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ぐっさん@GUEAのブログ一覧

2025年07月22日 イイね!

鉄分補給

鉄分補給人生で何度か「鉄オタ」だった時期があります。
最初は小学校3年生ぐらいから中学生ぐらいまでで、ちょうど国鉄が分割民営化でJRに変わった頃でした。ジャンル的には「模型鉄」でしょうか。お年玉でNゲージを買い込んでいましたが、クルマの免許が取れる年齢が近づくにつれ、鉄道熱は覚めてしまい、Nゲージもほぼ処分してしまいました。

2回目は新卒で就職した頃。25年以上前ですが、最初に配属されたのが鉄道機器の原価計算を行う部署で、趣味というよりは仕事で関わるようになり、またまた熱が上がってきました。ただ、お金をかけるのはクルマばかりで、「乗り鉄」も「撮り鉄」もあまりしなかったなぁ・・・

3回目は子供が生まれ(といってもうちは女の子ですが)、おもちゃ売り場でプラレールを見るようになり、そして子供が小さい時は電車に乗せる機会も多かったので、そこから何となく再燃し、今に至っています。
Nゲージは何度も買い直そうとしたものの、未だ踏み込めずですが、コロナ禍で小遣いが貯まった時は危なかったです(笑)

そんなわけで、”鉄分"の補給ということで、大宮の鉄道博物館まで出かけてきました。

前回は開業当時に、YOMEを連れて行ったのですが、この時はまだ子供が生まれる前。途中つまらなさそうにしていたので、駆け足で周ったのでした。次は子供を連れて行こうと思っていたのですが、前述の通り、娘でしたので残念ながら一緒に行く機会には恵まれませんでした。(名古屋のリニア・鉄道館には連れて行きましたが)

そして今回は、受験生の娘は塾があるので同行せず(誘っても絶対に来ないですが・・・)、YOMEは仕事なので、一人で行くことに。尤もオタクとしては一人で行くことを狙っていたのだったりします(^^;

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今回の旅の足はこちら。E233系。
インプレッサよりも乗っているかもしれません。地元駅から乗り換えなし、大宮まで約2時間の旅でした。上野から先は滅多に乗らず、車内も信じられないぐらいガラガラだったので、車窓を楽しんだのでした。

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真っすぐ歩くとニューシャトルの乗り場へと繋がります。

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大宮から鉄道博物館まで、ニューシャトルに乗り換えて一駅なのですが、今回は敢えて炎天下の中、ニューシャトルには乗らずに歩いて向かってみることにしました。距離にしては1.5キロ、20分ぐらいの散歩でしたが、暑すぎました・・・

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鉄道のまち大宮の由来については、こちらをご覧ください。

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鉄道博物館までは、かつて"大宮工場"と呼ばれた大宮総合車両センターの脇を歩いていきます。

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構内には入れませんが、レールウェイガーデンプロムナードと呼ばれる歩道には、大宮工場にゆかりのある車両が展示されています。

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D51形蒸気機関車

この大宮の地で生まれたデゴイチです。
かつては国鉄の工場でも車両を製造しており、大宮工場から8両のデゴイチが生まれています。

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その内の初号機が保存されています。

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EF58形電気機関車(左) EF15形電気機関車(右)

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こちらは大宮総合車両センターの車体A棟で、E231系、211系が整備されています。

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鉄道博物館に到着。

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クハ167形モックアップ
秋葉原の交通博物館時代にも展示してあった修学旅行用の車両です。
この”なかよし"号は下関~広島で小学生の修学旅行用として運用されていましたが、山陽新幹線の全線開業により、廃止となりました。

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入場して直ぐ、床(足元)に展示してありました。
個人的にとても馴染みのある路線なので、つい撮ってしまいました。

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一部だけ紹介です。とてもよく知っている駅名ばかり(笑)

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EF58形電気機関車
通称"ロイヤルエンジン"と呼ばれた61号機で、お召列車の牽引で活躍しました。

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1号機関車
日本初の鉄道となった新橋~横浜間の開業時にイギリスから輸入された蒸気機関車のうちの1両です。日本最古の鉄道車両になるのでしょうか。

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クモハ40形電車
20m級の3ドア車といった通勤電車の原型で1932年に登場しました。
関東では京浜東北線、中央本線、総武本線、常磐線、南武線、横浜線等に投入され、1978年に青梅・五日市線での運用を最後に廃車となりました。

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ロングシートの先駆け的な車両です。
床は板張りになっています。

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21形新幹線電車
こちらの0系も交通博物館から移設されたものです。


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1964年の東海道新幹線開業当時の写真です。
新横浜駅は上りホームだと思いますが、現在の日産スタジアム側は何もありません。

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C57形蒸気機関車
"貴婦人"の愛称で呼ばれ、四国を除く全国で活躍していたほか、台湾にも渡りました。展示している135号機は、最後のSL運行(1975年12月)で使用されました。
蒸気機関車や戦前の車両は正直疎く、恥ずかしながらWikipediaで色々と学んでおります(-_-;)

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クハ481形電車
第一次鉄オタ時代の私のアイドル的存在だった485系。
特にこのボンネット形に初めて乗ったのが上野~勝田間の"ひたち"でした。
デッドセクションで車内が真っ暗になったのを今でも覚えております。

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シートは181系同様、回転式ですが、リクライニング機構は付いておりません。

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国鉄全盛期(昭和40年代)の上野駅を再現。
とき(181系)の車内では当時の車内放送を聴くことができます。

その他の車両はフォトギャラリーにまとめましたので、こちらもご覧ください。
鉄道博物館(1)
鉄道博物館(2)
鉄道博物館(3)
鉄道博物館(4)

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昼食を挿んで正味3時間ほど、じっくり見学することができました。
夏休みということもあり、ちびっ子達がたくさんいましたが、アラフィフのおっさんも負けずに楽しんでましたよ(笑)
帰りはニューシャトルに乗車。さすがに大宮駅まで歩く元気は残っていませんでした(-_-;)

とはいえ、このまま真っすぐ帰るにはまだ早いということで、京浜東北線を王子で途中下車。まだまだ鉄分の補給は続きます。

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東京さくらトラムこと都電荒川線に初乗車です。
苦節〇〇年、漸く乗ることができました!って、そんな大げさなものではなく、単にこちらに来る機会に恵まれなかっただけですが。。。
(都電7700形)

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王子駅前から三ノ輪橋行きに乗り、二駅目の梶原で下車。
おみやげに「都電もなか」を買おうと立ち寄ったところ、何と定休日でした(T_T)


都電8800形
2009年に登場し、10両製造されました。車体カラーリングは4色(ローズレッド:5両、バイオレット:2両、オレンジ:2両、イエロー:1両)です。



梶原から三ノ輪橋方面に一駅、荒川車庫前で再度下車。



駅名の通り、目の前は都電の車庫になっています。


左:都電8500形 右:都電8900形



旧型車両を展示している「都電おもいで広場」が車庫の隣にあります。土・日・祝日に開場しており、こちらも残念ながら今回は入れずでした。



近くにJR東日本の尾久車両センターと東京新幹線車両センターといった大型の車両基地があることから、このあたりも大宮同様、鉄道の町と呼ばれています。



今回は1日乗車券(400円)を購入。全線一律170円ですので、3回乗り降りすれば元が取れます。



荒川車庫前から終点の三ノ輪橋まで途中下車無しで向かいました。
15時過ぎでしたが、車内はまあまあ混んでおりました。特に京成線と連絡する町屋駅前では乗降が多かったです。



駅には懐かしのホーロー看板が飾られていました。



三ノ輪橋おもいで館もお休みでした・・・(T_T)
事前に調べてこない自分が悪いのですが、行く先々でここまで休みが多いと、心が折れそうになります(-_-;)



せっかく三ノ輪橋まで来たので、駅前の商店街"ジョイフル三ノ輪"を歩いてみました。昭和レトロな商店街で、ドラマでも使われているそうです。



さらっと見ただけでしたが、今度は買い物目的で訪れてみたいと思います。
惣菜屋さんが美味しそうでした。



商店街の中に、何と銭湯もありました!



都電屋 Toden Hotel
カフェにホテルが併設されています。ここも立ち寄ってみたかったです。



店頭には都電のジオラマと古い路線図が飾られています。
ジオラマは模型の運転日が決まっているようです。

帰りは宮ノ前で下車して、こちらでおみやげにパンダ焼きを買いました。



写真は東京新聞のサイトよりお借りしました。

宮ノ前に戻り、早稲田行きに乗ります。
大塚駅、東池袋四丁目を通過して、鬼子母神前で下車しました。





駅から直ぐの踏切を渡ると、雑司ヶ谷鬼子母神堂の門前です。



17時を過ぎていたので、鬼子母神堂は既に閉門の時間となっており、お参りは持ち越しに。まさかの最後でこうなるとは。
思い付きで訪れたとはいえ、ここまで見放されているのは普段の行いの悪さなのでしょうかねぇ・・・

鬼子母神堂を後にして、直ぐ近くの雑司ヶ谷駅から副都心線~東横線で一気に横浜まで戻り、いつもの根岸線に乗り換えて、自宅に到着。
都電の旅は空振りばかりで消化不良気味ではありましたが、十分鉄分を補給することができました。
この日の万歩計の歩数は23,767歩と距離にすると18.5Km。よく歩きました。
晩のビールが何と美味かったこと。実は昼食でも飲んでしまいましたが(笑)
Posted at 2025/07/27 21:33:50 | コメント(1) | トラックバック(0) | お出かけ | 旅行/地域
2025年07月20日 イイね!

追浜工場

日産の追浜工場の生産終了が正式に決定しました。
横浜の南の方に住んでいますので、追浜周辺は生活圏内だけに、地元から大きな工場が無くなるのは寂しい限りです。

そうそう、小学校の社会見学でも追浜工場を訪れました。
自分達が行くちょっと前に、東京ドームでのライブで来日していたマイケルジャクソンも訪問していたのでした。ちょうどU12ブルーバードが登場した頃だったかと。

1961年操業と、日産本体の中では横浜工場に続いて2番目の歴史があります。
追浜といえば、歴代の「ブルーバード」を生産してきました。

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ブルーバード以外は、かつてのミドルクラス(バイオレット、オースター、スタンザ)の生産を担当し、末裔であるプリメーラ(2代目のP11まで)も追浜製でした。
2000年代以降は村山工場の閉鎖により移管されてきたマーチ、キューブといったコンパクトカーの生産がメインになり、現在はノートとノートオーラのたった2車種の生産で、稼働率は2割程度のようです。

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インプレッサ購入時に迷ったノートオーラニスモ。
あの時に追浜工場生産終了が決まっていれば、最後の記念でこっちにしていたかも。



レパードは2代目のF31のみ、追浜で生産していました。

実家の分を含め、今まで乗ってきた日産車がどこ製かを調べてみました。

C34型ローレル(実家)・・・村山工場製
K11型マーチ(自分)・・・村山工場製
Y33型セドリック(実家)・・・栃木工場製
N15型パルサー(自分)・・・九州工場製
JY33型レパード(実家)・・・栃木工場製
WC34型ステージア(実家)・・・村山工場製
V35型スカイライン(実家)・・・栃木工場製
Y50型フーガ(実家)・・・栃木工場製
Y51型フーガ(実家)・・・栃木工場製

約20年間、親子でこれだけ乗ってきたにもかかわらず、追浜製は1台もなし(-_-;)



既に海外では発売されている新型のキックスが、追浜で立ち上げる最後の新車種になるようです。
これがバカ売れになって、九州に移管しても生産が間に合わない状況にでもなれば、延命できるかもしれませんが、現実的にはかなり厳しそうですね・・・

業界は違いますが、製造業の端くれとしては、会社の存続のためには仕方ないとはいえ、工場閉鎖は何とも言えない、切なさがあります。
敢えてここでは過去の経営責任については触れないですが、従業員は勿論、サプライヤー、地域等々、影響が大き過ぎるので、座間、村山の経験が活かされなかったのは非常に残念でしかありません。

久しぶりに「みんカラ」っぽく、クルマネタを書いてみました。
Posted at 2025/07/20 07:35:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | クルマ薀蓄 | クルマ

プロフィール

「鉄分補給 http://cvw.jp/b/127580/48566511/
何シテル?   07/27 21:33
1999年5月、スバルオート横浜(現神奈川スバル)金沢営業所でレガシィB4 RSKを契約。 何度も他社に乗り換えようと思いましたが、結局はスバルに落ち着き...

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