安全保障関連法案が大混乱の末、可決された。この過程で民主党など野党は、法案の採決を阻もうとあらゆる手段を繰り出した。その最終段階で国民が目にしたのは、他の議員の背後から飛び乗ったり、議事進行に必要な書類を無理やり奪おうとするといった、およそ立法府にあるまじき光景だ。暴力まがいの行動に訴える国会議員に、日本の平和と安全保障政策を論じる資格はない。
17日午後4時半前、参院第1委員会室で開かれていた特別委。鴻池祥肇委員長(自民)は自身の不信任動議が否決された直後、質疑を打ち切った。その瞬間、野党議員が鴻池氏めがけて押し寄せ、与野党議員の怒声が飛び交った。ここまでは、重要法案の委員会採決時によくある光景だ。
だが、この日は明らかに常軌を逸していた。民主党の小西洋之氏は鴻池氏が持つ議事進行のペーパーを奪いたかったのか、他の議員の背中を踏み台に、何度も鴻池氏の背後に飛びかかろうとしていた。その姿は「騎馬戦」や「棒倒し」を想起させた。
一部の女性議員も派手な行動に出た。同党の牧山弘恵氏は他の議員に飛び乗り、社民党の福島瑞穂副党首も鴻池氏を囲む輪の中に何度も割り込もうとした。
こうした光景はNHKの生中継で全国に報じられた。次世代の党の和田政宗幹事長は採決後、記者団に「飛びかかって暴力を振るうのは議会の自殺行為だ」と嘆いたが、後の祭りだ。
採決前日にはこんなできごとがあった。16日夜、特別委理事会は締めくくり総括質疑を開始するかをめぐり、休憩と再開を繰り返し、ギリギリの攻防を続けていた。だが、その国会内で、仲良く笑顔を作って“記念撮影”に興じる民主党と共産党の女性議員たちの姿が見られた。安保関連法案に対して「徴兵制につながる」「子供を守ろう」と訴え、女性の立場から真剣に反対しているはずの彼女たちだが、そのはしゃぎぶりからは何が何でも成立を阻止する悲壮感や緊張感は一切感じられなかった。
民主党が安保関連法案に反対する政策的な理由も判然としない。岡田克也代表は今年6月、安倍晋三首相との党首討論で「集団的自衛権はいらない」と断言した。
だが、14日の参院特別委で、岡田氏がかつて、集団的自衛権の行使について「必要性を認めていた」と指摘された。それは平成15年5月の読売新聞紙上に掲載された発言だった。
「今の憲法は、すべての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず、集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる」
中国や北朝鮮による軍事的脅威は、そのころと比較にならないほど増大している。12年前は認めて、今は認められないというのは誰もが腑(ふ)に落ちないだろう。
野党が法案反対のために利用し続けたのが「憲法学者」「デモ」「印象操作」の3つだった。安全保障政策が専門ではない憲法学者の「違憲論」を最後まで頼り、国会前のデモにも積極的に出かけた。そして安保関連法案を「戦争法案」とレッテル貼りを繰り返し、“悪法”と決めつけた。
「長く審議するほど内閣支持率は下がる」
野党幹部は17日、平然と言い放った。つまりは「反対のための反対」だったということか。こうして安全保障の本質的な論議は置き去りにされた。
与党だけでなく民主党などもその程度の差こそあれ、日本を守るには米国などの同盟国と連携するのが、より効果的でコストパフォーマンスにも優れることは承知しているのだろう。ところが与党は国民の反発が激しいことを察すると一歩も二歩も引いて法案の内容を説明し直し、国民の疑惑を招き、野党は違憲の疑いがあると学者が言ったとたんにここぞとばかり、感情論を煽り、そればかりを突いて分かり難い神学論争に終始し、結局、各論の議論がおろそかになり、討論も表面を滑って議論が最も重要な法案の各論に及ぶことがなかった。
挙句の果ては理性の府の議論が、セクハラバリケード、暴力騒ぎにまで堕落した。要は党利党略第一、国家国民二の次と言うことだろう。一部の国民は法案が成立すればすぐに日本がどこかの国に戦争を仕掛けに行くようなことを言っているが、それは偉大なる理論の飛躍、大いなる間違いだ。本当に戦争を仕掛ける国になるなら米国を凌ぐほどの軍備を整えないといけないが、そんなことをしたらこの国の財政は間違いなく破綻する。まあ何時ものことながら国会中継を見るたびにこの国の盛時レベルの低さにがっかりさせられる。こんなことでこの国は本当に大丈夫なのか。日本の国民は超他力本願だが、バカではない。この法案に限らず政治家は国民に理解させる努力と言うのを怠らず考えるべきだろう。
Posted at 2015/09/18 15:25:36 | |
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