宇須々木公民館まで戻り、その東側に歩いていくと、岸壁にスロープが設置されています。
これは水上機を海へ出したり、帰ってきた機体を収容したりするためのもの。
現在は港の施設として利用されているようです。
スロープの内陸部には広くコンクリートが敷かれており、その全面に一定の間隔でこのような跡が見られます。
もしかしたら水上機を繋止するための設備の跡かもしれません。
当時ここには宿毛海軍航空隊(453空)が置かれていました。配備は水上機で二式水上戦闘機と零式水上偵察機とされていたそうですが、様々な物資が不足する中で実際にどの機体が何機配備されたのか…。
ちなみにGoogleMap上では↓のあたりがスロープ位置とされていますが、誤りです。
近くの民家前の敷地にはこのような景色もあります。
このあたりは兵舎が建っていたのでそれを取り壊した残骸にも見えますが、どうなんでしょうか。
更にその近くを散策していると水路がありました。
軍の施設が建設された場所は上下水道施設が整備されます。それは呉や舞鶴なども同様でした。ここ宿毛もそうだったのでしょうね。
また、民家と道路の境にはこのような石柱も。
恐らく当時のものではないかと。
海沿いに進んでいくと海積神社があります。
鳥居の海側にはこんな施設が残っています。
当時の排水路ではないでしょうか。
そこから海岸沿いに歩いていくと、1本の柱が立っています。
これはなんなんだろう…。
さらに先には大きな駐車場を備えた公園があります。
こちらにも公民館にあったものと同じ説明板が立てられていました。
4回に渡って記録した宿毛基地の遺構ですが、呉の玄関口で大型艦も寄港したという割にはコンパクトな基地施設だったなという印象を受けました。と同時に、旧4大軍港のようなまちづくりの一環としての売り出しは特にされておらず、ひっそりと遺構が残されているという状況でした。
遺構は徐々に劣化しているため、近年は安全上の理由で閉鎖されつつあります。
しかしながら当時の高度な建築技術を知ったり、特攻兵器整備の現場で戦争の無意味さを感じ取ったりするためには、やはり実物の説得力に及ぶものはありません。
遺構保存にはお金も手間も多くかかるとは思いますが、現在の平和に至るまでどのような経緯をたどってきたのかを知るためにもしっかりと残し、そして多くの人に見てもらえるようになると良いのではないかと思います。
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Posted at
2022/11/19 10:16:45