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2011年10月18日 イイね!

戦艦と重巡洋艦、どちらが有効な戦力か。

戦艦と重巡洋艦とどちらが効果的な戦力かと言えば、それぞれ役割が異なる戦闘艦なので一概には言えないだろう。巡洋艦はワシントン海軍軍縮条約によって「5インチ以上8インチ以下の砲備を持つ10,000トン以下の艦」と定義され、これを期限に発達したようだ。

軍事力は仮想敵とする国家が、一定の戦闘能力を有する艦艇を建造するとさらにそれを超える艦を建造する。その繰り返しで際限がなくなっていく。それは今も昔も変わらない。日本海軍はアメリカ海軍のオマハ級軽巡洋艦を凌駕する艦として古鷹型を建造した。これが条約によって規制された主力艦のような厳しい制限を受けない補助艦艇だったために各国はこのクラスの艦艇の建造に心血を注いだ。

日本海軍は妙高型や高雄型といった戦闘能力の高い巡洋艦を建造したためにロンドン海軍軍縮会議で、このクラスの艦を規制することになった。この条約で6.1インチ以上8インチ以下の艦を「カテゴリーA」、砲口径6.1インチ砲以下の巡洋艦を「カテゴリーB」と分類して制限した。前者が重巡洋艦、後者が軽巡洋艦と通称された。軽巡洋艦と重巡洋艦の違いは要するに主砲の口径だった。

艦艇の保有トン数と個艦のトン数、主砲が制限されているので許された範囲で可能な限り戦闘力の高い艦を建造するのは当然だが、重巡洋艦は、排水量制限のため自艦の主砲に抗堪できない低い防御力など、バランスの悪い艦艇だったようだ。

条約の失効とともに排水量の制限は取り払われ、1万トンを大幅に超過した重巡洋艦が建造され、アメリカ海軍のデモイン級重巡洋艦のように初期の戦艦を排水量で凌駕する艦も建造されたようだが、火力と防御力で戦艦には対抗できず、軽巡洋艦のような軽快性もないという欠点があったようだ。

そうして見るといかにも時代遅れの過去の遺物のように言われた戦艦だが、30ノット程度の高速性能を持った戦艦であれば火力・防御力は群を抜いており有効な戦力だったように思う。ただ、高速と言っても4,5万トンの大艦に高速性を持たせるのは難しかったようで究極の高速戦艦アイオワ級も30ノット以上になると振動が大きくなって主砲の正確な射撃が出来なかったようだ。

しかし、どのような艦艇を建造しても太平洋戦争以後の圧倒的な航空攻撃に耐えられるような水上戦闘艦を建造することは不可能だろうから戦闘力を発揮するためにはそれなりのエアカバーが必要だっただろうし、それならば艦艇の砲力よりも航空攻撃の方がはるかに足が長く効率がいいだろうからやはり大型水上艦艇は空母を除いて消え行く運命だったのだろう。

現在の艦艇は第二次世界大戦前のような厳格な艦艇の区別は存在しないようだ。特に水上戦闘艦は巡洋艦と駆逐艦の区別も曖昧なようだ。その最たるものはわが海上自衛隊で、排水量2万トンに迫る駆逐艦を保有し、さらに2万5千トンのヘリコプター搭載駆逐艦を建造中だからおそらく22DDHは世界史上最大の駆逐艦としてギネスに登録されるかもしれない。
Posted at 2011/10/18 22:56:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月17日 イイね!

やや中途半端な艦種だった重巡洋艦

太平洋戦争中、日本海軍は総じて良く戦ったと思う。何よりも最初から最後まで常に戦闘の最前線に立って戦ったのは航空隊だろう。これは太平洋戦争の主戦兵器となったのだから当然だが、初期の侵攻作戦から中期のソロモン・ガダルカナルをめぐる攻防、そして最後は艦隊を失った海軍の主戦兵器として特攻までそれこそ文字通り身を粉にして悲壮な戦いを戦い抜いた。

次は駆逐艦、これも開戦時から中期のソロモン・ガダルカナルを巡る攻防、中部太平洋、フィリピン、沖縄と攻撃に補給に護衛にと太平洋を走り回って戦った。本来は艦隊決戦を前に敵の主力艦隊に殴り込みの雷撃をかけるために高速と重雷装を身にまとった駆逐艦が、輸送に、対戦掃討に、護衛にとまさに八面六臂の活躍で最後は持てる力を振り絞って最後は力尽きた。

潜水艦、これも良く戦った部類に入るだろう。本来は隠密を旨として広い海域で自由攻撃に従事すべき潜水艦が泊地攻撃や制空う・制海権を失った海域への隠密輸送、哨戒と狭い海域に押し込められて消耗を重ねた。それでも良く任務を果たして戦い続けたのは称賛に値するだろう。

空母、これも初期の真珠湾攻撃から南太平洋、中部太平洋、そして最後はフィリピンと海軍の攻撃力の中心となって戦い続けた。最後は搭乗員の養成が間に合わず消耗を重ね、捷一号作戦ではその身を犠牲にしておとりとなって戦った。機動部隊の消滅が海軍の消滅だったと言ってもいい。それほど中核戦力として戦い続けた。

戦艦、これは開戦前は主戦兵力として脚光を浴びながら航空機の台頭で主戦兵力の座から滑り落ちたが、前期から中期は金剛。榛名・霧島・比叡の4高速戦艦が太平洋狭しと戦い続け、後期は航空兵力と言う翼をもがれた海軍の主戦兵力として捷一号作戦、そして最後の大和の沖縄水上特攻作戦と戦果は別にしても傾きかけた海軍の主戦兵力として火の玉のように戦った。

軽巡洋艦、これも老骨にムチ打って駆逐艦戦隊の先頭に立って駆逐艦のために身を犠牲にして敵弾を受けて戦っている。新型の阿賀野型軽巡も海上戦闘がほぼ終了した後に竣工した酒匂以外はやはり駆逐艦戦隊の先頭に立って戦い、沈んでいる。

海防艦などの護衛艦艇も後期には船団護衛の立役者として対空・対潜戦闘を戦い抜いている。結果がどうこうと言うのは意味がない。小型・軽武装の急造護衛艦に1000機以上の航空機を要する大機動部隊や最新電波・音波兵器で武装した多数の潜水艦隊と互角に戦えと言う方が無理なことだ。

日本海軍はどれもこれも良く戦ったのだろうが、意外に活躍していないものがあるとすれば重巡洋艦だろう。これは条約型巡洋艦と言い、8インチ砲を装備した排水量1万トンから1万数千トンの戦艦に次ぐ大型艦だが、35ノットと言う駆逐艦に劣らない快速を得て活躍が期待された艦船だ。日本海軍はこの重巡洋艦を18隻も装備していた。無論、これらの艦艇も最初から最後まで死闘を続けたのだが、第一次ソロモン海戦以外にはあまり活躍をしたという話を聞かない。

その原因は重巡洋艦が戦艦に次ぐ大型艦だったが、砲力の点で戦艦には遠く及ばなかったこと、これはガダルカナルのヘンダーソン飛行場砲撃ではっきりとしている。高速ではあったが駆逐艦ほどの軽快性がなかったこと、そして大型艦とは言っても防御力でも戦艦とは比較にならない差があったことから、魚雷1,2発程度の被害で大破あるいは沈没に至って戦闘力を失っていること、後期には対空戦闘力もさほど強力ではなかったこと、魚雷発射管を装備していたことから航空攻撃でこれらが誘爆して戦闘力を失ったことなどがその理由だろう。

重巡洋艦は大破したまま残った高雄と妙高を除いてすべてが失われた。開戦時から終戦まであらゆる海戦に参加して戦ったのでその意味ではよく戦った部類に入るのだろうが、期待された割には戦闘力・防御力ともにやや中途半端な艦種だったとも言えなくはない。
Posted at 2011/10/17 23:30:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月16日 イイね!

2012年、トヨタがルマン24Hに参戦

トヨタ自動車(株)(以下 トヨタ)は、2012年シーズンからFIA(国際自動車連盟)世界耐久選手権 (FIA World Endurance Championship)に参戦する。

これまでACO(フランス西部自動車クラブ)がルマン24時間レースを頂点とするシリーズ戦を欧・米・アジアでルマンシリーズとして開催してきたが、本年3月にFIAとACOがこのルマンシリーズをFIA世界耐久選手権として2012年より開催することで合意している。初年度となる2012年シリーズは、ルマン24時間レースに加え、欧州、米国、アジアで、シリーズ戦が計画されている。

トヨタは、このFIA世界耐久選手権に、レーシングハイブリッドシステムを搭載したプロトタイプ車で参戦を計画している。2012年は、シリーズ戦の内、ルマン24時間レースを含めた数戦に参戦の予定で、チーム名・参戦ドライバー、具体的な参戦レース等は今後決まり次第発表する。

今回のFIA世界耐久選手権参戦にあたり、トヨタのモータースポーツ活動の担当専務役員である山科忠は以下のコメントを述べた。「これまでもトヨタはルマン24時間レースに参戦してきたが、今回はトヨタが培ってきたハイブリッド技術を使い、まったく新しい挑戦となる。伝統あるルマン24時間レースを含むFIA世界耐久選手権に、ハイブリッド車で歴史を刻みたい。また、この挑戦を通じて得られる技術のフィードバックは、トヨタのクルマづくりにつながる。ハイブリッド車での参戦を承諾してくれたACOならびにFIAに感謝している。」

http://gazoo.com/NEWS/NewsDetail.aspx?NewsId=d8c2c4ec-06ec-4ebe-9209-808ec22e153a


トヨタが3度目のルマン24への挑戦を決めたようだ。1997年にサルテサーキットを独走し、ポルシェに、「もうだめだ。トヨタには勝てない。」と言わしめたTS020の快走を再現してもらいたい。1998年には改良型TS020が日本人ドライバーによって最後の20分までBMWを追いつめた。最後はタイヤがバーストして終わったが、片山右京が車をコントロールして2位でゴールした。マツダがルマンで優勝しているが、外国勢を尻目にあのサーキットを支配して独走した日本車はTS020だけだ。F1から撤退して主なレースには参加していないトヨタだが、今回こそはぜひ優勝して欲しいと思う。期待している。
Posted at 2011/10/16 12:59:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月16日 イイね!

選挙目当てに防衛を考えるバカは即刻辞任されたい。

一川防衛相は15日、金沢市内で開かれた民主党石川県連の行事であいさつし、7日に燃料タンク落下事故を起こした航空自衛隊のF15戦闘機について、「事故原因の中間報告は来週にでもしたいが、国民の理解が得られない限り、訓練再開はしない方がいい」と述べ、F15訓練再開は来週以降も見合わせる考えを示した。

事故以降、空自の主力機であるF15の飛行は全国で緊急発進(スクランブル)以外、中止されている。防衛省内では中止の長期化について、「国防上支障をきたす恐れもある」との懸念も出ている。

一川氏は事故が起きた空自小松基地(石川県)から地元への説明が発生から約5時間後になったことについて、「若干脇の甘いところもあり、組織としての課題があるような気もする」と述べた。一川氏は同県選出の参院議員。

一川氏はまた、行事に同席した民主党の前原政調会長について、「防衛省の仕事、自衛隊の仕事というのは、私よりも前原氏の方が詳しい」と述べた。

自分の選挙のことしか考えないのだろうが、バカな奴だ。自ら自衛隊に詳しくないというのならとっとと辞表を出して早く辞めればいい。国民の理解と言うがどの国民のどんな理解だ。当事者の最高責任者が他人事のようにものを言うのは止めた方が良い。

数少ない戦闘機の中で主力のF-15が飛行できないということは日本の防空にとって大きな問題だ。自ら先頭に立って原因究明と早期の飛行開始に向けた努力をしなければいけない立場の者がこの体たらくではこの国は持たないかもしれない。民主党と言うのはどうしてこうもバカしかいないのか、こんな政党が政権を取るような国では先が見えている。
Posted at 2011/10/16 00:28:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2011年10月16日 イイね!

日本潜水艦隊、浮上せず。

帝国海軍は開戦時60隻強の潜水艦を保有し、戦争中120隻を超える潜水艦を就役させて戦争を戦った。しかし、期待された潜水艦隊の活動は決して華々しいものではなかった。本来潜水艦と言う艦種は水中を航行できるという能力と引き換えに水上での航行性能や武装を犠牲にしている。現在の原子力潜水艦などは乗員さえ堪えられればほぼ半永久的に潜航して作戦行動が可能だが、当時の潜水艦は可潜艦ともいうべきもので潜航することもできる艦船という程度のものだった。

当時の潜水艦は魚雷を除けば中口径砲1門と機銃数門を備える程度で水上での戦闘能力は極めて低い。航行性能もいいところ10数ノット程度で水上艦艇とまともに交戦などできないし、潜航しても潜航深度100メートル程度、数ノットの速力で10数時間を走れる程度のものだった。そんな脆弱な潜水艦の唯一の強みは水中から不意に強力な魚雷で攻撃できること、つまり隠密性と奇襲だった。

帝国海軍はそんな潜水艦に米国の主力艦隊を襲撃して漸減させるという任務を与えた。そのために訓練を重ねたが、対戦能力の低い日本艦隊には十分な威力を発揮して大いに期待されたが、ドイツと英国の潜水艦戦に学び、高性能な対戦兵器で武装した米国には通用しなかった。開戦劈頭のハワイ戦ではオアフ島の周囲に配置され入出港する艦船の監視と攻撃任務が与えられたが、米国の艦艇に制圧されてほとんどなすところがなかったという。

その後も戦闘の激化に従って泊地攻撃や制空制海権を失った地域への隠密輸送などおよそ潜水艦にとって不得手な作戦にばかり使用され、消耗を重ねた。哨戒線に定間隔に潜水艦を配置したことから1隻が発見されると後は芋蔓式に撃沈されて多くの潜水艦が失われたこともあったようだ。

また、レーダーも高性能の音響兵器も魚雷発射用の射撃指揮装置もなく防音性も低い日本の潜水艦はレーダーや高性能の音響兵器で武装した米国の水上艦艇や航空機に次々と撃沈されていった。潜水艦の乗員からは広範囲の海域に展開して発見した敵艦船を攻撃する自由攻撃戦法に切り替えるよう再三にわたって意見具申されたが、聞き入れられることはなかった。

そんな不利な戦いを強いられながらも日本の潜水艦はそれなりに健闘した。空母サラトガを大破させ、ミッドウエイではヨークタウンを撃沈し、南太平洋では空母ワスプを撃沈するなど戦果は挙げていたが、損害がそれを上回っていた。特に制海・制空権を失った南太平洋での輸送任務は潜水艦に大きな消耗を強いた。

そんな苦闘の連続の潜水艦隊に本来の任務が与えられたのは昭和20年4月の末だった。太平洋をフィリピン・沖縄などに向かう米軍の補給線攻撃だった。この戦闘では日本潜水艦は回天を搭載し、補給線上を西に進む米国艦船を攻撃し、油槽船・輸送船15隻、巡洋艦2隻、駆逐艦5隻、水上機母艦1隻、艦種不明6隻、計29隻撃沈、2隻を大破させた。最後の一ヶ月は6隻で編制した潜水艦隊は、敵艦10数隻を撃沈破し、喪失は1隻もなかったという。

当時、米軍は日本側の攻撃を完全に封殺したとして補給線上を護衛もなしに輸送船などが航行していたというが、正当な方法で活動すれば日本潜水艦も十分に戦果を挙げ、活躍できるということを証明して見せた。終戦後、戦後処理の打ち合わせにマニラに向かった日本側代表に米軍サザーランド参謀が発した第一声は「回天を搭載の潜水艦は海上にまだいるのか」で、7隻が行動中である旨の回答に「それは大変だ、即刻降伏を伝達し、帰還させよ」だったという。勝ち誇った米軍に日本潜水艦隊の健闘が大きな衝撃を与えていたことの証左だろう。

米国太平洋艦隊司令長官ニミッツ大将は、著書の中で、「太平洋戦史」の中で日本の潜水艦について「これほど強力で期待された兵器が、まったくその能力を発揮しなかったという事実は史実上類をみない希有の例である」と述べているそうだが、日本潜水艦隊に早い時期にレーダーを装備させて広い海域で自由攻撃をさせていたらそれなりに大きな戦果を挙げていたかもしれない。凝り固まった柔軟性のない思考に基づく命令で潜水艦の特性に合わない作戦に投入され消耗を重ねながら戦い続けた日本の潜水艦だが、乗組員は困難な任務をよく戦ったというべきだろう。
Posted at 2011/10/16 00:09:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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