりとなる人気を集めた。
技術保存の大切さについては信念を持っている。10月中旬には静岡市消防局が老朽化のため払い下げた「震災工作車」を落札した。戦車の上に重機を載せたようなデザインで、これも改造してレプリカの戦車にするのかと思いきや、「このまま貴重な資料として公開したい」という。
「この工作車の転輪は、73式装甲車と同じ物です。こうした防災車両を作るにも、装甲車の技術が用いられている。例えば左右の履帯を逆回転させ、その場で360度方向転換する『超信地旋回』というのは、技術的には非常に高度なもの。どの国も持っている技術ではありません」
博物館の設立も「情報は財産です。子供たちに伝える努力をしないと」との思いが原動力になっている。
現在は防衛省から使用済み装備品の貸与を受けられるよう交渉するとともに、行政にも働きかけている。またタイなど外国で展示されている旧日本軍の戦車の里帰りを計画。国内では、終戦後まもなく浜名湖へ沈められたとされる四式中戦車の探索・引き揚げプロジェクトにも参画するなど“戦車博物館”の実現に向けて、着実に前進している。
関西でも伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)など各地の陸自駐屯地では戦車の走行を見学したり、試乗したりする催しが開かれており、戦車や装甲車などのコアなファンは多い。小林社長の九五式軽戦車などが出展される機会はこれまでなかったが、小林社長は「活動をPRするためにも、要望があれば大阪をはじめ全国各地で九五式軽戦車を展示公開したいですね」と話している。
太平洋戦争の兵器も当時の工業製品だし、それも最先端の技術の粋を集めたものだった。それを保存して展示することは決して悪いことではない。日本人はあまりにも完膚なきまでに負けたので現実をみるのが嫌なのか平和平和と念仏のように唱えていれば平和が維持できると思っているのか、兵器を嫌悪する傾向があるが、兵器も歴史の一部だし、兵器が戦争を始めたわけでもない。現実をしっかりと見据えてそこから教訓を得ることも悪いことではない。太平洋戦争は多くの命を失ったが、貴重な教訓を残してもくれた。それを忘れないようにすることも亡くなった人たちに対する弔いだろう。
Posted at 2013/11/03 00:53:42 | |
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