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2017年08月27日 イイね!

コペンで松本城を見に来た、・・(^。^)y-~。

コペンで松本城を見に来た、・・(^。^)y-~。


今日はあまり走っていないコペンを持ち出して少し走らせようと松本城を見に来た。松本と言うとけっこう遠いイメージだが、距離的には200キロばかりとそう遠くない。ただ、夏休み最後の日曜のせいか道路はえらく混んでいた。PA,SAは軒並み満車でトイレ使うのも大変だ。なんとか午後2時頃、松本城に着いたが、街中の城址公園に天守閣だけドンと建っていてあっけらかんという感じだった。まあ重機も何もない時代に人の手だけで建てたことを考えると大したものなんだろうけど実物よりも写真の方が重厚感があって良かったかもしれない。天守閣入場50分待ちと言うので面倒になってパスしてしまった。まあバイクもそうだが、目的は走ることで見る、食うは二の次ではある。中央高速バイク多いなあ。やっぱりバイクが良い。
Posted at 2017/08/27 20:22:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2017年08月26日 イイね!

大型二輪に乗ろう(バイクは安全に、そしてスマートに乗ろう、・・(^。^)y-.。o○)




イングランド南東部ウェスト・サセックス州で昨年8月7日午前11時55分、オートバイとバンが正面衝突し、バイクに乗っていた50歳のライダーが死亡した。
 

バイクに搭載したカメラには、チチェスターのグッドウッド付近をウィリー走行するバイクが対向車と正面衝突する瞬間が記録されている。
 

通常走行していれば避けられる事故だっただけに、ルールに反した乗り方をするリスクを知ってもらおうという遺族の希望で、ビデオは公開された。




欧米のバイク動画を見ているとウィリーなどをしてはでんぐり返っているのが多い。特に英国とロシア、それに米国だろうか。イタリア、スペインも多いか。普通に乗ればいいじゃないかと思うけどねえ。以前400Xに乗っていたころ、慣れて来たのでちょっと気合を入れてアクセルを開けたら前輪がふわっと浮いたことがあった。すぐに気がついて「おっとっと、・・」と言う感じでアクセルを緩めたらすっと前輪が着地した。「うーん、簡単に浮くんだなあ」と言う感じだった。400でもあれだからCB1300スーパーボルドールだったら簡単に持ち上がるだろうなあ。


この動画を見ると駐車場のようなところから本線に出ると一斉に加速を始め、緩い左カーブで前輪が持ち上がったまま反対車線にはみ出して行ってその後四輪のバンパーか何かが数秒写ってから動画は終わっている。確かにウィリーなんかしなければ事故にはならなかっただろう。バイクスタントじゃあるまいし、結構対向車の多い公道でどうして不安定な挙動をするんだろうねえ。


バイクは二輪で自立が出来ず重心が高くてタイヤの接地面積が非常に小さいという極めて特殊な乗り物だ。その割に馬力荷重などパワーに対する重量負担は極めて低いレーシングカーのような乗り物だ。だから乗り手は走り方やパワーに細心の注意を払うべきで「見て、聞いて、感じて、判断して、実行する」と言う一連の動作をよほどうまくやらないとバイクはきれいに走らない。だからバイクは頭を使って走るスマートな乗り物だと思う。体も使うけどね、・・。


スピードもスタントも命あってのことでバイクも趣味である以上命を懸けてやるほどのことではない。自らが招いたこととは言え、事故の被害者と遺族の方にはお気の毒であった。

Posted at 2017/08/26 16:38:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2017年08月26日 イイね!

消えゆく可変後退翼技術、・・(^。^)y-.。o○。




F-14の特徴「可変翼」、最近の機種では…?
 
1986(昭和61)年に上映された大ヒット映画『トップガン』。主演のトム・クルーズさんが2017年5月、その続編を製作中であると語ったことがニュースなどで報じられました。気になる内容は、主人公マーベリックが教官役で登場し、ドローンの話だといわれています。


『トップガン』といえば、アメリカ海軍の艦上戦闘機F-14「トムキャット」。映画の撮影にはアメリカ海軍が全面協力し、空母から発艦するシーンや敵機とのドッグファイトなど、その勇姿を余すところなく映像で伝えています。

F-14はアメリカ海軍のF-4「ファントムII」の後継機として1973(昭和48)年に配備が開始され、主翼に可変翼を採用した戦闘機でした。飛行状況に応じて主翼の角度が変更できる可変翼は、映画の中でも場面によって色々な角度に変化しているのが見られます。

しかし2017年現在、アメリカ海軍のF-14のみならず、世界中を見渡しても可変翼機はまったく主流ではなく、後継機開発も見られません。なぜ、これほどまでに衰退してしまったのでしょうか。

そもそも可変翼とは? 実用化とその歴史
 
その前に、そもそも可変翼とはどのようなものなのでしょうか。航空機はジェットエンジンの登場によって、より早いスピードで飛行することが可能になりました。そして主翼には、空気抵抗の少ない後退角を持たせた「後退翼」が登場します。後退翼は高速飛行には適していますが、直線翼に比べると離着陸時や低速時の安定性が劣ります。そこで、高速性と安定性を両立させるために、状況に応じて主翼の角度を変え飛行特性を変化させる可変翼が登場しました。

 
可変翼の開発は、第二次世界大戦のナチスドイツにまで遡ります。

1942(昭和17)年に初飛行したジェット戦闘機メッサーシュミット Me262は、エンジンの配置など重心調整で後退翼が採用され、後にそれが高速飛行に適している事が判明します。そして、音速で迎撃するジェット戦闘機として開発されたメッサーシュミット P.1101は、主翼の後退角を変えることで飛行特性を変化させる可変翼機として研究されますが、完成前に終戦となり実用には至りませんでした。

 
戦後、この戦闘機の設計図を入手したアメリカ軍が、1951(昭和26)年に可変翼の実験機X-5の試験飛行を成功させました。その後、実用化を目指して様々な可変翼の航空機が開発されましたが、主翼角度の変化によって操縦特性も変わるため上手くいきませんでした。

 
可変翼機が実用化されたのは、1964(昭和39)年に初飛行を行ったF-111「アードバーグ」でした。アメリカ空軍やオーストラリア空軍に採用され、ベトナム戦争や湾岸戦争などに参加しました。


当初は「手動」?
 
当初、F-111は開発費と維持費の軽減のために、アメリカ空軍と海軍とで共通の機体を使用する予定で計画がスタートし、空軍型のA型と艦上戦闘機型のB型を開発する予定でした。ところが空軍と海軍の要望を採り入れるために、様々な機構を採用した結果、機体の重量が予想よりはるかに増加し、海軍は重量増加では運用が困難とB型の採用を取り止め、A型のみがアメリカ空軍に採用されました。

 
その後、技術革新によりコンピューターによる飛行制御が可能となり、F-111が「CAS(コントロール増強システム)」により、ようやく可変翼が実用化に至ります。主翼の角度は、飛行中にパイロットが手動で変更させる方式でした。

 
ところがいざベトナムで実戦投入されると、敵戦闘機との空戦には苦戦し、空域を制圧する制空戦闘には不向きであることが露呈します。爆撃機としては優れたF-111でしたが、空軍はより優れた制空戦闘機としてF-15の開発をスタートさせます。


一方、採用を見送った海軍はF-111の可変翼やミサイル、エンジンなどの技術を転用し、F-14の開発に着手します。F-111では手動で変更させていた可変翼は、「CADC(統合飛行制御装置)」により角度の自動制御が可能となり、優れた飛行性能を発揮することができました。

 
可変翼はその後、1960~1970年代に流行しアメリカ空軍の爆撃機B-1やソ連の戦闘機Mig-23やSu-24、イギリス軍のトーネードなどに採用され、軍用機の新しい技術として定着するかに思えましたが、やがて時代の流れで衰退していきます。


可変翼はなぜ衰退してしまったのか
 
可変翼が開発された当時は、戦闘機は速度競争の真っ只中にあり、各国はより速く飛べる技術の開発に心血を注ぎましたが、やがて戦術の変化やマッハ2を超えるような超音速が実用性に乏しいことを理由に高速化を追い求めなくなり、結果、可変翼の特性である高速性と低速性の両立をさせる必要が薄れました。そして新型のエンジンやコンピューターによる機体制御が進むと、可変翼を使わずとも運動性能を向上させることが可能になりました。


また可変翼機は、一般的に主翼の根元にある回転軸で主翼の角度を変化させます。この回転軸が主翼の荷重を支えるため重く頑丈に作られています。そのため機体の重量増となり、また構造が大変複雑なためメンテナンスに要する時間が多くなります。そして何より1機当りのコストが増加します。形状的にもステルス性が損なわれるため、新たに可変翼の戦闘機が開発されることはありませんでした。


『トップガン』で一躍知名度が上がり、艦上戦闘機としてその強烈な存在感でいまだファンの多いF-14「トムキャット」。実戦では湾岸戦争、アフガニスタンやイラク戦争などで活躍した後、2006(平成18)年にアメリカ海軍から完全に退役しました。現在は、基地のゲートガードなどのモニュメントとして余生を送っています。そして現在、第一線ではF-14の後継機F/A-18E/F「スーパーホーネット」が活躍しています。




一時は最新技術のように持てはやされた可変後退翼だが、今はもうすっかり鳴りを潜めて消えてしまった。CCVなどでそれ以上の機動性を持たせることが可能になったことやミサイルや電子機器の発達で飛行特性の向上が以前ほど重要ではなくなったこともその理由だろう。F14は旧ソ連の飽和ミサイル攻撃から空母機動部隊を防御するために開発されたが、ソ連が崩壊すると空母に対する脅威は消滅してしまったために効果で維持管理にも手がかかるF14を保有する理由がなくなり、艦載機は安価なFA-18に更新されてしまった。結局この機体は高度な防空能力を有してはいたが、高価格で維持管理に手間がかかりすぎたことが寿命を縮めたのだろう。これでトーネードとB1が退役してしまうと西側の可変後退翼は過去の遺物となってしまうだろうが、分進秒歩の技術の前にはやむを得ないのだろう。
Posted at 2017/08/26 12:48:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2017年08月26日 イイね!

戦艦大和は世界最強の戦艦だったか、・・(^。^)y-.。o○




1945年4月、米軍の攻撃を受けて鹿児島県沖で沈没し、今も海底に眠る戦艦大和。当時、極秘裏に建造されていたため、その全容にはいまだ未解明の部分が多い。大和型戦艦の基本計画に参画していた松本喜太郎氏は、昭和9年3月から20年4月まで海軍艦政本部において艦艇の設計に従事し、昭和20年4月以降、呉海軍工廠造船部設計主任、終戦時、海軍技術大佐として大和型戦艦の開発経緯を含めた基本資料のほとんどを手元にそろえていた。今回は、その松本氏が保持していた設計図をはじめとする一次資料と、戦後間もなく松本氏により発表された大和研究の論文その他を多数収録している『戦艦大和 設計と建造 増補決定版』から一部抜粋して、大和の実像の一端に迫る。

 
主砲とは、その軍艦に搭載した大砲の中の最大のものをいう。
 
戦艦の近代形式主砲の最大のものは、当時までは各国をつうじ大砲の口径すなわち弾丸の直径41cm、インチでいえば16inあった。戦艦大和の最大の特長は、46cmすなわち18in砲を装備したということである。第一次大戦以来、各国海軍を支配していた大艦巨砲主義の思想、この考え方に徹した戦艦大和の出現、これをもって国家を泰山の安きにおきうると考えた。

● 主砲の配置が 戦闘力の発揮に大きく影響する

図は、戦艦大和の外見図である。本艦の設計上まず第一に研究されたのは、相手方の戦艦との戦闘用である46cm3連装主砲塔3基の配置であった。この配置の適否は戦闘力の発揮に重大な関係がある。艦の左右いずれの舷の戦闘に対しても、主砲の全射線を全幅的に活用しうるために、砲塔全部を船体の中心線上に配置するのは近代軍艦の定石である。

 
この前後方向の配置は、最後案に決定するまでには全砲塔を英国のネルソン級のように、艦の前部にまとめる案もあった。この案は砲戦上も防御計画の上からも有利である。前部にすべてをもってくると、船体のバランスが不均衡になり、また、後方への砲火威力を発揮する上から具合がわるい。

 
この図のように2砲塔を前方、1砲塔を後方に配置すると、射撃上は好配置であり、重量の釣合はよく、また艦橋の位置が後部にかたよりすぎないから操艦が楽であるなどの理由で、最終的にこの配置が採用された。

 
砲塔の下方に設けられる主砲弾庫内の弾丸格納法については、給弾速度の迅速確実という見地から、これまでの形式とはまったく異なった方式がとられた。すなわち1砲身あたり定数100発の弾丸のうち、約半数は砲塔の旋回部内に置き、残りをその周囲の固定部に置いた。いずれも弾丸を直立の形で置き、水圧力で弾丸を横へ移動させるように工夫された。この方式は弾丸の供給を迅速になしうるようにしただけでなく、弾火薬庫内の配置の上からも極めて有利であった。


● 問題を残した大和型戦艦の副砲

副塔の配置も船体の中心線上に置くことが同様の意味から望ましく、いろいろ研究されたが、全部をそうするだけの余地がないため、図のように15.5cm砲3連装砲塔2基を中心線上に、残り2基を左右両舷に1基ずつ配置された。この配置によって、全射線12をもって片舷で同時に発射可能弾数は9となった。この副砲配置には問題があり、後に左右の2基は撤去された。本艦の出現によって、日本にはじめて近代型戦艦が出現したのである。

 
46cm砲、さらにすすんで本艦自体がいかに大きかったかは、巡洋艦最上と比べるとよくわかる。最上の主砲は大和の副砲と同じ15.5cm砲で、3連装砲塔5基となっている。最上に搭載して威容を誇った同じ砲塔4基が大和に搭載されて、いかに小さく見えることであろうか。

 
副砲用弾丸の砲1門当たりの定数は、発射の機会の多い1番および4番砲塔(前および後部のもの)に対しては150発とし、2番および3番(両舷のもの)に対しては120発として搭載された。


● 対空兵装が意外にも貧弱だった理由

対空兵装は、口径12.7cm連装高角砲6基と25mm3連装機銃8基であって、今日の眼でながめると貧弱であったが、これは後日、戦訓にもとづいて充分に強化された。当時は空襲から大和を守るのにこの程度で充分と思われていた。その理由は、味方が制空権をにぎった条件下での水上戦闘を考えていたためと、常に戦艦大和の周囲には護衛艦艇が配置されることが前提であったからである。




戦艦大和は世界最大の戦艦の割にはほとんど活躍もせずに撃沈されたというが、副砲の防御や装甲の結合、非装甲部分の防水対策など問題はあるにしても当時世界最強の戦艦だったことは間違いないだろう。航空攻撃に弱いという指摘もあるが、建造当時、あのような圧倒的な航空攻撃を受けることは想定していなかっただろうし、魚雷1,2本を受けても戦闘力を失わず、3,4本を受けても沈没せずに帰投できる程度だっただろう。英国のプリンスオブウエールズは5本の魚雷で沈没しているし、米国のアイオワ級でも同様の航空攻撃を受ければ大和ほどは耐えられずに沈没しただろう。アイオワ級との砲撃戦になった場合、昼間晴天であれば大和が優勢だっただろうが、悪天候や夜間だとレーダーの性能差で不利だったかもしれない。大和型戦艦は連合艦隊旗艦に使用されたことや大量の燃料を消費することから戦争の前半は使用が制限されていたが、この戦艦を戦争前半、特にガダルカナル島争奪戦当時に投入したらそれなりに活躍の場があったのではないだろうか。速力も空母に随伴できないなどと言うが、現実的には問題はなかったようだ。

Posted at 2017/08/26 12:47:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2017年08月25日 イイね!

翼の向こうに(83)




海上に出ると間もなく敵を発見した。例によって二機のPBYが低空を這うように西に向かっていた。護衛はF四Fが六機、我々と飛行艇の間に割り込んで何とか飛行艇が退避する時間を稼ごうとしていた。高瀬が直率する編隊は我々よりも約五百メートル低空を飛行していたからそのまま飛行艇攻撃に向かった。

 
我々は護衛のF四Fを崩しにかかった。高瀬は一度飛行艇の前に出ると切り返してから鮮やかな正面攻撃で先頭の一機を撃墜した。そして続けて後上方からの一撃で二機目を葬ってしまった。その間およそ一、二分、目が覚めるような鮮やかな撃墜だった。我々は向かって来たF四F二機を落としたが、残りは取り逃がしてしまった。

 
戦闘は高瀬の鮮やかな手際で呆気なく片付いてしまったので我々は編隊を纏めて帰還しようと高度を取っていたところに上から何かが降ってきた。その次の瞬間、最後尾の四番機が爆発して砕けた。


「上に気をつけろ。P四七だ。また来るぞ。」

 
高瀬の声が受話器から聞こえた。上空を見ると黒い点が十数個浮んでいるのが見えた。高瀬は直率の三機を率いて高度を取りつつあった。どうやら一戦交えるつもりらしかった。その高瀬の編隊を狙って敵機が急降下して行った。高瀬はそれを横転上昇でかわすと後方から追撃して一機を撃墜した。

 
高瀬の鮮やかな空戦に見とれていると今度はこっちが狙われた。二機が後方から迫ってきた。列機を退避させておいて高瀬の真似をしようとしたが、敵機をかわすことは出来ても彼のように高速の敵機をうまく捉えることが出来ずに取り逃がしてしまった。

 
高瀬はそれからも自分が囮になって狙ってくる敵機を三機も撃墜した。私たちは島田一飛曹と一緒になってやっと一機を落として四番機の仇を取った。しかし、この戦闘で三番機が被弾したので島田一飛曹を護衛につけて先に基地に返し、私は単機で高瀬たちを追った。

 
そこにまた敵機が奇襲をかけてきた。三機が連続して急降下攻撃をかけてきたのを横転や機体を滑らせて二撃まではかわしたが、最後の攻撃はかわしきれそうになかった。首を精一杯回して迫ってくる敵機を視界の端で捉えながら『これでいよいよ年貢の納め時か』と観念した時、爆発して砕け散ったのは後から迫っていた敵機の方だった。そしてその爆煙を突き抜けて姿を現したのは胴体に大きな金色の十字架を描いた紫電だった。


「高瀬。」


私は無線に向かって呼びかけた。


「相変わらず無茶な誘い方をするやつだな。貴様があまり呑気な誘い方をするから三機もお客さんを魅惑したじゃないか。」

 
高瀬は機体を私の横に並べた。風防を隔てて絹のように滑らかな笑顔の高瀬が手を振っているのが見えた。私は高瀬に手を振って答えようとした。その時、高瀬の紫電が苦痛に身を捩るように機体を震わせた。そして次の瞬間、胴体に大きな金色の十字架を描いた高瀬の紫電は爆発して砕け散った。私の機体はその爆風に煽られて大きく揺すぶられた。私は揺れ続ける機体にしがみつくようにして高瀬が飛んでいた場所を見つめ続けた。しかしいくら目を凝らしてもそこには薄茶色の煙が漂っているだけで高瀬の機体はもう何処にもなかった。私には一体何が起こったのかすぐには理解できなかった。

 
高瀬の機体が砕け散った名残の煙を突き抜けて銀色のドラム缶のような戦闘機が二機、私の目の前を急降下して行った。私の視線はその二機に釘付けになった。そしてその時すべてを理解した。体中の血液が凍りつくような怒りを感じた。周囲からすべての色と音が消えた。心臓の鼓動だけが響き渡っていた。色のない世界を格子の帯を纏った灰色の敵機が飛び去ろうとしていた。

 
出撃時に胴体タンクにハイオクガソリンが入っていると整備長が言ったことを思い出した。私はハイオクガソリンについて深い知識はなかった。ただ馬力が出ると言う程度だったが、燃料コックを切り替えるとスロットルを思い切り前に押した。発動機が爆発しようと機体が分解しようと構わなかった。目前から飛び去ろうとしている敵機を追撃する力を与えてくれと神に祈った。この機体に力を与えてくれる誉発動機は突然これまで聞いたこともない高い排気音を響かせた。排気管から噴き出す排気炎が私の憎しみの深さを表すかのように青く長く尾を引いた。

 
色のない世界で青白い排気炎だけが目に痛いほど鮮やかだった。速度では遥かに勝るはずの敵機との距離が徐々に縮まって敵機が照準環一杯に広がった。私が機銃の引き金を引いたのと敵機の操縦士が驚いたように後を振り返るのとはほとんど同時だった。機体を通じて機銃発射の反動が伝わると同時に白く光る曳光弾が敵機に吸い込まれるように命中した。敵機の機体にいくつもの小爆発が起こり、すぐに左翼が折れ、機体はコマのように回りだして後落していった。

 
私はそこで先頭の敵に目を移した。残った敵機は右に回頭しながら上昇に移った。普通なら上昇力の勝る敵機を追尾しないのが原則だったが、高瀬を殺した敵機を撃墜することしか頭になかった私は機体を右に振って上昇に移った。排気炎はさらに長く青い尾を引いて機体に沿って流れた。これまで驚異的な上昇力を誇って味方を翻弄していた敵機との距離は開くどころか徐々に縮まっていた。

 
高度が六千を越えようとしたところで敵機は私を振り切れないことに慌てたのか、機体を右に捻って急降下を始めた。高度が上がれば過給機を装備していない紫電には極めて不利になるところを敵機が降下してくれたのは幸だった。互いに数トンの機体を二千馬力の発動機で引っ張りながら降下を続けた。それは命をかけた追いかけっこだった。

 
色の失せた大地が急速に近づいて来た。高度が一千を切った。もう限界だった。これ以上降下を続けたら機首を上げても間に合わずに地面に激突するかもしれなかったが、このまま敵を追って地面に激突しようと目の前の敵機さえ葬れば私はかまわなかった。

 
敵機は耐えかねて機首を上げた。上昇しようとしてその全身をこちらの機銃口の前に曝け出した。敵の操縦手がこちらを振り返っていた。その顔は驚きと恐怖で引きつっていた。私は構わずに照準環の中に捉えた敵機に向かって引き金を引いた。ほとんどすべての射弾が敵機に吸い込まれるように命中すると敵機は爆発して砕け散った。その煙の中を突っ切ってほとんど地上すれすれで機体を引き起こした。そしてそのまま放心したように上昇を続けた。


「武田五番、集まれ、集まれ。」

 
緩やかに上昇を続けながら味方を呼んだ。誰も答える者はなかった。私は上昇を続けた。自分が戦場にいることも忘れていた。何時の間にか高度は一万メートルに近づいていた。突然私の目の前を紫電が横切った。我に帰って目を凝らすとその紫電には大きな十字架が描いてあった。


「高瀬。」


思わず声に出して呼びかけると風防の中で絹のように滑らかな笑顔の高瀬が振り返った。


「高瀬、帰るぞ。」

 
私は大声で呼びかけた。しかし高瀬は何も答えてはくれなかった。そして突然信じられないような急角度で上昇を始めると見る間に視界から消え去った。私は慌てて四周を探したが、飛んでいるのは私だけで後は何時の間にか色の戻った青黒い成層圏の空が広がっているだけだった。


「帰るぞ、高瀬。俺は帰るぞ。」


私は独り言のように呟くと操縦桿を倒して機体を降下させた。


「武田五番、武田五番、応答せよ。」


受話器が鳴った。基地からの呼び出しだった。


「武田五番、現在位置、阿蘇山上空、高度八千。只今より帰投する。」

 
私は進路を北西に取りながら徐々に高度を下げていった。そして滑走路を認めると着陸のための旋回に入った。その時、ちょうど指揮所の反対側の草むらあたりから煙が立ち上がり、周りで大勢の人が忙しなく動き回っているのが見えた。たしか、戦時医療所に使用している壕のあたりだった。


Posted at 2017/08/25 17:34:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記

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