突然、母が別人になった【転載開始】■(27)介護、家の管理、相次ぐ出資・・・ すべてが私一人の肩に 公開日:2025/06/04父が納戸代わりにしていた部屋(如月サラさん提供) 年が明けてすぐ、実家で父がひっそりと亡くなっているのが見つかった。まさかの出来事だった。私は仕事の手を止めて東京から急ぎ実家に向かい、喪主を務めなければならなくなった。自分の生活がすべて止まった。 母の主治医から、当面父の死は伝えないようにと告げられた。症状に与える影響が大きいと判断されたからだ。皮肉にも、父の葬儀を終えると、母の介護度を知らせる通知が届いていた。この頃、母の認知機能がかなり下がってきたと病院のケースワーカーから連絡を受けていた。コロナ禍のいきなりの入院で、本人にも理由がよく理解できていなかったことに加え、知る人が周囲にまったくいない。私でもすぐに気持ちがおかしくなってしまうだろう。 そんなさなかの父の「孤独死」と、それを母に黙っていなければならないという重圧。私は急に、認知症の母と父の不在、そして空き家になってしまった実家を抱えるという、とんでもなく重い立場になってしまったのだ。 日中は施設、寝るときだけ実家に帰るという父ありきの母の介護計画はあっさり崩れてしまった。しかも、母の要介護度は2。歩行や立ち上がりに手助けが必要だが、食事や排泄などの基本的な生活は自分でできるとされる状態だ。そのため重度の介護が必要とは認められず、特別養護老人ホームへの入所はできない。新たな介護方針を検討するしかなくなった。 父はものを捨てられない人だった。納戸代わりに使っていた部屋には、大昔に仕立てたスーツ、定年退職後に始めた社交ダンスの衣装、私が生まれた頃に使っていた脚のついた木製テレビなど、あらゆるものが、実家の一室に大量に保管されていた。これらを今後、どう処分すればいいのか、見当もつかなかった。 時間の捻出と往復の飛行機代、そして実家の維持にかかってくるだろう費用負担への恐怖もあった。父は死亡保険に入っておらず、すべてのお金を趣味に使い尽くして一銭も残していなかった。 そんな中、母のケースワーカーから、そろそろ退院して次の生活に移行するための準備を始めてほしいという話があった。東京での仕事を続けながら、遠距離介護をどう成り立たせるのか。空き家となった実家の管理をどうするのか。すべてが私一人の肩にかかっているのだった。【転載終了】********************** わかります。私も両親の介護を15年続けています。昨年、父が亡くなったので母の介護をしながら父の葬儀を執り行い、父が5月に亡くなったので諸々手続きを済ませ、8月には新盆の準備。9月には、義母の三周忌法要と続きました。 家の片づけは数年前から少しづつ行い、後は母のものと家具類だけになっています。歳をとってからではしんどいですからね。 この歳になると、自治会の三役や檀家役員など打診されますが、母の介護と孫の面倒を私がみていますので、数年はご容赦くださいち言っているのですが毎年のように打診されます。現状では疲れてしまい、無理はしたくないのが本音です。他に受けることができる環境の方がいると思うのですが、何故、毎年打診されるのか分からないですね。若いころから地区の活動に関わっていたからでしょうかね?