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ぐっさん@VM4Eのブログ一覧

2019年09月28日 イイね!

EJ FINAL

EJ FINALEJ20 Final Edition
クルマそのものよりも、ホイール(BBS製?)の方がとても気になります(笑)
18インチ版で出ないかなぁ・・・

今のご時世であのようなハイパワーユニットはたしかに貴重ではありますが、ただEJ20をやたら賛美する風潮には、ちょっと違和感があります。
燃費はもちろん、扱いやすさ(特に低速トルク)や整備性等々はFA/FBの方が勝っていますし、直噴の制御の難しさはあるにせよ、FA/FBはまだまだ伸びしろを感じます。
ただ、EJの方がたしかに拭け上がりは軽快で、水平対向ならではのビート感やサウンドは上、いかにもエンジンを回しているという官能的な部分では勝っているのかなという印象はあります。

あとは、VABに乗ると今まで乗ってきたスバル車を思い出させる”懐かしさ”みたいなものがあって、これはEJ20に因るところが大きいです。
等長等爆になってからずいぶんと良くなりましたが、それでもスカスカな低速トルクはEJ20の伝統かも(笑)

20年前に初めて買ったEJ20(EJ208と呼ばれる2ステージツインターボ)は、低速がスカスカ、そして重たいクラッチと、今思えばなかなか癖のあるものでした。
280馬力、34.5Kg-mとハイスペックでしたが、パワー感は当時同期が乗っていたシングルターボのEJ20(EJ207)の方が上回っていました。
それにしても、ツインターボ(レガシィ系)とシングルターボ(インプレッサWRX系、フォレスター)と作り分けていた当時のスバルは本当凄かった。
(今のFA20とEJ20の関係も同じかも?)

EJ20搭載車は都合3台買いましたが、一番良かったのはGDAのEJ20(EJ205)で、250馬力、34.0Kg-mとスペック的にはちょっと平凡ではありましたが、低速トルク重視で、燃費もそこそこ(街中でもリッター7~8キロは走りました)。
ハイパワー版やNAは等長等爆になり、所謂ボクサーサウンドが聞こえなくなってしまいましたが、EJ205は最後まで不等長エキマニが残りましたので、マフラーを交換して、ドコドコとさせていたのでした。

自己所有はしませんでしたが、EJ20で一番完成度が高かったのは4代目レガシィ(BP/BL)のターボ(EJ20X、EJ20Y)かなぁなんて気がします。
燃費、パワー、トルクのバランスが一番良くて、2003年に初めてBPを試乗した時に、「これって本当にEJ20?」とえらく驚いたのを覚えております。

ハイブリッド全盛のご時世に、こうやってエンジンを語れるというのはさすがスバル。
トヨタの2ZR-FXEって、回すと気持ち良いなんて話など聞いたことないですし、ここ10年ぐらいでエンジンが黒子になってしまったのは守旧派のクルマ好きには本当寂しい限りです。
そういった意味でもマツダからもうじき出るだろうと言われている、新世代のガソリンエンジン(スカイアクティブX)には興味津々であります。
Posted at 2019/09/28 14:09:33 | コメント(5) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2019年07月26日 イイね!

日産ヘリテージコレクション

平日の休みを使って、前々からずっと気になっていた「日産ヘリテージコレクション」の見学に行ってきました。

神奈川の座間事業所(旧座間工場)の敷地内にあり、予約が必要ですが無料で見学ができます。
マイカー(日産車以外でも勿論OK!)で訪ねることができますが、レヴォーグで行くのも何だかアウェイ感もあるしということで、律儀!?な自分は電車で行きました。

しかし、これが失敗のもとでして、地元根岸線は遅れて、更に乗り換えた相鉄では座間事業所の最寄り駅のさがみ野で降りなくてはいけないのですが、特急に間違って乗ってしまった為、さがみ野を通過。終点の海老名まで一機に行ってしまい、慌てて戻ることに。乗るはずだったバスには間に合わず、タクシーも拾えません。
9時50分までに正門まで行かなくてはいけないのですが、この時点で20分ぐらいしかありません。自宅を早めに出発したにもかかわらず、余裕は使い切ってしまったのでした(-_-;)

この日も結構暑かったのですが、何としても間に合わなけばということで、早歩き+たまに小走りを繰り返して、集合時間ほぼぴったしで正門に到着。
ざっと50人近くは見学に来られていたと思いますが、どうも公共交通機関で来たのは自分だけだったようで、正門からヘリテージコレクションまでの送迎バスは贅沢にも自分だけ。一人大汗をかきながらの到着となりました。

見学の順路ですが、先ずが受付を済ませた後に、全体で集合し、個別で見学する人と、ツアー(無料です)を希望する人の二手に分かれます。
今回初めてだったということもありツアーを選択し、25分ほどかけて展示車の説明をしていただきました。

座間事業所ですが、現在は日産の生産技術の拠点として、新型車の量産試作、プレス金型、車体設備技術、樹脂成型技術、電動車両技術の企画・製作・設置やモーターインバータの開発とリチウムイオンバッテリーの開発・生産を行っています。座間工場時代(1965年~1995年)は完成車の組立を行っていました。

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ダットサン1300バン」です。座間工場はこのクルマの製造から始まりました。

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工場操業開始の翌年にデビューした「サニー」。
以後、1995年までサニーはこの座間工場での生産となります。
ちなみにサニーは座間工場以外で、何とスバル(富士重工業)でも組立を行っていたことがありました。

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日産車初のFF車であった「チェリー」も座間工場製でした。

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日産(VW!?)の黒歴史の「サンタナ」のノックダウン生産が行われていたのがこの座間工場でした。
日本製(日産製)のドイツ車は残念ながら当初計画されていた月産4,000台には遠く及ばず、7年間で50,000台ほどの生産で終わってしまったのでした。

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約300台が展示されているホールの手前では、「MID4-Ⅱ」がお出迎えしてくれます。

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1時間半の見学時間では写真を撮るだけでも結構な時間となってしまいました。
出来れば一日かけてゆっくり観たいぐらい、日産車の歴史が詰まっております。

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歴代の日産(ダットサン)のロゴマークです。

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1933年に登場した日産最古のモデルである「ダットサン12型フェートン」です。
ダットサンの由来については、こちらをご覧ください。

 

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プリンス自動車の前身、東京電気自動車が製作した「たま電気自動車」です。
1947年と今から70年以上前に電気自動車は生まれており、リーフの祖先にあたります。

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ホイールキャップは平仮名の"たま"を模ったロゴになっています。

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ケンメリのGT-Rは何と2台も展示。内1台はボンネットが開いておりました。

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伝説のエンジン"S20"が載っております。今どきのクルマと違って、スカスカのエンジンルームですね。


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チャリティ用に作られたGT-Rのウサイン・ボルト仕様です。
ゴールドのGT-Rは3台製造されて、その内の1台はボルト氏に贈呈されたとか。

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ボンネットにはボルト氏直筆のサインがありました。

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市販車だけではなく、競技車両も展示されています。
日産というとレーシングカーのイメージが強いですが、80年代ぐらいまではラリーでも大活躍でした。

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フェアレディZ(Z31)のラリーカーです。今と違って、この頃はFR車でもラリーで大活躍でした。



パルサーGTI-R(RNN14)のRACラリー出場車です。
ライバルのセリカGT-FOUR、ギャランVR-4、レガシィRSには歯が立たず、日産のWRCワークス参戦撤退のきっかけを作ったクルマになってしまいました・・・



「くうねるあそぶ」な初代セフィーロ(A31)も展示。
家のクルマを買い替える時に、オヤジに薦めたのですが、トヨタハイソカー3兄弟の方が好きだったようで残念ながら購入は叶いませんでした。
中古市場ではドリフト需要に支えられていましたが、今見ても古さは感じず、なかなかのおしゃれなセダンだったということを改めて感じております。



90年代の日産車の中で一番好きだったのがこのプリメーラ(P10)です。
当時はドイツ車よりもドイツっぽいなんて言われていましたが、開発には前述のサンタナのノウハウが活かされたそうです。
手が届かず、マーチやパルサーで妥協してしまいましたが、無理してでも買わなかったことを今でも後悔しております。
このまま譲ってくれないかなぁ(笑)



色は違いますが、うちの爺さんが12年乗っていたのと同じスカイラインジャパンです。
生まれて初めて好きになったクルマ、いわば初恋のクルマだったりします。
ジャパンの思い出について、よろしければこちらをご覧くださいませ。



パイクカー3兄弟もきれいに並んでおりました。
レトロなデザインが功を奏してなのか、当時も今もあまり様子は変わりません。
バブル期だから許されたというのもありますが、こういうクルマを出す余裕があの頃の日産にはまだありましたねぇ・・・



先ほどのジャパンが初恋でしたら、こちらは初めての彼女とでも言うべきでしょうか。
自分の最初の愛車、K11マーチです。
グレードは違いますが、自分が乗っていたのと同じ5ドアで、色(スタイリッシュブルー)も一緒。
ディーラーオプションのプロジェクターのフォグランプまで同じです。これを付けるとヨーロッパ仕様(マイクラ)の雰囲気に近づきます。
自分が乗っていたのはMTでしたが、CVT(N-CVTって名前でした)はスバル製。
この頃からスバルには何らかの縁があったのかもしれません。

展示車ですが、フォトギャラリーにもまとめてあります。

スカイライン・1
スカイライン・2
セドリック・グロリア・プレジデント
シルビア
フェアレディZ

残りについても、追ってアップしていきます。

ゴタゴタが続いている日産ではありますが、日産車ファンを大切にしているからこそ、このように300台に及ぶコレクションの無料開放には感謝しかありません。
ただ、敢えて言うならば、このヘリテージが今売っている日産車にあまり繋がっていないのが残念です。

EVや自動運転等、これからの時代を見据えて必須な技術なのは分かりますが、ここに展示しているクルマ達みたいに、ワクワクするクルマを作ってほしいものです。新しいスカイラインがちょっとした兆しに見えなくもないですが、売れ筋が軽とノート、セレナ、エクストレイルだけではあまりにも寂しいので、車種を増やしてほしいなぁ。海外向けには魅力的なクルマが多いだけに、頑張ってもらいたいところです。

なんて偉そうなことを言ってしまいましたが、地元企業で尚且つクルマを覚えたのが日産車ということもあり、離れても思い入れは今でも強く、不躾ではありますが書かせていただきました。
Posted at 2019/07/29 23:26:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2019年06月09日 イイね!

【スバル遍歴】スバル乗り前夜編

【スバル遍歴】スバル乗り前夜編1999年6月某日、自分にとって3台目の愛車であり、そして生まれて初めてのスバル車であるレガシィB4 RSK(BE5A)が納車されました。
それから紆余曲折はありましたが、スバル車一途を通しまして、今年で何と20年になります!

飽きもせず、よくここままで続いたなというのが率直な感想ですが、20周年の節目ということで、愛車遍歴もといスバル遍歴で今まで乗ってきたスバル車を振り返ってみようと思います。

記念すべき第1回目はスバル遍歴前夜編ということで、スバル好きになったきっかけです。

このクルマからスバルが気になるようになりました。



レガシィ前夜(レオーネ、アルシオーネ)のスバル車はすいません、当時は全然刺さりませんでした。
街中で見かけるスバル車といえば、レックスやサンバーといった軽ばかり。
なので、80年代までのスバル=軽自動車といったイメージが強かったです。

それが平成元年登場のレガシィ以降は、ディーラーの数も増えて、徐々に見かけるようになりました。

カタログですが、高校生の頃、たしか2代目(BG)が出る直前に自転車で貰いに行ったものです。
店舗は建て替えで移動しましたが、このカタログを貰った営業所から26年後にレヴォーグを買ったのは何か運命みたいなものを感じます(笑)



ドルフィンディーラーが懐かしいです。
このイルカのロゴは最近は使っていないのですかねぇ・・・



90年代のスバルといえば、イメージキャラクターに外タレを起用し、第一号がブルースウィルスでした。
まだ頭髪がしっかり残っています(^_^;)



レオーネ臭が何となく残っているセダン(BC)よりも、商用車(ライトバン)を持たないワゴン専用設計のツーリングワゴンの方に強く惹かれました。
ダークレッドマイカがとても映えています。ルーフレールを世に知らしめたのもレガシィの功績ではないでしょうか。
このルーフレールは経年劣化で艶が無くなり、みすぼらしい姿になっていくのですが・・・



フルタイム四駆ターボのワゴンの象徴である"GT"、この2トーンも良いですが、ブルー(インディゴブルー)のイメージが強かったです。
逆に白や黒は、あまり見なかったような気がします。
当時オプションだったABSを付けると、リアガラスにもれなくステッカーが付いてきます(笑)



NA系のトップグレードである"VZ"。
スバルのお家芸であるエアサスがオプションで選べました。
掃除が大変そうな14インチのアルミホイールは、後の3代目レガシィ(BH)で復活します。



"ブライトン"は2代目(BG)の時に、一気に人気グレードへと駆け上がります。
90年代前半はダークグリーンのクルマをよく見かけました。



レオーネの残り香を感じる廉価グレード。
1.8リッターの設定が時代を感じます。



モデル末期の特別仕様車の一つである"VZtypeR"。
セダンのスポーツグレードであるRSの足回りを移植して、ハンドリングやスポーツ性能を訴求したモデルですが、何故かNAのみの展開でした。
こういうところが良くも悪くもスバルらしいです。

このVZtypeRですが、当時高校の国語の先生が購入しまして、「先生、レガシィ買ったのですか?」なんて聞くと、「何で知ってるの?」と照れながら答えていました。トヨタのカルディナと迷ったそうですが、こうやって人に自慢できる選択は間違っていなかったのかもしれません。
KENWOODのオーディオにオプションでCDチェンジャーを付けて、青春時代のチューリップを聴いているなんて話をしていました。
もう一人、アルシオーネSVXに乗っている国語の先生もいて、好き者が揃った学校でした(笑)

レガシィに始まり、アルシオーネSVX、VIVIO、インプレッサと90年代初頭のスバルは、他の国産車とは違った独特な雰囲気を放っていました。
そこにどんどん魅了され、免許取得年齢が近づくにつれ、スバルを凄く意識するようになります。



1993年、高校2年の時の東京モーターショーです。
幕張に移ってから3回目だったと思いますが、R33スカイラインGT-Rのプロトモデルがこのモーターショーでお披露目になるということで、ずいぶんと賑わっていたのを覚えております。
このモーターショーのタイミングで、レガシィが2代目のBG/BDにモデルチェンジ。GT-Rよりもレガシィ見たさに訪れたのか、それともGT-Rが人だかりで近寄れなかったのか、残っている写真はスバルばかりでした。
インプレッサのワゴンにWRXが追加(GF8B)。レヴォーグの先祖的なクルマですね。



トップグレードのGT/B-spec(BG5)。"B"はビルシュタインではなく、ホイール(BBS製)の方かもしれません。ビルシュタインが採用されるのは、これから2年半後のB型になってからであります。



セダン(ツーリングワゴンに対して、ツーリングスポーツなんて呼んでいましたが)のトップグレードRS(BD5)。ホイールは同じ16インチですが、こちらはBBS製ではありません。



90年代のスバルといえば、WRCとは切っても切れません。
この年の途中レガシィからインプレッサWRXにシフトし、フィンランドの1000湖ラリーより投入されました。デビュー戦を2位で飾り、以後破竹の勢いで快進撃を遂げます。
ちょうど1000湖ラリーに参戦したWRXが展示されていました。



スバリストが希望ナンバーで「555」を選ぶ所以はここからです。
写っていないですが、隣はインプレッサに入れ替わって引退したレガシィのGr.Aカーが展示されていました。



翌1994年の東京オートサロンより。
今は無き、晴海の国際展示場での開催でした。
サファリラリーに参戦したVIVIO RX-R(KK4)です。
VIVIO3台でサファリラリーに参戦。3台中1台のみの完走でしたが(総合12位)、まさかサファリを軽で戦うなど、スバル(STI?)にはびっくりしました。
初日でリタイヤしてしまいましたが、コリン・マクレーもこのVIVIOをドライブしております。

スバルへの思いは強くなる一方、スバルと同じぐらい、いやそれ以上好きだったのが日産でした。身内の事情で日産車しか選択できなかったということもあり、最初のマイカーは日産車からの選択となりました。

それでもスバル車に乗る機会はそこそこありまして、初めてハンドルを握ったのは、レガシィやインプレッサではなく、何とこれ!(^^)!



当時で既に10年以上前のクルマで、なかなかのスパルタンぶりでした。
4輪ドラムのブレーキはヤバいぐらい効かず、軽とはいえども重ステはしんどかった。
2気筒の550ccのエンジンは30馬力ぐらいでしょうか。とても非力で、上りでは60Km以上出なかったです。
リアガラスには熱線が付いてなく、エアコンも無かったので、すぐ窓が曇ってしまって厄介なクルマでした。
それでも4速MTはダイレクト感があって、クルマというよりもバイクに乗っている感覚で、妙に楽しかったです。

次に乗ったのが、高校の同級生Y君の親が買った当時最新のレガシィ(BG5)。レックスとは雲泥の差です。
最量販グレードの"ブライトン"でした。
ABS、TCS、デュアルエアバックと安全装備てんこ盛り。2リッターNA(SOHC)はたしか130馬力ぐらいしかなく、正直必要にして十分といった感じでしたが、それでも5ナンバーサイズのクルマにしてはしっかりしており、質感や剛性感はうちのオヤジが乗っていたC34ローレル(2.5メダリストV)と遜色ありませんでした。
中級グレードのブライトンとはいえ、これはなかなかの衝撃で、身をもってスバルの実力を知るきっかけとなったのでした。



大好きだった日産も90年代中盤から迷走が一気に進み、結果としてゴーンさんの登場となるわけですが、日産の衰退と合わせて自分も気持ちが離れていきます。
そして、スバルへの憧れはより一層強くなるのですが、前述の通り、身内の事情で日産車しか選択できず、尤も学生の身分ではレガシィもインプレッサWRXも高嶺の花。
実車が買えない代わりに、ゲーム(グランツーリスモ)でスバル車を買い漁るのでした。



たしか就職活動で都内を歩き回っていた時、立ち寄った西新宿のスバルビルのショールームで貰ったカタログです。
BGではなく、BDというのがマイナー志向の自分っぽい(笑)

ピュアホワイト(51E)のRS、まさにグランツーリスモでの愛車でした。
実車を手に入れることはありませんでしたが、今でも欲しい1台です。



この頃はKENWOOD推しでした。この後はMacintosh、Harman/Kardonと変遷していきます。



カシミヤイエローのRS、後に欲しくて探すことになります。
今思えば、もっと気合を入れて探せば、見つかったかもしれません。



20歳ころの写真です。
前述のY君とは別の同級生F君が、先行予約で購入したフォレスター(SF5)です。
スバルディーラーに就職が決まり、ちょうどその頃スバルから新車が出るというので買ったのがこのフォレスターでした。
ずいぶんと汚れていますが、まだ納車から数週間、慣らしで訪れた長野の林道での1枚。
グレードはS/tbで、ミッションはMT。その加速性能にはぶったまげて、自分もいつかはターボ車を買うぞと、誓ったのでした。
79馬力しかないマーチに乗っていた自分には、フォレスターとはいえども、刺激が強かったのかも(笑)

そのフォレスターですが、僅か半年ほどでお役御免となり、次は王道レガシィに買い替えます。
17インチタイヤ+ビルシュタインダンパーのGT-Bを買うと思いきや、彼が選んだのは250TというNA 2500ccの渋いグレードでした。



このレガシィにもちょっとした思い出があります。
たしか1998年の1月頃だったか、関東が大雪に見舞われることがありました。
今でこそスタッドレスを履いていますが、あの頃は自分のクルマでスキーへ出かけることはあまり無く、スタッドレスは勿論のこと、チェーンも持っていませんでした。
生意気にも通学にクルマを使ってまして、八王子から横浜での帰り道で、雨が次第に雪へと変わり、家まで10キロぐらいのところで道に積もり始めてきました。
何とか家までたどり着いたものの、借りていた月極駐車場の入口でスタックし、二進も三進も行かなくなり、PHS(懐かしいですね)でF君に助けを求めます。

スタッドレスを履いたレガシィは、水を得た魚の如く、スタックしているクルマを横目にスイスイと走る姿に、またまたヤラれてしまうことに。
雪道=四駆=スバルという構図がまさに出来上がった瞬間で、この経験から1年半後に念願のスバル車がやって来るのでした。

90年代のスバル車は人気が出てきたとはいえ、まだ一般的とは言えず、マニアックな部分がクルマ好きの琴線に触れたのかもしれません。
あの頃はガソリンが安く、燃費についてあまり気にしなかったというのも、スバル選択の後押しになりました。
スバル車が並の燃費性能を手に入れるのは、2000年代以降の話であり、リッター5~6Kmというのは当たり前。ターボだけではなく、NAでも似たような数値でした。

さて、次からいよいよ5台の愛車遍歴を綴っていこうと思います。
Posted at 2019/06/09 22:41:19 | コメント(8) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2018年11月25日 イイね!

JAPAN

JAPAN日産車ネタが憚れる!?時期ではありますが、まあクルマには罪がないということで。

一昨日横浜のヨドバシカメラまで行く用があり、9月発売のこちらのミニカーを漸く手に入れることができました。
このシリーズは生産台数がそう多くないので、早く買わないと廃盤になってしまいます。

西部警察シリーズも早いもので22台目。さすがにネタが無くなってきたのか、犯人が乗っていたクルマまでモデル化されるようになってきました。
尤も、西部警察とは違った理由でこのミニカーが欲しかったのです。

私のクルマ好きは、おそらく物心がついた時(2~3歳でしょうか)から始まっていると思われます。
クルマ好きのきっかけとなったクルマ、生まれて最初に好きになったクルマが、通称"ジャパン"と呼ばれていた5代目の日産スカイラインでした。



この頃、我が家にはまだマイカーがなく、クルマに乗る機会も限られておりました。
今みたいに当たり前にクルマがある時代でしたら、もしかしたらクルマ好きになっていなかったのかもしれません。その貴重な乗車経験こそ、田舎の祖父が乗っていたクルマ、そうスカイラインでした。

自分と同じ1977年式の4ドアのGT-EX(たしか)。
先代のケンメリから買い替え、平成元年までの12年間愛用していましたが、最後はあちこちぶつけてボコボコになっていたようです。

田舎へ行く一番の楽しみがじいちゃんのスカイラインに乗ることでした。
子供ながら水平指針メーターにワクワクし、L20Eの如何にも6発というサウンドに心躍ったのでした(笑)

小学生以降、クルマに詳しくなると、既に10年目だったということもあり、最新のR31スカイラインへの買い替えなどを勧めておりましたが、中学生になるまでしぶとく乗っていました。
じいちゃんも余程気に入っていたのかもしれません。
スカイラインの次に買ったのがトヨタのスプリンター(AE90)だったので、その格落ち感にずいぶんとがっかりしたものでした。



グレードは違えど、まさにじいちゃんのクルマがこれでした。
色も同じシルバーです。
ホイールも一緒で、ほぼ外観はこの通り。



ナンバーは"品川"ではなく、和歌山の"和"でしたが、実車の雰囲気をうまく捉えています。
スカイライン伝統のサーフィンラインの上にエンブレムがあります。



ジャパンといえば、トランク上面にある給油口が特徴です。
何故この位置にあるのか謎ですが、当時のガソリンスタンドは頭上からノズルを伸ばすのが多かったので、ボディサイドにあるよりも、実用面では上だったのかも?



GTの証である丸目4灯のテールライト。クルマに詳しくない人でもこのテールライトだけ見て、スカイラインだと判別することができました。
4気筒のTIは、たしか四角のテールライトだったような。
ディーラーステッカーの"P"(日産プリンス販売)も再現されています。



フロントも丸目4灯です。後期型は角目2灯になります。
じいちゃんのスカイラインはバンパーの四隅が凹んでいました。



後期型のジャパンです。"マシンX"のベースになりました。
(2002年8月、茨城の水海道にあったRED PARKにて撮影)

じいちゃんがスカイラインに乗っていた遠慮からなのか、父親は愛車にスカイラインを選ぶことをしませんでしたが、じいちゃんがジャパンを廃車にしてから13年後にオヤジがとうとうスカイラインを買うことに。



オヤジにとって最初で最後のスカイライン。
今となってはジャパンの影響を受けて買ったかは聞くことができませんが、親子2代でスカイラインを所有したことになります。

これで自分もスカイラインを買えば、3代に渡ってとなるのですが・・・
V37スカイライン、数少ない!?好きな日産車ではありますが、今では高嶺の花の存在になってしまいました。中古なら何とか手が届くとはいえ、いつの間にかクラウンクラスまで成長してしまったようで。

かつてのスカイライン的なクルマ(GT-Rを除く)が、今のスバル車に近いのかなとふと思ったりしたのでした。
未だにグレード名に「GT」を使っているのは、スバルと日産ぐらいですし。

Posted at 2018/11/25 18:20:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2018年01月28日 イイね!

港303

港30341歳になってもトミカ集めはやめられず、気になるクルマが発売されるとつい、買ってしまいます。
さすがに床に並べて遊んだりすることはないですが・・・(^_^;)

トミカシリーズの中で注目しているのが「トミカプレミアム」。
謳い文句の通りディテールがしっかりしており、通常のトミカと比べると倍以上の値段ではありますが、1,000円以内で買えるので、お小遣い制のお父さんでも難なく買えます。
難点はまだ車種が少なく、ラインナップの豊富さやマニアックさを求めるのであればトミーテック製の「トミカリミテッドヴィンテージネオ」の方が面白かったりします。まあ、その分高いですが。

メジャーな車種が多いトミカプレミアムに、何と「日産レパード」が登場しました。



このクルマを見ると、大半の人は思い出すのがおそらくこちらかと。



地元TVKで絶賛再放送中であります。

トミカリミテッドヴィンテージネオの方でも、一昨年上映の「さらばあぶない刑事」に合わせて発売されました。あぶデカ仕様は即売れ切れ、通常モデルは前、後期型ありますが値段の割には今ひとつな印象で、未だ買っておりません。

先週偶々イトーヨーカドーで発見し、買おうと思ったところ、前にいたおっさん二人組に先に買われてしまい、まさかの在庫切れ。
昨日ですが、漸く買うことができました。
41歳の誕生日プレゼントだったりします(笑)



レパード、特にF31と呼ばれるこの2代目モデルについては語りだすと止まりません(^_^;)
大ヒットした初代ソアラに対抗すべく、それまでの2ドア、4ドアから2ドア1本に絞り、"日産ソアラ"という出で立ちで登場したものの、残念ながらそれ以上に進化した2代目ソアラの大ヒットによりまたまた完敗。
3代目ではJフェリーと呼ばれる尻下がりのセダンにコンセプトを変えましたが、ぶっ飛んだデザインが日本では受け入れられず、撃沈。そして当時のY33セドリック/グロリアの姉妹車となった4代目も決して浮上することなく、歴史を終えてしまいました。
4代目はうちのオヤジが所有していましたが、下取りの低さにはびっくりで、同グレードのセドリック/グロリアよりも50万円ほど安かったのを覚えております。



縮尺は1/63。ドアミラーは残念ながら付いておりません。



フロントマスクは特徴をきちんととらえております。
トップグレードの"アルティマ"だとグリルに「3.0 V6 TWINCAM」というエンブレムが付きますが、さすがにここまでは再現されませんでした。



リヤ周りも丁寧に作られております。
黒豹のオーナメントも確認することができました。



トミカなので、ドアが開きます。
ゴールドツートンのボディカラーがたまりません(笑)



雨滴感知式のワイパーのセンサー(赤丸部分)もきちんと再現されております。



サイドビューもきれいにまとまっております。
純正ホイールの表現力は、トミカリミテッドヴィンテージネオ版を超えています。



トミカなので、まあ内装は・・・(^_^;)



先に買っていたスカイラインRSターボ(DR30)と並べてみました。
同じ縮尺なので、違和感なし。



スカイラインの方ですが、タカラトミーモールオリジナルつき、レギュラーの赤黒(西部警察カラー)ではなく、首都高トライアルカラーになります。



"RS TURBO"や"TWINCAM 16"といったボディに貼ってあるステッカーに当時は憧れました。

スバル好きを自認しているつもりではありますが、この手のミニカーは日産車ばかり買っているような気が・・・
日産車でクルマを覚えたというのはありますが、思い出に残っているのは日産車の方が多いようです。
自動運転や電気自動車も良いけど、昔みたいに骨っぽいクルマを出してほしいですねぇ。





Posted at 2018/01/28 14:37:08 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ

プロフィール

「トミカ http://cvw.jp/b/127580/43483359/
何シテル?   11/23 20:37
1999年5月、スバルオート横浜(現神奈川スバル)金沢営業所でレガシィB4 RSKを契約。 何度も他社に乗り換えようと思いましたが、結局はスバルに落ち着き...

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