9月になりようやく過ごしやすくなってきましたので久しぶりの歴史散策に行ってきました。
目的地は奈良の手前、大阪の太子町界隈です。ここは古くは近つ飛鳥とも呼ばれ奈良の飛鳥と同じように多くの天皇陵などの古墳群があり、「王陵の谷」とも呼ばれているところです。
以前の
”奈良 飛鳥路をゆく♪”の続編ということで、「蘇我氏のふるさとはどこか」を探索テーマに歩きます。
近つ飛鳥は大阪の難波宮から奈良の飛鳥に至る道の途中にあり、その道は日本最古の国道「竹内街道(たけのうちかいどう)」と呼ばれています。海外からの渡来人たちは海を超え大阪から奈良へとこの道を通って文化や文明を日本にもたらした、いわば日本のシルクロードです。
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最初に訪れたのは
”叡福寺”です。
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この寺は聖徳太子の墓所があるお寺です。この地は磯長(しなが)と呼ばれ蘇我氏ゆかりの地といわれていますがこれはどういうところなのでしょう。聖徳太子の父(用明天皇)と母はともに蘇我氏の血を引いていることが知られています。
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広い境内の奥に宮内庁が管轄する聖徳太子御廟が奥にあります。神社ではなくお寺に廟があるというのが仏教を重んじた聖徳太子らしいなぁと思うところです。
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叡福寺の向かいの太子ゆかりの
西方院にも訪れました。太子町という町名にもあるようにこのまちでは聖徳太子は特別愛されているなぁと感じます。
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西方院からしばらく細い道を歩いて、あるものを探します・・・。
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探していたのはこちら「蘇我馬子の墓所」という口伝えがある場所です。
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蘇我馬子の墓は飛鳥の石舞台というのが定説ですし当時の権勢を考えるとあまりにもちっぽけです。案内板等もないので見つけるのに30分位付近を歩きまわりました(^_^;)
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続いては小野妹子の墓所に向かいます。 「日出(い)ずるところの天子、書を日没(ぼっ)するところの天子にいたす・・・・」の書を持って、はじめての遣隋使となった人です。墓は太子町の科長神社南側にある小高い丘の上にあります。
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墓の入口の脇に科長神社があります。こちらも平安時代からある由緒ある神社です。
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妹子のお墓はこの石段の上にあります。
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太子町の町並みを見渡せるという話でしたが木が生い茂って何も見えませんでした。
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二子塚古墳 という古墳も訪れました。ここは推古天皇と竹田皇子の合葬塚という言い伝えがあるそうです。
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そこから少し行ったところに推古天皇の御廟があります。
推古天皇は第33代天皇で女帝ですね。大臣の蘇我馬子の姪にあたります。摂政に厩戸皇子(聖徳太子)を任命し、大臣の蘇我馬子とともに仏教の興隆など、政治の改革をまかせた方です。
近つ飛鳥王陵の谷21 posted by
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次に訪れた天皇陵は第31代天皇の用明天皇陵です。聖徳太子の父で推古天皇の兄にあたる方ですが即位してはやく亡くなった方です。
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系図を見てもわかるように蘇我系の血筋の天皇です。蘇我系の天皇や関係者が活躍した方たちがこの地に多く眠っているということは墓所としていいところだったのか、どういうことなのでしょうね。
Wikimedia Commons
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最後に訪れたのは近つ飛鳥風土記の丘にある
近つ飛鳥博物館です。階段状の建物はあの建築家安藤忠雄の代表作です。
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入口付近は一須賀(いちすか)古墳群にあり、周辺には渡来系氏族、特に百済・漢人系氏族の墓が200基以上あります。
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蘇我氏ゆかりのこの地がまた渡来人のふるさとにもなっていることに蘇我氏と百済の国との繋がりを多く感じさせる地だと思います。
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久しぶりに博物館の中に入りました。叡福寺の聖徳太子廟の横穴式石室の復元模型があり、アニメで説明があったのがよかったです。また文字のない倭の五王の時代からの多くの海外との交流がこの日本を築く礎となったことがわかる展示内容になっていました。
聖徳太子自身は最近いなかったのではないかと言われることがあります。蘇我馬子の政治的実績を認めたくないがために後に架空の人物として創作されたという説です。
太子は政治から離れた後、仏教普及に努め数々の寺の建立を行ったことから、今も多くの寺に彼の伝承が受け継がれ、後世に名を残したのだろうと思います。そういう意味では伝説の仏教のパイオニア、優れた仏教徒として彼を見ればいいのかもしれません。
今回は1400年前にはるばる海を渡ってきた渡来人たちが竹内街道を経て近つ飛鳥の地に安住し、奈良の遠つ飛鳥との間を往復した地を訪れることができました。
大阪府は奈良や京都と違って歴史観光の開発やPRが下手ですね。史跡や遺跡をもっとわかりやすく親しみやすくして、もっと大事にすればいいのになぁと思いますね。
またいつか、この竹内街道を通って奈良、飛鳥に行ってみたいと思います。
雨が降ったりやんだりする1日の歴史散歩でしたが久しぶりで楽しかったです(^^)
最後になりましたが先日愛車紹介のレガシィが400イイねを超えました。いつもご覧いただいて有難うございます。m(__)m
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Posted at
2015/09/06 23:51:26