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2015年12月13日 イイね!

あり得ないことが、(37)




「あら佐山さん、何時の間に着替えたの。」

しゃべりまくっていた既婚女が目ざとく着替えを済ませた僕の方を見て言った。

「あれ、先輩はその格好で宴会に出るんですか。ちょっとイマイチだなあ。」

 
若手女が僕の格好を見て首を傾げた。確かにカーゴパンツにだぶだぶのトレーナーでは男を喜ばすインパクトには大いに欠けるかもしれないが、何も他人様に見せるのではなくてお前達の格好を見て僕の方が喜ぶんだからそれでいいんだよと若手女に言ってやりたかった。

「佐山先輩って性格だけじゃなく着る物からお化粧まで本当に劇的に変わりましたよね。でもせめて胸元くらいがばっと開けて成熟した女のお色気をアピールしなきゃ。」

若手女はそう言うと本当に自分が着ていた前開きのシャツをパッと開いて胸を見せた。

『おおいいぞ、ねえちゃんもっとやれ。』

 
僕は急に下品な中年親父にでもなったつもりでこの大胆な仕種に心の中で喝采を叫んでしまった。しかしこんなことで喝采を叫んでいたら風呂に入る時はどうするんだろう。鼻血でも出してしまったらどうしよう。


「こらこら幾らなんでもそれじゃあ出し過ぎでしょう。もう少しお淑やかにしないと下品な男達が喜ぶだけよ。」

 
既婚女がたしなめたが、僕はこの女に下品な男の心の中を見透かされたようでちょっと反省した。しかしさすがは既婚女、よく男の性を理解している。

「でもいいわあ。二晩も家事から解放されるなんて。それだけでも気持ちが開放的になるわ。私もパッとやっちゃおうかしら。」

「どうしてですか。好きな人と一緒の生活でしょう。いやなんですか。私なんか憧れちゃうけどな。好きな人との生活なんて。何でもしてあげちゃう。」

若手女が首を傾げた。

「それはねえ、お付き合いしている時はそれもいいけどねえ、一緒に暮らし始めるとお互いにいろいろ我儘が出るものなのよ。それに何時までも熱愛状態が続くわけではないしねえ。毎日何もしないでゴロゴロしている旦那を見ると何でこんな人がよく見えたのかななんて思うこともあるのよ。家事だって毎日じゃねえ、仕事が終わって帰宅してから炊事や洗濯でしょう。幾ら好きで一緒になったからと言っても嫌になることもあるわよ。」

 
既婚女はそうした生活をさほど苦にしている様子もない風情で明るい愚痴を言った。一人暮らしだと自分でやるのが当たり前で自分のペースでやればいいから家事も気分転換だが、養い扶ちがあると家事も待ったなしだろうから実際の負担にも増して精神的な重圧は相当なものだろう。

 
それから僕は三人の着替えを堪能しながらお茶を飲んで一息入れてから館内探検がてらお待ちかねの入浴に行くことになった。三人は浴衣を持ったが、僕は和服を長時間着ていられないことと裾の不始末でも仕出かすと困るのでやめることにした。大体女の和服の着方なんて端から分からないのだからとんでもないことをしてしまう可能性が極めて大であった。

 
さて期待の女湯はと言うとそれはもう絶景だったが、僕自身がこれまで人前で女として入浴したことがなかったので男作法にならないように周囲に合わせながら気を使って入浴した。せっかくの絶景だったが、それで神経をすり減らしてしまって絶景と相殺ということになってしまった。悪事千里を走ると言うか天網恢恢祖にして漏らさずと言うかなかなか悪い企みは出来ないものだ。女湯も一度で懲りて明日は部屋のシャワーを使おうと心に決めた。

 
風呂から上がっても女共はしゃべりながら髪を乾かしたり顔に何かを塗りつけたりして時間がかかるので僕は先に出てロビーで待つことにした。もっとしっかりとお手入れしないと後で泣きを見るわよと皆に言われたが、それはほとんど自己満足あるいは自己欺瞞の世界だろう。

 
ロビーでみやげ物などを覗きながら待っているとあちこちにうちの会社の社員がたむろしていた。ほとんどホテルは貸しきり状態だから当然なのかも知れない。中には泡盛を散々試飲してから買い込む者もいたが、あれだけ飲めば買わなくてもいいじゃないかと思うくらい飲みまくっていた。そのうちに内の部屋の女共も合流してきたので面倒だったが皆と一緒にもう一度みやげ物をチェックしてから一旦部屋に引き上げた。

 
部屋に戻ると女共は宴会用の顔作りに精を出し始めた。僕も一応女として認知されているからには何かしらの準備をしないといけないのだろうが、面倒なのでファンデーションを薄く塗って唇に色を着けるだけで終わりにしてしまった。女土方は不満そうな表情で僕を見つめていたが、ここで積極的に手を出すわけにもいかず必然的に手をこまねいている他はなかった。ところが女というのはきれいになろうとすることには手間暇や金を惜しまないのか既婚女が僕の化粧に口を出し始めた。

「佐山さん、もっと思い切り化粧をしましょうよ。化粧は女の盛装よ。」

この女、家庭を離れて浮かれているのか余計なことを言う。これに待ってましたとばかり女土方が乗った。そして僕は寄って集ってこてこてに化粧をされてしまった。確かに化粧をすれば目鼻立ちははっきりして見栄えはする。しかし佐山芳恵には申し訳ないとは思うが、男が男を魅了してどうするんだと言う疑問が僕の根底を流れているので化粧には抗い難い抵抗があるし、基本的には幾ら化粧をしてもそんなに変わるものでもないと思う。要は基本造作が重要なことは言うまでもない。

 
それからしばらくお茶を飲んだりお菓子をつまんだりして時間を潰していると宴会の時間が近づいてきたので会場へと降りた。ずい分大きな宴会場は百二十人分の席が設えてあり役員の座る雛壇以外は抽選で席を決める仕組みになっていた。そして僕が引き当てたのはなんと馬の骨氏の彼女の総務の女の隣だった。馬の骨氏もバツが悪いのかこちらをチラチラと盗み見ていた。一人の男が手をつけた女が二人で並んでいるのも何とも心地が悪いものだろうが、僕には馬の骨氏に抱かれたという意識はないことなのでかまわなかった。

 
それよりもこの総務の女が北の政所様のメッセンジャーだったことの方が神経に触った。そして北の政所様はこれも陰の実力者らしく役員のすぐそばに席を取って周囲を睥睨していた。この女とこの後壮絶な戦闘を繰り広げることになろうとはさすがに予想さえもしなかった。

 
宴会は型どおり社長の挨拶から始まって乾杯が終わると祝宴に移った。社長だけは端から一人一人酌をして挨拶に回っていた。どうも今時の社長職も楽じゃないようだ。僕はというと乾杯が終わると料理を食べることに専念した。酒を飲んでもうまくないし、飲んだ後で脳がふやけたようになって不快なので無理に飲みたくはなかった。それでもお義理なので馬の骨氏の恋人と反対側にいた企画の中国語担当の男性に一回だけ酒を勧めておいた。

 
酒が回ってくるとだんだんと座も賑やかになって席を移動する者が多くなってきた。そんな中で律儀に巡回を継続している社長は僕の前に来ると横に腰を下ろした。


「今回はよい企画を考えてもらって会社も新しい方向に踏み出すことが出来ました。健康を損ねたと聞いていますが、元気になったと聞いて私も安心しました。いろいろ大変だったでしょうがこれからもよろしくお願いします。」

 
社長に頭を下げられて知らん顔も出来ないので僕も「私こそこれからもよろしくお願いします。」と頭を下げて杯を受けた。そうして社長の杯を受けた後はこの喧しい宴会場から逃げ出すタイミングを計っていたが、その後次から次へと役員やら部課長が来て立ち上がることが出来なくなってしまった。そうして来るのはかまわないが、酒を注ぐついでに肩を叩いたり手を握ったりして体を触っていくのは勘弁して欲しい。

 
僕の感覚は男のものだから男に触れられるのが鬱陶しいと思うだけだが、やはり女は好きでもない男に体を触れられるのは嫌なのだろう。男という生え物はとにかく女に接近するのに血道を上げるものだが、やはり時と状況、そして相手の気持ちを考えた方が良いと思う。これは自ら反省の意味をこめてつくづくそう感じた。

 
そうこうしているうちにやっと男供の『一献差し上げたい』攻勢が一段落したので僕はさっさと逃げ出すことにして女土方の方を見た。さすがに女土方だけのことはあって周囲から敬遠されているのか一人でぽつんと取り残されたように座っているので僕はすぐに彼女の隣に席を移した。

「ずい分飲まされちゃったわ。ちょっとラウンジにコーヒーを飲みに行ってくるわね。」

 
女土方にそう言うと彼女も一緒に行くと言って席を立った。この頃には宴会場はかなり秩序が乱れてきていてあちこちに人の塊が幾つか出来ていた。その中に北の政所様の一団もあったが、役員を含めて二十人近い人数が集まって一大勢力を形成していた。僕達が会場を出て行く時にその中の何人かがこちらを見て何かを言っていた様子だったが僕は特に気にもしなかった。


ホテルのラウンジにもうちの社員がそこここにたむろしていた。僕はお決まりのアイスコーヒーを頼んで一息入れた。

「最後の二、三十分はまた戻らないといけないわね。でもそれまではここにいるわ。『まあ一杯』攻勢で疲れちゃった。」

 
僕は女土方にそう宣言すると椅子に深く身を沈めた。そしてタバコを取り出すと火を点けた。社員がいるのでまずいかなとも思ったがかまうものか。女土方も手を出したのでタバコを渡すと火をつけて深く吸い込んだ。

「さて、この後あの人たちどう出てくるかしらね。」

女土方がポツリと呟いた。

「ん。そうなの。」

「きっと必ず何か仕掛けてくるわよ。こっちが困るようなことを。」

 
そう言われても相手に何をするんですかと聞きに行くわけにもいかないのだから結局待つより方法がないではないかと思い直しながらアイスコーヒーを一口飲んだ。しかしこんなところに来てまで何でそんなけんか沙汰の心配をしなくてはいけないのかと考えているとだんだん腹が立ってきた。実際の戦争もこうして相互の摩擦から段々と憎しみが強くなって戦火が燃え盛るのだろう。

 
時間を見て宴会場に戻るとまた男共が群がってきた。二次会に行こうとかカラオケしようとか喧しいことこの上ない。まだ無理は出来ないからと断って中締めになったのを潮時に一目散に部屋に引き上げた。



Posted at 2015/12/13 23:48:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記
2015年12月13日 イイね!

目指せ、先端技術世界一を、・・・。




金星の周回軌道投入に成功し、鮮明な画像を地球に送ってきた探査機「あかつき」。5年越しの再挑戦が実を結び、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究チームは歓喜に包まれた。逆境からはい上がり、奇跡的な復活を果たしたチームあかつきの勝因を探った。

■驚きの初画像

「画像を見て、何じゃこりゃと思った。あんな画像が撮れたのは世界で初めて」。JAXA相模原キャンパスで9日夜に行われた記者会見。計画責任者の中村正人プロジェクトマネージャは、あかつきが捉えた金星の画像に驚きを隠さなかった。

 

公開された画像は、赤外線と紫外線のカメラで撮影した計3枚。金星を覆う雲の様子が写っており、これほど高精細の金星画像は例がないという。白黒だが、表面の縞模様がはっきりと見える。科学担当の今村剛プロジェクトサイエンティストが興味深い解説をした。

 

「雲の温度のむら、分布が見えている。不思議な面白い研究テーマだ。紫外線画像では雲の分布だけでなく、金星の雲の材料である二酸化硫黄が大気の循環で雲の上に持ち上げられ、にじみ出てくる様子を捉えたという見方もできる」

 

日本の惑星探査は苦難の歩みを続けてきた。火星探査機「のぞみ」は電源系統のトラブルが続出し、平成15年に周回軌道投入を断念。雪辱を期して22年に打ち上げたあかつきも、主エンジンの故障で一度は失敗した。ようやく手にした詳細な惑星画像は、日本の宇宙探査史に新たな1ページを記すものとなった。

 

「われわれはこれでやっと惑星探査の世界の仲間入りができた。日本がデータを世界に供給できるようになった」。中村氏は感無量の表情で語った。

 

世界の惑星探査の歴史を見ると、先行した米国や旧ソ連も多くの失敗を経験している。しかし、機体が損傷して惑星の周回軌道投入に失敗した探査機が、再挑戦で成功した例はなく、あかつきが世界初の快挙だ。

 

宇宙探査に詳しい的川泰宣JAXA名誉教授は「今回の成功で、宇宙探査における日本の国際的存在感は間違いなく高まっただろう。米国のメディアはかなりほめている。これまでも月探査機『かぐや』の成果などを世界に示し評価を得てきたが、惑星探査にも参入できた。小惑星探査機『はやぶさ』の帰還の記憶もあり、日本は一筋縄ではいかない、諦めない国との評判もさらに高まるはずだ」と話す。

■「寝ても覚めても計算」

逆転勝利の要因はどこにあったのか。まず挙げられるのは、再投入に最適な軌道を正確に計算できたことだ。軌道は投入する時刻と場所によって、何万通りもある。太陽から見て探査機が金星の陰に入る「日陰(にちいん)時間」も考慮しなくてはならない。日陰に入ると太陽電池パネルに日が当たらなくなり、電力が得られなくなるが、機体に搭載した電池は90分しか持たないからだ。こうしたさまざまな条件を考えて、最適な軌道を求めるのは並大抵のことではなかった。

 

軌道計算を担当した広瀬史子主任研究員は「解析するときりがなく、2年半くらい延々と解析した。よい答えが見つかるまで、寝ても覚めても計算したのが大変だった」と振り返った。

 

異常事態が起きた場合に備え、多くの対処法を入念に検討して臨んだことも挙げられる。あかつきは当初の失敗から5年間、太陽の周りを回り続け、想定を最大3割も超える厳しい太陽熱にさらされてきた。熱に強い面を太陽側に向けてしのいできたが、どこかが故障していても不思議ではない。

 

再投入は前回の投入時に故障した主エンジンの代わりに、パワーが劣る姿勢制御用エンジン4基を噴射して達成した。だが、成功するかどうかは、やってみないと分からない状況だった。そこで予定通り噴射できなかった場合、機体の向きを反転させ、反対側にある別の姿勢制御エンジンを使うことも想定していた。

 

結果的にエンジンは想定以上の能力を発揮し、金星から最も離れた場所で高度44万キロの軌道に投入できたが、多くの対策に支えられて実現した成功といえるだろう。

 

背景には日本のものづくりの力もあった。あかつきは一部の輸入品を除いて日本製だ。軌道投入は4基の姿勢制御エンジンが均等に噴射する必要があったし、機体のどこかに異常があれば失敗に終わった可能性もあった。

 

中村氏はエンジンを噴射した7日の会見で「メーカーが非常に丁寧に作ってくれた。軍艦のようだ。どこもほとんど壊れなかったのは大変なこと」と企業の技術力をたたえた。

 

■チームスピリット

5年間に及んだ再挑戦を振り返って、あかつきチームが9日の会見で口をそろえたのは、宇宙ファンや家族など多くの人に対する感謝の気持ちだった。

 

「たくさんのメッセージを寄せていただいて、失敗後も温かく見守ってくださった皆さんの気持ちがなければ耐えられなかった。大変感謝している」(中村氏)

 

「これほど困難な運用を可能にした工学チーム、膨大な数のメーカーの皆さんに感謝している。さらに常日頃、いろんな形で応援して元気づけてくれる一般のファンの皆様、ありがとうございます」(今村氏)

 

「自分が一番犠牲にしてきたのは娘や夫。まずは家族に感謝したい。NASA(米航空宇宙局)のJPL(ジェット推進研究所)に本当に支えてもらっている。あかつきを海外局で運用して軌道を決定してもらった」(広瀬氏)

 

困難を乗り越えて、ようやく一歩を踏み出した日本の惑星探査。新たな道を切り開くことができた最大の要因は、決して諦めない強い気持ちだろう。惑星探査で日本は欧米やロシアの後を追う立場だが、中村氏はこう強調した。

 

「世界でやっていても、自分でやってみないと分からないことがあるのではないか。人がやったことでも、歯を食いしばって習得することが大事だ」




日本はこの先人口が減少して国力が衰退していくと言う。確かに人口は減少して行くかも知れないが、これだけの技術力を持った国がそうそう簡単に衰退するはずもない。もの作りでも日本の技術は群を抜いている。この先、日本は先進技術開発に資金を注ぎ込んで技術立国を目指すべきだ。技術にはたくさんの人間はいらない。柔軟な思考と奇抜な発想が出来る人間を育てて先端技術で勝負だ。技術があれば怖いものはない。世界中が日本の技術を買いに来る。技術は決して裏切らない。目指せ、先端技術世界一を、・・。





Posted at 2015/12/13 22:54:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2015年12月13日 イイね!

この世の中に差別が存在するのは間違いない事実だが、・・。




横浜市が5年に1度の「市人権施策基本指針」の改定に向け、市民の人権に対する意識に関するアンケートを行ったところ、インターネットでの差別や女性の人権に対する関心が、5年前より高くなったことが分かった。基本的人権に対する考えは、男女で大きな差が出た。若い世代ほど「差別は仕方がない」と考える傾向が強いことも分かった。

 

アンケートは7月に実施。住民基本台帳から無作為抽出した市内在住の20歳以上の5000人の男女(外国人の住民は100人)に、人権への意識や差別の経験など41項目について郵送で尋ね、2021人(40.4%)から回答を得た。外国人は9人が答えた。

 

関心のある人権を尋ねたところ(複数回答可)、最多は「インターネット上での人権」で45.6%。前回(33.9%)に比べ大幅に上昇した。次いで「子どもの人権」(44.3%)、「女性の人権」(44.2%)の順。前回は「障害者の人権」(46.5%)、「子どもの人権」(41.7%)、「高齢者の人権」(39.1%)だった。

 

「インターネット上での人権」で問題視することは「他人の誹謗(ひぼう)中傷」が66.6%で最多。「一度掲載されると拡散して完全に消去できない」(48.1%)、「法的な整備が不十分」(37.7%)と続いた。「出会い系サイトなどの犯罪を誘発する」は前回の55.3%から35.6%、「児童ポルノの温床」は前回の40.6%から19.5%にと、いずれも大きく減少した。

 

「今の日本は基本的人権が尊重されている社会か」という質問への回答は「そう思う」は32.0%で、前回の18.7%から増加した。ただ、回答は男女で大きな差が出た。「そう思う」は男性41.3%に対し、女性は24.7%。「どちらとも言えない」は男性41.6%に対し、女性が56.2%だった。

 

差別に対する認識を尋ねたところ、22.7%が「差別のあることは仕方がない」と回答した。回答者を年代別でみると、20代で43.5%、30代で29.1%、40代で27.6%。80代以上は15.1%で、年代が低いほど「仕方がない」と考える傾向が強かった。

 

市人権課は今後、アンケートの結果を分析した上で、市人権施策基本指針の改定に反映させる。



人間は生まれる時代も場所も親も選べないことからしてこの世に平等などあり得ない。先天的な差、後天的な差、世の中には様々な差異が存在するのは厳然とした事実だろう。乳児にシャブかませたり子どもを放置して食事を与えず餓死させたりする親の下に生まれた子供は一体何のためにこの世に生を受けたのか、考え始めると思い悩んでしまうこともある。



この世の中には個人間で様々な差があり、それを差別する風潮もなくなってはいない。人それぞれ様々な意見を持っているのだろうからそれを披歴すること、そして議論をすることは構わない。しかし、そうした差を持って生を受けた者を誹謗したり中傷したり、あるいは軽蔑したりすることは厳に慎むべきだろう。最近ネットで話題になる同性愛婚もその一つだろう。



この世の中には普通とは違う明らかな差を背負って生まれて来た者がいる。それを認めたうえでせめて不当な干渉をしないくらいの優しさと思いやりを持つべきだろう。ネット上で身元が知れないと変に強気になったり、他人を誹謗中傷する者がいるが、そうした行為は厳に慎むべきだろう。別に聖人君主になる必要もないが、ちょっとした優しさや思いやりを持てれば世の中の争い事も少しは減るかもしれない。





Posted at 2015/12/13 17:11:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2015年12月13日 イイね!

戦争になだれ込んだ軍部の狂気と言うが、狂気は軍部だけだったのか。




軍のなかの腐ったリンゴ

このところずっと船戸与一さんの『満州国演義』や辺見庸さんの『1★9★3★7』を読んでいたせいだろうか。先の戦争のことが妙に気にかかる。

 

前にふれたが、私は20年前、太平洋戦争に至る経緯を調べたことがある。陸軍の元エリート参謀たちに話を聞いて回った。そのとき痛感したのは、軍隊とは、正気と狂気の間をさまよう集団だということだった。

 

もし彼らが正気を保っていたら、あんなに広大な中国を制圧しようとしたり、圧倒的な国力の米国に戦いを挑んだりしただろうか。狂気が軍隊を覆っていたからこそ、日本は無謀な戦争に突き進んだのだろう。

 

問題は何が軍隊を狂わせたのか、である。それがはなはだ莫としていて、つかみどころがない。日本には、ナチスドイツの反ユダヤ主義のような明確な意志もなければ、ヒトラーのような独裁者も見当たらない。

 

満州事変―日中戦争の勃発―太平洋戦争へと戦線が拡大していく過程の首謀者は、その時々で顔ぶれが猫の目のように変わる。かの、悪名高い東条英機(日米開戦時の首相兼陸相)ですら、時勢に押し流される小舟のような存在でしかない。

 

そんなことをあれこれ考えるうち、ふと思いつき、20年前のメモを天井裏から引っ張り出した。取材に応じた元参謀たちはもうこの世にいない。メモは彼らの最晩年の声を伝える貴重な資料だった。

 

降り積もったほこりを払いながらメモを読むと、ある元参謀は彼らを狂わせたものを「もやもやとしたもの」と言い、別の元参謀は「精神的奇形児を生む陸軍教」と言っている。

 

陸軍教って? と思いながらさらにメモを読み進むうち、彼らの回想のなかに必ず登場する男が一人いるのに気づいた。

 

辻政信。「作戦の神様」と呼ばれた陸軍のエリート参謀(敗戦時の階級は大佐)である。



「絶対悪」が服を着て座っていた

辻は戦後、『潜行三千里』というベストセラーをものして国会議員になった。だが議員在任中の1961年、東南アジアへ向かい、ラオスで失跡した。その後の行方は今も知れない。

 

国会議員時代の辻に会った作家の半藤一利さんは、その時の印象を『ノモンハンの夏』(文藝春秋刊)に書いている。

 

眼光炯々、荒法師を思わせる相貌だが、笑うと驚くほど無邪気で、なんの疑いも抱きたくなくなるような笑顔になった、として半藤さんはこう語る。

 

〈議員会館の一室ではじめて対面したとき、およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに坐っているのを眼前に見るの想いを抱いたものであった〉

 

絶対悪――辻を表すのにこんなに的確な言葉はない。彼は多くの人々を地獄に引きずり込んだ。彼こそ陸軍教の権化だった。

 

私がそう思うわけを実例を挙げながら説明したい。1942年2月、日本軍が占領した直後のシンガポールで起きた出来事である。

 

日本軍は「敵性華僑」(日本支配に抵抗する中国系住民)の掃討作戦を発動した。その先頭に立ったのが、軍司令部の作戦参謀をつとめる辻だった。

 

軍は、18歳以上50歳までの男性華僑は指定場所に集合するよう布告を出した。シンガポールに当時いた18歳以上の華僑は約20万人。彼らを駆り集めて「敵性華僑」を見分けるのはほぼ不可能だったが、辻の指導を受けた警備隊は強行した。

 

シンガポール川東岸の検問所の分隊長は、辻に「現在までの容疑者検挙は70名」と報告すると、「何をぐずぐずしてるんだ。もっと能率よくやらんか。俺はシンガポールの人口を半分に減らそうと思ってるんだ。そのつもりで、もっとしっかりやれ」と怒鳴られたという。

 

シンガポール駅前広場には避難民数千人がいた。その地域を管轄する中尉は辻に「殺ってしまえ」と言われたため、上司の少佐に相談した。少佐は「残忍な辻がやりそうなことだ。彼は君らに命令する権限なんかありゃせん。その住民らは即刻退散させよ」と命じたので数千人の命が救われたという。

 

しかし、5ヵ所の検問で「敵性」とマークされた華僑はトラックで海岸や山林に、あるいは艀で海上に運ばれ、機関銃でなぎ倒された。犠牲者は4万人とも6000人とも言われている。

 

華僑虐殺から2ヵ月後、辻はフィリッピン戦線でも残忍さを発揮する。ルソン島のバターン半島に追い詰められた約7万人の米軍が投降し、数十km離れたサンフェルナンドへの移動を始めた矢先のことである。

 

現地の日本軍部隊に「日本軍は降伏に全面的承諾を与えていない。まだ正式に捕虜として容認されていないから、投降者は一律に射殺すべし」との大本営命令が電話で伝えられた。

 

連隊長が愕然として「口頭命令では実行しかねるから、正規の筆記命令で伝達せられたい」と答えると、筆記命令はついに来なかった。辻が仕掛けた口頭の偽命令だったらしい。

 

同じ内容の命令が他の部隊にも伝えられた。指揮官が命令を拒絶し「私を軍法会議にかけてください」と言うと、1時間後に「先ほどの電話命令は取り消す」と連絡があったという。

 

バターン西海岸を担当した師団参謀長は、辻から、道路に列をなす米兵たちを「殺したらどうか」と勧告され、拒否した。辻は「参謀長は腰が弱い」と罵り、師団長に同じことを進言したが「バカ、そんなことができるか」と一喝されたという。

 

1943年秋のビルマ戦線では、辻は英人兵士の人肉試食事件を起こしたとして、後に元上官から「人間として私は許せない」という非難も浴びている。

 

このほか、無残な敗北に終わったノモンハン事件(1939年)での独断専行など、辻の乱行は枚挙にいとまがない。数え切れぬほどの兵士が、彼の無謀な作戦の犠牲になった。それでも陸軍上層部は辻をかばい、彼を罰しようとしなかった。

 

なぜだろう? その謎を追っていくと、軍を覆い尽くした狂気の正体が見えてくる。




陸軍の士官教育は12歳から幼年学校に入校させ徹底的な陸軍軍人教育を行った。これが非常に偏った独善的な陸軍至上主義の思考を生む結果になったと言う。当時の陸軍の怪しげなところは軍を動かしているのが軍上層部の陸軍大臣や軍司令官ではなく大佐、中佐と言った軍中級幹部でそこを動かさないと軍が動かないところだったと言う。




三国同盟締結是か非かについて議論を重ねた五省会議でも一旦会議で合意した事項を、「持ち帰ったら受け入れられないと言うので合意はなかったことにしてくれ」と陸軍大臣が合意を白紙に戻すこともしばしばだったと言うが、そうした国のトップ会談の結果を受け入れなかったのは陸軍の中級幹部たちだったと言う。




こうした中級幹部は、「軍の総意」と言う言葉を使って組閣にまで干渉したので軍上層部の人事も自分たちの言うことを聞きそうな人物を据えていたようだ。辻と言う人物は陸軍の俊才だったようだが、こうした陸軍の怪しげな部分を代表するような人物であちこちで勝手に命令書を偽造して軍を動かしていたようだ。




海軍は命令系統は正常だったが、上層部には事なかれ主義者が多く、責任を負うのを極度に嫌い、「対米戦が出来ないと言えば陸軍に予算を取られてしまう」という極めて自己保身的な思想で、「和戦の決定は総理に一任」として戦争回避の最後の切り札であった海軍の義務を放棄してしまった。




軍と言う組織は戦争がなく世の中が平和であると予算も削減されるし、組織も縮小させられるのでポストも増えず出世は望めない。石原莞爾が満州国を建国して出世したことをきっかけに軍内部で、「独断先行しても結果オーライであれば認めてもらえる」という風潮が出来上がって統制が取れなくなったと言う。




もっとも戦後は軍部、特に陸軍が非難の矢面に立たされているが、外務省なども松岡外務大臣などを中心に対英米超強硬路線に染まっていたようだし、国民も、「戦争が出来ないなどと言ったら国中で暴動が起きる」と陸軍が恐れていたように対米戦回避など口にも出来ないような雰囲気が出来上がっていたと言うので戦争に向かう大きな流れが出来上がっていたのだろう。




そうした世論形成にはマスコミが大きな役割を果たしていたことは言うまでもない。軍部が、軍部がと言うが、狂気に支配されていたのは日本全体で、要するに国を挙げて対米英戦へとなだれ込んで行ったのだろう。




辻と言う軍人があれこれ勝手な行動をしながら処罰もされなかったのは陸軍の中でそれをよしとする風潮が出来上がっていたからだろう。だから辻と言う人物は決して当時の陸軍で「腐ったリンゴ」ではなかったのだろう。




軍隊や警察と言った社会の負の部分を相手に仕事をする者は自身の栄達や世間の称賛を求めて仕事をすべきではないのだろうが、野心と言うのは誰の心にも巣食う小悪魔なのかもしれない。




陸軍にも常識のある理性派が大勢いたと言うが、そうした人物は中央から遠ざけられていたようだ。もしも当時米国と和解して対米戦を回避できたとしたら、戦後の朝鮮戦争は間違いなく日本が正面に立って戦わざるを得なかっただろう。またベトナム戦争にも参戦せざるを得なかっただろうし、米ソの冷戦にももっと深くかかわらざるを得なかっただろう。もっとも日本が国民政府を支援して中国の共産化を防止していたら現在の世界地図は大きく変わっていたかもしれない。




それにしても人間と言う生き物は何とも戦いが好きな生き物だと改めて考えさせられる。せめて他人を侵さずに生きられないものだろうか。辻政信と言う人物は自分で国を動かすような才能はなく、軍と言う組織を使って独断先行で軍を動かしていた。所詮は幕僚、参謀の器でそれ以上でも以下でもなかったのだろう。





Posted at 2015/12/13 13:42:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2015年12月13日 イイね!

大型二輪に乗ろう(ヘルメットはフルフェイスが良い)




ヘルメットをネット通販で買ったが、あれこれサイトを見ていると通販でヘルメットを買うなどと言うのは暴挙だそうだ。確かに様々な形状や大きさがあってヘルメット自体は堅いので形状を調整できないのだから試着は必須だろう。



実店舗に行くといろいろとヘルメットが置かれているが、多いのはMやLサイズでXLなんて言うのはあまりない。今使っているクァンタムJもたまたまXLだったので試着して買い込んだものだった。



今回は2回目で同じアライ製なので帽体のサイズはそう変わらないだろうと言うことでネットで購入した。ヘルメットの入り口はクァンタムに比べてちょっと狭いようだが、中はほぼ同じで窮屈とかどこかが当たると言うことはない。




基本的にアライのフルフェイスは前後の奥行きがないように思う。あまり余裕がない。頭がでかいのだろうか。それでも1日中バイクに乗っていても頭が痛くなったりはしないのでそれで良いんだろう。




最初はフルフェイスの閉鎖感が嫌だった(被ったら抜けなくなりそうな恐怖感があった)のでジェットを買ったが、ジェットでは顔面を防護できないこととCB1300スーパーボルドールに乗るのにヤマハのゼニスではちょっと防護力に不足がありそうなのでクァンタムに買い換えた。




最初は閉そく感と視界の狭さに驚いたが、すぐに慣れた。今ではしっかりとした守られ感があって手放せなくなった。たまにジェットを被ると開放感がありすぎて不安になる。教習所でもこんなので大丈夫かいなと言うようなジェットヘルメットを使っている教習生が多いのでプロテクターの話をした後でヘルメットも顔面から落ちると顔が大根おろしになるのでジェットではなくフルフェイスが良いと言っている。




価格が高ければいいというものでもないだろうけど3~4万くらいが良いのではないだろうか。さすがにバイク用品店で7、8千円で売っているクラシック調のジェットには手を出す気はしない。まして半帽などもってのほかだろう。




頭蓋骨も戦車と一緒で前は骨が厚いが、側面や後面はさほど厚みがない。コンクリートの路面に当たったらひとたまりもない。まあ自分のことだが、せめてフルフェイスに胸部・脊椎プロテクターくらいはつけた方が良い。安全には金を使って楽しくバイクに乗りたい。





Posted at 2015/12/13 00:03:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | バイク | 日記

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