• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ntkd29のブログ一覧

2019年12月31日 イイね!

「福島いじめもいい加減にしてほしい」、安倍総理、文大統領に直言、‥(^。^)y-.。o○。

「福島をいじめるのもいいかげんにしてほしい」--。
今月24日、中国四川省成都で開かれた韓日首脳会談で、安倍晋三首相が文在寅(ムン・ジェイン)大統領に話した言葉だという。31日、読売新聞が報じた内容だ。

1年3カ月ぶりに会った文大統領に安倍首相が直撃弾を飛ばしたのだ。安倍首相は韓国が東京電力福島第1原電の汚染水処理問題を国際社会で繰り返して問題視していることに言及しながら、このように話したという。

実際、韓日首脳会談直後、岡田直樹・官房副長官は記者会見で「福島原発の処理水に関して、今まで国際社会に情報提供をしてきており、その方針は今後も変わらない」という安倍首相の発言を紹介した。あわせて「韓国側に対応を自制するよう要請した」と明らかにした。

読売新聞は「従来の日韓関係は、懸案が生じるたびに日本側が譲歩してきた。しかし、今回は日本政府内に『これ以上、韓国の「甘え」を許容できない』との意見がかつてなく強い」と伝えた。そして、その陣論の先頭に安倍首相が立っているということだ。

安倍首相は首脳会談で、強制徴用賠償問題に関しても日本政府の方針を明確に伝えた。読売新聞によると、安倍首相は「根本の問題が解決しない限り、日韓関係はこのままだ」と話したと伝えた。安倍首相が「元徴用工問題は一ミリも譲歩しない」と周囲に話してきた言葉そのままだ。
同紙は「安倍政権の間は、韓国に対して安易に妥協しない姿勢が続くだろう」と展望した。


そうそう、妥協なんかする必要はない。そもそもの原因は韓国にある。韓国が国際法を踏みにじって日本に不当な要求をしたのが原因だ。だからそれを改めるまではそれこそ1ミリたりとも下がってはいけない。また常識外れなことをしたら今度こそ経済と金融で締めてやればいい。もう足下が危ないんだからすぐに決着がつくだろう。支持率維持のために日本を不当に非難するのをいつまでも許していてはいけない、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/12/31 17:05:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2019年12月31日 イイね!

新旧交代、自衛隊の装備あれこれ、‥(^。^)y-.。o○。

最新鋭戦闘機と新型政府専用機、運用スタート
2019年は令和最初の年でもありました。節目の年に自衛隊の装備でトピックになったものを5つ紹介します。最新鋭の機体もあれば、半世紀以上前に採用され、退役してから20年近く経つものも注目を集めました。

F-35A戦闘機、本格運用開始(3月)
今年は、航空自衛隊において最新鋭のステルス戦闘機であるF-35Aの本格運用が始まった記念の年です。これまでは臨時飛行隊という形でしたが、3月16日から第302飛行隊でF-35Aの正式運用が始まりました。第302飛行隊は、これまで茨城県の百里基地でF-4EJ改「ファントムII」戦闘機を運用してきましたが、3月に青森県の三沢基地に移駐し、機種をF-35Aに更新して航空自衛隊初のF-35A飛行隊となりました。

新旧の政府専用機がバトンタッチ(3月)
同じく3月には、1992(平成4)年以来、日本の外交を支えてきた政府専用機の新旧交代もありました。これまで27年間運用されてきたボーイング747と、後継として新たに導入されたボーイング777の機種交代式典が、北海道千歳市にある航空自衛隊千歳基地で3月24日に実施され、1週間後の3月31日を持って正式にボーイング747は退役しました。ボーイング747は総理府(現在の内閣府)の予算によって2機購入されたのち、防衛庁(現在の防衛省)に移管、長らく運用されてきました。後継となったボーイング777についても内閣府の予算で同じく2機購入され、防衛省に移管されています。なお、ボーイング777は自衛隊所有であるものの、機体の整備支援や、民間旅客機の客室乗務員に相当する「空中輸送員」の教育などは、ANA(全日本空輸)に委託しています。

戦後初の国産戦車は海を渡り、最新の国産自走砲が初披露
新装備の運用開始とは別に、退役装備の海外初展示もありました。

日本の61式戦車、ヨルダンへ無償貸与(8月)
今年、戦後初めて行われたこととしては、国産戦車の外国への引き渡しもありました。実施されたのは中東のヨルダンですが、同国は首都アンマンにある王立戦車博物館で展示するために、日本製戦車の供与を要望していました。それに対し日本政府は、戦後初の国産戦車である61式戦車を無償貸与することを決め、8月に横浜港から送り出し、9月中旬にヨルダンに到着、11月13日から前述の博物館で展示を開始しています。

19式装輪自走155mmりゅう弾砲、初の一般公開(8月)
今年の富士総合火力演習で、初めて公開されたのが、陸上自衛隊の新たな自走砲、19式装輪自走155mmりゅう弾砲です。我が国の自走砲として初の装輪式、いわゆるタイヤ駆動のトラック型自走砲で、高速道路などを用いて迅速に移動することが可能です。また重量も25t以下に抑えているため、航空自衛隊のC-2輸送機で空輸することも可能です。富士総合火力演習では、既存の99式自走155mmりゅう弾砲などに続いて会場に登場したのち、射撃はせずに射撃姿勢などを披露しました。また演習終了後の装備品展示では砲身を上に向けた射撃姿勢で展示され、来場者の注目を集めていました。19式装輪自走155mmりゅう弾砲は、2019年度予算ですでに7両ぶんが計上されており、2021年に部隊配備が始まる予定です。

45年にわたり第一線で活動してきた古兵の退役
新型機が登場する一方で、姿を消す古参もあります。

RF-4E/EJ偵察機、最後の一般公開(12月)
 2020年3月末で航空自衛隊のRF-4E/EJ偵察機が運用を終了するため、所在基地最後の一般公開となった12月1日の「令和元年度百里基地航空祭」には多数の来場者が訪れました。1974(昭和49)年からRF-4Eの導入が始まり、その後、部隊の増勢に対応するため航空自衛隊は戦闘機型のF-4EJ「ファントムII」を改修してRF-4EJを製作、両機種を混用する形で現在まで運用してきました。陸地と洋上の両方を低空飛行するため、航空自衛隊機としては珍しく緑色主体のものと、青色主体のもの、2種類の迷彩塗装機がありました。しかし、同機が空を飛ぶのは2019年度いっぱい(2020年3月末まで)で終わります。

※ ※ ※

乗りものではありませんが、2019年12月には、陸上自衛隊の次期新型小銃として国産のHOWA5.56が、新型拳銃としてドイツ製のSFP9が、それぞれ選定されました。各々現行の89式小銃と9mmけん銃の後継で、およそ30年ぶりの更新ということもあり、新たな自衛隊装備として話題になりました。(柘植優介(乗りものライター))


何よりも記憶に残るのはF4ファントムⅡの退役とF35Aの配備だろう。F4は導入当時世界最強の戦闘機として勇名をはせていたが、米国の主力戦闘機と同種の機体を装備できるということでも話題になった。F35も最新のステルス戦闘機で今後長きにわたって日本の空を守っていくのだろう。政府専用機はB747を使用する航空会社がなくなって整備などに問題を生じるとのことで更新したのだろう。自走砲はこれもFH70が索引式の自走砲なので急速に陣地転換ができる自走式に更新したのだろうが、火砲の数自体が大幅に減少しているので良いものをと言うことなんだろうか。自衛隊の装備も時代とともに変わっていくが、これからは装備よりも人の確保が問題になっていくだろう。自衛隊もまた新しい問題を抱え込むことになりそうだ、‥(^。^)y-.。o○。
Posted at 2019/12/31 17:03:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年12月31日 イイね!

大型二輪に乗ろう(相棒のCB1300スーパーボルドールとも6年の付き合いになる、‥(^。^)y-.。o○)

今日は大晦日だが、異様に暖かい。気温が20度もあって記録的な温かさだそうだ。でも気圧配置から見ると西高東低の冬型で夜には寒波が来て寒くなるだろう。暖かいからというわけではないが、今年最後のバイクツーリングに行って来た。

ツーリングと言ってもご近所一周70キロのミニツーリング、西湘で大磯、小田厚で二宮から山を秦野に抜けて秦野中井から東名で大井松田、そこから箱根の前山の矢倉山の麓の矢倉沢を回って帰って来た。高速はあちこち事故で大変なようだ。正月でお出かけするんだろうけど事故を起こしては台無しだな。

バイクもかなり多い。皆さん、箱根伊豆方面に行くが、最近の正月はただの長い休みでどこもどっと繰り出したで大渋滞になるので遠出はできない。何年か前に元日なら空いているだろうと伊豆方面に出かけたら早川から渋滞の連続で伊東まで我慢して行ったが、さすがにしびれを切らして伊豆スカイラインで帰って来た。翌年は東京方面なら大丈夫かと東に向かったらこれも大渋滞でにっちもさっちもいかずに這う這うの体で引き揚げてきた。だから正月は近所しか出かけないが、70キロ走ればまあまあだろう。

思えばCB1300スーパーボルドールとも来年の3月で6年の付き合いになる。走った距離も5万キロ、何だかんだでよく走ったものだ。最初に納車で400Xから乗り換えたときはまだまだバイクど素人で世田谷からモンスターを持って帰れるのか心配だったし、販売店のスタッフも不安そうな顔で見送ってくれたが、乗り出してすぐに400Xよりもずっと乗りやすいバイクと思ったことは今でも鮮明に記憶している。1300ccのエンジンをつけたママチャリのようなバイクだと思った。

それから滋賀、福井、京都辺りには何回くらい行っただろうか。1泊2日のロングツーリング、走行距離1千キロを目標に走る走る。同じところばかりで飽きないのかと言うが、どこかに行くのが目的ではない。走るのが目的だし、状況はいつも異なるのだから結構面白い。さて来年はどこに行こうか。相棒のCB1300スーパーボルドールとツーリングを楽しみたいね。あ、そう言えば今日は矢倉沢に行く途中で同じCB1300スーパーボルドールとすれ違った。お互いに手を振って別れたが、バイク仲間はいいね。皆さん、よい年をお迎えください、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2019/12/31 13:43:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク | 日記
2019年12月30日 イイね!

三菱スペースジェット、2020半ばの納期が見通せず、‥(^。^)y-.。o○。

国産初のジェット旅客機「スペースジェット」(旧MRJ)の開発が遅れている。型式証明の取得がなかなかできず、試験に必要な試験機の製造も遅れているのだ。三菱航空機はいま何を行っているのか。【毎日新聞経済プレミア・平野純一】
 
◇カギを握る「試験10号機」
スペースジェットを開発する三菱航空機は12月20日、開発の進捗(しんちょく)を説明する会見を開いた。ANAグループへの1号機納入はこれまで5回延期され、現在の納期の2020年半ばもあと半年余りに迫る。これを守れるかが危ぶまれる中、水谷久和・三菱航空機社長は「依然として厳しい状況であることには変わりない」と述べ、予定通りに1号機を納入できるかギリギリの協議を行っていることを明らかにした。
 
スペースジェットは航空当局からの安全性のお墨付きをもらう「型式証明」をまだ取得できていない。カギとなるのは、新設計の試験機(試験10号機)の完成だ。三菱航空機は17年、型式証明取得の際の安全性をより高めるため、それまで機体前方の1カ所に設置していた飛行制御機器を前方と後方の2カ所に分散配置して設計し直すことを決めた。10号機はその新設計による試験機だ。この決定により、18年半ばの納期は2年延期され、現在表明している20年半ばとなった。
 
これまで試験機で、基本的な機体の強度に始まり、暑さや寒さに耐えられるか、ブレーキ、騒音など、さまざまな試験を行ってきた。飛行時間もすでに3500時間で、一般に型式証明取得に必要とされる2500時間を超えている。だが、設計を見直した分、新しい試験機で行うテストもかなり残る。三菱航空機としては、一日も早く新しい試験機を飛ばしたいところだ。しかし、その新試験機がなかなか出てこない。10月31日に親会社・三菱重工業の泉沢清次社長は「年明けには飛ばしたい」と述べていたが、12月20日の会見で水谷社長は「スケジュール全体を見直している中で試験10号機をいつ出せるかについても言える状況にはない」とし、むしろ後退してしまった。
 
関係者によると、新試験機は現在、分散配置した制御機器が正常に動くか「ファンクション(機能)テスト」を繰り返している。この確認作業の進捗がカギになりそうだ。正常と確認できれば、飛行試験の拠点となっているアメリカ西海岸のワシントン州モーゼスレークの空港に送り、型式証明取得に向けた最終テストの段階に入る。
 
◇「民間航空機をつくれる国はわずか」
スペースジェットは、まだMRJと呼ばれていた15年11月に試験機が初飛行し、その後計4機をアメリカに送って飛行試験を行っている。ただ、会見に同席したアレックス・ベラミー最高開発責任者は「これまでの試験機はいわば“プロトタイプ(試作品)”で、型式証明を取るのにふさわしい機体ではなかった。新設計の試験機は飛行制御機器の分散をはじめ、17年以降に行った数々の改良により、型式証明を取りにいける機体になった」と述べた。

ベラミー氏によると、17~19年に約900項目にのぼる改良や設計変更を行ったという。主翼、水平尾翼、垂直尾翼の可動翼のコントロール装置改良、着氷防止装置の改良、エアコンダクトの配置変更、機体中央部下の形状の再設計……などなどだ。航空機の開発は、飛行試験を重ねるなかで改良を加えていくもので、確かにスペースジェットは進化しているが、納期があと半年余りに迫るなか、まだ型式証明が取れていないようでは、スケジュール的に非常に厳しいことは間違いない。だが、会見では「いつまでに型式証明が取れる見通しなのか」との質問に、水谷社長は「試験は当局が行うもので、いつごろ取得できるかということは、我々から言えるものではない」と答えるにとどめた。
 
また、スペースジェットに関する会見では、ほぼ毎回指摘される開発の遅れについて、ベラミー最高開発責任者は「民間航空機をつくれる国は世界に多くないし、つくれる企業も多くない。いま日本と三菱航空機は、そのわずかな国と企業になろうとしている。批判があるのはわかっているが、われわれは結果を出していくしかない」と述べ、理解を求めた。


YS11を作って50年、やっと次の旅客機を作れる機会が来たが、50年と言う空白期間が作り出した溝は技術的にあまりにも深かったというところだろう。技術には継続が何よりも大事だということだ。しかし、ここで止めてしまったら日本はもう二度と旅客機を作れない国になってしまう。関連企業の多いすそ野の広い航空機産業は明日の日本には絶対に必要な産業だ。万難を排してもがんばれ、三菱重工、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2019/12/30 13:02:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2019年12月30日 イイね!

西側の常識からはかけ離れた思想で作られたMIG25戦闘機、‥(^。^)y-.。o○。

「史上最速戦闘機」の称号は半世紀前の戦闘機に
速い「乗りもの」と言えば、なんといっても飛行機です。とりわけジェット戦闘機は、その飛行機を追い掛けて撃ち落とすことを仕事としているため、遅くては話になりません。ゆえにこんにちでは、よほど特殊な用途の機種以外はみな音速(マッハ:高度0mで1224km/h)を超える破格のスピードを持っています。その数あるジェット戦闘機において史上最速、ナンバーワンとして君臨する機種が、旧ソ連のミグ設計局が開発したMiG-25です。日本では1976(昭和51)年9月6日に、函館空港へ強行着陸したソ連防空軍戦闘機として知られています。
 
そのMiG-25の最大速度は、実にマッハ3.2に達します(非武装時または偵察型)。何度か速度世界記録への挑戦を行っており、半径80km円周500kmコースの所要時間から実測された平均対地速度は2981.5km/h(1962〈昭和37〉年)でした。これはいまもなお円周500kmコースにおける飛行速度の世界記録です。航空自衛隊最新鋭戦闘機F-35Aの最大速度がマッハ1.6ですから、マッハ3.2はその2倍という、ちょっと信じられないような数字です。MiG-25の驚くべき速度性能は、1960年代にアメリカが開発したマッハ3級の偵察機A-12(SR-71)「ブラックバード」、同じくマッハ3級のXB-70戦略爆撃機に対抗することを目的としていました。しかしながらマッハ3を超える速度の達成は、容易なものではなかったようです。最大の問題が「熱の壁」です。

速すぎるとボディが溶ける! MiG-25はどう克服?
マッハ3もの速度になると、機体の前縁で圧縮された空気が大変な高熱を生み出します。これは「熱の壁」などと呼ばれることがあり、大気圏再突入時に発生する高熱と同じ理屈です。熱の壁は飛行機にとって大きな問題となります。飛行機の構造材として広く使われているアルミ合金の融点を超えうるからです。アルミ合金は、軽くて丈夫でしかも加工しやすく安いという、飛行機の構造材としてはうってつけの金属です。しかしMiG-25は、その速度を実現するのに避けられない「熱の壁」の問題のためアルミ合金を使えません。その解決策として「鋼鉄」を使いました。鉄はアルミに比べ熱に強い反面、アルミと同じだけの強度を得るためには倍以上の重さぶんの量が必要であり、体積も大きくなってしまいます。飛行機に対して「あんな鉄の塊が飛ぶなんておかしい」というジョークがありますが、鉄はデメリットが大きいため、実際に鉄を主要な構造材とする飛行機はほぼ皆無です。
 
MiG-25は鉄によって熱の壁を解決しましたが、その結果として空気の薄い(抵抗の小さい)高高度へ上昇し、そして速く飛ぶ以外のすべてを捨てた、最大離陸重量40tを超える超大型戦闘機となりました。当然エンジンなども高高度の高速飛行に最適化されており、燃費は最悪です。大きな機体にものを言わせ、F-15「イーグル」の3倍近い14tもの大量の燃料を搭載しているにも関わらず、航続距離2575kmはF-15を下回ります。

最速の座に50年 伝説はいつまで続く?
MiG-25は上昇高度記録も持っており、ほかの戦闘機では到達することさえできない高度3万5000mまで4分11秒で駆け上がります。そして超音速まで加速し、大型のレーダーと高性能ミサイルを活かして一撃を加えるという目的に特化、世界で最も優秀な防空用「迎撃戦闘機」として、ソ連防空軍をはじめ多くの国にも輸出されました。実戦経験も豊富であり、1971(昭和46)年にまず偵察型MiG-25Rがデビュー。高高度をマッハ3.2で飛ぶMiG-25Rをレーダーで発見できても、戦闘機も地対空ミサイルも容易に振り切ってしまうため、MiG-25は世界中に衝撃を与えました。そして戦闘機型も1991(平成3)年の湾岸戦争において、アメリカ海軍のF/A-18を撃墜しました。これはアメリカ軍にとって、ベトナム戦争以降の戦闘機VS戦闘機、唯一の敗北です。

一方1970年代以降、飛行機に最大速度の向上が求められることはなくなりました。熱の壁の問題に加え、超音速飛行はあまりに燃費が悪すぎたためです。亜音速の巡航能力が重視されるようになり、戦闘機も非常時にマッハ1をわずかに超える程度の能力があれば十分となりました。結果として、あくなき速度競争の最終勝利者となったMiG-25は、現在に至るまで50年もの長きにわたり王座の地位に君臨しています。MiG-25も亜音速飛行能力が重視されるようになり、最大速度を抑え燃費を改善した発展型MiG-31が開発されました。そして現在ロシアでは、MiG-31の後継を担う次世代迎撃戦闘機開発を計画しており、「MiG-41」とも呼ばれています。MiG-41はマッハ3から4以上の速度が与えられるともされます。MiG-25の伝説を受け継ぐ最速戦闘機が実現するか否か。その動向が注目を集めています。(関 賢太郎(航空軍事評論家))


高空をマッハ3で飛行するためだけに作られたMIG25戦闘機は高熱にさらされる部分はニッケル鋼やステンレスが使われていたという。高度1万メートル以上をマッハ3で飛行するMIG25に当時西側の最新戦闘機だったF4は手も足も出ず米軍は青くなったそうだ。そのためにF15、F14などの新型戦闘機を立て続けに開発することになったというが、新型戦闘機の予算確保のためにMiGの脅威をことさら強調したという話もある。この方が真実っぽい。函館空港にMiGが強行着陸した時は大騒ぎで無暗にいじると重要部分に仕掛けられた爆薬が爆発して機体を破壊するとかで自衛隊は手も足も出ず、米軍が来るまでお手上げだったそうだ。その間空港の警備に派遣された陸海空自衛隊は機体を破壊しに来る旧ソ連の航空機あるいは特殊部隊との戦闘を覚悟して配置についていたという。その後、低空侵入に弱点があった日本の防空システムはE2Cの装備などで改善された。しかし、機体構造の80%に鋼を使用し、マッハ3で飛行する戦闘機は後にも先にもこの機体だけだそうだ。たった一つの高性能のために他のものはすべて捨てるという思想は昔の日本にも似ているように思う。いずれにしても西側の常識からみれば奇想天外とも言うべき戦闘機であったことは間違いない、‥(^。^)y-.。o○。

Posted at 2019/12/30 12:58:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

プロフィール

ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

愛車一覧

トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
基本的には前期型と大きな変化はないが、インパネは液晶デジタルになってずいぶんすっきりした ...
ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール) CB1300スーパーボルドールM2018 (ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール))
外観 もうこれは美しいという以外にはない端正なバイクではある。ホンダは「威風なる血統」 ...
トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
今度はGRヤリス、・・(^^♪。昨年GRヤリスの納期が1年半以上と聞いて速攻で契約してし ...
トヨタ 86 トヨタ 86
元々トヨタ党だったが、ちょっと浮気してダイハツコペンに乗っていた。しかし、ディーラー氏と ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation