2021年07月14日
何の話かと言えば、大谷翔平のMLBのオールスターゲームやホームランダービーの事です。
昨日のホームランダービーは、再延長戦の末1回戦での敗退でしたが、爪痕はしっかり残したと言えるでしょう。
※.ホームランダービー1回戦のホームラン数28本の平均飛距離141.6mで1位になった事。
※.飛距離500(152.4m)フィートを超えるホームランを史上初めて6本打って出場選手トップ。
※.そして打球速度188km/hは優勝したアロンソ選手と同記録で1位タイ。
映像を見てみると、大谷の打席は投球間隔がかなり短く「数打ちゃ当たる」的であったのがやや成績を下げた原因かもしれない、投球数を2/3程度にした方が良かったのでは?と感じた。
オールスターゲームでは二刀流(事実上大谷翔平の為)の特別措置で先発投手と1番打者での出場だったので、昨日のホームランダービーの疲れが影響してストライクが入らなくなってしまわないかが最も私は危惧していたところでしたが、4球を出すことも無く、3者凡退に切って取ったので、本当に良かったと胸を撫で下ろす気持ちでした。
先頭打者との勝負は、アメリカンリーグの現在のホームラン王の大谷が投げ、ナショナルリーグでの現在のホームラン王のフェルナンド・タティス Jr.が打席に入ったのですが、結果は大きな外野フライに終わったが、紙一重でホームランになっていたかもしれない打撃でした。両リーグの現時点のホームラン王同士でのリアル対決というのも長いMLBの歴史でも初めての事であったでしょう。
3人目の打者ノーラン・アレナドは2018年のナショナルリーグのホームラン王でもあり、本年度はカージナルスへ移籍したが、長くロッキーズで活躍していた言わば地元の人気選手だったので、古巣のファンの前で気合も入っていたと思うので、大谷も力を込めての投球であったと思う。
その結果か、1球目は160km/hであり4・5球目の161km/hとなったものと感じている。
三振は取れなかったものの、大谷は全部三振を取りに行ったと話しており、それでもバットで打ち返してくる強者ばかりであったという事でありましょう。
無安打、無四球、無失点で1イニングを締めたのでホッと胸を撫で下したわけです。
乱調となればワンアウトも取れずに降板することもあり得るベースボールですから、昨日のホームランダービーの疲れが影響か?等という事も全く感じさせない堂々たるピッチングは良かったです。
期待された打撃では、大谷を含むホームランダービーに出た選手は、揃って良いところが無かったので、やはり、ホームランダービーでの強いスイングはマイナスに働くのかもしれないと思わせました。
終わってみれば大谷はMLBで初めて投手と野手の両方でオールスター選ばれた選手となり、今オールスターゲームで最も速いボールを投げた投手であったし、勝ち投手にもなれたので、めでたしめでたしという2021年MLBオールスターゲームでした。
以下追記
今年の、前半戦の大谷翔平の大活躍がMLBを動かし、特別ルールも用意してくれて、大谷の為のオールスターとまで囁かれる状況となり、大谷が、先発投手として出場して、もしヤンキース戦の先発時のように惨憺たる出来であったら・・・、せっかくMLBがお膳立てしてくれたのにとても残念なものになってしまうので、そこが私は心配だったという事です。
ホームランダービーに出て再延長戦まで戦って、ヘトヘトになった選手が、翌日のオールスターゲームに1番バッターでいきなり出て、1回裏の守備では先発投手ですからね、自分の置かれた立場、周囲の大きな期待、MLBからのこれ以上ないような待遇というプレッシャーを大谷が感じない筈も無く、疲れがあったとしても気力で頑張るしかなかったと感じました・・・。
まあ、いつもそういう期待を背にして頑張って来たのは解っているけれど、本当に良くやったよ・・・・大谷、素晴らしかった。
でも大谷は、三振を取れなかったこと、期待されたホームランもゲームでは打てなかった理由を・・・、すでに分析して、何が足りなかったのか・・、もう答えは見つけているはずだ・・・。
つまり、MLBベースボールは巨大で奥が深いことを示しているよね・・・、チャレンジする理由になる十分大きな相手だよ・・・・・、来年を待ってるよ・・・・君はもっとやれる。
Posted at 2021/07/14 17:00:47 | |
トラックバック(0) |
思う事 | 日記
2021年07月11日
2020年の2月頃から新型コロナウイルス感染症に対する対策と啓蒙が始まったことで、2020年度のインフルエンザ感染数や死亡者は激減し、およそ1/600にまで減ったと言われています。
毎年インフルエンザで亡くなる人の数は直接的な数値では5000人前後で、インフルエンザによる関連死を入れると10000人以上となっていたと言います。
それが2020年の2月あたりから、マスクの着用、手洗いの励行、3蜜を避ける、などの対策が叫ばれたことで、呼吸器及び経口感染が主体の感染症はインフルエンザだけでなく、RSウイルス感染症なども激減しています。
そして問題の新型コロナ感染症での死亡者は2020年の1月16日~2021年の1月15日までの1年間では、4400人程度でありましたが、この新型コロナ感染死亡者数の中身は死亡した時にコロナに陽性であればコロナ死とカウントされたために、死因として考えれば正確性に欠けています。
その理由は患者に既往症があり、新型コロナが流行しなくても死に至るような高齢者が、コロナに感染したことで死亡時期を僅かに早めたと判断できる人達もカウントに含まれているからと考えてもよさそうだからです。
更に日本では毎年10万人が肺炎で亡くなっていることも知らねばなりませんから、新型コロナウイルス感染が純粋な意味での死因となったとされる死亡者数は4400人とされる死者の何%であるかは現在では正確には判断できないものである訳です。
しかし、もしそうだとしても、2021年の2月~7月の間に新たに1万人が新型コロナ感染症で死んだとされている直近の増加傾向を考えると、前記の4400人の半数が新型コロナが原因とは言えないと判断することは合理的ではないと思うのです。
そして、それらを考慮して私は考えて見ました。
最も重要なことは、政府が打ち出した非常事態宣言による行動抑制や、マスクの着用、手を洗うなどの衛生管理の徹底、3蜜を避けるなどの防疫手段によって、日本ではインフルエンザは消滅的ともいえる減少傾向が見られたことです。(オーストラリアやニュージーランドでも同様)
何かここまでで気づくことは有りませんか?
私が感じたことは、これまで毎年5000人~10000人の命を奪ってきたインフルエンザに対し、政府は今回の新型コロナのような対策を一切打つことは無かった訳です。
しかし、日本国の政府は去年から新型コロナウイルス感染症を危険なものとして捉え、ロックダウンこそできない国であるものの、非常事態宣言を出して国民の行動に自粛を課し、3蜜を避け、衛生管理を徹底し、マスクの着用を推し進めた結果が、今開示されている1年と6か月間の死亡者数1万5千人となっているのです。
日本政府の対策はインフルエンザをほぼ消滅させたほどに感染症拡大防止に絶大な効果を生んだ訳ですが、そんな劇的な対策でも1万5千人の命を18か月で奪ったCOVID-19というウイルス性の伝染病はやはり恐るべきものであるという認識となります。
もし、どなたかが主張するほどに楽観的に何の対策もしなかった場合、また、コロナは無いと主張する人のように、「多少タチの悪い風邪でしょう」などと言って何も対策しなかった場合どれぐらいCOVID-19が日本で流行したか?想像してみる訳です。(インフルエンザは対策後1/600なら・・・コロナ無対策なら600倍!?)
インフルエンザをほぼ完ぺきに封じ込めるような対策をしたにもかかわらず、COVID-19は少なくとも、すでにインフルエンザでの年間死亡者数に匹敵する死者を出しているのです・・・。
インフルエンザもCOVID-19も感染経路はほぼ同じですから防疫面での対策も全く同じなのです・・・・。
もし政府が何も対策をせずに居たらどうなっていたでしょうか?(最悪600倍?)
それでも「只の悪い風邪」と言う人はいるのですよ・・・・。
まだ生きて沢山の有意義な時間を過ごせたはずの人が死んでゆく時「ただの悪い風邪」なんて軽い言葉で納得できるものでは無いはずです。
「COVID-19はただの悪い風邪」と言うのも言論の自由の範囲内ですかね?
コロナで死んでゆく人の心をあまりにも蔑ろにし過ぎる言葉だと私は感じます。
Posted at 2021/07/11 16:12:28 | |
トラックバック(0) |
思う事 | 日記
2021年07月09日
新型コロナウイルスに出来るだけ感染しないようにするのは、多くの人が実際に選んでいる生活様式だと思うが、その幾つかの行為を挙げてみると、ソーシャルディスタンスを大きめにとる事、少人数でも会合等は避ける、不織布マスクを着用する、手指を頻繁に良く洗う、外食などでマスクを外しているときは喋らない、などが主なものであろう。
実際には学校でも学級閉鎖なども行われ、テレワークで出勤しない職種も多くなって感染爆発が起きないようにして来たので、この一年でインフルエンザは全くと言って良い程流行しなかったのです。
その事が原因のように日本ではCOVID-19が原因で死に至る人が出ているにもかかわらず、例年の全死亡者数に対する超過死亡が起きませんでした。それどころか例年よりも死ぬ人が全体で見れば減ったのです。
これはポジティブな結果であり、上に書いたような対策が感染症防止に効果を上げたことを雄弁に語っているわけです。
しかし、医療の世界ではそのことが原因でいくつかの反作用が予想されていると言われているようです。
その一つにRSウイルスによる急激な感染連鎖が起きる可能性が強く指摘されています。
RSウイルス感染症というのは、呼吸器感染に際して、隣接する細胞の細胞膜を融合させ多核の巨細胞様の構造物を形成することで発熱を含む呼吸器系に症状を起こすとされ、風邪のような症状で知られている。
この1年以上続いているCOVID-19感染対策はインフルエンザだけでなく毎年小児の間で流行してきたRSウイルス感染を概ね封じ込めてしまったようで、この先そうしたコロナ対策がさらに何ヶ月も続くことになれば、3歳までに乳幼児が自然に獲得するはずのRSウイルスへの抗体が出来ない世代が2年間程も続き、2~4歳以下の幼児はRSウイルスに対する免疫があまり無い状態でコロナ明けを迎えることになる訳です。
我が国のワクチン接種率が伸び悩み、遅くなればなるほど、ワクチン以外の感染対策を引き延ばさざるを得ない為、益々RSウイルスは静かに潜むことになりますから、2年が3年とコロナから解放される日は遅くなって行くため、RSウイルスに免疫のない幼児人口が膨らんで行き、その後にコロナの終息宣言が出ればRSウイルスの感染速度はより大きなものとなって乳幼児を襲う可能性が強まるのでしょう。
コロナの流行が無いときは、乳幼児は、流行という程ではない頻度で度々感染しては治るという段階を経て、3歳までにはほとんどの幼児はRSウイルスへの抗体を持つようになって行くと言う免疫ステップそのものが失われている為に、人々のコロナへの対策が必要なくなった直後に、急速に流行することも予想されています。
このRSウイルス感染症は発熱と細気管支炎、肺炎などを伴い、幼児の死亡率はさほど高くは無いが、むしろ高齢者施設などで感染が広がると死者を多く出すと言われているので、急速な感染拡大が起きれば、基礎的抵抗力の弱い高齢者が多く命を落とすことになるのだろう・・・・。
現在までにRSウイルス感染症のワクチンの製造と試験は何度か失敗に終わり、今も成功していません。
Posted at 2021/07/09 14:37:45 | |
トラックバック(0) |
思う事 | 日記
2021年07月08日
私の心配事に一つになっているのは、米国のMLBでこれ以上ないような活躍をしている大谷翔平の身の安全です。
コロナ禍で大きくなった米国内のアジア系の人々に対するヘイトクライムもそうだし、米国で暮らす人の中に日本人の大谷が大活躍していることを面白くないと思っている人も必ず居るのだろうと思いますから、そうした理由によって大谷がテロに遭うような被害を受けないか?心配なのです。
私の知る限りそのような危惧を述べる記事は未だゼロですが、且つてニューヨークのダコタハウス前で銃撃によって他界したジョン・レノンのことが脳裏を掠めるのです。
それは、まともではない心の持ち主は、何を考え、何をしでかすのか、判らないという事に起因します。
大谷の身辺はきちんと守られているでしょうか?それが心配になる程彼は米国で大活躍して有名になりました・・・・。
杞憂に過ぎないことを祈るばかりです。
エンジェルス球団様よろしくお願いします。
Posted at 2021/07/08 13:01:25 | |
トラックバック(0) |
思う事 | 日記
2021年07月06日
今の日本でそのことが接種率に大きな影響を与えることは無いと思うが、安全性に懐疑的な方は、それをどう感じているのだろう?・・・、恐らく年齢層によっても異なり千差万別という事なのだろう。
以前ホリエモンこと堀江貴文氏がワクチンを接種した時にも彼を信望する人たちの間で賛否両論があったと聞きます・・・・。
一昔前なら、著名な方の判断は接種促進に多大な影響を与えたと思うのですが、Net情報が氾濫する現在では様子は違ってきているのだろう・・・・。
接種は個人の自由意志という建前からも、政府としてもそういう事実を接種率の向上のための宣伝に使えないことは承知しているだろうけれど、この私のBlogだけでなく、Webニュースにはなるから影響がないとは言えない。
肉眼で天皇陛下の注射するところを見た人は殆ど居ないのだし、たとえニュースに取り上げられる映像でも、精密なコラージュ技術で作られたフェイク映像などもすでに出回る時代だから、実際問題誰がどんな情報を信じるかという事になり、まさに人それぞれの受け取り方なので、伝言ゲームのように様々に変化したり尾ひれが付いたりしながら伝わって行くことになる。
報道なども、事実であると確認できるかどうかにも個人差があって、自分の目で見ても未だ疑う科学者から、Webで見た、たった一行の文字情報でも、自分にとって好ましく映る情報であれば、そのまま信じて、あたかも真実であるがごとく転載したりする人まで実に幅は広い。
確実であるという確信が、何らかの現実的証拠によって得られない事柄を、真実として受け止めるという行為は「信じる」という言葉で表される人の心の在り様である。
それは宗教を信じることと同じレベルの心の在り方だと私は言うのだ・・・・・。
要するに自分で判断できない場合、自分の信望する誰かの判断に相乗りすることもあり得て、それを責めはしないが、何かを肯定するにも、否定するにしても、自分の判断では無く、誰かの判断を信じたという事であって、それ自体は自己責任と言える個人的な脳内処理行為に違いない事に気付くべきです。
自分自身で判断を下すだけの知識や整理された論理を持って居ない場合、そういう相乗り的判断をする以外ないのが現実で、それ以外は決断を先延ばしにする他ないのだろう・・・。
先延ばしすることも判断する選択肢の一つと言って言えない訳では無いから好きにすればよいと思うよ・・・・・。
結果がどう転ぶか判らない時にはそれもまた有りだろう、過去にない事が起きている現在でも、時間は止まってはいない訳だから、常に状況は変化していると言えるのでね。
Posted at 2021/07/06 21:51:39 | |
トラックバック(0) |
思う事 | 日記