• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ntkd29のブログ一覧

2022年12月25日 イイね!

自衛隊、救難航空機、戦闘ヘリなどを廃止へ、・・(^_-)-☆。

国家安全保障戦略など安保3文書改定に伴い、北海道から沖縄県まで配備されている航空自衛隊の救難捜索機「U125A」が順次廃止される。反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や宇宙・サイバーなど増大する任務に必要な人員・体制を確保するためだが、同機は消息を絶った空自機を捜す「目」の役割を果たしてきた。災害派遣、急患輸送にも使用されており、事故や災害時の対応への影響も懸念される。

空自によると、U125Aはジェット機で計26機配備。北海道、宮城、秋田、新潟、石川、静岡、福岡、宮崎、沖縄各県などの空自救難隊で運用されている。自衛隊機の事故発生時に搭乗員を捜索するのが主な任務だ。要救助者を発見すると、収容する救難ヘリコプターに位置や現場の天候状況などを伝え、誘導する。遭難者にサバイバルキットも投下でき、初動で重要な役割を果たす。しかし、安保3文書の防衛力整備計画は、防衛力強化のため、既存の部隊見直しにも言及。「保有機種の最適化のためU125Aの用途廃止を進める」と明記した。

防衛省は代替措置として、脱出した搭乗員の位置をピンポイントで特定できる衛星を利用した新型救命無線機を導入。ただ、墜落時の衝撃などで作動しなくなる可能性がゼロではないため、自衛隊内からは「一刻を争う人命救助の初動に関わるU125Aを廃止するのはどうか」との声もある。

U125Aは災害派遣にもたびたび出動。地震発生時や豪雨の被害情報収集、都道府県知事の要請を受け急患輸送にも当たっている。今年4月に起きた北海道・知床半島沖の観光船沈没事故では、第1管区海上保安本部(北海道小樽市)の災害派遣要請を受け、千歳救難隊(千歳市)のU125Aが捜索活動を行った。

自衛隊法上、自衛隊の主たる任務は国土防衛で、災害派遣は従たる任務に位置付けられている。国家安保戦略改定では、これまで以上に反撃能力保有など有事への備えに重点が置かれた。このため、災害派遣への対応に余力がなくなったり、抑制されたりするのではないかとの見方もある。

浜田靖一防衛相は記者会見で「廃止後も捜索や災害派遣に遺漏のないよう万全を期す」と説明。「新たな国家安保戦略の下、抜本的に強化された防衛力を活用し、引き続き災害派遣についても重要な任務としてしっかり取り組む」と述べた。



救難機は廃止しても無人偵察機やUH-60で代替できるとしているようだ。現場に行けばホバリングのできるヘリの方が有効だが、広域捜索と言うと足の速いジェットに分がある。その広範囲捜索の部分は無人機で、発見後の救助はヘリでということだろうか。これ以外にも陸自の戦闘ヘリを無人機に置き換えると言う。これも防空ミサイルの発達でヘリの戦力効果が低下したということだろう。でも戦闘ヘリの全面廃止は日本だけのようだ。これも無人機で代替しようと思えばできるだろうが、陸自としては一大変革だろう。海自のU‐36も廃止のようだ。これは訓練支援機なので無人機で代替可能だろう。さらに広域偵察無人機の配備でP-1の装備機数を見直すとかF35Bの装備でUH60Kの装備数を見直すと言うが、P-1の哨戒任務は無人機でも代替可能だろうけどF35BとUH60Kは用途が全く違うように思うが、どうなんだろう。これまでは友人装備がやっていた業務の一部を無人機が代替するというのが、今後の潮流のようだ。無人機と言うと省力化に貢献しそうだという印象があるが、実際には機体に直接人間が乗り込んでの操作を必要としないだけで、その運用整備には人間が携わるので省力化にはならないそうだ。逆に更なる人手を要する部分もあるそうだ。ただ実際に戦闘になった際には無人機なら戦闘で消耗しても人員の消耗は避けられるのでその点では有効だろう。自衛隊もこれまでは米軍を見本に装備の調達をしてきたが、今後は長距離ミサイル装備など防衛力の大変革が始まるかもしれない、・・(^_-)-☆。
Posted at 2022/12/25 18:37:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2022年12月25日 イイね!

車のステアリング、どんな素材がいいのかって、・・(^_-)-☆?

走り好きはステアリングにもこだわる
クルマの運転中、つねに手で触れているハンドル。操作性に大きく影響するパーツであるため、強いコダワリを持つユーザーも多くいるだろう。社外品を選ぶときはサイズやデザインに加え、素材が何であるかも重要なポイントになる。それぞれのメリットやデメリットを理解し、スポーツ走行に適した製品を選んでほしい。

多くの車種に採用されている「ウレタン」
まず純正ステアリングに多く使われるのはウレタン。最大のメリットは安価に製造できることだが、操作性や耐久性の面で大きなメリットはない。ただし表面の加工や処理によっては滑りにくくすることも可能で、純正ステアリングで何ら不満はないという人も少なからずいる。

クラシックカーに多い「ウッド」
ではクラシックなクルマに人気のウッド、すなわち木製のステアリングはどうか。高級感はバツグンでレトロな雰囲気も大きな魅力だが、ただし素手で操作するとすべりやすいのがマイナス。かつて流行ったフィンガーレスのグローブなら相性は悪くないと思われるが、クラシックカー以外では使っている人をほとんど見かけずスポーツ走行に向いているとはいえないだろう。

スポーツステアリングの定番である「レザー」
となれば最適なのはやはりレザー製だ。スポーツカーや高級車には純正で採用されることも多く、すべりにくさ/吸湿性/触り心地/燃えにくさ/耐久性と、人気の高さを証明するかのように数多くのメリットがある。また表面をパンチング加工で滑りにくくしたり、ステッチの色を変えデザイン性を高めるなど、製品ごとに個性を出しやすいのも大きな魅力である。ちなみに同じレザーでもバックスキンと呼ばれるタイプもあり、名前から推測できるようにスキン(革)を裏返し(バック)にしている。通常のレザーよりすべりにくくレースカーやサーキット仕様でよく見かけるが、そもそもがレーシンググローブを装着して使うことを大前提に作られており、素手で使うと触っている部分がすぐツルツルになってしまうので要注意だ。オーソドックスなレザーも長く使っていれば表面が擦れたりボロボロになるが、バックスキンは操作の確実さとトレードオフにライフが短いと理解しておこう。
* * *
エアバッグの標準化やステアリングにスイッチ類が集約されたことで、以前と比べれば社外品に交換するユーザーは減ったかもしれない。とはいえクルマを乗り換えてもステアリングだけは移植するなど、手に馴染んだ感覚を大切にするユーザーは決して少なくないのだ。劣化したら革を張り替えてくれる専門店もあり、文字どおり「一生モノ」として使い続けられる。スポーツ走行をサポートしてくれる重要な存在のステアリング、妥協することなく自分にピッタリの一品を探してみよう。(佐藤 圭)



最初のカリーナはウッド調のプラスティックステアリングで使っているうちに木目調の模様が剥げてきて茶色のプラスティックステアリングになった。当時はまだ車にそう詳しくもなかったのでこんなものかと思っていた。でも乗っているうちにさすがに面白くなくなってきてビスタVSツインカムに乗り換えた。この車のステアリングは革巻きだったが、大衆特別仕様車からハイパワースポーツエンジンを搭載したモデルになって大満足だった。ステアリングも滑らずに操作で来て快適だった。次のビスタαxも革巻きだった。この車は機械式4駆で何しろ走破性が高かった。ステアリングも高級で馴染みが良かった。次のサイファはウレタンスポークステアリングでそれでも滑り止め加工がしてあって使う分には問題がなかったが、せっかくあんな車を作ったのだから内装にもそれなりに凝ればいいのに内装は大衆乗用車だったのでステアリング用の皮カバーを買ってきた。そうしたらこのカバー、ただ被せるだけと思っていたら針と糸がついていてステアリングに巻いた後にカバーを縫い合わせるタイプのもので縫い合わせが終わるまでに3時間以上もかかってしまった。まあ正月のちょうどいい時間つぶしと言えばそうだったかもしれない。次のコペンは革巻きでMOMOのステアリングだった。軽の割にはコンバーチブルで中も外も結構おしゃれな車だった。今の86GRも革巻きで感触はいい。ウッドのステアリングは1960年代とか70年代にスポーツカーに装備されていたようだが、これは使ったことがない。イタリア車などが主に装備していたように思うが、日本車ではほとんどなかったように思う。ステアリングがウッドか革かウレタン化と言っても見た目の問題で実際の操作では大きな差はないと思う。ウレタンは大衆車とか商用車など廉価版に多いようだ。ウッドはもう博物館ものだろう。革巻きはちょっといい車以上に使われているようだが、合成皮革も含めて現在の主流だろう。最近は何だか分厚いきれいな模様のついたステアリングカバーなどを使っている車をよく見る。軽のミニバンに多いようだが、使い勝手はどうなんだろう。ステアリングもレーシングカーのようにギア比が1対1のステアリングが面白そうだが、今後はドライブバイワイヤーとかドライブバイライトとかに変化していくんだろうからジョイスティックや小さいダイヤルなどに取って代わられてステアリングそのものがなくなる可能性もある。車も動力だけでなくすべてが大きな変革期に直面しているのかもしれない、・・(^_-)-☆。
Posted at 2022/12/25 17:30:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2022年12月24日 イイね!

MT車乗りが「やめてほしい」「もう少し気遣ってほしい」と感じるシーンとは、・・だって?

MT車乗りが「やめてほしい」「もう少し気遣ってほしい」と感じるシーンとは?
日本で販売される新車のなかで、MT車が占める割合は今や約1%。日本は世界でも有数のAT車大国となっています。MT車が設定される車種も減っており、設定されているモデルでは、86/BRZやフェアレディZ(先代)、ロードスターといったスポーツカーがかろうじて半数以上を占めているものの、それ以外のモデルでは数パーセントにとどまっています。日本の道を走るクルマの大半がAT車となっている今、絶滅危惧種ともいえる少数派のMT車に乗って街を走ってみると、ドライバーとしてはちょっと怖い思いをしたり、ハラハラさせられるシーンが多いと感じるようになりました。今回はそんな、MT車乗りが「やめてほしい」「もう少しMT車の存在にも気遣ってほしい」と感じるシーンをご紹介したいと思います。

まず1つ目は、市街地を走っていて前方の信号が赤に変わったとたん、AT車はアクセルオフして惰性で進み始める人が多くなります。どんどん速度が落ちていって、最後はクリープを使ってノロノロと停止線までの数メートルを前進していくのですが、その後ろについているMT車からすると、このノロノロ走りはクラッチ操作のいちばんしんどいところでずっと耐えなければならず、足への負担がハンパないのです。一度止まったと思ったら、何度も再びノロノロと前に進むことも多く、その度にクラッチ操作をしなければならないので、「一回でビシっと止まってくれ!」と内心舌打ちをしています。

2つ目は、坂道の途中に信号があるところや、ショッピングモールの立体駐車場などで駐車券を取るために坂道で並んでしまうようなシーン。この時に、MT車のドライバーとしては、坂道発進というものすごいプレッシャーとの闘いとなるわけです。もし失敗したら、ズルズルと後退してしまう可能性もゼロではないため、なるべく後ろに距離をとっておいてほしいと思うもの。それなのに、きっと後続車の人はまさか前のクルマがMT車とは思わず、しっかりと真後ろについて止めることがほとんど。バックミラーを見ていると、再発進の時に一瞬、ズルっと後ろに下がってくるのを見て、「何やってんだ?」くらいの怖い顔で睨んでいる人もいます。台数が少ないとはいえ、もしかしたらMT車かもしれないと考えて、少し車間距離をあけ気味で止まってくれるとありがたいですよね。

3つ目は、信号待ちをしていてMT車が先頭で停止してしまった場合。これもMT車のドライバーとしては緊張するイヤなシーンです。とくに後続車がパワーのあるAT車だったりしたら信号が青に変わった瞬間に必死でシフトアップして加速しないと、後続車は当然のように途切れのない加速で続いてくるので、シフトアップで失速したら追突されてしまうかもしれないという恐怖が。少し前までは、環境省などが盛んにエコドライブの「ふんわりアクセル」をアピールしていたので、青信号ダッシュをするクルマも少しは減っていた印象でしたが、最近は何もしなくても低燃費なクルマが増えたからか、電動化車両が多くなってきたからか、また発進加速の鋭いクルマが増えていると感じます。

4つ目は、バックで車庫入れをしている時に、クルマが下がってくるのがわかっているはずなのにサッと後ろを横切っていく歩行者や自転車が多いこと。きっと、バックモニターで見えているはずだとか、センサーで検知してブレーキを踏む装置がついているから安心だ、などと思っている確信犯的な歩行者も多いと思うのですが、MT車にはそうした機能はあまりついておらず、AT車のように急には止まれないので、ものすごくヒヤリとするのです。いくら、安全確認義務がドライバーにあるからといって、悪質とも思える飛び出しや横切り行為は腹立たしい限り。もしぶつかれば、怪我をするのは生身の人間ですから、お互いに注意したいものですね。

5つ目は、右折の時。MT車は1速、2速とシフトアップする時がいちばん時間がかかるので、右折レーンの先頭になってしまうとすごく憂鬱になります。AT車なら、直進車両がちょっと途切れた隙に右折できてしまうような感覚ですが、MT車だとそうはいかないので、少し長めに隙間が空くまで待つことになるのです。そのため、せっかちな後続のAT車からププッとクラクションを鳴らして「なんで行かないんだよ!」とばかりに急かされたり、MT車が右折をし始めたらすかさず真後ろにピタッとついて右折をしてきて、シフトアップのタイミングで追突されそうになったり、かなり気を遣います。1台1台、少しの余裕を持って右折してほしいところです。

ということで、MT車のドライバーが、AT車大国の日本で運転していて感じる、困ることや恐怖、不安などをご紹介しました。少数派ですが、まだMT車も一緒に走っているのだということを、頭の片隅に入れて運転するとお互いが気持ち良く走れると思います。(まるも亜希子)


信号のろのろや渋滞のろのろで困るのはバイクだろうなあ。MTでもちょっとアクセルを煽ってギアを抜いてあとはブレーキ制御でのたくら走ることができるけどバイクの場合は不安定になることがなんとも辛い。大型のバイクで低速でバランスを取るのは限りなくきつい。だから渋滞などでのたくら走る四輪にはちょっとムカッとすることがある。

2つ目の坂道べったり停車はまあ「ちょっと離れろよ」とは思うけどうまくクラッチをミートさせればいいことだし、危ないと思ったらサイドを引いて、ああ、運転中にサイドを使うこともあったな、発信すれば特に問題はないだろう。ホバリングとか言ってその場に止まっていることもできるが、まあ確実な方法がいいだろう。

3つ目はまあフェラーリとかマクラーレンとかランボルギーニとかそんな車なら必死で走るけど普通ならそうでもない。信号グランプリでもあるまいし、そんなに信号ダッシュすることもないだろう。バイクの場合は後続車などあっという間に置き去りにする。

4つ目は歩行者、チャリンコねえ。歩行者は車の動きを確認しないのが多い。車は当然泊るものと信じて疑わずに道路を渡ってくる。後退しようとしている車の後ろを横切るなんて当然だと思っている。もっともぶつけると当然のこと車が悪くなってしまうので気をつけないといけない。チャリンコに至ってはもう自爆テロも同然、信号だろうが踏切だろうがすべて無視して突っ込んでくる。遮断機遮断中に踏切を通過した女性が停止した警察官に食ってかかっていたが、道路交通法違反被疑事件被疑者なんだから逮捕してしまえばいいと思う。お上に対し奉り重々不届きではある。チャリンコは法治国家の日本国で無法地帯のようなものではある。

5つ目は右折ねえ。別にそんなことはないと思うけど、・・。ダッシュするなら1速で行けばいいことだろう。先行車がもたもたしているのにうざいと思ったことはあるが、右折レーンで先頭になっていやだなと思ったことはない。それよりも一時停止で確実に止まって左右の確認をしていたら後ろからクラクションを鳴らされたことがあった。そういう手合いは一時停止なんかしやしないんだろう。停止線で停止するのは安全確認を担保するためなので必ず完全停止してその先徐行しながらしっかり確認して発進しよう。

そんなわけで「嫌だな」と思うことは坂道べったりくらいであまりないが、最近の歩行者、特にチャリンコには気を遣う。あまり優先意識を持つと痛い目を見るが、チャリンコなどもうどうにもならないくらいひどい、・・(>_<)。

Posted at 2022/12/24 22:09:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車 | 日記
2022年12月24日 イイね!

サンタクロースって誰なの、・・(^_-)-☆?

サンタクロース(英: Santa Claus)は伝説上の人物で赤い服を着て白い髯をはやした老人の姿でトナカイのひく空飛ぶそりに乗ってクリスマス・イヴに子供たちにプレゼントを配って回ると言うが、時代や地域によりサンタクロース像は異なるそうだ。その由来は4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラの司教(主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源だそうで
「ある時ニコラウスは貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れた。このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入ったという。この金貨のおかげで家族は娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。この逸話から「夜中に家に入って靴下の中にプレゼントを入れる」という今日におけるサンタクロースの伝承が生まれたそうだ。


煙突から入ることになったのは1822年にアメリカの学者クレメント・クラーク・ムーアがフィンランドの言い伝えを伝承した「聖ニクラウスの訪い」(英語)という詩「キラ星の中、屋根から降るのは/小さい蹄の立てる爪音/引っこめ振り向いて見ると/聖なるニコラウス煙突からどすん」を書いたからだそうだ。また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められておりアリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」でオランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝えサンタクロースの語源になったようだ。

特徴
常に笑顔の白のトリミングのある赤い服・赤いナイトキャップ姿で白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担いでいる。19世紀の初出では一頭立てのトナカイがそりを引く姿が描かれていたが、やがて八頭立てとなり、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る現在のイメージに至っている。欧米諸国などのサンタは「Ho Ho Ho」(ふぉっ、ほっほっ)と特徴的な笑い声をあげる事がある。伝統文化として定着している面もあり、カナダではサンタクロース宛専用の郵便番号「H0H0H0」がある(同国の郵便番号の書式は"A1B2C3"のようなアルファベットと数字の組み合わせであり、アルファベットの"O"(オー)の代わりに数字の"0"(ゼロ)を使用している)。

ドイツの古い伝承ではサンタは双子で一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをする(クネヒト・ループレヒトを参照)。容姿・役割共に日本のなまはげに似ており、民俗学的にも年の瀬に来訪する年神としての役割の類似が指摘される。現在ドイツでは聖ニコラウスは「シャープ」と「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き良い子にはプレゼントをくれるが、悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせる。

スペイン・イタリア・ポーランド・メキシコでは、顕現節という祝祭があり、伝統的にはこの日(1月6日)に子供たちはプレゼントをもらう。イタリアでは良い子にはプレゼントやお菓子、悪い子には炭を配って歩く魔女ベファーナの伝承がある。ハイチではトントン・ノエル(サンタクロース)と一緒にトントン・マクート(麻袋おじさん)が回り、悪い子はトントン・マクートが袋に入れてさらってゆくとされる。

ロシアのジェド・マロースは青い服を着ている。

アイスランドでは、サンタクロースに相当する妖精として13人のユールラッズがいる。「スプーンを舐めるサンタ」など13人に明確なキャラ付け、名前などの設定が決められているほか、母(グリーラ)、父(レッパルージ)、そしてペットのユール・キャットなどもいる。エーシャ山に五千年住んでおり、12月12日から毎日ひとりずつおりてきて、良い子にはお菓子、悪い子には生のジャガイモを靴のなかにいれていく。24日に勢揃いし、25日からひとりずつ山に戻る、という。

NORADによる追跡
1955年にNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の前身であるCONADに間違い電話がかかってきた。百貨店シアーズ・ローバックが「サンタへのホットライン」を設けたのだが、電話番号が間違っていたためである。機転をきかせた当時の司令官が"レーダーで確認させて電話を掛けてきた子供たちにサンタの最新情報を順次伝え、その後NORADの職員やその家族・友人たちのボランティアによってサンタとトナカイの最新情報が流されている。現在ではインターネットでサンタクロースの現在位置と配ったプレゼントの数をリアルタイムでサンタのソリが地球上空を飛行するCGアニメーションで配信している。

公認試験
グリーンランドに住む長老サンタクロースの補佐をする目的で、グリーンランド国際サンタクロース協会が1957年に設立された。グリーンランド国際サンタクロース協会が認定する公認サンタクロースは現在世界に120人[16]。クリスマスに自宅ですごすことができない子どもたちのため、クリスマスより一足早く福祉施設や小児病棟などを訪問する。世界中で子どもたちの人気の的であるサンタクロースだが、驚くほど志願者が少なく、その理由は「報酬ゼロ」であることにある。公認サンタクロースとしての活動の他に、本業での収入源などがないと成り立たない職業である。また、子どもの夢を壊さないための配慮として行動に制限なども多い。例えばサンタの職務中においては、道中でサンタクロースの衣装に着替えることも許されていない。そのため、毎年7月にデンマークのコペンハーゲンで開催される世界サンタクロース会議に参加する際には、自宅からサンタクロースの衣装を着用して、飛行機内でもそのままの服装で現地まで行く必要があるという。日本では1998年にマンボミュージシャンのパラダイス山元が、グリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロースになっている。

公認サンタクロース試験
公認サンタクロース試験を受けるためには、いくつかの条件をクリアする必要がある(現在は、事情によっては一部条件が緩和されている)。
結婚していて子どもがいること。
これまでに、サンタクロースとして活動した経験があること。
サンタクロースにふさわしい体型であること (衣装や装備を含めて体重120kg以上)。
女性の公認サンタクロースもいるが、体型面の条件に関しては、女性は満たさなくてもよい。上記の条件を満たすことができた者のみが、認定試験を受けられる。まず、体力測定として、

プレゼントの入った袋を持って50メートル走を行った後、はしごで高さ約3メートル登って直径120cmの煙突に入り、暖炉から這い出なければいけない。その後、子どもたちが用意しているクッキー6枚と牛乳を完食して、スタート地点に戻るという制限時間2分の障害物リレーである。このレースを突破した候補者は、英語かデンマーク語での面接を行う。さらに、身だしなみチェックを経て、公認サンタクロースに認定される。新たに認定を受けた新人サンタは、古株サンタの前で、「ホゥホゥホゥ」というサンタクロース言葉で宣誓文を読み上げなければならない(古株の公認サンタがOKを出すまで続けなければならない)。


基本的に欧米の伝説なので向こうの方がいろいろ話題もあるようだ。サンタクロースの郵便番号を設定していたり北米防空司令部がサンタクロースの現在位置をネットで表示したりいろいろ面白いことをする。この辺は欧米の人間はなかなか気が利いている。日本ではこうはいかないだろう。自衛隊がサンタクロースの現在位置をネットに表示するとかやってもいいんじゃないだろうか。在日米軍でもサンタクロースのふん装をした兵士がヘリで降りてきてプレゼントを配ったりする。そのヘリがたまたま不時着して日本のマスコミは「不謹慎だ」と非難轟々だったが、何だかユーモアがないようにも思う。サンタクロースの由来を示す東ローマ帝国の司教の話はなかなかいい話ではある。これならそうかと納得できそうだ。それから公認サンタクロース試験は結構厳しい。これではやりたがらないんじゃないだろうか。最近は自衛隊も輸送機を使ったりして子供にプレゼントを配っているそうだ。そういうユーモアはいいことではある。ただ一晩で世界中の子供にプレゼントを配ると言うととんでもない速度で空を飛んで各戸個別に訪問しないといけないが、もしもそんなことをしたらとんでもない被害が生じないでもないと思うが、どうだろう。サンタクロースも民間伝承の一種だろうけど日本の場合は商業ベースが先行しているのでそろばんの音が聞こえそうだ。最近は電子決済の電子音だろうか。そういえば今日は鶏肉がむやみに高かった。まあそんなわけでサンタクロースがいるわけでもないので願い事をしても無駄なんだけど神様仏様もそうだが、基本こういうことは人の内心を和らげるためのものなので実利を願っても意味がない。日本では神様も仏様も「家内安全、学業成就、健康、安産、商売繁盛、金運、交通安全、その他もろもろ」の実利を掲げているが、宗教と言うのは人の内心の問題なのでこうした実利を歌っても意味がないが、宗教が実利を歌って商売と結託したのは何とか詣でとか言うパックツアーの原型が出来上がった江戸時代だろうか。さてサンタさんは今頃どこを飛んでいるんだろうか。もっとも欧米と日本では時差があるのでその辺はどうなんだろう。やはりサンタさんはグリニッジ標準時で世界を回っているんだろうか、・・(^_-)-☆。
Posted at 2022/12/24 19:12:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2022年12月22日 イイね!

異色の高速重戦闘機「陸軍二式単座戦闘機『鍾馗』」、・・(^_-)-☆。

クセのある戦闘機ゆえ熟練パイロットでなければ、その性能を発揮できなかった二式(にしき)戦闘機「鍾馗(しょうき)」。ノモンハン空戦から終戦までを戦い抜いた陸軍エースパイロット上坊良太郎(じょうぼうりょうたろう)の戦技と、彼が搭乗した異能の戦闘機「鍾馗」の活躍に迫る!

日本陸軍航空隊は、異なる三つのカテゴリーに属する戦闘機の研究と開発を開始した。時に欧米列強で新世代の戦闘機が次々と開発されていた、1937年から1938年にかけてのことである。この3機種のうちのひとつは、それまでの戦闘機の戦い方の主流だったドッグファイト(格闘戦)能力を重視した軽単座戦闘機。もうひとつは、重武装で高速のヒット・アンド・アウェー(一撃離脱戦)能力を重視した重単座戦闘機。最後が長距離双発戦闘機だ。軽単座戦闘機は、一式戦闘機「隼(はやぶさ)」として結実。続く重単座戦闘機も「隼」と同じ中島飛行機が手がけ、「隼」の「キ43」に対して一番違いの「キ44」とされ、ヒット・アンド・アウェー能力を重視したドイツのメッサーシュミットBf109など欧米列強の戦闘機事情も参考にした開発が進められた。

結果、開発はやや遅れたが、増加試作機を太平洋戦争初期の実戦に投入し、得られた運用評価に基づいて、1942年2月に二式戦闘機「鍾馗」として採用された。ハ41空冷星型エンジンを搭載する二式戦闘機一型(キ44-I)と、ハ41を出力向上モデルのハ109へと換装し、性能が向上した二式戦闘機二型(キ44-II)に大別できる。「鍾馗」は、それまでの日本製戦闘機と比べると、速度は速くなっているもののドッグファイト能力に劣り、着陸速度が速いうえに離着陸時の前方視界が悪いせいで、未熟なパイロットが着陸事故を起こすことがままあった。そしてこのような理由から、従来の機種に乗り慣れたパイロットの中には、当初、本機を敬遠する者も少なくなかったという。だが、本機に習熟したパイロットたちは、アメリカやイギリスの戦闘機が先に行うようになり、太平洋戦争中期頃からは常態化したヒット・アンド・アウェーの空戦に向いた機種として、「鍾馗」を高く評価している。とはいうものの、やはり「鍾馗」は従来の陸軍戦闘機とは戦闘機としての性格がかなり異なるため、「暴れ馬」などと呼んで未熟なパイロットを乗せるのを控えた時期もあった。

なお、ヒット・アンド・アウェー向けに開発されたとはいっても、それは日本陸軍内での基準であり、外国での基準では、「鍾馗」の運動性能はかなり秀でたものと判断されていた。アメリカ軍が実施した戦後の鹵獲機(ろかくき)調査による本機の性能評価では、「第2次大戦の日本の陸海機の中で最良の迎撃戦闘機」と目されている。しかし「大東亜決戦機」と称された優秀な万能戦闘機「疾風(はやて)」が登場した結果、「鍾馗」の生産は1944年末に終了。とはいえ、残存機は終戦まで使われ続けた。なお、連合軍は本機を“Tojo”のコードネームで呼んだ。

 この「鍾馗」を駆って戦ったエースのひとりに、上坊良太郎がいる。1934年に滋賀県で生まれ、少年飛行兵となって訓練を受け、日中戦争で初撃墜を記録。ノモンハン事件では、ソ連機も多数撃墜した。太平洋戦争勃発後、「隼」に乗って中国方面で戦い、その後、スマトラ、シンガポール方面に転戦。「鍾馗」に乗るようになると対B-29用の空戦技を独自に編み出して戦果をあげ、口径40mmでロケット弾を連続的に発射する、ホ301自動噴進砲を左右の主翼に装備した二式戦闘機「鍾馗」二型乙改装機でのB-29撃墜も記録している。正確な記録が残されていないため確定はできないが、上坊の総撃墜機数は64機とも30機ともいわれる。終戦時の最終階級は大尉。戦後は航空自衛隊に勤務し、2012年8月13日に96歳で逝去された。(白石 光)



日本は陸軍も海軍も戦闘機は軽快で運動性のいい機体を好んだ。その極致が陸軍の97式戦闘機で同じ軽戦闘機に属する一式戦闘機も格闘戦で97戦に勝てずに採用が見送られそうになった。ただその空戦は水平面の旋回で優劣を決めるもので垂直面での機動は考慮されなかったので後日垂直面での機動を取り入れた空戦では一式戦が勝利して正式に採用されている。二式単戦は海軍の雷電と同様に大馬力エンジンを積んだ迎撃機として設計されたが、どちらも戦闘機用の直径の小さい大馬力エンジンがなかったので爆撃機用の直径の大きいエンジンを積んでいる。雷電はプロペラ軸を延長して機首を絞って抵抗を減らそうとしたが、二式単戦はエンジン後方を絞り込んで抵抗を減らそうとした。機体を紡錘形に処理するよりもエンジン後方を絞った方が抵抗が少なかったそうだ。開発には様々問題もあったが、時速600キロを超える高速迎撃機として採用されたが、高翼面荷重で運動性が悪く離着陸時の安定性に問題があり失速しやすいなど軽快な戦闘機に慣れた熟練搭乗員には嫌われたようで陸軍も「爆撃機には対応できるが対戦闘機戦闘は不可能」と評価していたようだ。ただそれは戦い方にもよるのだが、・・。戦後の米軍の評価では高速で上昇性能がいい本機は日本軍用機中最良の迎撃機と評価されたようだ。海軍は戦闘機も攻撃力重視で防御は軽視する傾向があったが、陸軍は戦闘機の防御にも配意していたようだが、武装は海軍の方が強力だったようだ。機体の強度は高く、「850km/h以上の急降下でもびくともしない」と評される。実戦では800km/hの速度で引き起こしを行っても主翼にシワがよることはなかったそうだ。また日本軍戦闘機としては機動性が劣るとされたが、連合軍戦闘機に劣るということはなく実戦では全く問題にならなかったそうだ。一型(キ44-I)が搭載していたハ41は出力が不足気味でカタログ性能に達しなかったが、性能が向上したハ109を装備した二型(キ44-II)が二式単戦の主力生産モデルとなったが、ハ41もハ109も日本軍戦闘機の泣き所で整備に手がかかる気難しいエンジンだったようだ。二式戦は太平洋戦争緒戦にインドシナ、マレー、ビルマなどを転戦したが、航続距離が短く長距離侵攻ができなかったことから一式戦のような目立った活躍はない。その後、ドウリットル爆撃隊を阻止できなかった反省から1942年5月には二式単戦装備の第47戦隊は内地に呼び戻され本土防空強化のために本土に配備された。1944年末から日本本土にB-29が飛来するようになると二式単戦はB29迎撃に従事するが、有効な過給機を装備しない本機も他の日本戦闘機同様に高高度性能が不足しており防弾鋼板、機関砲を降ろして軽量化を行って体当たりでB-29撃墜をするなど苦しい戦いが続いたが、それでもB-29には比較的有力な機体であったことに変わりなく迎撃戦闘機として最後まで本土防空に活躍した。陸軍は四式戦の実用化に目処がついたことを理由に二式単戦の生産を打ち切ってしまったためその後は改良も行われず大戦末期になっても旧式の眼鏡式照準器を装備した機体があったり当時の国産戦闘機では当たり前になっていた推力式単排気管への改修も行なわなかったが、この簡単な改造を施すだけで速度は10〜20km/h向上したそうで試験的に現地改造を行った例があるそうだ。一部の古参操縦者には海軍の雷電と同様に扱いが難しい機体と敬遠され飛行時間の少ない搭乗員には危険とされたが、若年操縦者でも何ら問題はなく、200時間程度の者でも戦果をあげるなどしている。四式戦が登場するまでその優れた高速性能や上昇力、高速での機動にも耐える頑丈な機体に魅力を感じた操縦者も多かったそうだ。要は飛行場を改良して高速重戦闘機に適した飛行場を作ればいいことだった。当時としては評価は高くはないが、華奢な機体が多い日本軍機の中にあって堅牢な機体と日本軍機としては大パワーを備えたエンジンを装備した高速重戦闘機ではあった。二式単戦は国内外に一機も現存していない。
Posted at 2022/12/22 01:49:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

プロフィール

ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2022/12 >>

     12 3
4 56 7 89 10
11 1213 14 1516 17
18 1920 21 2223 24
25 2627 28 29 30 31

リンク・クリップ

愛車一覧

トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
基本的には前期型と大きな変化はないが、インパネは液晶デジタルになってずいぶんすっきりした ...
ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール) CB1300スーパーボルドールM2018 (ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール))
外観 もうこれは美しいという以外にはない端正なバイクではある。ホンダは「威風なる血統」 ...
トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
今度はGRヤリス、・・(^^♪。昨年GRヤリスの納期が1年半以上と聞いて速攻で契約してし ...
トヨタ 86 トヨタ 86
元々トヨタ党だったが、ちょっと浮気してダイハツコペンに乗っていた。しかし、ディーラー氏と ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation