1995年5月1日、最初の愛車がやって来ました。
身内の事情で当時は日産車以外の選択肢はありませんでした。
この頃からスバル車には既に興味を持ち始めていたものの、それ以上に日産車ゾッコンだったとうこともあり、最初の愛車を日産車から選ぶのことには何ら迷いはありませんでした。
当初は昭和の年式で既に値のつかないR31スカイラインやN13パルサーの下取り車を横流ししてもらう予定でしたが、大人の事情!?でやってきたのが新車のK11マーチ。
贅沢にも愛車遍歴を新車でスタートすることになったのですが、何せ日産の新車で一番安かったのがマーチだったので・・・
親ローンにて購入し、バイトで半分ぐらいは返したかと(^^ゞ
この代からハイパワー版の「スーパーターボ」が無くなり、スペック的にはライバルのスターレットと差がついてしまいましたが、欧州向けに開発されたこともあり、スペックよりもバランスといった通好みのクルマに仕上がっていました。
兄貴分のP10プリメーラに通ずるものがあり、手前味噌ではありますが、なかなか渋い選択をしたと自負しております。
グレードは1300ccのA#で、ミッションはMT。5ドアを選んだのはVWゴルフの影響があったと思いますが、おそらく実用性を考えてだったかと(笑)
今なら非力なエンジンをMTでぶん回して走るということで1000ccの方を選んだかもしれません。プラス300ccの余裕とタコメーターの有無で1300ccにしましたが、正直そんなに変わらなかったかも・・・
クラッチが軽すぎて、どこで繋がるか分かり辛く、悪戦苦闘の連続でした。
ちょうど26年前のゴールデンウィークはオヤジと坂道発進の特訓。
教習車がディーゼルのクレスタだったので、ずぼらな半クラッチでもほぼエンストすることは無かったのですが、同じように運転したら、いきなりエンストで意気消沈することに。特訓の成果もあり、エンストとホイールスピンを繰り返していくうちに、2週間ほどで普通に乗れるようになりました。
その後、よほどの癖のあるMT車でも運転することができたのは、このマーチのおかげかもしれません。
830キロの車重に79馬力のエンジンですので、動力性能は推して知るべしで、それを全開で乗るのがこのクルマの楽しみ方だったと思いますが、若気の至りで足回りを弄ってしまったのが運の尽き。
GABのショックとタナベの純正車高のスプリング(当時はローダウンするには改造申請が必要だった)、ADVANの14インチホイール(RC)を換装。
足を固めたことにより、無駄な挙動を抑えられたので、コーナリングは楽しくなりましたが、ボディへの負担が大きかったのが、一気にクルマがやれて、あっちこっちから軋み音が止まらなくなりました。
インターネット黎明期で、まだ情報源がなかったので、ショップに言われるがままに弄ってしまい、結果クルマを壊していくことに。
何か勿体ないことをしたなと、今でも後悔しております。
家庭の事情でAT車が必要になり、2年とちょっと、45,000Kmで下取りに出されてしまいましたが、クルマ弄りは勿論、運転を含めてこのマーチから色んなことを学びました。ヒール&トーが初めてキマったのもそうですし、コーナーでドアンダーステアで刺さりそうになったのもこのマーチでした。
燃費はあまりよくなく、それでもリッター10キロぐらいだったかな。
ガソリンがレギュラー100円を切っていた時代ですので、毎週ガソリンを入れても1万円ちょいぐらいと、学生には大変ありがいたい時代でした。
今まで手放して後悔したクルマは2台あるのですが、実はその内の1台はこのマーチで、本気で買い戻すかを考えたほどです。
思い出は美化されるので、がっかりするかもしれませんが、機会があればもう1回ハンドルは握ってみたいなぁ。
Posted at 2021/05/05 14:55:59 | |
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