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2024年11月18日 イイね!

EOS R10で撮った秋2024♪

EOS R10で撮った秋2024♪11/7~11/17までの間、キヤノンから貸し出しいただいたミラーレス一眼カメラ「EOS R10」「RF-S18-150mm F3.5-6.3 IS STM」のレンズで毎日持ち出しては撮ってきた写真の中からいいのを選んでみました♪

EOS R10は小型・軽量が売りのAPS-Cセンサーサイズのカメラ初心者向けのカメラです。そしてRF18-150は軽量コンパクトが売りの高倍率ズーム、いわゆるレンズ交換をしないですむ便利ズームです。

1.今回は近所でどのくらいいい写真を撮れるかをテストする気分で持ち歩いていました。








2. 今年の秋は例年より紅葉するのが遅いようです。








3. 千里川の水面。自然がつくりだす模様ってきれいですよね。








4. F6.3の暗い望遠側ですが写りはシャープですし描写もなかなかです。








5. 紅葉というともみじばかりとりあげられますが、花水木とかもきれいですね。








6. ソメイヨシノの紅葉もきれいだと思います。








7. 近くの公園の植栽は秋でも色とりどりの花でいっぱいです。








8. PLフイルターを使用していないので葉っぱのテカリが気になりますね…。








9. 千里川の鴨もこんな感じに撮れました。








10. 玉ボケは周辺に行くに従って半円形になります。








11. 紅葉ってお天気がいいとより鮮やかに見えますね。








12. フワフワの花の種も背景の黄色い葉っぱがあるといい感じになります。








13. 私が紅葉で好きなのがナンキンハゼ。お掃除される前の落ち葉も撮ってみました。








14. ナンキンハゼは緑から黄色、そして真っ赤に紅葉します。








15. 便利ズームでもここまできれいに玉ボケができると十分キレイですよ。








16. APS-Cセンサーの弱点は高感度ノイズ。この写真もISO6400まで上げたのでノイズが発生してしまいました。DPP4.0でノイズ除去を掛けています。








17. これらのもみじは千里中央公園に行った時のものです。








18. 真っ赤な紅葉は逆光で光に透かせて撮るのがいいですね。








19. 望遠で寄るとここまで大きな丸ボケが撮れました。まるでF2.8レンズみたいです。








20. 紅葉できれいなのにドウダンツツジもあります。燃えるように真っ赤に紅葉しますね。









21. 逆光でシャドウを起こしても情報がちゃんと残っているのが素晴らしいです。





最後の写真にあるように撮影はBEBEの散歩のついでに数日間の間撮ったものです。ファインダーが小さいのでピントを合わせるのが難しかったですが、ちゃんと撮れてるものは十分キレイでした。他のメーカーのカメラは使ったことがないですが、色合い、ダイナミックレンジの広さ、ホワイトバランスの賢さでキヤノンは素晴らしいと思います。

あと5年くらいして重たい機材を持ちあるくのが難しくなってきたら、このR10の後継機種とこのRF18-150レンズに移行してもいいですね。


撮影機材
キヤノンEOS R10
キヤノンRF-S18-150mm F3.5-6.3 IS STM

最後までご覧いただきありがとうございます!🌝
Posted at 2024/11/25 17:27:23 | コメント(11) | トラックバック(0) | カメラ | 日記
2024年11月16日 イイね!

幕末の京都を歩く♪ その2 ~上京区

幕末の京都を歩く♪ その2 ~上京区まいまい京都のツアー、
「【幕末】木村先生といく小五郎が駆けた幕末京都、「山紫水明処」貸切拝見
~幾松と出逢う花街三本木、新選組・激闘の池田屋事件、頼山陽の書斎まで~」

の続きです。

TOP画像は桂小五郎(木戸孝允)です。
日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家。号は松菊、竿鈴。 明治維新の元勲として、大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍した。


木戸孝允旧邸跡地には3つの建物がそれぞれ建ってます。それほど敷地が広かったということですね。










●木戸孝允 臨終の家
 明治2年(1869)、木戸が近衛家の下屋敷「河原御殿」を譲り受けて別邸にした。
 北から九条家、鷹司家、近衛家、有栖川宮、角倉家と別荘が立ち並んでいた。
 明治10年(1877)5月19日、明治天皇が病気療養中の木戸を見舞った。
 見舞いに訪れた杉孫三郎や山尾庸三らに「西郷もまた大抵にせんか。予今自ら赴きて一たび説諭すべし」と言ったという(「松菊木戸公傅」)。
 九条家の茶室・拾翠亭に通ずる建物である。
 近衛家の建物の一部は、北区の新村出邸に移築されて現存している。






●木戸孝允の子・忠太郎の「達磨堂」
 禁門の変後、桂小五郎は出石出身の小間物商・広戸甚助の助けを借りて、但馬国出石に逃げた。
 出石では広戸甚助の弟・直蔵の助けを借りて、城下に荒物屋を開店した。
 木戸忠太郎は南満州鉄道の経営する鉄鉱山で働く地質学者で、86年の生涯を終えるまでの50年間、達磨集めに没頭した。
 達磨堂は大正12年に新築された。



木戸孝允 臨終の家、達磨堂は今年の9月まで一般公開していましたが現在は閉鎖されています。京都市に寄贈されるようなのでまた公開されるのが楽しみです。



●舎密局(せいみきょく)(理化学研究所)
 舎密とはオランダ語で「化学」を意味する言葉「シェミー」を漢字で書いたもの。
 京都府参事・槇村正直や京都府顧問・山本覚馬は、舎密局や勧業所、織物工場、集書院などを作った。
 ここで石鹸、氷砂糖、ビール、ラムネ、リモナーデ(レモネード)、陶磁器、硝子、漂白粉などが作られ、写真術も教えた。
 明治14年(1881)北垣国道が京都府知事になると廃止され、施設は民間に払い下げられた。





●明石博高(あかしひろあきら)
 薬種商の子で蘭方医。
 明治2年(1869)、大阪舎密局に御雇い外国人のハラタマ、ボールドインらを招いて、ハラタマの助手を務めた。 
 明治3年、京都舎密局の設立に尽力し、主任や局長を務めた。
 明治5年、寄付金を集めて療病院を設立した。
 明治14年、京都舎密局が廃止されると、私財を投じて救おうとする。
 厚生病院の院長を務めて無給で働き、貧しい患者からは診療費を取らなかった。






●法雲寺



 久坂玄瑞【画像右】が謹慎した寺
 文久2年(1862)、久坂玄瑞や寺島忠三郎らは長州藩重臣・長井雅楽を殺害しようとしたが失敗、法雲寺で謹慎した。
 脱藩中だった吉田稔麿も自首後、ここで謹慎した。
 本堂や書院、庫裏は幕末当時の建物である。




●善導寺門前
 島田左近【画像左】遭難の地
 島田左近は公家・九条家の諸大夫で、京都で天誅された第一号の人物である。
 彦根藩士・長野主膳と仲が良く、「日米修好通商条約の勅許問題」「将軍継嗣問題」「安政の大獄」「皇妹・和宮の降嫁」に暗躍し。勤王の志士から憎まれていた。
 1万両の賄賂を受け取り。「今太閤」と呼ばれたという。
 文久2年(1862)7月20日の夜、薩摩の田中新兵衛ら3人に襲われ、島田は善通寺(竜宮門の寺)門前で首を刎ねられた。







●島津創業記念館




 初代・島津源蔵【画像左】 二代目・島津源蔵【画像右】
 薩摩藩の島津家との血縁関係はありません。薩摩の島津義弘公が、京都の伏見から帰国の途上に、豊臣秀吉公から新たに拝領した播州姫路の領地に立ち寄った際、 惣兵衛は領地の検分などに尽力し、その誠意に対する感謝の印として、義弘公から"島津の姓"と"丸に十の字(くつわ)の家紋"を贈られたと伝えられています。






●山縣有朋別邸 第二無鄰菴(むりんあん)
 「無鄰菴」と名付けられた山県の屋敷は3つあり、最初の無鄰菴は長州・下関に作られた。現在は「がんこ高瀬川 二条苑」になっている。
 第三無鄰菴は京都南禅寺の参道前に造営した別邸で、「無鄰菴会議」が行われた。 第三無鄰菴は七代目小川治兵衛が作庭。







●高瀬舟 一之船入(たかせがわいちのふないり)
 高瀬川に附属して作られた浜地(船を接岸させるための入り江)である。伏見にある三栖浜(宇治川との合流点)から積荷を満載して人力で曳き上ってきた高瀬舟がこの浜で荷を陸揚げし、船を方向転換させた。」
 奥行き92m、幅12m








●前田又吉像と伊藤博文像
 前田又吉(1830~93)は大阪生まれの実業家。明治元年、神戸界隈に料亭「常磐花壇」を創業し、明治6年に諏訪山に移転。
 明治21年、ここ河原町御池に「常盤ホテル」を開業。現在はホテルオークラ京都になっている。



●前田又吉銅像記碑(明治二十六年十月 伯爵 伊藤博文 撰印)






●木戸孝允像
かつて長州藩の藩邸があった京都ホテルオークラの北西角、市役所側の通りに銅像が建てられています。長州の代表として薩長同盟を結び、明治維新の三傑の一人として知られています。大きく立派な像で、凛々しい姿をした銅像です。







●長州藩邸
 慶長の末に藩邸を設けた。
 禁門の変で、京都留守居役の乃美織江が火を付けて退却した。
 明治4年に勧業場、18年に府立画学校、その後洋風の常盤ホテルになった。



●長州藩邸の立地
 三条大橋(東海道五十三次の終点)、高瀬川の一之船入がほど近く、御所からも約2.5キロだった。




●池田屋騒動之跡
「池田屋事件」は、1864年(元治元年)6月5日に京都で起こった、「新撰組」による尊王攘夷派(そんのうじょういは:天皇を守るために外国勢を排除する思想を持った一派)弾圧事件です。多くの浪士が殺害され、これにより明治維新が5年遅れたとも言われています。今は飲食店が建っていて繁盛しています。




出動隊士34名を、10名の近藤隊と24名の土方隊(と井上源三郎隊)に分けて探索した。



一時池田屋の場所はお店の右にずれた場所にあったと金属プレートが埋め込まれましたが、現在の説ではやはり石碑がある場所に池田屋はあったと言われています。



桂小五郎は維新後、自らの談話で、会合への到着が早すぎたため、一旦池田屋を出て対馬(つしま)藩邸で大島友之允と談話しており難を逃れた。談話中に外の騒ぎで異変に気づいた桂は、現場に駆けつけようとしたが、大島に制止されたため思い留まったと、と語っています。

ただし、鳥取藩士・安達清風の日記によれば、大島は事件前の5月28日(7月1日)に京都を離れ、6月5日(7月8日)の当日には江戸におり、桂小五郎の話には矛盾があるようです。

当時京都留守居役であった乃美織江(のみ おりえ)の手記には、「桂は池田屋から屋根を伝って対馬藩邸に逃げ込んだ」とあり、藩士の中には桂を「臆病者」呼ばわりする者もいたようです。桂も会合に出席していて、いち早く逃げた可能性は高いといえるでしょう。

現代では様々な桂小五郎の紹介に、「逃げの小五郎と呼ばれていた・言われた」と述べられることがよくあるが、存命中や死後に残された記録・史料にそういう記述は確認されていない。後世の、司馬遼太郎の小説の題名から「逃げの小五郎」と呼ばれるようになったようです。




17時前にツアーは解散となりましたが、もう日は暮れて暗くなっていました。
長州藩邸に近く、維新志士たちが駆けた三本木から三条木屋町まで。
幕末激動の舞台をめぐりました。

撮影機材
キヤノンEOS R6 MarkⅡ
キヤノンRF14-35mm F4 L IS USM
Marumi EXUS PLフイルター


最後までご覧いただき有難うございました🌝。

Posted at 2024/11/22 11:41:13 | コメント(7) | トラックバック(0) | 史跡めぐり | 日記
2024年11月16日 イイね!

幕末の京都を歩く♪ その1 ~上京区

幕末の京都を歩く♪ その1 ~上京区まいまい京都のツアー、
【幕末】木村先生といく小五郎が駆けた幕末京都、「山紫水明処」貸切拝見
~幾松と出逢う花街三本木、新選組・激闘の池田屋事件、頼山陽の書斎まで~」

に参加してきました!

ガイドは私のお気に入りの、幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」学芸課長木村武仁さんが、幕末の京都をご案内してくれます。



集合は京阪電車「神宮丸太町駅」。今回は電車で行きました。





●梁川星巌(やながわせいがん)寓居跡碑






近年こんな説明板も建てられました。



 漢詩人、尊王攘夷派志士の指導者。
 嘉永2年(1849)から寓居した「鴨沂小隠(おうきしょういん)」があった場所である。
 梅田雲浜や頼三樹三郎、吉田松陰、西郷隆盛らが訪ねてきた。
 幕府が日米修好通商条約に調印すると、志士と図って「戊午(ぼご)の密勅」を水戸藩や幕府などに下した。
 幕府は安政5年(1858)9月、老中・間部詮勝を上洛させ、「安政の大獄」を開始する。
 志士らの大量検挙が行われる5日前にコレラで亡くなり。「詩(死)に上手」と揶揄された。【画像左】



●頼山陽(らいざんよう)【画像右】
 江戸後期の儒学者で歴史家で、司馬遷の「史記」の影響を強く受けていた。
 新選組の近藤勇や初代総理大臣の伊藤博文が「日本外史」を愛読した。
 頼山陽は清酒「剣菱」を愛飲し、近藤勇や土佐藩主・山内容堂、水戸藩士・藤田東湖も愛飲した。
 左は頼山陽の漢詩、右は近藤勇が頼山陽の筆使いを真似て書いた漢詩。






●賴山陽書斎 山紫水明処(さんしすいめいしょ)
 頼山陽は、この屋敷地を「水西荘」と名付け、文政11年(1828)に書斎兼茶室を作って「山紫水明処」と名付けた。ここは見学には事前の申込みが必要ですが今回は貸し切り拝観です。



 山紫水明(さんしすいめい)という言葉は「日に映じて、山は紫に、澄んだ水は清くはっきりと見えること。 山水の景色の清らかで美しいこと」という意味で、風光明媚(ふうこうめいび)な景色を表すものです。この言葉はこの風景を見た頼山陽がつくった造語だそうです。





撮影した写真はSNS掲載禁止なのでまいまい京都ツアーサイトより引用。
https://www.maimai-kyoto.jp/event/ky24d2420/


 ここで晩年を過ごし、『日本外史』や『日本政記』を書いた。
 庭に当時の「ナツメの木」や「降り井」がある。


撮影した写真はSNS掲載禁止なのでまいまい京都ツアーサイトより引用。
https://www.maimai-kyoto.jp/event/ky24d2420/



鴨川の向かい側から見た山紫水明処(真ん中の藁葺き屋根)。眺望がいいので右側のマンションは京都で一番値段が高いそうです。




頼山陽が見た山紫水明な景色。晴れてたら大文字山、比叡山、京都東山三十六峰と鴨川が美しく見えたはず。





ちなみに頼山陽の出身は私の母の郷里の広島県竹原市です。
竹原のまちなみ保存地区には下の像と詩碑があり、昔から私も馴染があります。


広島県・竹原観光協会サイトより引用
https://www.takeharakankou.jp/spot/19885




●花街・三本木 吉田屋跡
 このあたりは幕末維新の史跡ともいえる料亭 吉田屋があった所である。
江戸時代から明治時代初期にかけて、花街として知られた「三本木」の中にあって、幕末には桂小五郎(後の木戸(きど)孝(たか)允(よし))をはじめとする討幕派の志士たちが密会した場所として知られている。

 元治(げんじ)元年(一八六四)、禁門(きんもん)の変(蛤(はまぐり)御門(ごもん)の変)で敗れた長州藩が、その後勢力を挽回しようとして様々な秘策をめぐらし、京都に潜伏した。こうした中で身を潜めて世の動静を探っていた桂小五郎をはじめ長州藩の志士達が,吉田屋など三本木の料亭で密会を重ねたといわれる。

 新撰組など幕府方に襲撃された時には、長州藩邸(二条河原町付近)に近い方が、援軍を求めたり、逃げ込んだりするのに便利であったのであろう。また幾(いく)松(まつ)(後の松子夫人)が芸妓時代を過ごしていたのもこの三本木であるという。



●芸姑・幾松(いくまつ)と料亭・幾松の関係



 ①「勤王芸者」という本には、新選組が桂小五郎を捕縛するために料亭・幾松に突入したというエピソードが書かれている。

 ②料亭・幾松が建っていた場所には、江戸時代には長州藩の控屋敷が建っていたという説がある。

 ③桂小五郎と幾松が明治維新後に「木戸孝允」と「木戸松子」になってから住んだという説。

 ④木戸孝允の没後、木戸松子は尼になって「翠香院」と号し、京都木屋町へ転居した。

 ⑤木戸松子は明治19年(1886)に上京。31組上樵木町18番地の寄留所にて、胃病により病死。享年44。

料理旅館「幾松」は2020年惜しまれながら60年あまりの歴史に幕を下ろした。新型コロナウイルス感染拡大の影響による売り上げ減少が理由だという。


2020/10/21産経WESTより引用


●吉田屋で「薩土盟約」が結ばれた

 慶応3年(1867)5月21日、京都の小松帯刀邸で薩摩側は小松屋西郷隆盛、土佐側は中岡慎太郎、乾退助が出席して「薩土討幕の密約」が結ばれた。
 その後、土佐藩は坂本龍馬の考案した「船中八策」で大政奉還派になったという。
 しかし近年の研究では…2010年代の文献調査により、「船中八策」は明治以降に龍馬の伝記が編まれる際に創作されたという見解が有力となっている。

 6月22日、吉田屋に土佐の後藤象二郎、福岡孝弟、薩摩の小松、西郷、大久保利通らが集まり、龍馬と慎太郎も同席して「薩土盟約」が結ばれた。
 土佐藩の意向が強く反映され、「武力倒幕」から「大政奉還による平和的な倒幕」にシフトしたものだった。

●京都法政学校設立碑(立命館草創の地碑)
 明治2年(1869)、西園寺公望は自宅に私塾「立命館」を開いた。




 そして西園寺公望の秘書だった中川小十郎が明治33年(1900)、東三本木の料亭「清輝楼」で「私立京都法政学校」を創立した。






●綾瀬はるかが大河ドラマ「八重の桜」で演じた新島八重【画像左】が働いた「女紅場(にょこうば)」跡



【京都鴨沂高校(おうきこうとうがっこう)の前身】
 梅田雲浜の後妻「千代」やその子「ぬい」も働いていた。
 明治5年(1872)、華族や士族の子女に高等教育をおこなうために設置された。
 正式名称は「新英学校及女紅場」といい、英語や機織などを教えた。九条家の河原屋敷があった場所。
 また女子に読み書き、そろばん、裁縫、手芸などの初等・中等教育を行った機関も「女紅場」と呼ばれた。






山紫水明処では2グループに分け約30分滞在しましたので、1時間ほど滞在したことになります。内部の写真もたくさん撮ったのですがお見せできなくて残念です。

長くなりましたので続きます。

最後までご覧いただき有難うございました🌝。
Posted at 2024/11/19 17:50:58 | コメント(5) | トラックバック(0) | 史跡めぐり | 日記
2024年11月09日 イイね!

兵庫三田・有馬富士公園に行ってきました♪

兵庫三田・有馬富士公園に行ってきました♪キヤノンからモニター貸し出しいただいてる「EOS R10」を持ってドライブに行ってきました♪

キヤノンEOS10はAPS-Cサイズのセンサーの小型軽量コンパクトを売りにしたミラーレス一眼です。

2420万画素、電子シャッター時、最高約23コマ/秒の高速連写や、 EOS R3のAF技術を継承する被写体検出機能を搭載。初心者にオススメとなってますがミドル機に迫るなかなかの高性能です。

付属していたのは「RF-S18-150mm F3.5-6.3 IS STM」軽量コンパクトな高倍率ズームレンズです。35mm判換算で29~240mm相当をカバー。日常や旅行、スポーツ、飛行機、鉄道など、この一本で幅広く撮影できます。

このセットで181,500円。なかなかいいお値段なのに無料で貸していただいたキャノンさんには感謝です。



1. 有馬富士公園、めっちゃ広くていくつかゾーンに分けられているのですが、今回は「休養ゾーン」を目指してやってきました。土曜日なのにめっちゃ空いてました。








2. 有馬富士の里山と千丈寺湖の間にある休養ゾーンは、緑と水の潤いのある癒しの空間となっており、皆さんの憩いの場として親しまれています。







3. 木陰にレジャーシートを敷いてランチを食べました。のんびり座ったまま撮ってます。








4. F16まで絞って太陽の光条を撮ってみました。APS-Cサイズセンサーだとどうかなと思いましたがシャープに撮れてますね。








5. BEBEはもっと走り回るかと思ったのですが、初めての場所で緊張したのかうろうろ歩くだけでした…。








6. この日は雲が少なくいいお天気でした。








7. 芝生もきれいに手入れされてました。これだけ広いとたいへんでしょうね。








8. この白い風車みたいなのがポイントですね。








9. この日は長いリードを持ってきましたが、他のワンコもみんな長いリードで遊ばしてました。








10. ここのもみじは紅葉してました。








11. 光に透けるもみじきれいですね~♪








12. 飛行機雲もめっちゃ上空を飛んでました。








13. せっかくですから走ってるところとか撮りたかったですね。








14. 池のオブジェもオシャレです。








15. 坂の上の雲は飛行機雲でした。





初めてさわったEOS R10、FVモードが使えるので使い方もR6 MarkⅡに似ていてわかりやすかったです。設定もこれまでのEOS Rと同じようにすることができました。

2週間のモニター期間、毎日の散歩にも持ち歩いてますが、この日みたいな明るい日中の撮影ならAPS-Cサイズのセンサーのデメリットは感じませんでした。

よく機種ごとに画質や色合いが異なるといいますが、ピクチャースタイルをいつもと同じ「忠実設定」にしてDPPで現像するなら、いつもと同じような色が再現できたと思います。

休みの日でもこんなに空いてるのがわかったので、のんびりしたい時はまた有馬富士公園に来たいと思います。

撮影機材
キヤノンEOS10
RF-S18-150mm F3.5-6.3 IS STM
ピクチャースタイル:忠実設定
現像:Digital Photo Professional 4.0

最後までご覧いただき有難うございました!🌝

Posted at 2024/11/15 15:40:09 | コメント(6) | トラックバック(0) | ツーリング&ドライブ | 日記
2024年11月06日 イイね!

まちの下水処理場を見学してきました♪

まちの下水処理場を見学してきました♪今日はわがまちの第4回上下水道モニター会議でした。

今回は「猪名川流域下水道 原田処理場」を見学してきました♪
R1の後ろにあるのが原田処理場の管理棟です。

伊丹空港の千里川土手のすぐ隣にありますので飛行機写真を撮る方はよく前を通っているはずです。普段はこの駐車場には駐められません。

過去のブログはこちら
上下水道モニターに選ばれました♪
まちの浄水場を見学してきました♪
災害用給水タンクを組み立てました♪


原田処理場は大阪府の北部、大阪国際空港に隣接していて、大阪府と兵庫県の6市2町の下水道をまとめて浄水処理しています。






見学者用の部屋が用意されています(予約制)。小学校の校外学習でも使われています。私も昔来た覚えがあります。(内容はまったく覚えがありません…)







センター長の挨拶があり、処理場について説明していただきました。ちなみにここの職員は大阪府と兵庫県から来ているそうです。







施設の全容です。原田処理場の敷地面積は、31.68ヘクタールです。また、処理面積は11,385.48ヘクタール、処理人口は749,946人です。







原田処理場は、猪名川流域下水道に属する下水処理場で、豊中市原田西町、伊丹市岩屋2丁目、尼崎市田能6丁目に位置しています。微生物の働きを利用して水をきれいにし、汚泥も消化タンクで減量しています。







中央監視室では顕微鏡で水質を確認しています。写っているクマムシという微生物が水を浄化します。







これがクマムシの模型です。クマムシは、地球上最強の生物とも呼ばれています。乾燥状態であれば、-273℃から100℃、真空、超高圧(75%2C000気圧)、電子レンジ、ヒトの半致死量の1000倍の放射線照射に耐えた例が報告されています。







研修終了後はバスに乗って施設内を見学しました。







最初の沈砂池です。臭いです。







流れをゆるやかにして、ゴミや砂を取り除きます。







表面の水をすくうとこんな感じ。まだ濁っています。







最初沈殿池です。沈砂池で取り除けなかった小さなゴミや泥をさらにゆっくり時間をかけて取り除きます。







沈んだ泥は、汚泥処理施設に送られます。







●処理場に流れ着くと困るもの(具体例)
ガソリン、石油、エンジンオイルなどの鉱油類。
農薬、殺虫剤、除草剤などの薬品類。
サラダ油やラードなどの動植物油などをそのまま流すこと。
木質ペレット。
ティッシュ、紙おしぼり、紙おむつ、生理用品、その他不織布。
ガム、たばこ、それらの包装紙。
髪の毛(排水パイプのつまりの原因や計測機器にからみつき機械の誤作動を引き起こします。)







反応タンクの仕組みは次のとおりです。
反応タンクには、下水と微生物の入った汚泥(活性汚泥)を入れます。
反応タンク内に細かい空気を送り込み、下水と活性汚泥を混ぜ合わせます。
微生物が活性化して、水に溶けている汚れを分解します。
汚れを分解して増えた微生物は、フロックと呼ばれる泥のようなかたまりを作ります。







汚れが混ざっているのでめっちゃ濁ってます。







フロックは活性汚泥と呼ばれ、最終沈殿池で沈殿させます。







よごれを食べた微生物(活性汚泥)は、沈みやすくなります。上澄みのきれいな水です。これを消毒設備に送り塩素処理してから川に流します。

沈んだ微生物は集められ、大部分はまた反応タンクに戻し、残りの増えた分は、汚泥処理施設に送ります。







今回は汚泥処理施設の内部は見学はありませんでした。汚泥は最終的にセメントの原料になるようです。






最後はスカイランド原田を見学しましました。ここも原田処理場の上にあります。駐車場は飛行機写真家には人気のスポットです。ちょうどスター・ウォーズの旅客機が来てました。(写真は過去のものです)







愛車と飛行機をからめて撮れるスポットとしても私もお気に入りのスポットです。(写真は過去のものです)




下水処理というと薬品とかを使って浄化していると思っていましたが、自然の微生物の力で浄化しているとは知りませんでした。

よく「滋賀県の人の下水処理水を琵琶湖に流し、その水を京都市の人がまた使って下水処理水を淀川に流し、それを大阪府の人が最後に飲んでいる…」という話を聞きます。職員の方に「あの話は本当?」と聞いてみたら本当らしいです。水のリサイクルってすごいもんですね。でもできれば処理水は飲みたくないですね…。


次回の第5回会議では、昨今課題となっている大雨による浸水対策のための新しい下水道管の新設工事の研修と工事現場の見学があるようです。線状降水帯とかゲリラ豪雨とか台風とか日本は水害が増えていますからこれも興味深い内容です。


撮影機材
キヤノンEOS R6 MarkⅡ
キヤノンRF14-35mm F4 L IS USM
Marumi EXUS PLフイルター

最後までご覧いただき有難うございました!🌝
Posted at 2024/11/13 17:12:25 | コメント(8) | トラックバック(0) | 上下水道モニター | 日記

プロフィール

「ブドウがみん友さんから届きました~👍
有り難うございます!😊」
何シテル?   08/25 11:21
水平対向4気筒エンジンにちなんだHNで”FLAT4(フラットフォー)”と申します。 お出掛けと写真と愛車メンテの記録が中心です。 2006年にみんカラを...

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