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2011年10月09日 イイね!

南スーダンPKO、行けと言うのは簡単だろうが、・・・。

南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)への陸上自衛隊施設部隊の派遣を検討するため、陸上、海上、航空3自衛隊による第2次調査団が8日、成田空港を出発した。調査団は隣国ケニアやウガンダから南スーダンの首都ジュバまでの機材、物資の輸送環境や治安情勢を調べる。政府は調査団報告を受け、現地の道路や橋梁(きょうりょう)などのインフラ整備を担う施設部隊の派遣を正式決定する方針だ。しかし、政府に懸案の武器使用基準の緩和に踏み切る気配はなく、国際貢献の美名の下に、自衛隊は不条理な制約を課せられたままの出発を強いられそうだ。

南スーダンのPKOをめぐっては、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が菅直人前首相に施設部隊派遣を要請。菅政権は司令部要員の派遣にとどめる方針だったが、野田佳彦首相が9月の国連演説で前向きな姿勢にかじを切ったため、政府内の調整は急速に進んだ。

ただ、政府はすでにハイチに派遣中の施設部隊300人の派遣期間を1年間再延長する方向だ。この上、南スーダンに300~350人を派遣すれば、「自衛隊の能力以上の状態になる」(陸自幹部)とされる。

さらに、制約が多く、隊員の身を危険にさらしかねない自衛隊のPKOにおける武器使用基準の緩和は、今回も政府内でまともに議論されていない。

現行のPKO協力法では、近くにいる他国部隊や住民が襲撃される場面に遭遇しても、自衛隊は救援のための武器使用は認められず、見て見ぬふりをするしかない。南スーダンでの任務は輸送業務も想定されるが、輸送を妨害されても警告射撃もできず、迂回(うかい)するしかないのが現状だ。

政府が武器使用基準の緩和に抵抗の強い公明党や社民党に配慮し、野田首相も慎重姿勢を示す中で、一石を投じたのが民主党の前原誠司政調会長だ。米ワシントンでの講演で、行動をともにする他国部隊が攻撃された際に武器を使用して反撃できるよう法的な課題を解決すべきだと表明した。

前原氏は法改正に向けた与野党協議を呼びかけたが実現していない。政府だけでなく野党側の対応もバラバラで、民主党も前原氏の提起に呼応する様子はほとんどないからだ。前原氏が党内取りまとめや自民党に対する働きかけで奔走している形跡もない。

だが、南スーダンの治安情勢はいまだ安定せず、自衛隊員が危険にさらされる可能性は捨てきれない。2次調査隊が派遣されたのもそのためだ。

元陸自イラク派遣部隊の先遣隊隊長の佐藤正久参院議員(自民)は「民主党は武器使用基準緩和の検討を急ぐべきだ」と訴える。

そもそも「これまでのPKOで自衛隊員の被害者が出なかったのは奇跡だ」(防衛省筋)といわれる。にもかかわらず、陸自施設部隊は手かせ足かせをはめられたまま、来年早々にも治安環境が厳しい地に出発することになりそうだ。

日本の政治家と言うのは本当にろくでもないのしかいないようだ。前回の原発事故の際のヘリによる散水にしても10万人派遣の大動員にしてもそうだが、今回の南スーダンPKOも野田政権の人気取り、外向けの良い恰好しいでしかない。自衛隊も軍隊でそれなりの装備・訓練をしているのだから危険な場所への派遣もやむを得ないこともあるだろうが、それならそれで可能な限り安全に配意して派遣すべきだろう。

かって一国の立法府で、PKOに派遣する自衛隊に装備する機関銃は1丁か2丁かなどというあきれ果てた議論がなされたことがあるが、どうもそのレベルから一向に進歩していない。特に民主党は自分たちの人気取りのためには他人をないがしろにすることをはばからない。それは日本憲政史上最悪の総理大臣バ菅だけかと思ったが、それが民主党の体質のようだ。

危険な場所に派遣するのならそれなりの装備をさせて基準を整備して出すべきだろうし、それが政治家の責任だろうに自らの責任は放り出して他人にばかり負担を押し付けるのは為政者たる資格がないとしか言いようがない。こんなバカな政治家ばかりの国で暴動もクーデターも起きないことに日本の政治家は天を仰いで感謝すべきだろう。
Posted at 2011/10/09 22:46:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月09日 イイね!

日本陸軍の憂鬱

帝国陸軍には様々な問題があった。兵器が旧式、火力が弱い、機動力がない、装甲防御力などはほとんど皆無と言ってもいいほどだっただろう。そうした様々な問題の中で極めて遅れていたのが、兵站補給だったのではないか。

第二次世界大戦当時、自動車輸による輸送能力があったのはアメリカ陸軍やその車輌を供与された同盟国だけで、機甲師団が有名なドイツ国防軍も馬匹輸送の方が多かったようだから、ほとんどモータリゼーションが発達していなかった日本ではやむを得ないのかも知れいないが、やはり近代陸軍としては正面戦力とともに輸送能力が戦力発揮の要点だった。

帝国陸軍は歩兵の移動は徒歩、輸送手段は馬による運搬が主力だった。その輜重車、いわゆる馬が引く荷車だが、明治の後期に開発された三六式輜重車、三九式輜重車などが日中戦争当時まで使用されていたという。二頭立ての輜重車も研究されたらしいが、一部の使用に止まり、主力は敗戦まで馬が1頭で引く三九式輜重車であったという。これでは戦国時代の軍隊とあまり変わらない。

自動車輸送については、明治の末期から研究調査が始められ、大正末期には陸軍自動車学校が設置されたと言うが、関東軍などではそれなりに活躍したようだが、地形による制限を受けるという理由で自動車の使用を抑制し、自動車を使用するために道路を建設・改修するという概念を欠いていたらしい。織田信長などは経済活動や軍隊の移動のために道路や橋梁を整備したというから帝国陸軍は織田軍団よりも思想的に遅れていたようだ。

モータリゼーションが未発達だった当時の日本では自動車運転免許の取得者が非常に少なく、陸軍に入って初めて自動車に触れる者が多かったなどという今からすれば考えられないような時代だったから仕方がないのかもしれないが、輸送補給と言う意識も低かったようだ。兵站輸送部隊は、「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち 焼いた魚が泳ぎだし 絵に描くダルマにゃ手足出て 電信柱に花が咲く」などと軽蔑の対象になることもあったという。

輜重輸送部隊は単純機械的労働に従事する軍夫・雑卒だったようだが、それを監督する下士官はともかく、将校は身体の故障から第一線に服することが困難になった者が転科したり、士官学校での成績が低かったり、素行に問題のあった者が振り分けられることが多く、海軍の暗号・情報将校と同様に冷遇されていたという。また、輜重兵科は陸軍大学への入校にも制限があったようで、この辺りは海軍の兵科将校・機関科将校の関係と似ているようだ。

結局、兵站・補給軽視の思想は総力戦を戦い抜かなくてはならなくなった太平洋戦争で多くの悲劇を生んだ。攻勢終末点を超えて侵攻したソロモン・ニューギニアなどは海軍の補給能力などの問題もあり、やむを得ないところもあっただろうが、インパール作戦などは、国内の移動に例えれば、金沢、軽井沢、甲府、小田原付近から中部山岳を超えて岐阜辺りまで前進する距離に相当するという。それを徒歩と牛馬で物資を搬送するなどおよそ近代戦の常識からかけ離れている。

当時の第15軍が保有していた輸送力は、自動車輜重23個中隊、駄馬輜重12個中隊だったようだが、その輸送力は損耗や稼働率の低下を無視しても、5万7千トンキロ程度であったのに、実際に必要とされる補給量は第15軍全体で56万トンキロと10倍程度でそれだけを考えても小規模の特殊部隊などでかく乱戦闘でもするのならともかく、軍団規模の部隊が侵攻できるようなものではなかったという。

これは中でも杜撰極まる作戦計画として現在も非難の対象となっているものだが、ほかの作戦にしても多かれ少なかれだっただろう。帝国陸軍では一度の会戦は約3ヶ月の作戦期間を想定していたようだが、昭和18年頃の必要物資は、一個師団で概ね1万トン、弾薬は重機関銃2,300発、野砲(山砲)2千発、榴弾砲1,500発ほどだったという。総量で1日に111トン、弾薬は野砲で20発強、重機は一日保弾板1枚分30発弱しかない。この程度の補給も満足にできない軍隊がどうして世界を相手に戦争をしようなどと大それたことを考えたのだろうか。

物量で満たされない部分を大和魂で置き換えようとしたのだろうが、精神力と言うのはそれなりの物量があってこその精神力であり、大和魂をいくら発揮しても虫けら1匹殺すことはできない。物量を精神力で置き換えるという危険なレトリックをしなければ近代戦など戦えるような軍隊ではなかったということだろう。
Posted at 2011/10/09 21:45:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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