戦後70年以上にわたり日ロ間の懸案となってきた北方領土問題の進展に向け、安倍晋三首相がヤマ場と位置付けたプーチン大統領との山口会談。首相は、北方四島での共同経済活動を突破口として現状の打開を狙った。しかし、4島を「自国領」と主張するロシアは強硬姿勢を鮮明にしており、解決に向けた道筋は依然として見えない。
◇温泉談議でスタート
「首脳会談の疲れが温泉に漬かることで完全に取れることはお約束する」。会談冒頭、首相がにこやかに呼び掛けると、プーチン氏は「有名な温泉を訪れる機会をありがとう」と応じた。
首相が自身の地元、山口県長門市にプーチン氏を招いたことは、今回の首脳会談に懸ける決意を雄弁に物語る。北方領土問題の解決は首相にとり、1991年に亡くなる直前まで執念を燃やした父・晋太郎元外相から引き継いだ宿願。15日の首脳会談直前には、市内の会場近くに眠る父の墓前に交渉進展を誓った。
首相は、領土問題の前進には「首脳間の信頼関係が不可欠」と見定め、プーチン氏と通算15回にわたる会談を重ねてきた。ウクライナ危機を受け、欧米諸国とともに対ロ制裁を発動した後も、対話を途切らせないよう腐心。9月2日、ロシア極東ウラジオストクでの首脳会談で「手応えを強く感じ取った」首相は、満を持してプーチン氏を長門市の温泉旅館に招いた。
だが、首脳間の親密な関係を演出したい日本政府に対し、ロシアは冷淡だった。日本側が打診した歓迎行事や、長門市内にある日露戦争のロシア人戦没者の墓への慰霊、さらにプーチン氏への2頭目となる秋田犬贈呈にも乗ってこなかった。同氏の到着の遅れで会談開始は2時間以上ずれ込み、胸襟を開いての対話を描いていた首相は、厳しい時間的制約を強いられた。
◇存在感確保に活路
北方四島での共同経済活動は、90年代にロシア側の提起を受けて両国間に協議機関が設けられたが、ともに相手国の法令適用などを受け入れられず、立ち消えとなっていた。首相は15日の会談で、両国の「特別な制度」の下での活動実現に向け突っ込んだ議論を行ったと明言。ロシア政府高官は「自国の法律に基づく活動」と主張しつつ、協議開始について16日の合意を示唆しており、一定の進展があった可能性がある。
4島は今世紀初頭まで開発が遅れ、生活環境も劣悪で、住民の間には「日本に返還された方がまし」との意識もあったことで知られる。だが、2006年以降、ロシア政府が大規模な開発に乗り出すと、状況は一変。住民のロシアへの帰属意識は飛躍的に高まった。「4島に日本企業を送り込み、日本の存在感を高めるのが返還実現への第一歩だ」。外務省幹部はこう解説する。
◇冷戦期に逆戻り
だが、プーチン氏は山口会談を前に、かつてなく強硬姿勢を鮮明にした。一部日本メディアのインタビューで「ロシアには領土問題はない」と冷戦期を思わせる見解を表明。歯舞、色丹の2島引き渡しを明記した日ソ共同宣言に触れ、「どのような条件下で引き渡されるのか、どちらの主権下に置かれるのかは書かれていない」と指摘した。国後、択捉両島に関しては「宣言の枠を超えている」と、交渉の可能性すら排除したかのようだ。
ロシアでは18年3月、プーチン氏の再選が懸かる大統領選がある。「強いロシア」の体現が高支持率の源泉となっている同氏が、領土問題で譲れる余地は乏しい。共同経済活動についても、プーチン氏はロシアの主権の下で行うとの立場を譲らなかったとみられる。これに対し、日本政府高官は15日の会談後、「日本の法的な立場を害さないことが前提」と改めて強調した。16日の東京会談終了まで、ぎりぎりのせめぎ合いが続きそうだ。
今、ロシアが北方領土を日本に返還しなければならない理由などどこにもない。安倍総理も自分の地元の温泉で裸の付き合いで本音で話をしようと言う首脳会談をイメージさせたかったのかもしれないが、なんだかその手の会談て恐ろしく日本的で日本でしか通用しないように思う。旧ソ連の崩壊前後の混乱期に買い取ると言う手があったかもしれないが、この先、北方領土が日本に戻る見込みはほとんどないと思う。そうすると沖縄、小笠原を返還した米国は極めて紳士的だが、日本は完全にポチになったし、持っていても手がかかるだけでメリットのない沖縄や小笠原など日本に返して基地だけ確保できればそれでいいと言うところだろうか。うーん、戦争はやるからには石にかじりついても勝たなきゃいかんなあ。
Posted at 2016/12/17 09:38:35 | |
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