
「みなさんお元気ですか?」
1988年、昭和最後の年でした。
昭和の最後と小学校の最後(6年生)が重なり、この頃のことは今でも色々と覚えています。
あの頃はスマホどころか、インターネットもありませんでしたが、世の中全体、今よりも楽しかったなぁ・・・
さすが、バブル。
テレビではトレンディドラマが全盛。W浅野や、ニューヨーク恋物語なんていうのがありました。
お笑いはとんねるずが破竹の勢いでしたね。
欽ちゃんが復活して、CHA-CHAなんていうのもありました。
志村けんのだいじょうぶだぁもこの頃でしょうか?
"くうねるあそぶ。" 糸井重里さんのこのキャッチコピーで誕生したのが、1988年9月に登場したこのクルマでした。
LV-N あぶない刑事 Vol.11 日産 セフィーロ スポーツクルージング
とうとうTLVのラインナップに加わったかと、感無量の思いでいっぱいです。
当時、オヤジに買ってもらいたかった1台でしたが、残念ながらあの頃はトヨタ党で、GX71チェイサーからの買い替えは、セフィーロやC33ローレルではなく、GX81チェイサー(ハイメカツインカムのアバンテ)になってしまいました。
同年レビューのS13シルビアといい、そしてセフィーロの後に出たC33ローレル、そしてR32スカイラインと、まさに日産の黄金期でした。
36年前のクルマではありますが、未だに古さは感じません。
上記のCMやキャッチコピーもあって、デビュー時こそ注目されましたが、残念ながら大ヒットまでとはいきませんでした。中古車になってから、FRターボというパッケージから、ドリフト車として注目されて有名になったのは周知の事実ですが、しかし当初は所謂マークⅡ系のハイソカーのライバルでありながら、独自のコンセプトで20~30代の若者に訴求した1台だったのでした。
"33歳のセダン"と称して、ターゲットをDINKs層に定め、エンジン/ミッション/サスペンション/内装/外装色などを、自分で組み合わせる"セフィーロ・コーディネーション"を採用。SOHCのRB20Eが"タウンライド"、DOHC NAのRB20DEが"ツーリング"、そしてDOHCターボのRB20DETが"クルージング"とグレードが分かれており、サスペンションの違いで、超音波センサー付き電子制御サスペンションDUET-SS付は"コンフォート"、そして4輪操舵のHICAS-Ⅱ付は"スポーツ"がグレード名の前に付きました。
今回のモデルは、HICAS-Ⅱ付のターボ仕様になります。
「もっとあぶない刑事」の放映が1988年10月からなので、デビューして間もなく劇用車として使われました。
奇しくも、ドラマだけではなく、現実の警察署でもこのA31型セフィーロが覆面パトカーとして活躍することになります。
関内のモスバーガーの前で、仲村トオルがサンルーフから身を出して人を探しているシーンがとても印象的で、今のクルマを買うときにオプションでサンルーフを付けたのは、少なくともこれの影響もあったりします。
さすがに、真似まではしたことないですが(^^;
主役のレパードが無いのが惜しまれますが、"もっと"劇用車を並べてみました。
レパード、再発売してくれないかなぁ・・・
セフィーロはグレード名のエンブレムがなかったのも、当時は画期的でした。
マフラー形状、ホイールで凡その判別はつくのですが、グレード名を敢えて外観に示さないというのは、廉価グレードを買っても卑屈にならなくて良かったのかもしれません。逆に一番高いグレードを買っても目立たなかったわけですが、そういうことで優越感に浸りたい人は、多分セフィーロを選ばなかったかと。
姉妹車C33ローレル、R32スカイラインに遅れること、1994年8月にA32型にフルモデルチェンジ。コンセプトはガラっと変わり、マキシマと統合されて、マキシマ寄りのFFセダンとなりました。
セフィーロは日産車の常!?で3代目で消滅。ローレルと統合されて、ティアナになりましたが、そのティアナも国内では既に絶版。
敢えてSUV、ミニバン全盛の今こそ、令和のくうねるあそぶ。として、敢えてセダンでセフィーロを復活させてみてはどうでしょうか。
400万円ぐらいだったら、欲しいかも!(^^)!
Posted at 2024/10/14 23:29:11 | |
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