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ntkd29のブログ一覧

2016年08月18日 イイね!

あり得ないことが、(102)




僕は黙って女土方に向かって頷いた。僕にしてみれば『もう仕方がないなあ。』と言うのが正直なところだったがどうも女土方にあんな言われ方をしてしまうとそれに逆らうことが出来なかった。それでも僕は僕なりに条件をつけた。

 
まず一つはクレヨンを大学に復学させることだった。何だかんだ言ってあのサルも三年まで修了しているのだから残りはあと一年、お嬢様女子大の最終年など無きにも等しい程度の授業しか残っていないだろう。これについては金融翁も異存はなかった。そして空いた時間で今の仕事の手伝いをさせる。

 
社長はクレヨンを非常勤室員として辞令を出したが、僕はクレヨンには正社員に近いことまでさせなくとも今はアルバイト程度でいいんじゃないかと思っている。それを金融翁に話すと金融翁も同意してくれた。

 
これには社長の立場や了解も要るんだろうけどいずれにしても非常勤社員なのだからその辺はうまく都合がつくだろう。そして営業君、株屋の姉御に加えてクレヨンまでも抜かれれば室で戦力は僕と女土方にテキストエディターのお姉さんだけになってしまう。

 
いくらなんでも人的には半減、戦力的にも三割方は落ちているだろう。これではちょっと心許ない。それを金融翁に伝えるとどんな企画を検討しているのかと聞かれた。そこで今の企画のあらましを伝えると「最近そんな企画を聞いたことがあるけどなかなか面白そうな企画かもしれない。」と言ってくれた。


「私も少しばかりあちこちの業界に顔が利くので人の手当は何とかできるかも知れない。篠田君にも私の方から話しておきましょう。その辺は私の方で何とかうまくやりますから良しなに任せておいてください。」

 
あちこちの業界に少しは顔が利くって金を握っているこのおっさんがあちこちの業界に顔が利かなかったら一体この世の中で誰が業界に睨みを効かせているんだ。ところでこのおっさんが「篠田君」と呼ぶ人物は誰あろう僕等の社長のことだ。さすがに僕等の社長もこのおっさんに言われれば受け入れざるを得ないんだろう。

 
日本の経済界の超大物にべこべこ頭を下げられて僕と女土方はおかしな気分で二階の部屋に戻った。そこにはクレヨンが僕たちを待っていた。僕たちがここに居残ることになったのでずい分とうれしそうだった。しかし金融翁がこれほどメロメロにクレヨンを心配するとなるとクレヨンは北の政所様とこの金融翁の子供と言うことになって社長父親説は崩れてしまう。

 
勿論クレヨンが誰の子でも良いんだけれど社長と北の政所様の間に出来た世を忍ぶ秘密の愛の結晶という方が責任のない外野としては面白い。もっともクレヨンが愛の結晶というにはちょっと濁りすぎているかも知れないが。

 
金融翁効果は翌日早速現実となって現れた。北の政所様から室員四人が補充されることが伝えられた。旅行業務を含めて営業関係が三名、語学関係が一名とのことだった。そしてクレヨンは日々雇用職員として大学に復学することになった。日々雇用なんて聞き慣れない難しい言葉だが要するに日給のアルバイトと言うことだ。その後社長が顔を出した。そして僕と女土方の顔を見ると何とも複雑な表情をして見せた。


「君達には本当に何と言えばいいのかな。勿論僕にとってはとてもありがたいことには間違いないんだけど、どうも事が想像を超えた方向に進んで行ってしまう。今回この企画はMJBホールディングズとのコラボレーションで進めていくという線で話が進んでいる。今回の増員はそれに従ってMJBから派遣される人員だ。一部は企画の有効性を見極めるため事業企画室からの派遣だと言うことなので相当の切れ者だろう。資金面では比較にもならないのだから向こうに主導権を握られかねない。その辺を考えると今回の件も痛し痒しだな。」


「大丈夫ですよ、社長。こっちは金よりもエリートよりもはるかに強力な人質があるんですから。あれさえ出せば金融王もめろめろよねえ。」

 
僕はクレヨンのことを冗談交じりに言ってみたが、考えてみればあの小娘はうちの社長の娘かも知れないのだ。


「あのね、あなたねえ。ああいう人たちにとって仕事と私生活は厳然と別なのよ。そうでなければあの人もあんな立場には上り詰めたりは出来なかったと思うわ。」


女土方が僕を見ながらつくづくと言った。


「分かってるわよ、そのくらい。ちょっと言ってみただけよ。」


「いずれにしても」


社長が僕たちに口を挟んだ。


「しっかりと企画を吟味していいものを出してくれ。良い物を出せばそれだけこっちの発言権も強まるのだから。よろしく頼むよ。」

 
社長は入って来た時と同じ複雑な表情のまま部屋を出て行った。そしてその後を北の政所様が追いかけて行った。



Posted at 2016/08/18 17:34:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説 | 日記
2016年08月18日 イイね!

翼の向こうに(4)




今の戦が容易な状況ではないことは知っていたが、本土にいるとまだそれほどの切迫感はなかった。それが硝煙の燻るようなフィリピンの最前線から帰って来た高瀬から聞かされると容易ならない状況にさすがに神妙になってしまった。

 
零戦の空戦能力が相対的に低下していると聞いても、実際に敵と渡り合ってきたわけではなく、何時も零戦同士で訓練をしている我々には敵の新鋭機の話を聞いても実感が沸かなかった。


「空戦ではどうしてたんだ。」

 
私は高瀬達がどんな戦争をしていたのか興味があった。


「俺は奴等のやり方を借用させてもらったさ。こっちが有利な時に一撃食らわせて、その後は尻に帆をかけて逃げたよ。中には妙に勇敢な海兵出の士官がいて、何倍もの敵の中に飛び込んで行くんだが、そんなことをしていたら命なんか何日も持ちゃしない。それよりも奴等は兵力を集中して一度ガンと叩いておくと、しばらくは近づかないからな。少しでも長く生きて戦う方が結局は国の役に立つと思うんだけど、どうもこの国は花と散るのが好きなようでな。

 
それでも最後には他の隊から紫電を借りて単機でB二四に殴込みをかけたよ。あまり卑怯未練と言われて腹が立ってな、たったの二機か三機で敵の機動部隊を真っ昼間に攻撃して来いなんて馬鹿なこと言うから、『そんなことするよりも陽動作戦で敵を揺さぶった方がいい。残った飛行機を大事に使いながら出来るだけ長く戦争を続けて敵を引きつけておくべきだ。奴等は後ろに敵を残すのを嫌がる。細くてもいいからここで長く戦を続けるべきだ。』と言ったら、『俄か雇いの予備士官はそんなに命が惜しいか。』とか何とか言いたい放題言うんで『それなら零戦ではなくて紫電を借りてくれ。B公が二度と来ないようにしてやる。』って司令部で啖呵を切ってな。

 
その時は二機を落とした。敵機と反航して目の前で背面になってそのまま降下して主翼の付け根に二〇ミリ撃ち込んでそれから操縦席に射線を移して行くんだ。そうして敵の機首すれすれに抜けてから反転上昇してもう一度高度を取り直してまた攻撃する。それを敵が落ちるまで繰り返したんだ。

 
うまいこと敵の爆撃機を撃墜して帰ろうとしたら、護衛のP三八に追いかけられてな。一機は落としたけど残りのが四機も五機も群れてきてしつこくてな。単機にB公二機も撃墜されて頭に来たのかな。飛行場に滑り込んで乗り物から逃げ出した途端に銃撃を食らって、せっかくの紫電も燃えちまった。奴等、対空砲火で一機落とされたのに本当にしつこかった。日本人のようなその場だけの情緒的な勇気じゃなくて、これと目的を定めると、そんな時は呆れるくらい執拗に食いついてくるよ。でもその時そうしてガンとやっておいたので、それからしばらくはうちの基地には本当にB公は来なくなったよ。

 
紫電はいい乗り物だよ。視界が悪いの、操縦性が悪いのと言って嫌う奴も多いけど、機体は頑丈でいくら突っ込んでも軋んだりしないし、防弾もほとんどないも同然の零戦に較べれば遥かにしっかりしている。発動機も整備していい油を使えばよく回る。弾がガンガン当たっても簡単には燃えない。もしもあの時零戦に乗っていたら俺も撃墜されていたかもしれない。

 
日本は元々資源がないし、国も小さい。技術だって欧米に較べれば劣っている。それなのにそんな国が防弾もろくにしていない戦闘機や爆撃機を作ったりして戦闘員も兵器も消耗品扱いだ。たった一回だけ損害を無視しても勝つためにやるのならそれもいいだろう。けれど日本のような貧乏国は、損害を出来るだけ少なくして戦果を最大に上げるような戦争のやり方を考えなくてはいけないのに、日本なんかよりも遥かに裕福な米英の方が合理的な戦争のやり方を研究して日本はその場の感情だけでろくな考えも陸海軍相互の連携もなく個々ばらばらに敵に当たっては皆粉砕されてしまっている。」

 
高瀬が憤懣やる方ないといった風情で杯を取り上げようとした時、部屋の襖が開いた。私たちが振り返るとそこには中将の階級章を付けた士官が立っていた。


「君達、なかなか面白い話をしているな。私にもその話を聞かせてくれないか。」

 
その提督は私達の話を聞いていたにも関わらず、特に激昂した様子もなく、穏やかな風情で部屋に入って来た。私達はバネに弾かれた人形のように立ち上がって不動の姿勢を取った。中将などという階級の高級士官に間近で相対するのは海軍に入隊して以来これが初めてだった。


「邪魔させてもらうよ。」

 
提督は床の間を背にして胡座をかいて座った。


「名前を聞いておこう。」


「横須賀航空隊付き、海軍予備中尉高瀬美孝であります。」


「同じく筑波航空隊所属、海軍予備中尉武田史朗。」

 
氏名を申告する時、脂汗が粘りつくように首筋を流れた。高瀬も私と同じように汗を流していた。


「そうか、まあ座れ。私は・・・・」

 
海軍次官の植松云々という言葉が遠くに聞こえた。その後にもう一度「座れ。」という声が聞こえたのをいいことに私たちは尻餅をつくようにさっきまで大あぐらをかいて座っていた座布団にへたりこんだ。


「突然割り込んで済まなかった。君達がなかなか面白い話をしているので、つい覗いてみたくなった。もう一度飲み直しのつもりで付き合ってくれ。おい、副官、何か頼んでやってくれ。それから君もこっちに来いよ。」

 
副官と呼ばれた士官は帳場に注文に行ってから部屋に入って来た。これも少佐の階級章を付けた壮年の士官だった。


「佐山君、これからこの若者達が言うことを聞いても怒っちゃいかんよ。我々職業軍人とは違った視点でこの戦争を見ている者の意見として聞いておくんだ。」

 
佐山と呼ばれた士官は黙って頷くとその後で私と高瀬を交互に睨み据えた。その目にはありありと私達に対する抑え難い憎悪の色が滲んでいた。


「この戦争を君達はどう思う。忌憚のない意見を聞かせて欲しい。」

 
次官の言葉に高瀬が答えようとするのを遮って私が口を開いた。ついさっきまで海軍省次官の前で縮みあがっていた私のどこにそんな勇気があったのか、私自身にも分からなかった。


「軍法会議を覚悟で申し上げます。この戦争は満州事変、支那事変を含めて、開戦したこと自体間違っています。日本は開戦すべきではなかったと思います。そして今の時点で言わせていただけば、戦争の仕方それ自体が間違っていると思います。

 
日本はアジアの盟主として経済、技術援助を中心として地域を主導すべきでした。資本と技術を投下してアジアに産業を興し、アジアの国と共存共栄を図るべきだったと考えます。」


「その経済進出の段階で米英を中心とする欧米列強と衝突したらどうするのか。」


「その場合は日本の軍事力を背景に、あくまでも外交交渉を続けるべきでした。三国同盟を締結しなければ、または脱退していれば、単に経済的な権益だけが問題ならば交渉成立の望みはあったと思います。

 
米英は自国の利益を第一に計算づくで外交を推進します。その場合、開戦時の日本の軍事力は米英にとって最終的に屈服させることはできるとしても、そのために支払う犠牲は決して無視できないものだったと思います。

 
米英にとってドイツを支配するナチはどのような犠牲を払っても打倒しなければならない敵であったかもしれませんが、日本が中立を維持する限り米英には敢えて日本と事を構える必要はなかったはずです。しかし日本のなりふり構わぬ大陸や東南アジアへの進出に対して、それを抑えようとする米英に対抗するためにナチと手を組んで歯向かったことが、西太平洋、アジア地域における米英の権益の保全、あるいは以後のこれらの地域への経済進出と相俟って、米英に『日本はナチとともに打倒しなければならない敵である。』と認識させた。

 
あるいは英米が世界に日本をそう認識させるのに成功したのだと思います。石油、鉄等の物資の安定供給と通商の回復、中国その他のアジア地域における日本の資産の保全を条件に、同時に米英の権益の保全及び経済的な進出を認める形で譲歩すれば、あえてこちらから戦争を仕掛けない限り、たとえ米英に日本を軍事的に屈服させ得る確信があったとしても、そのために被る自国民の被害や軍事的損失を敢えて受け入れてまで彼等が開戦に踏み切るようなことはなかったと思います。」


「ハルノートのような屈辱的な最後通諜を突きつけられたらどうするか。」


「どの時点まで遡って申し上げればよいのか、それによっても異なりますが、本来日本がアジア、特に中国に対して軍事侵攻ではなく経済あるいは技術的な支援という平和的進出を行っていれば、日米交渉も違った形で行われたでしょうし、たとえ現実通りの通諜が行われたとしても、政治に携わる者が『外交は基本的に自国の利益のために行うものであって他国や世界平和のために行うものではない。』という功利冷徹な哲学を持ってことに当たっていればその結果も変わっていたと思います。」

 
次官は特に自分の意見を言うでもなく、黙ったまま私の話を聞いていた。そしてまた次の質問を口にした。


「国内問題はどうするか。特に陸軍をどう押えればいいと思うか。本来、国家の中で軍はどうあるべきか。」

 
私は考え込んでしまった。軍の統制について論ずると、どうしても天皇制と統帥権の独立について触れなければならなくなってしまうからだった。実際戦闘の第一線に立っていればこそ戦闘や戦術についての批判をすることについてはそれなりに言い訳も立つが、天皇制について言及することは絶対禁避だった。


「この国では国内問題は外交よりも難しい面が多くあります。それはこの国が内部の和を非常に重要視するからです。意見の統一、又は一致、調和、それらが表面上のことであっても、それが達成されないとこの国の内政は容易に動かないからです。

 
根回しといった日本独特の手法もそんなところから生まれてきたものだと思います。様々な思惑や利権が絡み合う政治の世界で、国家の意思を全会一致によって決定することは非常に難しい事だと思います。将来にわたっての軍の統制ということに限って意見を申し上げれば、内閣による軍の管理といった文民による軍の統制といった方法が考えられると思います。」

 
そこまで言ったところで佐山少佐が立ち上がった。私は『殴られる。』と思い、口を結んで備えた。左顔面に衝撃が走り、その直後、「貴様は、恐れ多くも陛下の大権を何と心得るか。」という怒声が浴びせられた。顔を上げると怒りに体を震わせている佐山少佐の姿が目に入った。


「統帥権を私物化して陛下を蔑ろにしてきたのは陸軍を中心とした軍部の方ではないのですか。この日本の国力を遥かに超えた戦争のために国は荒廃して、多くの国民が血を流して傷つき、死んでいます。そんな状況を陛下がお喜びになるはずはありません。」

 
私はいつになく興奮していた。立ち上がって佐山少佐と睨み合いになった。


「もういい。やめなさい。」

 
次官の静かだが重みのある声が響いた。佐山少佐は次官の方を振り返った。


「しかし、次官。」


「怒っちゃいけないといっただろう。」

 
次官の言葉で漸く佐山少佐は下がって腰を下ろした。


「国内問題についてはもういい。高瀬中尉、今度は戦術について君の意見を聞かせてくれないか。確か練習航空隊で教官を手玉にとってきりきり舞いさせたと評判だった予備学生がいたそうだが、君がそうなのか。横須賀航空隊付きといっていたが、その前はどこの部隊にいたのか。」


「第一航空艦隊第二〇一航空隊で比島におりました。」


「そうか。御苦労だった。ところで君の戦闘に対する考えはどうか。」




Posted at 2016/08/18 16:58:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記
2016年08月18日 イイね!

マラソン日本代表の福士加代子は不謹慎だって、・・。




リオデジャネイロ五輪が盛り上がっている。日の丸を背負う代表選手たちの熱い戦いを手に汗握りながら見入っている人は多いはず。しかしつい先日、そのリオ五輪に出場した1人の日本人女子選手の言動が大きな波紋を呼び起こした。リオ五輪・陸上女子マラソン日本代表の福士加代子(ワコール)が14日のレースで日本勢最高位の14位となり、レース終了直後に向けられたマイクに向かって次のように叫んだのである。

 

「金メダル取れなかったあ! ほんとしんどかったあ! 暑いけどなんか、しんどすぎて、いろいろなことがしんどすぎて。でも金メダル目指したから最後までがんばれました」

 

このレースで優勝し、金メダルに輝いたジェミマ・スムゴング(ケニア)のタイムは2時間24分04秒だった。福士はレースでスムゴングらの先頭集団に25キロ過ぎまで入っていたが、徐々に離されていってペースダウン。結局1位から6分近くも引き離され、タイムは2時間29分53秒に終わった。

 

結果はメダルどころか入賞にも届かず、明らかに「惨敗」。それでも福士はガッツポーズでゴールインを果たし、笑みも浮かべていた。そしてテレビカメラを前に前出の言葉を口にすると、さらにこうも続けた。

 

「マラソンはね、きついな。ここまでの過程も、レースも全部苦しいけど、オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ。苦しいけど。もう泣きたい」

 

案の定、ネット上は大炎上した。期待に応えられなかったにもかかわわらず、「金メダル取れなかったあ!」「オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ」などと連呼したことで、嵐のごとく凄(すさ)まじいバッシングを浴びせられた。その罵詈雑言の数々をいくつか拾い上げてみると、以下の通りだ。

 

「この結果でヘラヘラしながらメダル云々を口にするのは余りに品がない」「惨敗したのに『楽しい』なんて口が裂けても言えない」「日の丸を背負っている意識がまるで感じられず、最初から五輪出場を自分のためだけの記念レースだと思い込んでいたのだろう」「聞いていて本当に腹が立った」など――。


●福士加代子は誤解を受けやすい選手


ここに至るまで福士選手が努力を積み重ね、口先だけではなく本当に金メダルを狙っていたことは間違いない。ただし、あのレース終了直後の発言に関しては“失言”とみなされ、批判を受けても仕方がなかったのかもしれない。福士加代子という人物は非常に誤解を受けやすい選手だからだ。

 

五輪では過去3大会(アテネ、北京、ロンドン)で長距離走(アテネ=10000mのみ、北京・ロンドン=5000mと10000m)の代表選手に選ばれ、3000m、10000mの日本記録、そしてハーフマラソンのアジア記録保持者でもある。5度目のフルマラソン挑戦となる2013年8月の世界陸上モスクワ大会では銅メダルにも輝いた実績の持ち主。青森県出身の「みちのくの爆走娘」はトラックレースで、そしてマラソンでもしっかりと結果を残してきた。

 

その上で福士はこれまでも陸上界において「キャラが濃い」ことでも知られていた。津軽弁丸出しでインタビューに応じたり、珍発言を繰り返したりするなど非凡な実力に加えて、リップサービスも非常に旺盛で異色の存在として脚光を浴びていたのである。

 

一方で内面は恐ろしいまでに自分を追い込む超ストイックな人物であることも忘れてはいけない。トラックレースで過去3度の五輪出場を果たしたものの悲願のメダルには届かず10000mでは入賞も逃し、北京とロンドンで出場した5000mはいずれも予選落ち。その悔しさがあったからこそ、マラソンでリベンジを図ろうとした。

 

マラソン挑戦当初はレース終盤で“ガス欠”を起こして失速するケースが多かったことから、栄養士の助言で食事摂取量を3倍に増やし、白米も毎食食べて糖質をエネルギー源にする食事改善も敢行。陰の努力を積み上げた末に3年前の世界陸上モスクワ大会で銅メダルを取ったことでマラソン競技に手ごたえを感じ、さらに精進して今度こそ五輪の表彰台で1番上に立つと自分に言い聞かせた。


●リオで金メダルだべ、うふふ


何と言っても、その福士のキャラの濃さが際立ち、世に知れ渡ったのは一連のリオ五輪代表選考騒動のときだろう。今年1月、福士はリオ五輪代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンで2時間22分17秒の自己最高記録をマークして圧勝。3年ぶり2度目の同大会優勝を飾り、日本陸連の設定記録(2時間22分30秒)を9年ぶりに切った。

 

優勝インタビューでは得意の津軽弁パフォーマンスで「リオ決定だべえ!」と早とちりで叫んだものの、同年3月開催のリオ五輪代表・国内最終選考会を兼ねた名古屋ウィメンズマラソンがまだ残されていることを理由に日本陸上競技連盟(日本陸連)から代表内定の通知は“保留扱い”とされた。

 

これに福士サイドは猛反発する形で一般枠で名古屋ウィメンズマラソンに出場し、改めて好タイムを記録して五輪代表の座を射止める強行出場プランをほのめかしたが、日本陸連や周囲から「コンディションにも影響を及ぼすので五輪でメダルを狙うならやめてほしい」と猛反対を受けた。

 

すったもんだの末に「総合的判断」として福士は強行出場を回避し、名古屋ウィメンズマラソンで好記録が生まれなかったこともあってリオ五輪代表に選ばれたのである。

 

今年3月18日の会見で福士は大勢のメディアの前で、こう言い放った。

 

「マラソンは過去の先輩の功績があるので、チャンスだと思っている。覚悟を表明したのでどんな練習でもやるしかない。リオで金メダルだべ、うふふ」

 

あえて五輪では今まで1度も立ったことのない表彰台を狙うことを宣言した。しかも口にしたのは、その頂点だ。自分を追い込むストイックなタイプであるがゆえに有言実行の強い気持ちが芽生え「金メダル」の言葉が飛び出した。十八番の“だべ”も、しっかりとつけて――。

 

しかし、雪辱を期した今回のリオ五輪で彼女に勝利の女神は微笑まなかった。6月に右足の炎症を患うなど100%満足な調整ができなかったのも事実。それでも言い訳はしなかった。


●素顔は不器用かつストイック


2007年の香川丸亀ハーフマラソンに出場したときだったと記憶している。当時、福士は筆者に「なるべくならばレースが終わったら笑顔でいたい。必死になって走った後、同じように辛い顔をしていたら周りも自分も暗くなってしまう。それは嫌でしょ。だからそれが自分のスタイル。非常に不器用なのかもしれないですが……」と言ったことがある。その言葉は今も頭の中にこびりついている。

 

だから毎回レース後に飛び出すおちゃめな発言(今回のリオ五輪では“KY発言”と多くの人から受け止められているが)も、そしてあえて貫き通す笑顔も不器用だからこそ揺れ動く内面や本心を周囲に見せまいとするための“仮面”にしているのではないだろうか。

 

それが証拠にゴールイン後、笑顔を見せながらも福士は汗とともに流れ落ちる大粒の涙を周囲に気付かれないように何度もタオルでぬぐっていたという。素顔は不器用かつストイックな「みちのくの爆走娘」の4度目の五輪が終わった。


「がんばったけど、負けた。人生で一番がんばった」。


そう自分に言い聞かせるようにコメントした福士は死力を振り絞りながらも「負けた」ことで、内心では悔しさと納得感が複雑に絡み合っているはず。負ければ批判を受けるのが代表の宿命であることも十分によく分かっている。今後は休養が濃厚だが、気持ちを整理してすべてをリセットしてほしい。




頑張ったんだからいいんじゃないの、何と言おうと、・・。不謹慎だの品がないだの外野がとやかく言うことじゃない。強化費用だのなんだのお上から出ている分もあるだろうし、国家の代表として参加しているんだろうけど、体を張って鍛えて参加したのは本人だからねえ。苦しいことも辛いこともあっただろうし、何よりも負けた本人が一番悔しかったんじゃないの。ガラッパチを装っていても吹き出す汗に紛らわせて拭っていた涙が一番それを物語っていると思うけどね。ご苦労さんくらい言ってやれよ。





Posted at 2016/08/18 15:48:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2016年08月18日 イイね!

SEALDsが残したもの




8月15日、集団的自衛権反対などを掲げた学生政治団体SEALDsが解散した。彼らは集団的自衛権反対デモを主催し、国会前での反対集会などを行ったが、その活動内容や方法などに対しては批判も多く、学生など多数の若年層の支持を得ることはなかった。それは参議院議員選挙での若年層の投票結果(全年代の中で自民党支持率が最も高い)にあらわれているといえる。

 

SEALDsは、一部メディアなどにより若者の代表であるように扱われてきたが、投票結果を見る限り明らかな間違いであり、所詮ノイジーマイノリティー(うるさい少数派)の代弁者にすぎなかったわけだ。

 

そして、彼らの活動には常に共産党など野党とその関連団体や人物の影が見え隠れした。SEALDsは良くも悪くもそのような人らに利用されつつ、逆に利用もしたというのが一つの実体でもあるのだと思う。

 

SEALDsメンバーの野党への選挙支援や協力がそれを明らかにしたともいえる。しかし、各種選挙での支援候補の選挙結果を見る限り、それは失敗に終わったといえるだろう。

 

私はSEALDsの活動が無意味だったわけではなく、わが国に対して非常に大きな成果を残したと考えている。なぜなら、彼らによって、一部のメディアに潜む隠れ左派活動家の存在が明らかになったからだ。

 

日本では、報道メディアに対して放送法で政治的中立性が求められている。当然、一部の政党や政治家などの意見だけを流すのは許されず、特に政治的に対立する問題に関しては対立意見を紹介し平等に扱う必要がある。だが、タレントやジャーナリストを名乗る人たちの多くは中立を装いながら、報道に名を借りた反政府活動や政治活動を行ってきた。

 

昨年のSEALDs現象と国会前デモと集会は、このような人たちを駆り立て、自ら名乗り出させることに成功したといえる。都知事選への出馬を最終的に取りやめたがタレントの石田純一氏や、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏がその典型だといえる。

 

また、SEALDsが、若年層を中心とした学生運動を知らない世代に、改めて市民団体など左派活動家の存在と思想や活動などを知らしめた役割も大きいと思う。

 

1980年代になるとほとんどの大学から学生運動団体が消え、彼らの主張や過去に起こした事件などを知らない学生がすでに多数を占める。左派活動団体、特に過激派などの危険性やリスクを認識しない学生ばかりになっていたわけだ。今回、SEALDsがこれを再認識するきっかけを与えてくれたことは間違いない。そして、これを否定する学生を大量に生み出しただろう。

 

SEALDsはさまざまな世代と分野で、非常に優秀なリトマス試験紙として機能し、隠れていた多くの問題を炙(あぶ)り出ししてくれた。これはSEALDsなしには成し得なかったことであり、日本にとっても非常に良いことだったと思う。ありがとうSEALDs、さようならSEALDs。




かつて若者が世界を動かすかと言われた時代があった。その運動は世界的に盛り上がり日本も同様に若者が世の中を揺り動かしした。しかし、その結果は学生運動の過激化であり、最終的には赤軍などのテロ集団を生み出しただけだった。最近の例では、「アラブの春」と言われた民主化運動だ。これもアラブ社会の民主化を一気に進めるかと思われたが結果として残ったものは混乱とISだけだった。どうしてこういうことになるかと言えば、こうした素人による政治活動は冷徹な状況分析もなければそれに対応する具体的な政策もない。ただ、自分たちの主張を情緒や感情で相手に訴えるだけだからだ。情緒や感情に訴えるとツボにはまれば効果は絶大だが、その一時の興奮が冷めた後には何も残らない。唯一残るのはうねった感情の大きさに比例する混乱だけと言うことになる。まあ、ボクたちのやったことはその程度のことでレベルが低かった分大きな混乱が残らなかったことだけが唯一の救いだった。あ、そう言えばそんなものと手を組んでまで選挙に勝とうとした民進党とか言う選挙同好会があったなあ。レベルは一緒と言うことか。





Posted at 2016/08/18 13:00:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年08月18日 イイね!

宮古島市議会、尖閣水域での中国公船の違法活動に抗議




沖縄県宮古島市議会は18日、同県石垣市の尖閣諸島沖で今月、中国公船と漁船が相次いで日本の領海や接続水域に入ったことを受けて臨時会本会議を開き、中国への抗議決議を全会一致で可決した。

 

「尖閣諸島強奪に向けた動きとも捉えられる」と非難、警戒監視体制の充実や漁業者の安全確保を日本政府に求める意見書なども採択した。

 

決議は、中国海軍の艦艇が6月に尖閣諸島周辺の接続水域を航行したことにも言及。「国際法を無視する行為は、沖縄県民に強い衝撃を与え、漁業者へ大きな不安と恐怖をもたらしている」と訴えた。




そうだ、そうだ、もっと言ったれ、言ったれ。でも沖縄の知事さんには言わなくていいのかな。 





Posted at 2016/08/18 12:59:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記

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