
最近、様々なスポーツの名勝負がノーカットで放送されている。
ステイホームを楽しく過ごせる様にとの配慮もあると思うが、それ以上に新しい映像を作れないというスポーツ界、放送界の事情もあるのだろう。
そんな事情に支えられた過去の名勝負の中から、テニスのウィンブルドン選手権、あの伊達公子とシュテフィ・グラフの96年の準決勝を見始めた。
この時代の試合で放送されたものは大抵録画しておいたのだが、保管している間にカビが着いてしまい、全て泣く泣く処分してしまった。
だから、こういう名勝負が大量に再放送されるのは、とても有り難い。
当時、ウィンブルドンの試合は大抵深夜に放送されたので、録画して、翌日や週末にまとめて見ていた。
24年前といえば、ワタシもあちこちで開催される草大会に精力的に参加していたから、この試合も録画して、参考になる部分、取り入れられる部分がないか、食い入る様に見た。
パワーテニス全盛前の、ある意味長閑さも感じられる時代のゲーム。
見てもつまらないかもしれないと云う気持ちもあったが、見始めると、そんな杞憂は吹き飛んだ。
ライジングサンと呼ばれ、ボールのバウンド直後を素早くヒットすることで対戦相手の時間を削ぐスタイルが持ち味の伊達公子。
長い脚と強靭な躰でコート狭しと駆け回り、矢のようなフォアハンドと重いバックスライスで相手を追い詰めるグラフ。
2人が繰り広げるラリーは超スリリング、かつ記憶にあった以上にスピーディーだった。

グラフの攻めに振り回され、万事休すと思われたタイミングから伊達が放つパッシングが、コートを鋭角に横切りサービスライン辺りに弾む。
手に汗握り、躰を硬くして見つめていた緊張感が一気に開放される。
伊達にもグラフにも負けて欲しくない。
でも、伊達には勝って欲しい。
そんな複雑な心持ちで見守るゲームは緊張感が大きい。
どちらがポイントをとっても、緊張と弛緩の繰り返しだ。疲れるったらありゃしない。
知らず知らずのうちに画面に引き込まれ、気が付くと随分時間が流れていた。
ただ見ていただけだが、満足感と充実感に満たされた至福の時間。
こういう名勝負はもっと、もっと見たい。
幸いその後、同時代のステファン・エドバーグとボリス・ベッカーの決勝戦も放送された。
有り難い。
さらに欲を言わせて貰えば、ワタシが好きなミロスラフ・メチージュの試合も放送して欲しいものだ。
Posted at 2020/05/23 08:28:37 | |
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テニス | 日記