2015年09月08日
最初の頃、一番困ったのは化粧と下着と長い髪、そして生理の処理だったが、すぐに化粧は必要最小限と割り切った。下着はとにかく男物とは違って種類が豊富なので選び方によっては扱い易い物を手にすることはそんなに難しいことではなかった。髪の手入れもほどほどに短くしてしまえば負担はかなり軽減された。
しかし生理だけはこれはもうそういうものと諦める以外にはなかった。子供を生むなんてことは死刑判決を受けるようなものだし、第一もしも子供が出来るような行為をするくらいなら本当に死刑にしてもらっても良いように思えるくらいのものだから生理なんぞなくなってくれればそれでも一向に構わないのだが、こればかりは受け継いだこの体の資質と時間の経過に運命を委ねる以外にはなかった。
これ以外に落とし穴はスカートを穿いた時の足や裾の始末と胸に対する男女の意識の違いだった。裾の不始末で下着を人様にさらけ出すのは男でも恥とするところだが、裾の始末は最初の頃はずいぶん乱暴だったらしい。そういう点では僕にも責任の一端はあるとはいえ位置と角度によっては秘めたる場所が丸見えになるような茶筒みたいで値段ばかり高いスカートなどという衣類はさっさと見切りをつけてこの頃はパンツの類一辺倒にすることにした。
やむを得ずにスカートを纏う場合は時代錯誤と思われようと出来るだけ幅に余裕のある丈の長いものを愛用した。何も生脚さらけ出して男を惹きつける必要など何一つないのだから。
最後に一つだけ、これは対外的にかなり困ることがあるのだが、それは胸に対する男と女の意識や思い入れの違いだった。基本的に男には自分の胸に対して特段の思い入れなどない。マッチョ愛好家には厚い胸板は男らしさを示すシンボルだろうし、僕自身過去に骨折後の筋力トレーニングというやむを得ない事情で一時期ウエイトトレーニングに精を出した時期もあったのだが、自分の胸が厚くなったからと言ってその胸に思い入れもなければ誇りもなかった。
確かに胸や肩に筋肉が盛り上がっていると薄着になった時に格好はいいのだろうが、それだけが男のシンボルでもあるまいし見方によっては胸の筋肉なぞを誇示した日には逆に変態扱いでもされかねない。それに男の胸なんか人様の前にむき出しでさらけ出すのが普通なので一応乳房なんかがついていようがあまり気にならずに暑い時やリラックスしたい時などついシャツのボタンを外し過ぎて胸をはだけてしまう。
剥き出しというわけではなくブラをしているからどうと言うこともない。それでも男どもはそんな僕を見て喜ぶのだろうが、周囲の男も女も変に誤解する奴も少なくないし他人様を喜ばせるようなものでもないので意識して気をつけるようにしている。それでも本物の女性のように胸を母性のシンボルとして崇拝するような思いは俄か女には生まれては来ないだろう。いずれにしてもあまり変に目立ってはいろいろと困ることもあるので出来るだけ大人しく目立たないように生活することを心がけた。
いろいろな問題を抱えながらも女としての生活は徐々に落ち着いたものになっていった。私生活の無駄は彩となることも少なくないが、仕事はあくまで合理的にというのが僕の信条だった。客観的に判断して出来ないことは出来ない、無理なことは無理と割り切って生きることが出来た。そんなところがこの奇妙な生活を乗り切る原動力だったのかも知れない。
心の内の葛藤とは関係なく実生活は慌しく進んでいた。新しい語学コースの立ち上げは具体的なカリキュラムの構成や教材の準備、オプションの設定、講師の選定と交渉、それにコスト計算、販売価格の設定などそれぞれの分野に分かれて具体的な詰めの作業に進んでいた。僕の立場はサブコーディネーターだったが、実質的には計画の提案者としてチーフコーディネーターとさほど変わらない業務を負担させられていた。
帰宅は深夜になることもしばしばだったし休日出勤も当たり前だった。女土方はそんな僕の生活を心配していたが、僕自身元々仕事は嫌いではなかったし、考えたことが具体的な形になることにはそれなりに面白さを感じていたから忙しさは苦にはならなかった。ただ仕事が峠を過ぎた頃から右の下腹部に痛みを感じ出した。最初は月のものの直前だったので痛みはそのせいかとも思っていたが、それが終わっても痛みは取れないどころか徐々にひどくなってデスクに座っているのも苦痛になってきた。
こんなことは経験したことがなかったので僕は当然これが婦人科系の病気と思いネットで婦人科医学系ページを検索してみたが思い当たるような症状は見当たらなかった。場所が右の下腹部ということなのでもしかしたら右の卵巣辺りかとめぼしをつけたが、一体どこの病院に行ったらいいものか見当もつかず苦痛に耐える日が続いた。
そしてある週末、どうにも耐えられなくなって女土方に相談したが、その時は熱っぽくて頭が朦朧としているような状態だった。
「どうしてもっと早く相談しないのよ。何かのことがあったらどうするつもりなの。」
女土方には厳しく叱責を受けたが、彼女はてきぱきと自分が掛かりつけの個人病院に連絡を取って急患として時間外の診療予約を取ってくれた。その病院は夫婦で消化器外科と産科婦人科を開業している医院でなかなかモダンな造りの病院だったが、その時の僕には病院の造り等にかまっている余裕もなかった。
診察室に通されると間もなく僕たちと同年代の女性医師が入って来た。
「伊藤さん、今晩は。どうしたの。」
女医は女土方に向かって微笑んだ。
「先生、診察時間外にすみません。でも私じゃなくてこっちの人なんです。具合が悪いのを我慢して仕事を続けて。」
女土方がそう言うと女医は僕の方を向いた。
「どうしました。」
女医は僕の顔を覗き込むと「あら熱がありそうね。ちょっとごめんなさい。」と僕の額と喉に手を当てた。
「ずい分熱があるわね。ちょっと熱を計ってみて。」
女医は引き出しから体温計を取り出すと僕に差し出した。僕は黙って体温計を受け取るとそのまま脇に差し込んだ。女医は僕に名前や生年月日、既往症などを聞いた後で「それでと、どうなの。」と症状を聞き始めた。僕はここ十日ほど右下腹部の痛みが続き、それもだんだんひどくなっていること、おまけにここ数日は熱っぽかったことなどを伝えた。
「出血は。」
女医に聞かれたが、僕にはその言葉の意味がよく分からなかった。
『出血って鼻血かい。』
そう聞いてやろうかと思ったが、まさか鼻血のことを聞いている様でもなさそうだった。
「えっ、出血ですか。」
僕が聞き直すと女医は「ええ、出血。不整出血、性器から。」とカルテに目を落としながら同じことを繰り返したが、性器という言葉で僕はやっと女医が何を聞いているのか理解が出来た。僕は最後の月のものについて話し、それが周期的なもので異常な出血はないことを説明したが、なんだかそういうことを話すのがとても恥ずかしかった。
「最近セックスは。」
これも極めて答え難い質問だった。僕が佐山芳恵の体で生活するようになってからはセックスなどあるはずもなかったが、その前のことは僕には分からないので何とも答えようもなかったし、女土方とのことや男だった時の僕のことを話しても何の意味もないことになってしまう。それに臨床学的には必要な質問であろうことは察しがつくが、これもまた僕にとっては答えるのが恥ずかしい質問だった。
「覚えている限りありません。」
結局僕にはそう答えるより他に方法がなかったし、これは極めて客観的な回答には違いがなかった。それでも女医はこの極めて客観的な回答に満足しなかったようで念を押すように「最後は何時だったか」と聞いてきた。
「何度聞かれてもそんなこと覚えてないわ。ずっと以前だとは思うけど。」
ちょっと投げやりな言い方でそう答えると女医はカルテから顔を上げて僕の方を見た。
『数ヶ月前まではこの体の本当の持ち主が使っていたから僕には分からないよ。大体僕は男なんだから生理だの不整出血だの訳の分からないことを聞くな。それにお前とならしてやるけど男とセックスなんてする訳がないだろう。医者のくせにくだらないことを聞くな。』
いくら苛立ってもこんなことを言うわけにはいかないので僕はもう一度痛みに耐えながら医者に向かって言ってやった。
「ここ数ヶ月はないわ。その前のことは覚えていないわ。」
「ふうん。」
僕の苛立った様子を見て取ったのか女医は首をかしげながらカルテに何かを書き込んだ。この答えも僕の立場にしてみれば極めて客観的かつ的を得た答えだったが、悲しいかなそれは僕にしか分からなかった。
『もしもお前が何の前触れもなくある朝目が覚めたらいきなり男になっていたらどうするんだ。そんなことになって男の生理のことや何時セックスをしたかなんてことを聞かれたら一体どうして答えるんだ。少しは他人の立場になって考えてみろ。』
ほとんど逆恨みのようなことを心の中で呟いているとその時検温完了を知らせる体温計の電子音が響いた。僕は体温計を取り出して女医に渡す前に自分で表示された体温を確認すると三十八.九度もあった。
「ずい分高いわねえ。」
女医は体温を確認するとカルテに書き込んだ。
「じゃあちょっと見せてね。そこで検査着に着替えて。下着も取ってね。」
『何、ちょっと見せてくれって何を見せるんだ。しかも裸になれなんて。たかが腹痛だろうが。一体どこを見せろというんだ。見せろと言うなら先にお前が見せてみろ。』
突然予想もしなかったことを言われて狼狽している僕を尻目に女医は受話器を取り上げて、「坂本さん、ごめんなさい。急患なの。ちょっと降りて来て手伝ってくれない。」と電話で看護師を呼んで物事を先に進めようとしていた。
「伊藤さんはちょっと外で待ってきてくれる。」
Posted at 2015/09/08 19:20:53 | |
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小説 | 日記
2015年09月08日
女性を監禁し、集団で乱暴したとして、大阪府警捜査1課は7日、監禁と集団強姦容疑で、大阪府警箕面署刑事課の巡査部長、梅本大輔容疑者(36)=大阪市天王寺区生玉前町=と元府警警察官で配送運転手の溝畑優(ゆう)容疑者(32)=福島県いわき市小名浜岡小名=を逮捕したと発表した。
府警によると、溝畑容疑者は事件前、インターネットの掲示板で集団強姦を呼びかける書き込みを行い、梅本容疑者がそれを見て犯行に加わったという。
梅本容疑者は「女性を乱暴するという掲示板を見て乱暴した」と容疑を認めているが、溝畑容疑者は「監禁したつもりも、無理矢理やったつもりないが、女性が監禁され、乱暴されたというなら認めるしかない」と一部否認している。
逮捕容疑は、2人は数人の男らと共謀し、昨年12月17日午後10時すぎ、大阪市天王寺区内のホテルで、乱暴しようと20代の女性をホテルの一室に監禁。両手をひものようなもので緊縛して肩や足を押さえつけ、アイマスクのようなもので目隠しするなどして乱暴したとしている。
府警によると、女性は平成25年秋ごろ、溝畑容疑者と出会い系サイトで知り合って付き合うようになり、一時音信不通になったが、再び昨年12月10日ごろ、溝畑容疑者から「会おう」と連絡があったという。
府警監察室の安井正英室長は「このような罪名で現職警察官が逮捕されたことは誠に申し訳なく、府民の皆さま、被害者の方にお詫びを申し上げる」とコメントした。
一般人からすれば、「お詫びで済むか」というところだろう。しかし、何考えているんだ、こいつ等。人の尊厳を土足で踏みにじるようなことをしてはいけない。重々不届きにつき打ち首獄門申し付ける。中学生殺人事件で必死の捜査をしている刑事もいるんだろう。頑張っている人が気の毒である。
Posted at 2015/09/08 16:38:43 | |
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その他 | 日記
2015年09月08日
2015年8月30日、韓国・聯合ニュースによると、韓国の対ベトナム輸出が初めて、対日輸出を上回ったことが分かった。
同日、韓国貿易協会と大韓貿易投資振興公社(KOTRA)によると、今年1~7月の韓国の対ベトナム輸出額は163億4806万ドル(約1兆9900億円)で、初めて対日輸出額(154億8227万9000ドル)を上回った。
対ベトナム輸出額が急増したのは中間財部品の輸出が大幅に増えたため。中間財部品の輸出は前年同期比29.9%も増加した。一方、対日輸出は前年同期比19.3%も急減。円安や原油価格の下落が原因とみられている。
これについて、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。
「サムスン電子のスマホ工場がベトナムに移転し、サムスン電子の部品輸出が増えただけ」
「対日輸出の減少をいつも円安のせいにするが、本当にそれだけが原因か?」
「日本にはもう頼らない」
「日本人の愛国心は相当なものだ。日本人は絶対に韓国製品を買わない」
「韓国人も日本製品不買運動をするべき」
「韓国人は『日本なんか大嫌い』と叫びながら、日本車や日本食を愛する。しかし日本人は何も言わずに、静かに韓国製品不買運動を実行する。これが、韓国が日本に勝てない理由」
国産でいいものがあるのにわざわざ劣悪な商品を買うこともないだろう。そう言えば一時期タクシーやレンタカーで韓国車が使われていたが、最近はすっかり見なくなった。スマホも韓国製はすっかり下火のようだ。一度韓国車のレンタカーに乗ったことがあるが、エンジン音はうるさいし、サスは飛び跳ねて国産車とは雲泥の差だった。貿易は相互信頼が原則だからそれがなければ成り立たない。
Posted at 2015/09/08 16:37:33 | |
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その他 | 日記
2015年09月08日
2015年9月6日、韓国・ニューシスは、陸海空自衛隊が5日、福井市の中心部で兵力200人、装甲車など軍用車両30台を動員した軍事パレードを実施したとする日本メディアの報道を伝えた。
2万7000人の市民が見守る中、自衛隊員と軍事車両が通過し、上空にはF-15戦闘機4機が現れた。閲兵式は2013年に陸上自衛隊鯖江駐屯地50周年を記念して実施されて以来、今年で3回目になる。地元出身の左藤章防衛副大臣は「自衛隊に求められる役割は多様化している。国民の安心安全のために平素から訓練して備えているので、今後ともご支援をいただきたい」とし、実行委員会の川田達男会長は「安全を担う自衛隊を見て、国の防衛への認識を高めていただければ」と述べた。
日本メディアは「自衛隊車両に熱い視線が注がれる一方で、参院で審議中の安全保障関連法案による自衛隊の行動が注目される中での開催を不思議がる声も聞かれた」とし、複雑な市民感情を伝えた。
この報道に、韓国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられている。
「その程度の軍事力を誇示するためにパレードを行う必要があるのか」
「軍隊をまねているが、その程度の装備では軍隊とは言わない」
「兵力200人、軍用車両30台、F-15戦闘機4機、これで軍事パレードって、熱でもあるんじゃないのか?」
「中国軍ほどの規模になってからしろ」
「どんな名分があったとしても、日本の閲兵式には戦争の兆候を感じる」
「台風の前の静けさのように感じる。個人の杞憂だろうか?」
「防衛を目的にすると言っておきながら閲兵式とは、つじつまが合わないではないか」
「こんな規模の軍事力を持っていて、さらに軍拡をしようとしている。何が自衛だ」
「日本のメディアや政治家は中国の閲兵式をしきりに批判しているが、閲兵式を3年連続で行っているような国にそのような資格があるのか?」
日本の自衛隊は市民との融和、自衛隊への理解を深めるためにパレードをしているのであって中国や半島国のように軍事力をひけらかすためにやっているわけではない。原点が違うのでその辺を良く考えてからあれこれ言うべきだろう。
Posted at 2015/09/08 16:35:31 | |
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2015年09月08日
2015年9月6日、環球時報は、9月3日に北京で行われた抗日戦争勝利70周年記念の軍事パレードに出席しなかった日本は、あれこれ言っているものの、当日は怒りに震えていたとする社説を掲載した。
環球時報は、軍事パレードに西側諸国の首脳クラスは出席しなかったものの、多くの国が外相を派遣するか、駐中大使が代表として出席したと指摘。安倍政権は中国を孤立させようとしていたが、日本が誰よりも孤立していたのであり、9月3日の軍事パレードは大成功に終わったが、日本だけが怒りに震えていたと主張した。
この記事が中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で伝えられると、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
「お客さんを招待したのに来なかったから、お客さんの方が怒りで震えるなんて初めて聞いたよ」
「本当に気にしていないのなら、つべこべ言わないはずだよな。忘れてしまうことが一番の軽視になるのに」
「妄想はやめようよ。欧米が大使を出席させたのは中国投資の面倒を見るためにすぎない」
「西洋諸国の主だった国から誰も来ていないのに、こんなに得意になるなんて妄想力高すぎ。庶民をばかにするのもいい加減にしろよ」
「日本が出席するかしないかを一番気にしていたのは環球時報だよな。実際のところ、日本では軍事パレードのニュースは多くない。一番の注目は軍の30万人削減であって、日本と中国では注目点が違うようだ」
別に怒る理由もないが、1945年に成立していない国がどうして1945年に終わった戦争の勝利者なんだ。それはおかしいだろうと思っているだけ、・・・。そんなことをしている暇があったら経済を軟着陸させる方策でも考えたほうが良いんじゃないのか。
Posted at 2015/09/08 16:34:30 | |
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