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2023年12月13日 イイね!

特攻隊員は命令に殉じて勇敢に戦った、そのことは心に刻み付けておくべきだろう。

【井上和彦 歪められた真実】
戦後の日本社会では、「特攻隊」は悲劇の象徴でしかなく、軍部を批判する絶好の材料となってきた。だから特攻作戦の意義や戦果を再評価し、特攻隊の顕彰を口にしようものなら、たちまち「戦争を美化している」などと、お門違いの批判を浴びるはめになる。戦後の日本は特攻隊への評価は、完全な言論統制下にあるといってよかろう。しかし、事実として、特攻隊は大きな戦果を挙げ、米軍将兵の心胆を寒からしめていたのである。こうした史実を歪(ゆが)め、特攻隊員に対して偽善的な哀れみの情を込めて無駄死だとか犬死などというのは、英霊に対する冒瀆(ぼうとく)なのだ。

1944(昭和19)年10月25日、フィリピン・マバラカット基地から出撃した関行男大尉率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」による最初の攻撃から終戦までの約10カ月間に、海軍の特攻機2367機が敵艦隊に突入して2524人が散華した。そして、陸軍は同1129機が出撃し、1386人が散華した(※資料によって人数は異なる)。

一方、連合軍は甚大な被害を受けていたのである。筆者の調べによれば、特攻隊によって撃沈または撃破された連合軍艦艇は278隻に上り、資料によっては300隻を超えるとしたものもある。人的被害もまた驚くほど大きかった。米海軍だけでも、特攻機の体当たりによる被害は、戦死者が約1万2300人、重傷者は約3万6000人に上り、さらに、あまりの恐怖から戦闘神経症患者が続出している。つまり日米両軍の戦死傷者の数だけを単純比較すれば、特攻隊は、実に3倍の敵と刺し違えていたことになる。

《日本の奴らに、神風特攻隊がこのように多くの人々を殺し、多くの艦艇を撃破していることを寸時も考えさせてはならない。》(安延多計夫著『あゝ神風特攻隊』光人社NF文庫)

これは米海軍ベイツ中佐の言葉である。
戦後の日本は、こうしたことを軍事的見地から客観的に検証し、実戦を経験した軍人の証言に真摯(しんし)に耳を傾けてこなかった。特攻隊員は、その意志に反して強制的に志願させられたかのごとく言われ、あろうことか〝かわいそうな若者〟に仕立てられてきた。だが、特攻隊員の肉声はそのようなものではなかった。彼らは至純の愛国心を胸に戦い、命を祖国のために捧げたのである。もちろん特攻は軍事作戦の邪道である。だが、その戦果と意義を客観的に見直し、まずは散華された特攻隊員を顕彰すべきではないか。

特攻隊は、世界の人々の日本人観に多大な影響を与え、戦後も「日本に手を出すと痛い目に遭う」と思わせる〝抑止力〟となって日本を守り続けてきた。つまり、かつての特攻隊の武勇は、戦後日本の抑止力ともなってきたことを忘れてはならない。(軍事ジャーナリスト)


当時の日本は技術の遅れから誘導技術などはなく練度の落ちた搭乗員では米軍艦船に爆弾、魚雷を命中させて撃沈するどころか接近することさえままならずそれならいっそのこと航空機ごと敵艦船に体当たりさせればと言うのが特攻の始まりだろう。誠に悲惨でその当事者となって亡くなった兵士には気の毒なことではあったが、戦争を簡単に終わらせる方法もなく米軍に圧倒されるがままの戦況を変えるには人間を誘導装置として敵艦に体当たりするのが最も有効な戦術だったのだろう。しかしこの恐るべき戦術は米軍の心胆を寒からしめるとともに米軍に甚大な損害を与えた。通常の方法ではこれだけの戦果を挙げることはできなかっただろう。そしてそれは日本人に対する畏敬の念を外国に抱かせる効果もあった。「日本人と言う人種はいざとなると何をするか分からない」と、これが米国など連合国側の認識だったのだろう。だからこそ米国は二度とこの日本人と言う人種がとんでもないことをしないようにと非武装非戦の憲法を押しつけたのだ。あの憲法こそ戦争が終わった時の米国の偽らざる心境だったのだろう。戦争に得るところなどないが、特攻と言う戦術のために命を投げ打った兵士は米軍に多大ば物的損害を与え同時に米兵に多大な精神的恐怖感を植え付けていたのだ。戦争に得るものなどないが、彼らは祖国日本のために勇敢に戦ったことは称賛されるべきだろう。非難されるべきはあのような戦争を始めた者たちで命を投げ出して戦った戦士ではない。そのことは日本人として記憶に留めておくべきだろう。
Posted at 2023/12/13 19:03:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2023年12月13日 イイね!

米軍のM4戦車に一矢を報いた47ミリ機動速射砲、・・(-_-メ)。

かつてソ連のスターリンは、軍司令官たちを前にして「現代戦における大砲の威力は神にも等しい」と語ったと伝えられる。この言葉はソ連軍のみならず、世界の軍隊にも通用する「たとえ」といえよう。そこで、南方の島々やビルマの密林、中国の平原などでその「威光」を発揮して将兵に頼られた、日本陸軍の火砲に目を向けてみたい。日本陸軍が1933年に初めて開発した94式37mm砲は、その後の戦車の装甲の強化によって威力面の不足が目立つようになってきた。

とはいえ、1939年のノモンハン事件では、ソ連軍のBTやT-26を94式37mm砲で撃破できたのでとりあえず危機は乗り越えられたが、新型対戦車砲の開発は喫緊の問題とされた。そこで、1937年に研究を進めていた試製97式47mm砲をベースにした開発を、 1939年に至ってさらに推進することとなった。こうして1942年5月、1式機動47mm砲が制式化された。なお、名称に付加された「機動」の持つ意味は、輓馬牽引(ばんばけんいん)で木製や金属製の車輪を備えた火砲に対し、サスペンションを備えたゴムタイヤを備え、車両による高速牽引が可能であることを示す。

日本陸軍では対戦車砲を速射砲と呼んだが、本砲の正式名称には速射砲の言葉は用いられていない。代表的な徹甲弾である1式徹甲弾(てっこうだん)は、実際には内部に炸薬(さくやく)が充填された徹甲榴弾(てっこうりゅうだん)である。世界的に40~50mm級の中口径対戦車砲の徹甲弾を徹甲榴弾化することは、得失の点で判断が難しいとされる。というのも、運動エネルギーで装甲を貫徹する徹甲弾は、重いほうが装甲貫徹力が向上するだけでなく、砲弾の強度もムクの金属製のほうが高くなるからだ。一方で装甲貫徹後に砲弾が炸裂すれば、戦車内部での殺傷能力が高くなる。

こういった事情から、小口径でただでさえ徹甲弾の重量が軽いのに、その徹甲弾の内部をえぐった空間に炸薬を充填すればさらに軽くなって装甲貫徹力が低下。おまけに小口径砲弾の少量の炸薬充填量では、ムクの徹甲弾の装甲貫徹後の破壊力と、徹甲榴弾の装甲貫徹後の炸薬の炸裂の威力が大差ない場合もあって、得失の判断が難しいのだ。

1式機動47mm砲は、主に独立速射砲大隊に装備されて太平洋戦争中盤以降、実戦に用いられた。もっとも多用された1式徹甲弾(実際は徹甲榴弾)が直角(90度)で命中した場合、1000mで約50mm、500mで約65mmの装甲板を貫徹することができた。そのため、アメリカ製のM4シャーマンに対しては、近距離でなければその正面装甲の貫徹が難しいとされたが、側面や背面は一定の距離で貫徹できたので、若干の威力不足とされながらも、速射砲兵の判断で至近距離射撃を多用する果敢な戦闘を挑んだ。その結果、本砲はアメリカ軍車両多数を撃破する戦績を残している。なお、1式機動47mm砲の生産数は約2300門と伝えられる。(白石 光)



日本は冶金技術などが遅れていたので火砲も砲弾も欧米のそれと比較すると劣っていた。そんな状況の中で94式37ミリ速射砲が威力不足で米英軍の戦車に対抗できなくなってしまったことからこの47ミリ速射砲が配備された。世界的には戦車砲も対戦車砲も75ミリ以上となっていた中で47ミリでは威力不足は免れなかったが、それでも米軍のM4中戦車に対して野砲や高射砲と連携して至近距離や側面からの射撃で多数を撃破している。英軍はこの47ミリ速射砲を称して「撃たれるといやな砲だった」と評価している。口径が小さく砲弾の強度も低かったが、それでも撃たれる側からすれば嫌な砲だったのだろう。また日本軍の砲兵は練度が高く極めて精密な射撃によって米軍のM4などを撃破したと言う。47ミリ速射砲は連合軍やドイツ軍の砲から見れば口径も小さく威力も低い砲ではあったが、決して無力な砲ではなかった、・・(-_-メ)。
Posted at 2023/12/13 18:27:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記

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