ポルトガルはヨーロッパの西の端、太陽が降り注ぐ国です。南の国、太陽が降り注ぐ国のポルトガルですが、なぜか哀愁という言葉が似合う国です。「ピレネーを超えればそこはアフリカ」と言ったナポレオンもポルトガルまでは足を伸ばしませんでした。
ポルトガル北部を流れるドウロ川河口に近く、5世紀以前にローマ人によって築かれたPortoは、15世紀から16世紀にかけての大航海時代、ポルトガル軍の船の多くを製造していました。
ここで作られた船は、世界の海を駆け巡り日本にもやってきました。1584年、宣教師に感化された日本最初のキリシタンが約2年6ヵ月の航海の末、リスボンに到着しました。公式に最初に欧州に到達した日本人たちです。
私にとってのポルトガルのイメージはリスボンの哀愁のある坂道にケーブルカーとこの天正少年使節団です。帆船で世界中を航海し植民地を広げていた絶頂期のポルトガルの首都リスボン、さぞかし活気に溢れていたことでしょう。彼らはリスボンだけでなくスペインの首都マドリッドやミラノ、トスカーナ、フィレンツェ、ローマ、ベニスなどを訪れたと記録されています。ローマを訪れたのはもちろんローマ法王への謁見です。500年以上前に地球の反対側まで来た彼らは当時の日本と比べていったい何を想ったのでしょうか・・・
リスボンと言えばもう一つ、リスボン大地震です。1775年リスボンに起こった大地震は、記録に残っている中での欧州で唯一かつ最大の地震です。基本的には地震のない地域である欧州の石造りの建築物はことごとく倒壊し津波の被害もあわせて欧州や北アフリカ全体で10万人以上の犠牲者が出たと言われています。私がかつて訪れた遠い英国のリンカーンの大聖堂にもリスボン大地震で倒壊したという記述がありました。
5世紀に築かれた古都ポルトはマドリッド、リスボン、バルセロナと並ぶイベリア半島四大都市です。写真はポルトの旧市街にある中央駅、サン・ベント駅です。ここでも実質的なポルトの窓口になる駅は郊外にあるカンパニャン駅です。旧市街にあるサン・ベント駅に来るにはそこからの乗り換えが必要です。リヨンやトリノと同じですね。サン・ベント駅の建物は16世紀に建てられた修道院がもとになっており、1900年代初めに鉄道駅として改装されました。
ポルトはタイルの街です。旧市街の古い建物の正面には白地にブルーの模様が書かれたタイルで装飾されています。サン・ベント駅コンコースには2万枚のタイルでポルトガルの歴史が描かれています。駅が作られて100年以上の年月が壁のタイルのブルーを褪せさせています・・・
駅の向うには世界遺産に指定されたポルト旧市街が広がります。駅の向こうの丘にはポルトのシンボルのひとつ、聖グレゴリオ教会の塔が見えます。この教会の塔の高さは約70m、ミラノ中央駅の天井の高さとほぼ同じです。丘の向こう側はドウロ川が流れています。
この景色もまた、出張先のホテルの部屋から撮った風景です。
ブログ一覧 |
世界の車窓まで | 日記
Posted at
2020/11/19 20:36:58