日産の
追浜工場の生産終了が正式に決定しました。
横浜の南の方に住んでいますので、追浜周辺は生活圏内だけに、地元から大きな工場が無くなるのは寂しい限りです。
そうそう、小学校の社会見学でも追浜工場を訪れました。
自分達が行くちょっと前に、東京ドームでのライブで来日していた
マイケルジャクソンも訪問していたのでした。ちょうどU12ブルーバードが登場した頃だったかと。
1961年操業と、日産本体の中では横浜工場に続いて2番目の歴史があります。
追浜といえば、歴代の「
ブルーバード」を生産してきました。
ブルーバード以外は、かつてのミドルクラス(バイオレット、オースター、スタンザ)の生産を担当し、末裔であるプリメーラ(2代目のP11まで)も追浜製でした。
2000年代以降は村山工場の閉鎖により移管されてきたマーチ、キューブといったコンパクトカーの生産がメインになり、現在はノートとノートオーラのたった2車種の生産で、稼働率は2割程度のようです。

インプレッサ購入時に迷ったノートオーラニスモ。
あの時に追浜工場生産終了が決まっていれば、最後の記念でこっちにしていたかも。
レパードは2代目のF31のみ、追浜で生産していました。
実家の分を含め、今まで乗ってきた日産車がどこ製かを調べてみました。
C34型ローレル(実家)・・・村山工場製
K11型マーチ(自分)・・・村山工場製
Y33型セドリック(実家)・・・栃木工場製
N15型パルサー(自分)・・・九州工場製
JY33型レパード(実家)・・・栃木工場製
WC34型ステージア(実家)・・・村山工場製
V35型スカイライン(実家)・・・栃木工場製
Y50型フーガ(実家)・・・栃木工場製
Y51型フーガ(実家)・・・栃木工場製
約20年間、親子でこれだけ乗ってきたにもかかわらず、追浜製は1台もなし(-_-;)
既に海外では発売されている新型のキックスが、追浜で立ち上げる最後の新車種になるようです。
これがバカ売れになって、九州に移管しても生産が間に合わない状況にでもなれば、延命できるかもしれませんが、現実的にはかなり厳しそうですね・・・
業界は違いますが、製造業の端くれとしては、会社の存続のためには仕方ないとはいえ、工場閉鎖は何とも言えない、切なさがあります。
敢えてここでは過去の経営責任については触れないですが、従業員は勿論、サプライヤー、地域等々、影響が大き過ぎるので、座間、村山の経験が活かされなかったのは非常に残念でしかありません。
久しぶりに「みんカラ」っぽく、クルマネタを書いてみました。
Posted at 2025/07/20 07:35:57 | |
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